2007年10月から11月にかけて、ニューヨーク、ワシントンDCなど東海岸各所で大統領候補のバラク・オバマ上院議員周辺の民主党関係者に話を聞くことができた。それらを手がかりにしつつ、アイオワ党員集会を直前に控えた状況をオバマ氏をめぐる民主党の情勢を中心に考えてみたい。
【民主党は事実上の2者レースか】
『Newsweek』(US版Dec. 17, 2007)のアイオワの民主党員を対象にした最新の世論調査によれば、オバマ35%、ヒラリー29%、エドワーズ18%と、オバマがアイオワでは一位に躍進している。以下、リチャードソン9%、バイデン4%、その他5%という結果だ。オバマ人気は本物なのだろうか。民主党候補者は完全に(1)「予備選勝利を狙う上位組」(2)「予備選勝利は諦めているが副大統領候補や主要閣僚に意欲組」(3)「予備選勝利も主要ポストも難しいが自分の信念のアピールのためのキャンペーン組」の3つに分離している。民主党は上位グループが明確で、ヒラリー、オバマ、エドワーズ。事実上この3人の予備選になっており、ヒラリーとオバマの2者レースという見方もある。後を追う(2)のグループが、リチャードソン、バイデン。不法移民への運転免許証交付を「免許は特権」だとして反対するなど、民主党のなかにあってヒスパニック票の離反を恐れず移民政策に厳しいドッド、反戦主義者でWTOやNAFTAに批判的な経済ポピュリズムで急進リベラル路線を曲げないクシニッチは、(3)のグループとして大統領選挙を用いた自己アピールの次元に完全に入りつつある。
【観念か現実か:「経験」論争】
アメリカでの様々なオバマ分析を総合すると、オバマの「強み・追い風」は「変革への期待とフレッシュさ(政治的しがらみの薄さ)」「グラスルーツの若年層支持」「黒人であること(脱人種的経歴)」「党内リベラル派の堅固な支持」「好意的なメディア報道」があげられる。他方で、「弱点・マイナス環境」は、「経験不足(外交・安全保障中心に)」「黒人であること(脱人種的経歴)」「スピーチは得意だか討論に弱さ」「政策の中庸さ」に収斂される。
「経験」をめぐる定義論争にここで注目したい。オバマを応援するデーバル・パトリック知事(マサチューセッツ州)はCNNに出演し「オバマの経験を議会経験の尺度で見てもオバマの魅力はわからない」と述べた。連邦レベルでの実務経験は、オバマはヒラリーとエドワーズの足下にも及ばないが、アメリカ人としてはかなり珍しい、ケニヤ人に父を持つハーフ、またインドネシアでの幼少の経験をもつ「帰国子女」大統領候補に、たぐいまれな国際性のポテンシャルを評価する声もある。「経験」を立法府の実務や当選回数に限定するのか、「人生経験」の幅の広さのことを「経験」というのか。つまり、「経験」をどう解釈するか、どちらの「経験についての定義」がより支持されるかが、ヒラリーとオバマの勝敗を決する1つの鍵でもある。キャリアや議会活動に限定するならば、大統領夫人としても世界に飛び各国のリーダーと対等にやり取りしてきたヒラリーに対し、オバマの勝ち目は少ない。よってオバマ陣営は「経験」を人格形成や幼少の育ちまでにさかのぼり、感受性や国際性など、「人生経験」に定義を拡大させた。
しかし、本来強みにできるはずだったイラク戦争反対の差別化路線は、国民が「戦争への賛否をめぐる過去の投票行動」よりも「今後の撤退を含めた現実的ビジョン」、さらには「テロ防止の安保上の担保」を求める現実的な判断に傾いているため、「象徴的」「理念的」なアピールポイントにしかなっておらず、このことが安保問題で現実路線をとるヒラリーが幅広い支持を集める大きな要因となっている。「経験」でも「外交」でも、総じてオバマ路線は「観念的」である。この観念性に共感を感じて「アメリカのリーダー像」の改変、「共感的大統領」を志向する理想主義的立場にたつか、そんなことよりも具体的脅威、具体的生活の向上を確実にしてほしいという、大統領府の政治機能に目にみえる「力」をもとめる現実的立場か、が両者の支持層の傾向の違いとして垣間見える。オバマのグラスルーツの強みの1つは、ラルフ・ネーダーを支援しているリベラル派のネーダー・ボーターの多くがオバマを支援している点であるが、このことは中道派を離反させる逆作用もある。
【脱人種的な黒人候補への評価】
さらに複雑なのは、オバマの「強み」と「弱さ」両方の項目に入っている、「黒人であること」が吉と出るか凶と出るかの問題である。周知のようにオバマは白人女性の母とケニア人の父のハーフであり、奴隷制と公民権運動というアメリカの黒人社会の「共有記憶」を持ち合わせていない。そのためアメリカの黒人としては「外様扱い」をジェシー・ジャクソン師にも受けたことがあるオバマであるが、その「脱人種」的な、あいまいな立場は、一方で保守系白人層から「白人と外国人のもとに生まれていても黒人である」という判断をされ、他方で黒人社会から「アメリカ黒人のルーツとは違う人」という2面で不利に作用する可能性がある。この点について、民主党内外の評価は割れている。
大きな黒人票を抱え、シカゴと並んで都市部黒人社会の牽引的存在のニューヨーク。そのニューヨーク市のマイケル・ブルームバーグ市長の補佐官を務め、自らも黒人として黒人票の動向に高い関心を持っているB・フルトン氏が筆者に個別に語ったところでは、アメリカの黒人社会の趨勢は「ブラック・ナショナリズム」の時代と異なり、「脱人種的黒人政治家」への許容度が増しているという。オバマを支援しているマサチューセッツ知事のパトリックのように、アイビーリーグ的な教育を受け、白人にも好かれる黒人政治家である。「オバマのルーツは自分たちと異なるが、仲間とみなしてチャンスを与えよう」という、黒人社会躍進の突破口を「脱人種政治家」が築くものかもしれないとの好意的判断でもある。また、オバマ後援のイリノイ州選出議員団が口を揃えて指摘するものに、大都市黒人政治の過程でよく語られている「投票ブースの法則」がある。あるイリノイ州選出議員は「黒人層のなかには、黒人社会の団結性をことさら外に見せたがらないため、あえて黒人絶対支持を世論調査や公では言わない層が多いが、投票ブースにひとたび入れば必ず同胞に入れる。それがシカゴ政治の経験で見てきた現実で、ブースの中でのカラーライン(人種の境界線)は消えていない」と強調する。
他方、慎重なコメントを漏らしていたのは、黒人女性として初めて上院議員になり、落選後クリントン政権でニュージーランド大使などを務めていたキャロル・モズリー・ブラウンである。筆者と同学の先輩後輩関係であることからニューヨーク市内で過日開かれた会合の後に個別に対話の時間を持った。同じイリノイ州の政治家として黒人同士であることもあることからオバマと親しいモズリー・ブラウンは、「黒人ファクター」の作用が州や地域によってプラスとマイナスに働くことを懸念する。「人種はローカル、ジェンダーはユニバーサル。シカゴやマンハッタンで黒人であることと、南部で黒人であることは意味が異なる。ジェンダーは地域性をこえて同じ意味を持ちやすいが」と語った。選挙区が小さいローカルな性質を持つ選挙では、黒人比率が高い選挙区であれば当然黒人であることは強みになるが、南部も中西部も抱える大統領選ではその限りではないという主旨だ。暗にヒラリーの有利さを示唆したとも思えるブラウン自身、アニタ・ヒル問題の追い風で上院当選を果たしており、そのさいも「女性であること」が「黒人であること」よりもプラスとなった。
【スタンプスピーチと「穏健ネーダー」路線】
オバマはタウンミーティングなど選挙民と膝を突き合わせた状態でのスタンプスピーチを得意としている。他方で討論が苦手との見方があり、弁護士としての能力が高く対人議論にきわめて強いヒラリーに、民主党ディベートで劣勢状態でもある。シングルイシューに白黒をつけるのが苦手な傾向が、争いや中傷を好まない人格に起因してると、オバマを候補者に送り出したイリノイ州選出連邦議員団は指摘する。対立よりも融和を目指す。善悪の割り切りよりも、善悪の混在を受け入れる。死刑制度にもあいまいな姿勢を示し、イラク戦争に反対しているが、対テロ戦争では強硬路線。この「熟慮型」路線はオバマが知名度と尊敬を集めた初期段階(自伝の発売と全米での組織作り)では奏功したが、予備選、ましてや2者対決になる本選では「弱さ」「優柔不断」と受け取られるのではないかとの懸念が一部オバマ陣営内部にもある。
過日、ニューヨーク市ローアー・マンハッタンで開かれたオバマ集会に出席した筆者にも、出馬直後に一時「ケネディの再来」と噂された理由は頷けた。演説は冒頭、屋外の聴衆に向けて、ニューヨークのエスニックな多様性に配慮した物言いでスタートした。「黒人も(ちなみに『アフリカン・アメリカン』ではなく『ブラック』とう言葉を使った)白人も、ヒスパニックも、アジア系もネイティブ・アメリカンも、プアな人も、そんなにプアではない人も、障害を持った人も、ゲイもストレートも(喝采)』と、あらゆる「対象」を並べ「来てくれてありがとうと」語りかけた。「ブッシュ政権に飽き飽きすることに、もう飽き飽きした」と、民主党サイドのブッシュ批判に底が見えてきている現状にも、ウィットをきかせて笑いをとった。全国向けではない地方の集会にしては珍しくきわめて内政と外交のバランスのとれた内容で、イラクについては撤退を力強く主張。しかし「向こう見ずに」に突入した戦争だからこそ、「慎重に」に撤退しなければと、「安全撤退」の留保をつけた。またイラクの民間人に対するシンパシーも訴えた。ニューヨーク大学付近ワシントンスクエアで、貿易センタービル跡地に近いだけに、テロをめぐっては慎重な発言がみられるかと思いきや、聴衆の熱狂を察してか「もう(テロで)恐怖」を煽ることはよくないとの踏み込んだ発言も見られた。
内政発言は医療保険制度一色であり、マイケル・ムーアの映画『シッコ』も意識し「世界で一番富める国が健康保険が持てなくてどうする」と呼びかけた。オバマの「(変革の)準備はいいか?」に聴衆一丸となって「準備オーケー」と叫び、黒人の高齢者のなかには感動してうずくまる者や、フェンスを乗り越えて涙を流しながら身体を振るわせる聴衆も続出した。黒人に徹底して好かれたクリントン大統領のチャーミングさと、ネーダーの「正義のため」の姿勢を足したような独特の興奮を与えるとオバマ支援者は語る。ボトムアップ選挙を謳い文句にしてるだけに「私はパーフェクトな大統領にはならないかもしれないが、あなたの声を聞く。それに従う」と開き直る。かつてのカーター的ともとられかねないこうした発言も、「等身大の正直さ」として好解釈される素地があるようだ。「アメリカの民主主義を機能させよ」というオバマは、「トップダウンではなくボトムアップで成し遂げられる。奴隷制廃止も公民権運動と同じ」と述べた。
【ブルーカラー勤労者票が鍵】
しかし、こうしたオバマ人気は局地的なもので、地域性にかなりの偏りがある。カルフォルニア、ミシガン、ペンシルバニア、ニュージャージーなと典型的な「民主党州」で強いが、「隠れ反黒人票」がアイオワ、オハイオ、ウィスコンシンなどで、ヒスパニック系やアジア系など他のマイノリティからも投げかけられる可能性があるとの声もある。ヒラリーの民主党各層、各地域への支持の安定した広がりと対照的である。オバマとエドワーズは「アイオワで勝てなければ後がない」と指摘されるが、ヒラリーはアイオワを落としても十分乗り切れる。アイオワの重みが両者では違う。オバマにアイオワの世論調査結果に喜んでいる余裕はなく、ニューハンプシャーの劣勢を盛り返すことに陣営は主眼をおいている。アイオワの民主党委員会関係者は「アイオワ・リベラルの発想として公民権運動以来、アフリカ系を応援してあげたいという気持ちがある。しかし、それは象徴として語られることはあっても、実際の投票ブースでは中西部特有の保守性を取り戻し中道の候補に入れてしまう」と述べる。「我々は人種隔離主義者ではない」という感情的なリベラルさと元来の地域的な保守性が混合しているのがアイオワ民主党であり、上院議員に黒人を認めても大統領には逡巡する民主党員が少なくないなか1月3日にどう判断するかは世論調査だけではまだ判別できない。オバマは「リベラル・エリート」のラベルを貼られがちで、世俗派の高学歴層、理想主義的な若年層に圧倒的支持を得ているが、勝負はオバマが苦手とし、ヒラリーとエドワーズが得意としているブルーカラー勤労者層で決まるとされている。具体的な明日の生活の向上と脅威への対処を求める層を相手に、アメリカ一新の「観念」のベールで勝負するオバマは苦戦している。リベラル女性層に一定の影響力があるトークショー司会者オプラ・ウィンフリーがオバマ支持を明確にしたり、メディアがオバマに好意的(アイオワの世論調査をことさら強調するなど)な報道を見せても、ニューハンプシャーのオバマ苦戦は継続している。オプラがヒラリーに対して同じこと(遊説参加)をしたら、倍の効果があったのではないかともいわれている。「人種」と「ジェンダー」のどちらがより幅広く武器に転化できるかの試金石でもある(オプラ・ウィンフリーは黒人女性)。
【副大統領候補を視野に】
党員集会と予備選挙を控えた「地上戦」の裏で現在着々と進行しているのは、副大統領候補チケットの組み合わせである。候補者の頭の中にあるのは、数ヶ月後をみすえたシナリオをふまえて、どう動くかである。民主党、共和党ともに指名獲得に自信のあるグループは、自分が党の指名を勝ち取ったらば誰を副大統領候補に選ぶかの品定めに入っている。また、指名は諦めているグループは、この予備選でどのようにふるまえば誰が指名を勝ち取ったときに誰に副大統領候補にしてもらえるかを視野に入れての活動に入っている。これらは、党員集会や予備選の戦い方におのずと影響を与える。表面的には全員横並びのレースをしているようで、暗黙のタッグも見え隠れする可能性がある。激しいぶつかり合いは、上位組なかでもヒラリーとオバマのレースに限定されてきている。
現在取りざたされているのは、ヒラリーとオバマの上位2者の組み合わせの可能性の薄さである。どちらが勝っても、お互いをパートナーに選ぶことがないのではないのかとの見方である。まず、客観条件として「女性」「黒人」という、ともにアメリカ「初」の要素をもつ2人がチケットを組むのは、あまりに「プログレッシブ」にすぎ、本選で無党派層獲得の勝負に不利に働く上に、共和党の保守派の感情を高ぶらせ、共和党の動員力をいたずらに喚起してしまうのではないかとの民主党内の見方がある。マイノリティの乱立は民主党の基礎票とメディア報道を盛り上げる(共和党選挙よりも民主党選挙に放送や紙面を割かせる)予備選まででよく、本選では「アメリカ初」は大統領か副大統領か、片方で十分ではないかというわけである。ちなみに逆に、白人男性のエドワーズが勝利した場合「黒人」か「女性」を副大統領候補にしたいという欲求は当然働く。もちろん、元大統領夫人であり上院でも安定した地位と実績をもつヒラリーがエドワーズのもとで副大統領候補に甘んじる可能性の低さは指摘しておくべきだが。他方で、より現場の問題として、アイオワに向けヒラリーとオバマが伯仲するなか、両者の対立がかなり深刻化しているとの見方である。オバマは明確なネガティブキャンペーンを避けてきたが、周囲のすすめでようやく民主党のディベートでは徐々にヒラリーを狙い撃ちするようになってきた。しかしヒラリーの安定支持は不動であり、ほとんど具体的な効果につながっていない。
【ヒスパニック・ファクター】
現在、ヒラリーが勝利した場合に副大統領候補として有力な名前のなかにリチャードソンがあがってきている。ヒスパニック系は2000年以降、共和党が一番食い込みをみせているマイノリティ集団である。サンベルト地域を確実に押さえ込み、共和党との本選を有利に運ぶには、2000年代の「新移民」として人口増加著しいヒスパニック系は、マイノリティ集団のなかでは最も副大統領候補として許容範囲の選択肢である。カトリック票と重なるヒスパニック系は、共和党が人工妊娠中絶など価値問題に争点を持ち込んだ場合、保守派ヒスパニックから順に共和党に流れやすい。「これを食い止めておくにはヒスパニック系候補を抱え込んでおくことが肝要」(民主党筋)との見方だ。ヒラリーのリチャードソンへの信頼は高い。クリントン政権で国連大使、エネルギー長官を務めクリントン大統領とも近い。過去数回の民主党ディベートはいずれも「ヒラリー対残り全員」の構図になりつつも、リチャードソンはヒラリーへの正面攻撃を避けている。予備選の党内ディベートはすべての局面で対決姿勢はない。指名を本気で取りにかかる候補同士では激しい争いに発展するが、それ以外のグループは「得意分野のアピール」と、意中のタッグ候補との「補完関係」のアピールの場にしがちだからである。ウェズリー・クラーク将軍の名前もここにきて浮上してきている。女性大統領を支えるのは、「強い」男性という論理で、何らかの形で戦争英雄かもしくはそれに準ずる者をパートナーにするのではないか(下院筋)との見方もある。
総じて、ヒラリーは「女性である」ということが新しい要素であるが、それ以外ほぼすべての項目できわめて有能な大統領になる資質をすでに揃えており歴代の大統領と比較してもまったく見劣りしないが、オバマは「黒人である」という新しい要素以外にも、アメリカの選挙民が歴代の大統領に期待してきたものとずれる部分が強い。「経験」論争にそれは象徴されている。そこまで「違う存在」を、今アメリカ社会が急いで求める必要があるのか。そのへんに勝敗の分かれ道があるだろう。
以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米コロンビア大学フェロー、元テレビ東京政治部記者