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民主党候補者指名争いと「メディケア・フォー・オール」に対する労働組合の期待と懸念
2019年9月、ニューハンプシャー州で演説するウォーレン上院議員(写真提供 Getty Images)

民主党候補者指名争いと「メディケア・フォー・オール」に対する労働組合の期待と懸念

October 9, 2019

杏林大学総合政策学部専任講師
松井孝太

 

「メディケア・フォー・オール」で割れる民主党候補者

2020年大統領選挙に向けた民主党候補者指名争いは20人を超える候補者がひしめき合う混戦模様となったが、バイデン前副大統領が世論調査でトップを維持し、サンダースとウォーレンの両上院議員がほぼ横並びで二番手を争うという構図は、比較的安定して続いてきた。しかし最近になって、世論調査でのウォーレン氏の猛追が注目される一方で、バイデン氏親子のウクライナ疑惑やサンダース氏の健康不安問題が浮上するなど、来年2月から始まる予備選挙を前に、なお予断を許さない状況である。

さて、その民主党候補者指名争いの中で焦点となっている争点の一つが、医療保険制度改革である。民主党の主要候補者は、ほぼ例外なく、医療保険の無保険者や不十分な保障しか受けられない低保険者の減少を主張している。しかしそれを実現する方法については、有力候補者間で立場が分かれている。対立軸の中心となっているのは、サンダース上院議員らが掲げる「メディケア・フォー・オール」案(以下、M4A)への賛否である。

簡潔に述べると、M4Aは、患者と医療提供者の間の診療報酬支払いを、従来の民間保険会社に代わって政府が担う単一支払者制度(single-payer system)への移行を目指す案である。現在のアメリカでは、現役世代の医療保障に関しては基本的に民間医療保険が中心的役割を果たし、高齢者や低所得者など限られた部分のみ公的な医療保障が提供される。国勢調査局の報告によれば、2017年時点で、米国民の56%が雇用を通して提供される民間医療保険に加入していた(図1[1]。また直接購入の民間保険と併せると、67.2%が民間医療保険加入者であった。  

 

図 1:加入している医療保険の種類(2017年)

 

しばしば誤解されるが、2010年の医療保険制度改革(Affordable Care Act、オバマケア)は、日本のように原則的に全ての国民が公的医療保険に加入するような国民皆保険制度の構築を試みたものではない。民間医療保険中心の既存の構造を維持しつつ、メディケイド(低所得者向け公的医療扶助)の対象者拡大など各種の施策の組み合わせによって無保険者減少を目指す改革であった。それに対してM4Aは、より大胆に公的医療保険の役割拡大を目指すものと言える。

民主党の主要候補者の中では、サンダース氏とウォーレン氏がM4Aを強く支持しており、民間保険会社の役割の極小化を掲げている。それに対して、M4Aに対して明確に批判的な立場を表明しているのが、「最有力」候補と目されてきたバイデン氏である。同氏は、医療保険の選択肢として政府運営保険プラン(public option)を加えるなど、オバマケアを基本とした漸進的な改革を支持している。バイデン氏がMAへの反対理由として最も頻繁に挙げるのは増税など財源問題であるが、民主党の支持基盤である労働組合に対する悪影響も繰り返し指摘している。現在の仕組みからM4Aへの移行に際して、労働組合が雇用主との困難な交渉を通して獲得してきた医療保険給付が損なわれるというのが同氏の主張である。世論調査でバイデン、サンダース、ウォーレンの3氏に続くことが多いカマラ・ハリス上院議員も、以前はサンダース氏のM4A案を支持していたが、最近は労働組合員の医療給付の保護に言及しつつ、より穏健な代替案を提言するようになっている。

労働組合の懸念と候補者の対応

候補者と同様に、MAへの賛否をめぐっては労働組合の立場も割れている。全米看護師連盟(NNU)や米国政府職員連盟(AFGE)のようにM4Aを熱心に支持する組合も多い一方で、バイデン氏の出馬直後に同氏支持を表明した国際消防士協会(IAFF)のように、M4Aへの移行によって組合員の医療給付が損なわれることへの懸念を示す組合も存在する[2]。労使合意を通じて提供される医療保険プランは、一般の民間医療保険と比べてもしばしば条件が良いことに加えて、団体交渉の過程では、医療給付の見返りとして賃金に関して譲歩を行ってきたケースも少なくないからである。

アメリカの労働組合の最大の頂上団体であるアメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議(AFL-CIO)は、2017年の大会でM4Aのような単一支払者制度への移行を支持する決議を行っている[3]。しかし、民間医療保険の役割を基本的に認めないサンダース氏の基本構想に対して、決議では労働組合が既に有している医療給付プランの役割は維持するという点が明記されている。

サンダース氏のM4A案に対する労働組合の懸念を受けて、同氏は821日、それまでのM4A案に対する修正を、「職場民主主義プラン」の一部として発表した[4]。修正案では、雇用主に対して、医療給付のために積み立てられてきた資金を他の給付として組合員に支払うことを義務付けるとともに、全国労働関係委員会(NLRB)の監督の下で協約を再交渉することができるというものである。その際、M4Aで確立される給付と重複しない周辺的給付について雇用主と労働組合は交渉・提供することができるとする。同氏は、この修正案が労働組合により大きな交渉力を与えるものであると労働組合に対してアピールしている。

サンダース氏はこれまでの選挙戦の中で、他の候補者が民間医療保険の役割縮小に関して厳しい姿勢を示していないと激しく批判してきた。そのため他の候補者陣営からは、民間保険の役割を容認しているようにも読める今回の修正案が、サンダース氏の従来の立場と矛盾しているのではないかという批判も出ている[5]。これに対してサンダース陣営は、修正案は従来の民間医療保険の温存を容認するものではなく、雇用主による医療保険の積立金が、確実に労働者に渡ることを保証するものに過ぎないと反論している。

サンダース氏によれば、そもそも、労働組合が医療保障を労使交渉の対象にせざるを得ない現在の構造こそが問題である。M4Aによって、すべての国民が基本的人権として医療保障を受けられるようになれば、医療給付は労使交渉の対象から外れる。そうなれば、労働組合が医療給付を確保するために従来投じてきた資源と時間を賃金交渉等に充てることが可能になり、労働組合にとっても望ましいはずだというのが同氏の主張である。単一支払者制度への移行を支持する労働組合の多くも、年々高騰する保険料負担の軽減や、医療を雇用主との交渉材料から外せることのメリットを挙げている。 

労働組合を縛る制度的遺産

現時点で民主党予備選挙の最終勝者を予測することは難しいが、仮に下馬評通りバイデン氏が民主党候補者指名争いを勝ち抜く結果となれば、共和党トランプ政権の下で攻撃に曝されてきたオバマケアの保護と漸進的改革に焦点が当てられよう。より興味深いのは、ウォーレン氏ないしサンダース氏が勝ち抜き、11月の本選挙でも勝利を収めた場合である。既存の枠組みを前提とした改革を試みたオバマケアですら、その実現に至る途は苦難に満ちたものであった。分極化した議会はじめ幾多の拒否権プレイヤー(veto player)が存在する現在のアメリカ政治情勢の下では、ウォーレン、サンダース両氏が現在掲げているようなラディカルな制度改革は、極めて困難なものとなると言わざるを得ない。医療保険制度改革に取り組んだものの挫折したクリントン政権のように、就任直後の貴重な「ハネムーン期間」を浪費する結果となる可能性もある。

ただし、雇用と医療保障が不可分の関係にある現在の仕組みが労働者や労働組合の重荷になっているというサンダース氏らの指摘自体は、当を得たものである。図1が示すように、雇用主を通して提供される民間医療保険が現在のアメリカで果たしている役割は大きく、医療保険を失うことへの恐れから労働者が転職や起業を躊躇するという現象(job lock)が存在することもよく知られている[6]。現実的には実現は容易ではないと理解されていても、民主党支持者の間でM4Aへの根強い支持がある背景には、サンダース氏らの主張に一定の説得力があるからであろう。

歴代民主党政権による医療制度改革の試みにおいて、労働組合は常に無視できない存在であったが、現在のM4A構想に対する労働組合の立場は、上述のように必ずしも一枚岩ではない。実は労働組合は、広範な政策分野でリベラルな改革を志向する一方で、医療保険制度に関してはしばしば保守的な姿勢を示すことがあった。この点に関して、ペンシルベニア大学のマリー・ゴッチョーク教授は、アメリカでは雇用を基盤として私的に供給される社会給付が公的社会保障に代替してきた事実が、医療制度改革に関して労働組合が積極的役割を果たすことを妨げてきたと指摘している[7]20世紀半ばに形成された、労使協調を通じて私的に医療保障が提供されるという枠組みが、労使関係法(LMRA)や従業員退職所得保障法(ERISA)といった諸制度によって維持強化され、経済環境の激変が生じた後も労働組合の政策選好に影響を与え続けてきたからだという。

「メディケア・フォー・オール」をめぐる労働組合の反応と民主党候補者間の論争は、そのような雇用と分かち難く結びついた医療保障という構図が今なお労働組合に対する制約要因となっているとともに、組合組織率の低下が進む現在でも、民主党候補者は労働組合の顔色を窺わざるを得ないという事実を浮き彫りにしていると言えよう。

 


[1] 本論考では労働組合との関連に焦点を当てたが、雇用ベースの民間医療保険加入者の割合が労働組合組織率を大きく上回ることからも明らかなように、雇用を通して医療保険を得ている労働者は労働組合員に限られない点は留意されたい。Edward R. Berchick, Emily Hood, and Jessica C. Barnett. (2018) “Health Insurance Coverage in the United States: 2017.” United States Census Bureau. (https://www.census.gov/content/dam/Census/library/publications/2018/demo/p60-264.pdf)

[2] Arlette Saenz. “Firefighters union backing Joe Biden opposes Medicare for All.” CNN. July 29, 2019. (https://edition.cnn.com/2019/07/29/politics/firefighters-union-against-medicare-for-all/index.html)

[3] AFL-CIO Convention Resolution 6. October 24, 2017. (https://aflcio.org/resolutions/resolution-6-making-health-care-all-reality) 該当部分は次の通り。to move expeditiously toward a single-payer system, like Medicare for All, that provides universal coverage using a social insurance model, while retaining a role for workers’ health plans. not diminish the hard-fought benefits union members have won for themselves and all working people”

[4] “The Workplace Democracy Plan” (https://berniesanders.com/issues/the-workplace-democracy-plan/) の“A fair transition to Medicare for All”に記述がある。

[5] Alice Miranda Ollstein and Holly Otterbein. “Fact check: Did Bernie just backtrack on Medicare for All?” Politico. August 22, 2019. (https://www.politico.com/story/2019/08/22/bernie-sanders-medicare-for-all-fact-check-1472482)

[6] Dean Baker. (2015) “Research Report: Job Lock and Employer Provided Health Insurance: Evidence from the Literature.” AARP Public Policy Institute. (https://www.aarp.org/content/dam/aarp/ppi/2015-03/JobLock-Report.pdf)

[7] Marie Gottschalk. (2000). The Shadow Welfare State: Labor, Business, and the Politics of Health-Care in the United States. Cornell University Press.

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