アメリカNOW 第9号 クリントンのニューハンプシャー戦における「涙」要因の解釈「地上戦と世論調査の視点」 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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アメリカNOW 第9号 クリントンのニューハンプシャー戦における「涙」要因の解釈「地上戦と世論調査の視点」

January 15, 2008

【ヒラリーの「涙」とは】

ヒラリー・クリントンがニューハンプシャーで「涙を見せた」ことをめぐる報道や考察が過熱している。そこで本稿「アメリカNow」でもこの問題について整理しておきたい。まず事実確認であるが、映像を状況と発言の文脈とともに観ていない人には誤解も広がっているが、ヒラリーは涙を流して「泣いた」わけではない。発言の途中で感情が高ぶり、言葉をつまらせて声を震わせ涙目になる場面があった。『ニューヨーク・タイムズ』紙は「クリントンは泣いたわけではないが、声を震わせ感情を露わにした」と報じており、これが描写としてはもっとも正確である。報道の発端となったのは2008年1月7日にニューハンプシャー州ポーツマスでの対話集会で、参加女性による「選挙戦をどう乗り切っているのか」との質問への回答であった。ヒラリーはおおよそ次のように答えた。以下が核心の発言部分である。

「簡単ではない。本当に正しいことをしていると、情熱的に信念を持っていなければ続けていけない。この国からたくさんのチャンスをもらってきた。このまま後退させるわけにはいかない。(周囲拍手)これは私にとってパーソナルなことであり、政治でもなければ公のことでもない。私には状況が見えている。私たちは方向転換させないといけない。選挙がゲームだと考える人もいる。誰が上昇して、誰が下降してと。そうではなく、この選挙は国のためのものであり、子供たちの将来のためであり、みんなのためでもある。(略)正しい人もいれば間違っている人もいる。準備万端の人もいれば、そうでない人もいる」(ヒラリー・クリントン、2008年1月7日)

(注:アメリカのテレビも活字メディアもこのうち一部を切り取って短いバージョンで伝えるケースが多かったが、テレビでは前半をコンパクトに放送するケースが多かった。ヒラリーが声を詰まらせて感情を高ぶらせたのは主に聴衆の「拍手」前後の部分であり、テレビの性質上、音と映像としてはこの前段が必須なのだが、発言内容として刺激的だったのはオバマを示唆しているかにとれる後段で、活字メディアは「涙を流した」という事実を伝えた上で、引用は最後部を使用するケースも見られるなど、媒体によって引用箇所に違いが見られた)

【一般的には「涙」は選挙にマイナス】

本稿では「感情問題」「ニューハンプシャー勝利への影響」の二点からこの問題を考えてみたい。第一に「感情問題」である。候補者が感情を過度にあらわにすることについては当然賛否がある。一般的に選挙過程では否定的な要素だ。2004年の民主党予備選では興奮したディーン候補が演説で叫び声をあげ、「大統領になる人物として品格に欠ける」という指摘が相次いだ。「感情」はリスクである。「涙」といえば、1972年の大統領選に立候補したもののマクガバンに民主党指名の座を奪われたエドマンド・マスキー上院議員の例が有名だ。夫人への攻撃について思わず泣いた、と報じられたことでその後失速した一件である。マスキーは「雪が目に入っただけであれは涙ではない」と必死に「涙」を否定した。1987年にはやはり民主党の大統領候補を諦めることとなったパット・シュローダー下院議員が、指名断念の弁で泣いた。これらは候補者の涙がネガティブなものとして捉えられている典型例である。

【「意外性」としての例外的な反響】

しかし「感情の発露」がポジティブに捉えられることもある。その違いはどこからくるのだろうか。それは第一に「誰が」、そして第二に「何を理由に」感情を見せたかによって生じる差異である。普段は感情をあまり見せることがないと思われているヒラリーだからこそ、カメラの入っている公の場で「人間的な側面」を見せたことが「意外性」として好意的にとられた。メディアに流布するイメージと逆行する行為だったからだ。他の候補者が同じことをしても同様の解釈はされない。しかし、今回のケースは、メディアで勝手に作られたヒラリーのイメージが、メディアで報道された「涙」によってメディア上で「緩和作用となった」と論じられる、まことに皮肉な例でもあった。というのは、一般のアメリカ人が誤解していることの一つにヒラリーが「無感情」だという評価があるからだ。これは1992年の大統領選でヒラリーがクリントン夫人とし「登場」して以来、メディアを通じて形成された彼女をめぐる大きな誤解の代表例である。公の場で自分を律することが少なくないヒラリーであるが、職場ではスタッフに見せる姿はきわめて気さくでときには戯れあうほどのチャーミングな性格であり、むしろ感情の発露のしっかりした人物である。だからこそ「感情を高ぶらせた」ということ自体には筆者は何の驚きも感じなかった。ただ、それが公の場所だったため、様々な憶測を呼んだのである。ヒラリーはNBC『ミート・ザ・プレス』(2008年1月13日放送)でティム・ラサートに対し、「質問があまりに個人的なものだったのでそれに反応した」と答えている。

【「何を理由」に感情を高ぶらせるかが評価の分かれ目】

第二に「何を理由に」であるが、「選挙戦で行き詰まり」を感じたので涙を流したと報じたメディアがアメリカにも多いがこれはやや近視眼的な分析といえよう。「涙」に過度の関心が集まっているが、むしろ注目すべきは「何を語りながら」「どのような文脈で」感情を高ぶらせたかにある。ヒラリーの「涙」を読み解く鍵として、声を震わせて語った次の一文に着目したい。「このまま後退させるわけにはいかない“I just don’t want to see us fall backwards”」。このUs「私たち」をオバマ陣営に対してのヒラリー陣営のことと捉え、「このままキャンペーンを下降させたくない」と解釈した向きもあったが正確とは思えない。Us「私たち」とはヒラリーと支援者を含む民主党全体のことであり、言外に示唆されている相手(They)とは共和党でありブッシュ政権2期が体現してきたものである。ヒラリーの視野はもっと広かった。「後退させてはならない」のは、ヒラリー陣営の対オバマキャンペーンのことではなく、2期続いた共和党政権に対する民主党の復権への勢いのことである。ヒラリーは「誰が上昇して誰が下降した」というゲームをやっている場合ではないと語り「涙」を見せた。ここで指す「ゲーム」とは予備選という名の民主党の内輪もめとしてのレースのことである(もちろん大統領選として必要不可欠なプロセスだが)。「Some of usは準備万端だが、Some of usはそうではない」と述べているが、ここでのusも「私たち民主党」のことを指していると解釈してこそはじめて理解できる。来るべき共和党からのホワイトハウス奪還、そして奪還後の共和党の抵抗勢力との長い戦いのなかでの政策実現をいまいちど見据えてくれ、万全の布陣で望む必要があるのだ、というメッセージである。

【民主党全体への呼びかけとしての意思表示】

ヒラリーは常に本選だけを見据えてきたし、民主党にとっての救世主としての自覚があった。民主党によるホワイトハウスの奪還とライフワークの医療保険制度の実現を目指して走り続けてきたといえる。その先にいきなり立ちふさがった障害が、仮想敵としてきた共和党候補者、また共和党議会でなく、民主党予備選だったことに複雑なやり場のなさを感じていることは見て取れよう。もちろんそれは、共和党候補を破り、政策実現を出来るのは自分であるというヒラリーの自信の表れでもある。ヒラリーは「今回の大統領選は特別に重要だ」と述べ、「国難」にあるこの時期にこそ「経験」がすべてであることを強調した。その実力とビッグネームゆえに民主党の指名は立候補さえすれば半ば自明のものと意識していたことからか、身内の民主党のオバマ旋風の意外な妨害にあい、真の敵である共和党と対峙する前にエネルギーをいたずらに浪費する現状を鑑みて、民主党支持者全体に「共和党からホワイトハウスを奪還するためには内輪もめをしている場合ではない。共和党に勝つ、国の方向性を転換することに協力してほしい」という本音の吐露であり、これを受け「チェンジ」旋風のなかにある選挙民の一部が、「本選でのエレクタビリティ」「大統領就任後の政策実現力」にやや認識を揺り戻したというのが、仮に「涙」の影響が一定程度あったとしての、選挙関係者の底流の見方である。

ヒラリーの選挙演説や対話を数多く陣営内で見たことがある個人的感触からは、その速度の乱れた薄い声といい(演説や公の発言では比較的スローな一定速度で深い声で話す)、頬杖といい(対話集会とはいえパブリックスピーチで姿勢を崩すことは珍しい)、カメラ入りであることは認識していた上であっても、かなり真実味のある感情の発露であると考えてよいだろう。ただ、その「理由」が「アイオワで負けたから」「疲れたから」「人間味をアピールするため」というアメリカの一部メディアに流布した矮小な次元ではなく、発言の文意とここ数年のヒラリーの議員活動を正確に把握すれば、上記のような「予備選でごたごたしている場合ではない」というメッセージと「足踏み」するいらだちの感情の発露であったことは読み解けるはずだ。

【ヒラリー陣営、地上戦「組織」の勝利】

さて、第二にニューハンプシャー勝利への影響であるが、結論からいえば「地上戦」組織力の底力である。「涙」に真実味があったからといって、「涙」映像だけを勝利の主たる要因と結論づけるのは、立候補宣言をしてからのこの長期間、ニューハンプシャーで陣営がどのようなグランド・オペレーションを展開してきたかについてあまりに目配りを欠いた見方であるし、「空中戦」の過大評価といえよう。地上戦担当者に限らず現場の選挙関係者に(punditというテレビ評論家ではなく)「涙」だけで勝てたという人は誰もいない。もちろん、最終局面で支持未決定だった女性、特に高齢層に一定の影響を与えた効果はあろう。事実、ヒラリーは「女性票」を確実にものにした(クリントン46%、オバマ34%)。しかし、テレビで映された「涙」という「空中戦」の次元だけに、ニューハンプシャーの票の動向の原因のすべてを求めることは現実的ではない。

『アメリカン・コンサーバティブ』誌(December 17, 2007 )のマイケル・ブレンダン・ドハーティの指摘に依拠するまでもなく、ヒラリーの「基礎票」固めは夫のクリントンから受け継がれ、さらにニューヨークでノウハウを醸成したもので組織作りの底力がある。ニューハンプシャーで鍵になるとされた「ブルーカラー勤労層」をしっかりヒラリーが確保したことが選挙結果から見える。「涙」との連動で語られた女性票にしても、筆者が地上戦のオペレーションに参画した2000年のニューヨーク上院選以来、保守的なニューヨーク州アップステイト対策の要として熱心に進めてきた女性票開拓ノウハウの結晶であり、ニューハンプシャーでの組織作りのやり方も例外ではなかった。ウェルズリー大学人脈を駆使しての「Wellesley Students for Clinton」は、「ヒラリーを支えるニューヨーク女性の会」と同様の動員駆動力となり、支援者がバスで大挙してニューハンプシャーに押し掛けた。

地上戦は基本的に報道からは隔絶した次元で行われるので(カメラが入った時点でどんな活動もプレス対策の一環に還元されてしまうので)、私たちはつい「空中戦」だけで物事の推移を判断しがちであるが、地道な組織固めはメディアがニューハンプシャーに訪れるずっと以前の昨年から行われていたことである。黒人が1%しか存在しないニューハンプシャーでは人種ファクターを排除した戦いになる。ヒラリーがブルーカラー労働者と女性票のミックスで、ニューハンプシャーをアイオワよりも重視し、組織を固めてきた。「涙」が最後の一押しになったとしても、そのような前日の突発的要因に運命を頼る「当てもの」のようなキャンペーンを遂行することは現実にはない。ニューハンプシャー州内にいきわたる組織を地盤にした直前のラストミニットまでの「GOTV」と呼ばれる動員オペレーションが基礎にあったから、突発要因もプラスになるのである。

【旧来の民主党「基礎票」を固めたヒラリー】

MSNBCの調査によれば、世帯年収が5万ドルより少ない低所得層では圧倒的にヒラリー支持で(クリントン47%、オバマ32%)、オバマは5万ドル以上の層でヒラリーよりも支持が多かった(クリントン5%、オバマ40%)。また学歴分布では、高卒以下のヒラリー支持が圧倒的であり(クリントン61%、オバマ25%)、大学院以上の高学歴層はオバマ支持が上回った(クリントン31%、オバマ43%)。「労組票」ではヒラリー支持が圧倒的であり、労働者へのアピールを目指しているエドワーズをも大きく引き離した(クリントン40%、エドワーズ23%、オバマ29%)。興味深いのは「今回の投票前にどのような登録状況だったか」を尋ねた調査である。「無党派として登録していた」と「無登録」の層ではそれぞれオバマが圧勝で(クリントン34%、オバマ40%、後者がクリントン30%、オバマ52%)、「民主党登録だった」という層ではヒラリーが勝っている(クリントン43%、オバマ32%)。オバマがこれまで政党に所属意識のなかった若年、高学歴層に支持される一方で、ヒラリーが旧来の民主党の「基礎票」にしっかり支持されている構図が明確である。日々の生活を選挙に託す勤労層を中心に、ニューハンプシャーに狙いを定めたヒラリーが定石通り「地上戦」で確保したというのが現実であり、「涙」要因は追加的要素として位置づけるのが妥当だろう。

【民主党予備選の世論調査と実態の乖離】

そうした場合、今回問題となるのは「世論調査」である。周知のように、多くの調査が直前までオバマ優勢の結果を示していた。いったい何が起きたのか。ある民主党関係者は筆者に個別に次のように語った。「何かおかしなことがニューハンプシャー予備選当日に起きた。世論調査は少なくとも8ポイントはオバマ優勢だった。2桁リードの調査すらあった。そして同じ会社の同じ世論調査で、他の情勢予測は正しく反映していた。例えばマケインの勝利の数字など共和党側の結果はおおむね正確だった。どうも、オバマについて調査員に回答したことと違う行動を、選挙民の少なからずが、投票ブースの中でしたとしか考えられない」。つまり、オバマ支持をしていた選挙民が急に判断を当日に変えたわけではなく、ヒラリーとオバマの競り方のスケールは、実は「ヒラリーの涙」が放映されるずっと前から、最終結果に比較的近いパーセンテージだった、という推理である。

要するに、オバマ支持でない人が何らかの理由で、世論調査では「オバマ支持である」と回答する傾向になぜかある、という問題が民主党内の一部で話題になっている。端的に言えば、ことオバマについては世論調査員に回答することと、カーテンでしきられた投票所で行う行為に「何らかの理由」で乖離があるようなのである。別の民主党関係者は次のように指摘する。「公の場で支持意見を示す党員集会方式のアイオワでオバマが意外な勝利を示し、カーテンの中で個人の意見を示すニューハンプシャーでオバマが意外な負け方をした。選挙制度の違いから逆算すると妙な帰結が見えてくる。これはオバマ陣営にとってはあんまりいい推理ではないが」。原因を結論づけるのは性急であるが「公に支持表明」をする場合と、そうでない場合において、判断に差が見られるという二重構造が一部で見え隠れする。また、調査会社が「投票可能性」の人数としてはじき出した数が実際の投票人数と乖離しているという基本的な調査手法に問題があった点も指摘されている。

ニューハンプシャーのヒラリー勝利を「涙」に直結させる推論は、そもそも直前の世論調査のオバマのリードが正しく実態を反映していたとの認識にたって、一夜にしてひっくり返ったのだから「涙」しか考えられない、という消去法である。しかし、その「前提」の世論調査をめぐって、選挙関係者の間で様々な疑義が指摘されている現状(当初から有効投票の実態としてヒラリー優勢かもしくはやや優勢の均衡状態だったとしたら)、さらには立候補宣言から1年間、またニューヨークの上院選から継承される「地上戦」組織の展開を顧みると、「涙」で勝利と断じることはできないだろう。とはいえ、オバマは黒人1%のニューハンプシャーでも接戦に持ち込んだ。「脱人種選挙」のフィールドでも、両者の集票力が拮抗してきていることを示している。今後も、こと民主党予備選においては、世論調査は参考程度としておいたほうがいいかもしれない。

以上


■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米コロンビア大学フェロー、元テレビ東京政治部記者

    • 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授
    • 渡辺 将人
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