米国では、サブプライム問題をきっかけに景気減速懸念が高まるなかで、来年の大統領選挙でも経済問題が有力な争点に浮上しそうな雲行きになってきた。経済面での有権者の不満は政権政党に向けられやすいため、共和党への逆風になるという見方が有力だが、民主党の経済政策も景気減速を見越した内容ではない。各候補者は、戦略の見直しが必要になるかもしれない。
同時多発テロ以降の米国の選挙では、イラク戦争やテロ対策が圧倒的な論点となってきた。しかし今回の大統領選挙では、有権者の関心が経済問題に傾きつつある。ワシントンポスト紙とABCが12月初めに行った世論調査では、「大統領選挙で候補者を選ぶ際にもっとも重要な論点は何か」という問いに対して、経済・雇用をあげた割合が24%を記録し、次点のイラク戦争(23%)を僅かながら上回った。1ヶ月前の同じ調査では、イラク戦争が29%、経済・雇用が14%であっただけに、かなり急速な動きである。
戦争・テロから経済への論点の移行には二つの背景がある。第一に、イラク戦争を巡る議論が一種のこう着状態にあることだ。共和党の候補にとって、常に順調に推移してきたとはいえないイラク戦争は、必ずしも踏み込みたい論点ではない。一方の民主党にとっても、あれだけ反対していたブッシュ政権による「増派」が、ある程度の治安安定につながっている以上、政権・共和党批判の矛先は鈍りがちである。加えて、投票日までに戦況がどのように動くか不透明なことも、両党にとってイラク問題を取り上げにくい理由になっている。
第二は、米景気減速懸念の高まりである。経済の先行きをみる有権者の眼は厳しい。ギャロップ社が12月初めに行った世論調査では、71%が米国の経済状況は悪化しつつあると答えている。今年の調査を除けば、こうした回答が70%を超えたのは、同社が同様の調査を始めた1991年しかない。1991年といえば、クリントン前大統領が「経済こそが問題だ」というスローガンで大統領に当選した、1992年選挙の前年である。
注目されるのは、こうした論点の変化が選挙の行方に与える影響である。
まず予備選挙では、経済問題の争点化は、二つの点で各党のトップランナーにとって逆風になるかもしれない。
第一に、有権者が候補者を選ぶ際の基準という点で、「実力」の比重が下がる可能性がある。今年の予備選挙は、民主党ではクリントン上院議員、共和党ではジュリアーニ前ニューヨーク市長がリードする形で推移してきた。両候補に共通するのは、危機に対応できる「実力」をセールスポイントにしてきた点である。米国の有権者は現状への不満が強く、「変化」を求める気運が強い。しかし、戦争やテロへの懸念が強い状況では、有権者としても「実力」が未知数な候補者に国を任せることには躊躇がある。こうした有権者の思いが、二人のトップランナーにはプラスに働いてきた。しかし、戦争やテロが後景に退けば、有権者は新顔の候補に「変化」への期待を託しやすくなる。その恩恵に預かりそうなのは、民主党であればオバマ上院議員であり、共和党であればここにきて急速に支持率をあげてきたハッカビー前アーカンソー州知事だ。
第二に、有権者が好む経済政策の方向性である。経済的な不安感の高まりは、弱者救済を前面に押し出した「ポピュリズム」的な経済政策が受け入れられやすい環境を生む。このため、民主党の候補者でいえばエドワーズ前上院議員、共和党ではハッカビー前知事の提唱するような政策が、有権者の支持を集める可能性が指摘できる。また、観点はやや違うが、ビジネス界での経験をもつ共和党のロムニー前マサチューセッツ州知事にとっても、経済問題の浮上は追い風といえるかもしれない。
本選挙ではどうだろうか。オーソドックスに考えれば、経済問題の争点化は共和党にとって逆風になるとみるべきだろう。二つの視点がある。
第一に、有権者は経済状況の悪化を、現政権の責任と考える傾向にある。過去の選挙を振り返ってみても、リセッション後に行われた1976年、1980年、1992年の大統領選挙では、いずれも現職大統領が再選に失敗している。今回の場合は現職大統領が再選を目指しているわけではないが、政権政党の共和党にとっては気がかりな前例だろう。
第二に、経済政策は民主党が優位な分野である。前述のワシントンポスト紙とABCによる世論調査では、経済政策では民主党を信頼しているという割合が51%を占め、共和党を信頼するという回答(33%)を大きく上回っている。
こうした中で共和党の各候補は、経済問題の争点化への対応を急いでいる。従来はテロとの戦いの重要性を強調してきたジュリアーニ候補ですら、12月15日にフロリダ州タンパで行った演説では、一転して経済問題に焦点をあてている。
もっとも、民主党としても安穏とはしていられない側面はある。民主党候補が主張する経済政策は、必ずしも景気減速を前提にして考えられた内容ではないからだ。
民主党の各候補は、米経済が堅調に推移している時から、ブッシュ政権の経済政策を批判してきた。そこでの議論は、ブッシュ政権の経済政策は金持ち優遇であり、経済が順調に成長しているにもかかわらず、その果実が一般国民にきちんと分配されていないというものであった。このため、民主党の各候補は財政を通じた所得移転の強化を訴えてきた。すなわち、高額所得者に対する増税を行い、確保した財源で医療保険の拡充などを行うべきだというわけである。
しかし、景気の減速傾向が強まれば、こうした主張は共和党にとって格好の攻撃対象になりかねない。「増税によって大きな政府を作ろうとする時期ではない」という批判を展開しやすくなるからだ。むしろ経済の立て直しという文脈では、有権者には共和党の持論である減税の方が魅力的に映るようになる可能性も指摘できよう。
民主党にとって悩ましいのは、これまでブッシュ政権の財政政策を批判してきたことが、かえって景気減速への対応策を打ち出しにくくしている点である。民主党は、ブッシュ政権による大型減税が財政赤字拡大をもたらしたとして、1990年代の財政再建に貢献した「財源のない減税」を禁止する財政ルール(PAYGO原則)を復活させるべきだと主張してきた。しかしPAYGO原則に則れば、景気刺激のための減税を行うにしても、どこかで増税か歳出削減を実施して、財政収支への影響を中立にしなければならない。それでは景気刺激策としての魅力は薄れてしまう。
民主党陣営は、選挙戦での議論は足元の経済状況に左右されるべきではないと主張する。11月の初めに各陣営の経済アドバイザーによる討論会がワシントンで行われた。参加したクリントン陣営のアドバイザーであるスパーリング元大統領顧問は、「米国が足元で直面している問題は、経済の基礎的な部分で大統領が何を目指すべきかという視点を提供してくれる」として、目先の景気対策ではなく構造的な問題こそが選挙の論点になるべきだと主張した。オバマ陣営のグールズビー・シカゴ大学教授も、景気減速によって経済問題に注目が集まるのは良いにしても、議論の焦点はあくまでも長期的な対策にあるべきだと述べている。
経済政策の観点からは、こうした民主党陣営の主張には一理ある。新しい大統領が就任するのは2009年の1月。その頃には米国経済は回復基調にあるとみるエコノミストは少なくない。各候補が景気対策を議論しても、実際に大統領になった時にはタイミングがずれている可能性は少なくない。
しかし政治的にはどうだろうか。最近では、クリントン政権で財政再建の先頭にたったサマーズ元財務長官が、500~750億ドル規模の景気刺激策を講ずる必要があると主張して話題を呼んだ。景気の減速基調が顕著になれば、各候補の経済政策も方向転換を余儀なくされるかもしれない。
■安井明彦:東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、 みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長