東京財団研究員・政策プロデューサー
亀井善太郎
1. 科学技術政策を取り巻く課題:巨額の予算を投入してきたが成果は限定的
日本は資源を持たない国である。人材で勝負を挑まねばならず、科学および科学技術分野はもっとも重点をおくべき政策分野である。
斯様な問題意識もあって、これまでの科学技術政策に関する財政支出は拡大傾向を続けてきた。そのペースは社会保障関係費を上回る伸びとなっている (図1:科学技術振興費と他の主要経費の推移) 。実額ベースで見ても、平成22年度の科学技術関係予算は3兆5723億円におよび、その内、主要な経費である科学技術振興費は1兆3321億円を計上している (図2:平成22年度科学技術関係予算の速報値) 。
これだけの巨額の科学技術予算を投じてきたにも関わらず、その成果はなかなか見えてこないのが現状である。?経済的効果(GDPへの貢献)、?特許収支の改善、?科学人材の確保、?国民の意識の改善、の4点が科学技術政策の主な成果として考えられるが、いずれを見ても、政策効果は見えてこない。
1)経済的効果ではGDP成長率における全要素生産性の改善がイノベーションによってもたらされると期待されるが、1990年代以降の我が国の経済低迷にあって、これを打ち返すだけの効果を見ることはできない (図3:我が国の経済成長率の推移と全要素生産性の推移) 。
2)特許収支については、我が国全体の経常収支の内数である「特許等使用料」は急増しているものの、これは我が国製造業の生産拠点の海外移転に伴う経営指導料収入の増加が大半である。特許使用に伴う収入に限れば、数字の改善こそ見られるものの大きなインパクトには至っていない (図4:日本とアメリカの大学におけるライセンス収入の推移) 。
3)科学人材の確保面では、科学や科学技術分野の博士課程に入学する学生が2003年をピークに減少に転じている (図5:専攻が理学・工学・農学・保健の博士課程入学者数の推移) 。
4)国民の意識の改善だが、諸外国と比較して相対的に低い水準であるばかりか、時系列で見ても低下傾向にある (図6:「科学的発見」関心度15カ国国際比較) 。
投じてきた巨額の予算が活きているのかとの問いについて、現場の科学者のインタビューを通じても厳しい現実が明らかになっている。資金の時限性、事務手続きの煩雑さや研究内容に対する行政当局の無理解のために、新しい発見やアイデアの根源である人的資源(若手研究者等)に投下されることがほとんどなく、配分された予算の大半が計算やシミュレーションのための大型設備に費やされてしまっているとの指摘がある。
中国の台頭をはじめ、ますます厳しくなるグローバル競争環境を踏まえれば、すべての研究開発案件に幅広くリソースを注ぎこむよりは、我が国の強みを踏まえた「選択と集中」は必須である。そして、何よりも、厳しい財政状態にある我が国としては、財政支出を増やせない制約の下、国民の理解も含め、様々な面で成果を上げることができる科学技術政策でなければならないが、現実は厳しい。
2. 科学技術総合会議の改革案の具体策
(1) 改革案の骨子:機能しない科学技術政策には「真の司令塔」が必要
我が国の科学技術政策分野は、役割として大別すると、司令塔としての「総合科学技術会議」、担当省庁としての「文部科学省(分野により他省庁の場合も)」、それぞれに研究開発を進める実施機関としての「大学、企業、独立行政法人等(以下、研究機関)」の3種に分けられる。
現政権下で実施された「事業仕分け」においても指摘されたとおり、資金配分機能を持つ独立行政法人やそれぞれの研究機関での課題は多々あり、個別の改善が求められている。
しかしながら、そもそも、「総合科学技術会議」と「文部科学省」、つまり「司令塔」と「担当省庁」それぞれの役割が極めて曖昧なことが根本的な課題であり、加えて、上述のとおりの現状では、役割分担云々に関わらず、両者がその責務を果たしているとは言い難い。
本提言では、科学技術政策を本来の形で機能させるためには、司令塔たる「総合科学技術会議」の改革こそが必要と考えている。
共同体としての方向性を示しながら、その方向性に沿った全体最適を実現するために行動するのが「司令塔」(ポートフォリオマネージャー)である。ポートフォリオマネージャーは異なる分野を評価し、決断するばかりでなく、利害関係者を納得させるために、充分なプロセスを尽くすと共に、これを実行する能力を保有していることが求められる。これらの機能はあらゆるセクターで存在し、公共部門も例外ではない。改革は、科学技術政策における本来の「司令塔」として「総合科学技術会議」がその機能を発揮するものでなければならない。
現政権においては、以下の民主党のマニフェスト(民主党政策集 INDEX2009 2009年7月23日発行)に沿った総合科学技術会議の改組が検討中と言われている。
産学官が協力し、新しい科学技術を社会・産業で活用できるよう、規制の見直しや社会インフラ整備などを推進する「科学技術戦略本部(仮称)」を、現在の総合科学技術会議を改組して内閣総理大臣のもとに設置します。同戦略本部では、科学技術政策の基本戦略並びに予算方針を策定し、省庁横断的な研究プロジェクトや基礎研究と実用化の一体的な推進を図り、プロジェクトの評価を国会に報告します。
総合科学技術会議を改組しようが、現行体制のままであろうが、大事なのは、その“中身”である。本マニフェストだけでは中身をうかがい知ることはできない。本提言としては、現行法制度の下であっても、あるいは、現政権による改革となっても、科学技術政策の「真の司令塔」を作るにあたって重要と考えられる点に絞って改革案を示すこととする。
(2) 政治がリーダーシップを発揮すれば、現行法の下でも総合科学技術会議を「司令塔」として位置付けられる
総合科学技術会議は、経済財政諮問会議と同様、内閣府設置法(平成11年法律第八十九号)第18条によって設置されたものである。所掌事務や組織については、同法第26条 *1 から第36条で定められており、「科学技術基本計画」の策定および関連する省庁間の調整が与えられた役割と考えられる。
その一方で、科学技術政策においては文部科学省に多くの役割が与えられている。文部科学省設置法第4条によれば、「科学技術に関する基本的な政策の企画および立案並びに推進に関すること」、「科学技術に関する研究および開発(以下「研究開発」という。)に関する計画の作成および推進」、「科学技術に関する関係行政機関の事務の調整に関すること」などが同省の所掌事務として定められている。また、「科学技術・学術審議会」が同省内に設置されているが(同法第6条)、その所掌事務は「科学技術の総合的な振興に関する重要事項」の調査審議(同法第7条)である。
加えて、科学技術の振興を定めた科学技術基本法では、国が果たすべき機能は明示されている *2 が、総合科学技術会議の位置づけについての記載はない。
以上のように、現行法の下では、科学技術政策における、総合科学技術会議と文科省との間での役割分担が明確に整理されているとは言い難い。
しかしながら、その一方で思い出すべきは自民党時代の「経済財政諮問会議」である。政策の中身に関する功罪の議論は別にして、同じ根拠法を持つ経済財政諮問会議が政治の力で「司令塔」として活かされた実績がある。つまり、総合科学技術会議を生かすも殺すも政治のリーダーシップ次第だと言えよう。
(3) 総合科学技術会議が担うべき4つの「司令塔」機能
では、総合科学技術会議をどう生かすべきであろうか。
基本的な原則は、前述の「司令塔」(ポートフォリオマネージャー)の機能を持ち、実行するための権限を保有することにある。
ポートフォリオマネージャーならば、誰か1人を任命する「科学技術担当補佐官」を導入するのも一つの選択肢といえる。補佐官とこれを支えるスタッフがポートフォリオマネージャー機能を担うことができれば機動力もあり、これまでのしがらみを断ち切るパワーはあるかもしれない。しかしながら、我々はこの選択肢を取るべきではない。なぜならば、科学・科学技術の分野は多岐におよび1人ですべてを見ることは実質的に不可能であるばかりでなく、国民への説明責任を負うべき行政の一機能であるならば、意思決定のプロセスに活発な議論が存在し、その議論のプロセスそのものが公開されることが不可欠だからである。
一般に、ポートフォリオマネージャーの機能としては、(1)向かうべき方向性(ビジョン)の明示、(2)個別事業の評価および資源の最適配分(追加資源投入や撤退判断も含む)、(3)利害関係者への報告・説明、(4)事業推進のための環境整備(制度改革を含む)の4つが挙げられる。
以下に、科学技術政策の司令塔として、科学技術総合会議が担うべき機能とそれを実現するための権限を詳述する。
1)我が国の科学・科学技術のビジョン策定:まずは担い手を一本化
「科学技術基本計画」が我が国のビジョンにあたる。現在、現行の第3期科学技術基本計画が策定から5年目を迎えることから、平成23年度以降のものとして、第4期の計画策定が進められている。
文部科学省の科学技術・学術審議会の下に「基本計画特別委員会」(主査:野依良治理化学研究所理事長)が昨年4月に設置され、検討を開始、昨年12月に検討結果が報告書としてとりまとめられた。
一方、総合科学技術会議においては、昨年9月に次期基本計画の策定に向けた諮問を受け、基本政策専門調査会において審議が行われており、本年中に答申がまとめられる予定となっている。
このように、文科省、総合科学技術会議、いずれにおいても並行して進んでいる。両者の位置付けや関係は曖昧で、今後の進め方についての見通しも不透明である。
科学技術政策の根幹を成す「科学技術基本計画」の検討プロセスがこれでは、内容の如何に関わらず、資源配分等の判断時の拠り所となるはずのビジョンとしての求心力を持つことすらできない。
少なくとも、現行法制の見直し以前の問題として、総合科学技術会議への一元化が求められる。
また、ビジョン策定の際には、多くの科学者を巻き込んだ幅広い議論のプロセスが不可欠であると共に、議論のプロセスを誰からも見えるようにすることが納得感の醸成のためには必須である。
2)個別事業評価と資源の最適配分:「仕分け」機能をしっかり発揮
現在の状況については、文部科学省の説明資料によれば、「関係省庁は、総合科学技術会議が示す基本政策や資源配分の方針などを踏まえ、科学技術政策担当大臣の総合調整の下、それぞれが所管する分野における科学技術に関する個別の研究開発の推進を図っている」とある。これでは、”総合調整”の意味も曖昧で、すでに指摘のとおり、ポートフォリオマネージャーの機能を果たしているとはいえない。また、総合科学技術会議には、法律上、予算を決定する権限も無い。
確かに、予算権限を与えるのも一つの方法だが、既に書いたとおり、現行の各省庁の権限を剥がすのは容易ではないし、それがために改革が進まないのでは、何の意味もない。
まずは予算配分に関する意思決定における何かしらの機能をきちんと担わせるのが先決であろう。
すでに、総合科学技術会議ではS・A・B・C評価を行っている。これは、各省における予算要求額が揃う前に「科学技術に関する予算等の資源配分の方針」を出すわけだが、各省から提出された要求がこの方針に適っているかをチェックするプロセスに位置付けられ、財務省主計局が予算をつける上での参考情報となっている。いわば、予算との関係においては現政権における「事業仕分け」の仕分け結果と同じような位置付けと言える。
この現在担っている機能を“きちんとした形”にすることが肝要である。現行法制度の下でも、総合科学技術会議が“ある種の”資源配分機能を担っているにも関わらず、その意思決定結果に対して、納得感が感じられないことが、多くの科学者から指摘されている。
改めて指摘するまでもなく、「事業仕分け」の最大の効果は、開かれた場所で議論が行われ、意思決定に至るところまで公開されていることにある。また、これまでの「事業仕分け」でも指摘されたように、仕分け人の妥当性は仕分けの妥当性への評価と直結するし、意思決定までのプロセスが不透明であることが納得感の欠如につながることは、スパコンに関する一連の経験 *3 からも明らかである。
つまり、ポートフォリオマネジメントにおいては、評価者の妥当性、評価および評価を意思決定に反映するプロセスの関係者への公表が伴わなければならない。
そうした意味で、評価者となる総合科学技術会議議員およびそのスタッフの人選には大きな留意が必要である。加えて、さらに大切なのは、当該プロセスの“見える化”である。「事業仕分け」の納得感を高める工夫をエッセンスとして活かし、科学技術総合会議としての仕分けを如何に進めるか、政策当局の工夫が求められる *4 。
3)国民への報告・説明 :ロードマップの提示
直接の関係者となる科学者や技術者とは異なるが、納税をしている点で国民も重大な関係者である。科学者や技術者が理解した資源の最適配分ができたとしても、これが国民にきちんと説明されないようでは、全く意味がない。
民主党マニフェストによれば、プロジェクトの評価を国会に報告することが書かれているが、国会に報告すればよいというわけではない。自民党政権時代に見られたような一部の科学技術に詳しい議員への説明に終始したのでは、広く国民に説明されたとは言い難い。
国民への説明は、前項で挙げたプロセスの納得性を高めるだけでは不十分である。全体を俯瞰した姿、具体的には、「科学が科学技術を通して社会に貢献する姿」、「そのタイミングおよび確率」、「これに投入するコスト(国費投入額)」を概観させることが求められる。言わば、簡略なロードマップである。
我が国では、“全体を俯瞰した姿を見せる”との姿勢が行政には著しく欠けている。ODAなどのように省庁の枠を超えた途端に全体像が見えてこないことがよくある。省庁の縦割りばかりが問題として指摘されるが、それよりも、総合科学技術会議が科学技術の「司令塔」として、個別の研究プロジェクトを集約し、国民の眼に見える絵を描くことが求められる。
4)制度改革を含む環境整備
これまでも、総合科学技術会議では、生命倫理に関わる問題や女性の進出促進などのため、数々の重要な制度改革に取り組んできた。
現在、科学技術を取り巻く環境の中でもっとも深刻な課題が「人材」である。時代を担ってきた科学者が年を重ねるにつれ、その後継者層となるべき人材が量的にも質的にも充分育てることができているかという点に関しては極めて厳しい意見が多い。
また、混沌とする時代にあって、科学者が、政治や社会に対して、自分達が有する知見を基にした活発な議論、その集大成としての意見を表明する機会もさらに求められる。現在は学術会議がこうした機能を担っているが、さらなる活性化のための制度改革も必要であろう。
斯様な状況下、総合科学技術会議に求められるのは、効果的な制度改革である。
(4)総合科学技術会議を活かすためには、人材の投入が不可欠
1)議員の選考の仕組みをオープンに
これまで指摘してきた総合科学技術会議が「真の司令塔」となるために必要なのは人材である。とくに議員の人選には、意思決定に係る国民の納得性を担保するためには不可欠といえる。現在の総合科学技術会議が機能していないと指摘されている最大の原因は「人」である。これまでの体制においても、議員によっては様々な取り組みを行っていた事例もあり、仕組みも組織の整備ばかりでなく、人材の入れ替えを行わなければならない。
現行の総合科学技術会議の議員は、研究分野に集中して取り組んできた人というよりも、元学長の次のポストになっているとの指摘もある。また、こうした議員をどうやって選んでいるのかがよくわからないというのも問題である。
ついては、専門分野における国際的な業績、科学界全体に関するビジョン、さらには科学および科学技術と社会との関係や公共性に対する自らの考えなどについて、議員候補者それぞれのスタンスを予め明らかにするなど、オープンに議員が選ばれる仕組みを検討していく必要があろう。
2)求められるスタッフ像と人材確保のために取り組むべきこと
上記と併せて大切なのが、議員を支えるスタッフ人材である。
議員が自らの判断で活動するためには、自前のスタッフが必要である。議員1名あたり3~5名のスタッフとすれば、30~50名のスタッフ投入が求められるが、肝心なのは、その人材のケーパビリティにある。
30~40代で、科学および科学技術分野に何らかの専門性があることが最低条件である。加えて、専門分野を超えたコミュニケーション能力を持ち、公共心の高い人材でもなければならない。これまで研究してきた狭い領域ばかりでなく、社会全体の最適化を考えられることが求められるからである。
斯様な人材は、現在、我が国で探すのは極めて難しい。というのも、これまで、我が国では育ててこなかった類の人材であり、そもそも、社会において活躍する場が無かったともいえる。じっさい、我が国の科学者の科学技術政策への関心はきわめて低いことが指摘されている *5 。
諸外国では、科学や科学技術分野の研究を経験した者が政治の様々な場で活躍している。例えば、米国では、国務省等の行政機関、議会スタッフ、議員スタッフ、シンクタンクなど幅広い分野での活動に従事している。
我が国における、こうした人材の登用は、大変難しい課題である。これは登用ばかりでなく、その後のキャリアパス、そもそもの人材育成など大きなサイクルとして位置付けなければならない。
まず、登用についてだが、若手研究者の間では科学および科学技術と社会のコミュニケーションの問題に取り組む人材も出てきており、求められる人材がまったく存在しないわけではない。本人の将来のキャリア選択の一つとして位置付けることもできよう。また、30~40代の時期を研究現場から離れることへのためらいも指摘されているが、そもそも、現場の研究においても第一線のプレーヤーからマネジメントへ移行するタイミングでもあり(もちろん、研究者によっては、生涯第一線のプレーヤーとなる人もいる)、大きな問題になるとは考えられない。
むしろ大切なのは、その後のキャリアパスである。研究の第一線を離れ、全体最適のために汗を流した人材を、研究現場に戻すにせよ、何らかのマネジメント人材として活用するにせよ、この間の経験を活かすことができるコースを作らなければならない。これは単に科学技術総合会議だけの問題でなく、我が国の科学および科学技術界の重要課題として位置付けなければならない *6 。
人材育成については、すでに一部の大学などで科学技術コミュニケーション等への取り組みも始まっている。キャリアの道筋が出来てくれば、教育人材も含めた充実は可能となろう。
おわりに:「人材」を活かしてこそ、我が国の科学技術政策は活きてくる
「事業仕分け」を通じて、多くのことが見えてきた。現政権が決して科学および科学技術を軽視しているわけではないと理解している。単に財源を捻出することに価値があるのではなく、オープンな場で国民に見える形で政策が決まっていくことこそが大切なのである。
ポートフォリオマネジメントは異なる利害の調整プロセスである。この高度な意思決定プロセスを、利害関係者である科学者と国民にわかりやすく伝え、その決定を納得してもらえるようにするためには、制度の整備も求められるであろうが、何度も指摘してきたとおり、もっとも大切なのは「人材」である。どんなに素晴らしい器を作っても、中身がダメなら、何もよくならない。
本提言は、政策分野に新しいケーパビリティの人材を大量に投入することを主眼としている。これまで、斯様な人材登用ができなかった我が国の理系軽視の文系文化など、根は極めて深いものがあろうが、最初の突破口としての政治のリーダーシップを期待したい。
*1 :内閣総理大臣の諮問に応じて科学技術の総合的かつ計画的な振興を図るための基本的な政策について調査審議すること、内閣総理大臣又は関係各大臣の諮問に応じて科学技術に関する予算、人材その他の科学技術の振興に必要な資源の配分の方針その他科学技術の振興に関する重要事項について調査審議すること、科学技術に関する大規模な研究開発その他の国家的に重要な研究開発について評価を行うこと(第26条1~3)。
*2 :第3条(国の責務)、第10条(多様な研究開発の均衡のとれた推進等)、第16条(研究開発の成果の公開等)など。
*3 :2009年11月の事業仕分けにおいて「(次世代スーパーコンピューティング技術の推進(概算要求額約270億円)」事業が取り上げられた。事業仕分けでは「来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」との結論が出されたにも関わらず、その後の次年度予算では40億円減にとどまる形となった。この間のプロセスがまったく見えなかったため、事業仕分けも含め意思決定プロセスへの不信感が広がった。
*4 :例えば、米国では設備を作る際にファシリティに関する200人委員会のようなものを立ち上げられる。ここでは、幅広い人材による喧々諤々の議論が行われ、国家としてどこに投資すべきかを決められる。
*5 :米国や英国で発行される科学専門誌の1/3を占める科学技術政策に関するページが、日本ではほとんど読まれることがないと指摘されている。
*6 :斯様なキャリアパスの問題は、日本の労働市場全体の閉鎖性・硬直性といった極めて根の深い問題ともいえ、本件のみならず、大きな枠組みでの対応が求められる。例えば、実務家法曹人材の活躍を企図した「法曹改革」により、法科大学院の設立等が行われ、多くの法曹人材が輩出されたが、結果としては、単に食べていけない弁護士が増えただけとの指摘もある。