共和党のコミュニティオルガナイザー批判
本選に入ってすぐの9月中頃、副大統領候補のサラ・ペイリンらがオバマの「コミュニティオルガナイズ」の過去を茶化す戦術を使うようになった。これは当初から予期されていたもののように見えて、民主党側としては意表を突かれた格好だ。
この批判は実は二重構造になっている。第一の層にあるのは、その職業名のある種のナーブさが醸し出す雰囲気への意地悪な批判である。ほとんどのアメリカ人が「コミュニティオルガナイザー」がいったいどのような仕事なのか事実理解していない。オバマの自伝がこれだけ売れても、民主党の支持者ですら、正確には把握していないのだから、無党派や共和党支持者が理解しているはずはない。ほとんどの人は何かボランティアのような、定職としての仕事や、専門的な活動とは見ていない。この実状に巧くマケイン陣営は乗じた。この第一の層までは、オバマのオルガナイザーとしての実績を考えると、ネガティブ攻撃の倫理上の是非は問われてしかるべきだが、マケイン=ペイリン陣営の戦術的意図はわかる。
問題は第二の層だ。元カーター大統領のスピーチライターでMSNBCのクリス・マシューが言うように、コミュニティオルガナイザーという言葉から平均的なアメリカ人が連想するのは、「トラブルメーカー」ないしは「アウトサイドワールド」からやってきた「アジテーター」というものだ。土着の人間ではない人が、何かを広めるために「オルグ」活動をしているというイメージにとられかねないと指摘する。マシューは元カーター側近でありながら、民主党内の問題も率直に批判する辛口で知られる。
マシューによれば、人間関係もコミュニティの運営方法もきわめて保守的な小さな農村の集落、あるいは郊外の中産階級以上の富裕層には、こうした職業名は、なにかおせっかいに問題を持ち込む「よそ者」にしか聞こえない危険性をはらんでいる。「コミュニティ」の意味が微妙に違うのである。マンハッタンやシカゴ南部などの都市部での生活経験があれば、貧困街やエスニック集団のために汗を流すことだろうと理解できるのだが、郊外や農村ではそもそも集住形態が異なり、都市特有の問題を抱えていないので、想像もつかない。ここに見えるのは、同じ「政治言語」でも、都市と郊外、農村でまったく異なる解釈をされるアメリカ特有の土壌だ。「コミュニティオルガナイザー」はその顕著な例である。
ペイリン演説にみられる記号「変換」によるサブリミナル・ネガティブ手法
このことに気がつかなかった、あるいは先回りの方策を施さなかったということは、農村部のブルーカラー層の掘り起こしと動員が本選で死活になるオバマ陣営としては痛い部分だった。シカゴ南部でのコミュニティオルガナイザーのエピソードを、キャンペーンでクローズアップすることを決めたオバマ陣営の戦略陣の発想が、そのまま民主党内でも「都市部寄り」の「高学歴層リベラル」集団であることを露呈しているとの指摘も出た。
ヒラリー陣営であれば、農村や郊外で受け入れられにくい、新奇的エピソードや職業的肩書きは、クローズアップを控えるか、もしくは理解されるバックアップの説明を用意しておいたのではないかという説である。
マイケイン=ペイリン共和党陣営の戦略はその意味でわかりやすい。フレッシュさを売りにしているオバマの新奇性を、徹底的に「怪しげで正体不明なもの」に「変換」してしまう「変換」戦法である。「変換」戦法では、相手陣営がよかれと思ってアピールしている利点の「解釈の幅の広さ」につけ込み、悪いイメージに「変換」させてしまう。コミュニティオルガナイザーという「職業名」は、その「変換」の格好のターゲットだった。
共和党はオバマの自伝と過去の演説を総ざらいに研究したが、言い換えれば「変換」の対象を血眼で探す作業ともいえる。コミュニティオルガナイザーは、オバマの過去の経歴の「金字塔」であったし、政治家への道の代名詞でもある。「ノット・ビーイング・ブラックイナフ(アメリカの黒人とは十分いえない)」とうオバマを、黒人社会の指導者層に認めさせた「鍵」でもあった。このオバマのサクセスストーリの「本丸」中の「本丸」を、「職業的な内容の曖昧さ」の隙間から解体し「変換」を試みた。選挙戦略としては妥当なラインかもしれない。
しかし「この曖昧な職業が何なのか。実績が何だったのか、もっとはっきり説明する義務がある」という正攻法での攻撃ではなく、ペイリンの「私も市長でした。コミュニティオルガナイザーみたいなものかもしれません」というトーンは、郊外や農村に渦巻く、聞いたことがない「職業」への暗黙の不信感を、ある意味サブリミナルに焚き付ける手法で、戦術としてはフェアではないとの民主党側からの批判も免れないだろう。「変換」戦法としては秀逸だが、選挙倫理としては如何なものか、という批判である。
予備選と本選で異なる「物語」ブランディング
これが引き金となり、オバマ陣営も、過去のオバマの経歴のなかで、少しでも弱みにつけこまれる可能性がある、「曖昧」さを徹底して洗う契機となった。とりわけアメリカ人の大多数に理解されにくいものは、それなりの対策を施さねばならない。まさに予備選対策と本選対策で180度の対応の差が求められる好例だ。本来は副大統領候補選びと並行して、こうした作業は済まさないといけないのだが、今回は歴史的に長引いた予備選のせいで、「予備選から本選への態勢の立て直し」に割ける時間が民主党側では少なかった。予備選用戦術の成功体験をすべて忘れて、本選は本選として立て直さねばならないのだが、予備選の心地よい成功体験を引きずってしまうと、ターゲット層や対抗馬の攻撃の論点も予備選とはまるで違うので、泡を食う。
コミュニティオルガナイザーの経歴は、民主党の指名争いではネガティブに扱われるものではなかった。貧困層や黒人社会をベースの基礎票に抱える民主党は、どんな候補でもオバマのシカゴでのコミュニティオルガナイザー活動の批判は、貧困支援批判、黒人社会批判と受け取られる危険があったからだ。この仕事の曖昧さに薄らとした共通認識はあっても、民主党予備選では本格的な争点として利用されることはなかった。
民主党関係者には、オバマ陣営の「予備選から本選への戦略脱皮度」の一つのバロメータだったと述べる者もいる。ヒラリー支持層の棄権を防げるか、無党派層にどこまで食い込めるかどうかの試金石でもあるからだ。つまり「脱皮」「意識切り替え」が足りないのではないかという意見だった。中西部、農村、ブルーカラー層の「ハートランド」の無党派層と民主党労働者層確保が11月4日の投票日に鍵となる以上、コミュニティオルガナイザー批判は、看過できるものではなかった。
候補者としては「自伝を読んでもらえればご理解いただけるはず」という態度で徹底してクールに振る舞ってよいし、そうすべきだ。しかし、陣営としては農村部、郊外のとりわけ追い込みの「地上戦」に、大きな反省点を突きつけた事例であり、この戦術が象徴するものは大きい。「都市」と「郊外・農村」の関心事、ライフスタイル、優先政策の亀裂を如実に浮き彫りにさせている。「陣営に対しては、いい刺激になったし致命傷はなかった」(民主党議会執行部周辺)、「オバマ陣営に本選意識の緊張感を持たせた」(民主党全国委員会関係者)という指摘に見られるように、ペイリン演説の攻撃はバネと反省材料になった。
本稿でも繰り返し強調してきたように、オバマは「都市人間」である。ハワイもインドネシアも豊かな自然に恵まれた環境だったかもしれないが、アメリカ本土でのオバマの経歴は、「都市」だけに限定されている。共和党の今回の戦略は、ただのレトリックではなく、そのオバマの経歴の弱点を巧妙に調べ上げてのものである。
「都市人」としてのキャパシティを、どこまで広げることができるか。「ハワイ」「アラスカ」というアメリカの州のなかでは「周縁」的位置づけにあった2州を、アメリカ政治の中心に巻き込むというユニークさが今回の選挙の一つの特色でもあるのだが、他方で、まだまだ「ハートランド」中心の論理がアメリカ政治の主流であることも現実だ。「農村」や「郊外」を理解してくれない、「太平洋育ちの都市人」なのではないか、という根拠なき不安感は中西部には少なくない。
信仰という「都市」と「農村」の中和剤
オバマ陣営に反撃の材料がないわけではない。現在、選挙直前に中西部の激戦州を中心に重点的に力が注がれている宗教アウトリーチとの連動によるオバマの信仰心アピールだ。オバマは実はコミュニティオルガナイザーの過程で信仰と出会っている。「オルガナイザーと信仰はセット」なのである。たしかに、オバマは信仰に懐疑的だった母親の影響を受けている。ハワイ、インドネシア、カリフォルニア、ニューヨークの生活のなかで、敬虔な信仰心を育むことは少なかった。元来は世俗的で宗教心の薄い人物である。
そのオバマが信仰と出会ったのはシカゴだった。オバマがシカゴのゲットーで目の当たりにしたものは、アメリカの黒人社会における教会の絶対的な地位だった。オバマはコミュニティをとりまとめるために、教会を媒介にしなければ、仕事にならないことを悟るのである。コミュニティで直面したのは教区や教会ごとの対立と派閥抗争で、これが障害になって仕事が進まなかったからだ。理想に燃えていたオバマは、地域の連帯を訴えてまわるが、牧師はシカゴ南部の連携には否定的であり、オバマは最初の幻滅を味わう。宗教という壁に体当たりしなければならなかった。
この時期、オバマを支えたジェレミー・ライト牧師が異端的な人物であったことは間違いない。敬虔な黒人のあいだでは拒否感の根強い同性愛を支持してもいたし、反米的との誤解を受ける発言でオバマを困らせた。しかし、オバマが行っていたオルガナイズの仕事をライト牧師の教会コミュニティが助けたのも事実だった。オバマのコミュニティオルガナイズは、ペイリン演説が誘導するような、怪しげな「オルグ」活動というよりは、むしろペイリンの基礎票にアピールするような「チャーチ・ベース」の活動だったのは皮肉である。オバマが予備選勝利後に宗教に基盤を置いた社会貢献教育について前向きな発言をしているのは、保守派の信仰票を狙った中道回帰戦略でもあるが、根源的に宗教とコミュニティの価値を自らの経験で実感しているからでもある。
オバマはシカゴ南部のトリニティユニオン教会に加わっている。父親はムスリムであったが、オバマは熱心なプロテスタントへの道を歩んだ。その触媒がシカゴの黒人社会だったわけである。オバマのコミュニティ活動の行き先が黒人街でなければ、オバマが信仰の重要性に目覚めていたかはわからない。サウスサイドにオバマの人生を誘ったミシェルの役割はここでも大きい。
元ケリー陣営からの援軍で展開されるオバマ陣営宗教アウトリーチ
さて、そのオバマ陣営の宗教アウトリーチであるが、アフリカ系のメソジスト・エピスコパル牧師を義理の父親にもつジョシュア・デュボイスが信仰アウトリーチを率いる形で展開中である。また、ワシントンのウェズリー神学セミナリーのキリスト教倫理の准教授であるシャーン・ケーシー氏が、メッセージ担当である。ケースー准教授は、2004年のケリー陣営のアドバイスも務めているが、聖書に依拠しすぎずカジュアルに候補者自信の言葉で信仰を語る、民主党的信仰アウトリーチの開拓者である。
オバマ上院事務所の補佐官出身であるマーク・リントンは、オバマ陣営全国カトリックアウトリーチ・コーディネーターとして、ペンシルバニア州に限定したカトリック票の動員に焦点を絞っている。オバマ陣営宗教アウトリーチの基本方針は、主要ターゲットを穏健福音派とカトリックとすること。
従来の民主党の宗教アウトリーチとの決定的な違いは、第一にデュボイスが言うように「宗教間の対立をつなぐ」というアウトリーチであり、個別の宗派に心地よいことを言って回るというテイラーメイド型ではなく、相互の垣根に橋を架けるという「信仰心の連帯」をつくること。これは、南部バプティストやユダヤ系保守派、福音派などの共和党側の「信仰の連帯」とも似通っている。第二に、オバマ陣営得意の若年層アウトリーチと信仰アウトリーチを連動させる新手法である。29歳以下の若年層の信仰に熱心な支持者にあえて教会ネットワークの動員の旗を振らせている。これは戦術面である。
オバマ陣営の宗教アウトリーチ別働隊も活発である。「ザ・マシュー25ネットワーク」は、2004年にケリー陣営の宗教アウトリーチ局長を務め、後に宗教アウトリーチ専門のコンサルタント会社を設立し、カンザス州のキャサリーン・セビリウス知事などを信仰票の底上げで2006年に再選させた実績のある、マーラ・ヴァンダースライスによって率いられるサポート集団だ。
かつてヴァンダースライスは、筆者とのインタビューでケリー敗北の反省点として、宗教アウトリーチにおける穏健福音派の取り込みの中西部での重要性を力説した。ヴァンダースライス自身は、ボーンアゲインの穏健福音派で、クェーカー系の大学を卒業後、穏健福音派のジム・ウォーリスが主催する団体が発行する雑誌「サジャナーズ」の編集などに携わっていた。貧困問題などに傾倒してきたリベラル系民主党員である。
ヴァンダースライスは、本選前の6月に40人の主要ファンドレイザーをワシントンに集結させ、カトリック、穏健福音派、ヒスパニック系カトリックなどをターゲットにする信仰アウトリーチのファンドレイズを立ち上げている。ヒスパニック系のカトリックは分離してアウトリーチを展開するなど、エスニック・アウトリーチとの住み分けと相乗りにも配慮している。
ヴァンダースライスの後見人的立場で、ケリー陣営時代から信仰アウトリーチの重要性を民主党内で説いて回っている元クリントン政権報道官のマイク・マカリーも、この運動の支援に回っている。マカリーが言うように福音派の大多数は共和党にしか流れないが、ボーダにいる穏健福音派に鍵があるとオバマ陣営はみているからだ。ユダヤ教徒への目配りが手薄になっているとの警戒感もオバマ陣営内の一部にあるものの、ヴァージニア、ペンシルバニアなど重要州の無党派層とヒラリー支持層の棄権率を下げる最後の一押し(GOTV動員活動)に、マカリーが言う「膨大な数の穏健派のクリスチャン」が軸になることは間違いない。
以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員