2007年12月31日より2008年1月6日にかけてアイオワ州にて党員集会の準備過程から実施、総括までに立ちあった。「アメリカNow第1号」の2007年10月と同様、ジョンソンカウンティのアイオワシティ、コラルビル周辺を分析対象とした。「アメリカNow第6号」に続き、本論では党員集会への実際の参加をふまえて、党員集会の特色と功罪を検証する。
【党派的に極端なアジェンダの突出と制度的問題】
政治批評家のデッビッド・ブローダーが党員集会の問題として、「参加者の少なさ」とともに指摘しているのが「党派的」に極端な政治的思い入れが強い人ばかりが参加する傾向である。共和党側のアイオワ党員集会で宗教保守票が強いのは、福音派の人口比もさることながら、党員集会に来る人が「人工妊娠中絶」の禁止などを主張する宗教信念の強い人に偏るからでもある。コラルビルの会場には「中絶は殺人である」と赤いマジックで胸に書いた手製のシャツを着た人が集まった。また、モルモン教は家族を大切にするため党員集会が夜9時まで行われる夜の行事にもかかわらず、どんな小さな子供でも会場に一緒につれてくるため、事前の会場ホテルとの担当者打ち合わせ会議では「モルモン家庭の子供用対策」が議題になった。教義的信念の強い層はどんな吹雪でも参加する。ハッカビーがアイオワで勝利しできた背景にこうしたアイオワ党員集会独特の性質が追い風としてあったことは、党員集会のシステムをとらない他の州でハッカビーがどの程度伸びて行けるのかを占う上で知っておいてよいだろう。
また民主党側も、職場や近隣の目を気にせずに、特定の候補者への支持や戦争への賛否など政治メッセージを主張する勇気のある者はどうしても職業的、社会的に制限があるし、思想的にはリベラル色の強い人になりがちで、色をつけて周囲に見られたくないという穏健的な人は参加しくにくい。トム・ハーキン上院議員など歴代のリベラルな政治家を生み出してきたアイオワ民主党の意思決定の方式にアイオワのリベラルさの鍵が隠されているという見方は少なくない。他方でこうした閉鎖的な党行事の伝統は、若者への門戸を閉ざしがちだった。しかし、それを打ち破る若者の新規参入が今回の民主党党員集会の大きな特色となった。わずかならが党員集会にも変化が生まれている。
ヒラリーは元旦のアイオワシティのイベント集会で、「イラクやアフガンにいるアメリカの兵隊のぶんまで党員集会にいってください」という表現で党員集会への参加を訴えたが、要するに党員集会では、不在者参加が認められていないのである。寝たきりで会場まで足を運べない人、たまたま当日風邪をひいて具合が悪くなった人、子供が熱を出した人、当日夜勤シフトの人。こうした人は参加できない。これはあまりに前近代的な「グーフィ・システム(おかしな制度)」(アイオワで活躍する民主党系政治ブロガーのディース氏の言葉)ではあるが、そもそもが「党員集会」である。終日好きな時間に投票するか、事前に期日前投票すればいい「選挙」とは異なる「ムラの会議」であり、出席者に権利があるという考えがある。ため、その日のその時間に身体があいてなければ「ムラの会議」には参加できないのである。障害者への配慮は検討の余地ありではとの声もあがっているが、当面「伝統」を重視し、このシステムに改変が加えられる気配がない。
【支持候補選びの「ショッピング」としてのイベント集会】
アイオワ党員集会の直前数週間の間、候補者は駆け足で州内の「イベント集会」を開催する。通常ほかの州を含め、この手の政治家のイベント集会にはいくつかの典型的類型があるが、多くは候補者の支持層が多数の参加者という点が前提となっていと考えてよい。資金集めのためのパーティを中心に参加者の大半は支持層が占める。参加は有料であり、有料チケットがすなわち献金だからである。しかしアイオワの候補者イベントの参加者は必ずしも候補者の支援層ではない。無料の党員集会前の対話集会であり、参加者の10%から20%程度が話者の候補者の支援者で、それ以外は「決めかねている党員」か「党員以外の人」という集会も珍しくない。それは、党員集会を前にしたアイオワのイベントはすべて、候補者選びの「ショッピング」としての判断材料用に存在しているものであり、候補者と元来の支持層の結束強化を目的としているわけでもなければ、資金集めを目指しているわけでもないからである。
候補者にとってアイオワのイベントは真剣勝負である。何をしゃべっても笑ってくれるファンだけが参加者の献金パーティと異なり、厳しい目つきの聴衆やときにはヤジの心構えもしておかなければならない。何しろ無料である。筆者が訪れた民主党のほとんどすべての候補のアイオワシティの集会では、民主党関係者によれば参加者の30%が支持者で、その他は民主党のどの候補に入れるか決めかねている者、他の候補者に決めているが動員で呼ばれた者であり、ごくわずかながら独立系や共和党支持者も混ざっている、というイベント集会まで存在した。候補者Aの集会で、前日に候補者Bの集会で会った人とまた会うことは日常茶飯事であり、その場で「Cの集会に行った人知らないか?」「Dの演説はどうだった?」という情報交換の会話を交わすのである。ときには候補者がまだ目の前で演説している前で。
1週間から2週間というごく限られた短い期間に、すべての候補者がアイオワ州という限定された枠内で小さなイベント集会を数多くこなす。全国区の選挙にもかかわらず、まるでアイオワ州の地方選挙のような状態と化す。この過程でアイオワの有権者は異なる候補者のイベント集会に数多く顔を出し、どの候補者を支持するか気持ちを固めていくというなんとも贅沢なシステムなのである。集会終了後、陣営のスタッフが資金提供や指示登録を、パンフレットとペンを片手に説得してまわるが、集会の参加者にはそれを拒絶する者や無言で立ち去る者もいる。イベント集会に参加していることが、好きな候補者を応援する目的ではなく、吟味するため、あるいは党の行事であるから、党の候補者の集会には顔を出す、というきわめてアイオワ独自の行事であり、候補者にすらこのアイオワの雰囲気に慣れるのに少し時間を要することがある。
【民主党の第2志望システム】
候補者の演説をきいて回る「ショッピング」の必要性がなぜあるのか。民主党党員集会の独自の方式として、単純1回投票方式(ストローポール)の共和党党員集会の方式に対して、民主党はまず初回支持表明を行い、15%に満たなかった候補者を排除し、残りの候補者だけの2回目の集計を再度行う方式をとっている。15%以下で無効となった候補の支持層は、棄権してそのまま帰宅してもよいし、「リアライン」して15%以上の誰かの支持に加わってもよい。民主党の党員集会は、プリシンクト(選挙区)ごとに誰を勝たせるか、「ムラ」の党員同士の駆け引きのなかで、誰を支持するか明示する過程で選ばれる「合議的」方式であり、であるからこそ厳密には「選挙」ではなく「党員集会」なのである。そこで、泡沫候補を支持している支持層が、第2志望に誰を意中にしているかがきわめて重要になってくる。
共和党では、泡沫候補への投票は「死票」になりがちなのに対して、民主党の場合は下位候補の支持者でも、2度目の「リアライン」で上位候補の最終決戦に参加していく権利があり、党員の参加意欲が増すようになっている。そのため、イベント集会の「ショッピング」で第1志望の支持候補以外に、誰を「補欠」の第2志望にしておくか、特に15%の見込みがない下位候補支持者は決めておかねばならないのである。そのため、ヒラリーの集会でバイデン陣営のボランティアのTシャツを着た人に出会ったりする珍事が自然に生まれるのである。バイデンの演説の設営をして帰り道にヒラリーのイベントに顔を出す。どんなに熱心に陣営で働くスタッフであろうと、アイオワの民主党員である以上、党員集会当日に支えている候補者が15%未満で無効となったときに、「リアライン」で誰を支持するか事前に決めておかなければならないのである。そのためアイオワの民主党員は、常に「支援して支える第1志望候補」と「党員集会当日用の第2志望候補」を両方もっている。
この方式は2つの効果を生んでいる。1つは、指名の見込みがほとんどない下位候補のキャンペーンを直前まで盛り上げる効果である。2回目の投票の権利が残されているのなら、15%に満たないような「エレクタビリティ」の低い下位候補でも、キャンペーンの過程や1回目の投票では支持してみようという「応援意欲」がわくからである。そのため、バイデン陣営のような指名に勝ち目のない候補への応援の異常な盛り上がりが今回のアイオワでももたらされた。2つは、直前まで投票対象が決まらない傾向の助長である。特に「第2志望」については前日まで決めないという党員が多い。「リアライン」がかなり最終結果を左右するにもかかわらず「第2志望」を前日まで決めない状況のなか、直前の世論調査がことアイオワ民主党においてなかなか信頼できない一因となっている。
【支持層重複の分析の重要性】
上記のシステムの影響により、通常は重要な要素とならない問題もアイオワ民主党では重要になる。候補者の支持層が、別のどの候補者と重なっているかに対する目配りである。選挙区の党員集会で15%をぎりぎり獲得して有効となる可能性が残されている候補者と支持層がかぶっている上位候補者は、15%の見込みは全くない完全な下位候補者と支持層のかぶっている上位候補者よりも不利である。しかも、その際も15%を超えない範囲でなるべく大きな支持層が存在するほど、「合流」される側の候補者には有利になる。
10%程度の支持力は理想的下位候補支持母体である。この10%の支持層が特定の上位候補だけにそのまま流れるわけではないが、支持層の重複には一定の支持傾向はある。今回の選挙では下位集団クシニッチと上位集団エドワーズとオバマが重なり、下位集団リチャードソンと上位集団ヒラリーが重なり、下位集団のバイデン票はエドワーズに多く流れたと見られている。その意味で、自分と似たような支持母体傾向を持つ15%以下の支持率の下位候補者を持っている候補者かどうかが、民主党の上位候補者にとってアイオワでは死活となる。きわめて特殊な「足し算」のシステムがここに存在する。アイオワの民主党党員集会に向けたキャンペーンは、15%で上下に分けられた集団の「二重同時キャンペーン」なのである。
【有名政治家慣れしたアイオワ人】
「アイオワ州民」はアメリカ人全体のなかでも「特別な政治的な特権」を有しているともよく指摘される。どのような選挙過程を見渡しても、大統領候補者がこれだけ人口の少ない州をごく短期間に集中的に訪れることはない(ニューハンプシャーでは淘汰されて候補者の人数が減る)。アイオワ人は有名政治家に会うことに完全に慣れきっており、歴代の大統領に当選前に会ったことがあるという人が全米でもきわめて割合として多い。「先週はバーベキューにヒラリーとオバマが来て会った」「きょうはエドワーズが家の前のカフェに来ていたが、先月会ったばかりでもう面倒なので今日は行かない」という贅沢さであり、地元アイオワの政治関係者は自嘲気味に「アイオワ人はスポイルされている」という。アイオワ人は首都ワシントンで政治的仕事に就いている平均的な政治関係者よりも、はるかに至近で多くの重要性政治家に会った経験がある。
アイオワは一般に、指名獲得の最終選定というよりは、第一段階の淘汰のためのプロセスと考えられることが多い。アイオワの結果をめぐるメディア効果は大きく、アイオワで勝つとその後の各州の選挙民の判断に微妙な影響を与える。筆者の知人のアイオワ民主党委員は「ジミー・カーターが家に訪問してカウチで寝ていったという近所の人を知っている」というが、それだけカーターはアイオワの勝利までは無名の人だった。知らない南部の政治家が来たので家のカウチで休ませてあげたら、その後その人が大統領になっていた、というわけである。アイオワで一気に有名になり、その後の流れをつかむ候補者は多い。アイオワで「歴史」を作ったオバマが同じパターンを踏襲できるかは、ニューハンプシャーとサウスカロライナの結果を待たねば判断はできない。
【アイオワ党員集会の功罪】
小さな州のしかも党員集会に当日参加する限られた人たちだけが、これほどまでに大きく大統領選定に影響を与えることの、「フェアネス」をめぐる議論は今後もなされていくべきであろうが、現実としてアメリカ人は大統領選を、時間をかけて吟味していく「淘汰のプロセス」として考えており、非合理性を包含したところにローカルの「伝統性」の優先を見いだしている。そもそもアイオワ党員集会の非合理さを指摘するのであれば、州ごとに代議員を獲得するシステムも、予備選を同一日に一斉に行わないのも、すべて「おかしなこと」であり、予備選の日程を州ごとにばらけさせている以上、先発の州の結果が後続の州に影響を与えるのはやむを得ない。
アイオワ党員集会を存続させている1つの結果論としての事由に、アイオワが人口の少ない小さな州であるがゆえに、弱小候補も初戦として参加できるという点がある。これが全国にまたがる同時予備選挙で一斉にスタートしたら、資金力や組織のない弱小候補は最初から出られない。無名あるいは組織や資金のない候補にも全国的に有名になる可能性を残させている点で、小さな州から、奇異なシステムでスタートするという大統領選に1つの醍醐味が残されているのである。合理性や運営の厳密性という観点からはアイオワのシステムは現代的とは言いがたい。しかし党ごとに制度の異なるこうしたローカルの「儀式」としての方式で評価されることも、大統領選過程の重要な一要素であり、当面アメリカが放棄することはなかろう。
以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米コロンビア大学フェロー、元テレビ東京政治部記者