書籍というキャンペーン
長期に及ぶ大統領選挙プロセスが生み出したものに「書籍」による代理戦がある。1年がかりのアメリカの大統領選挙では、書籍出版もキャンペーンのうちである。その凄まじさは、まさに共和党副大統領候補に決まってからのサラ・ペイリンの伝記刊行の素早さに象徴されるだろう。トップバッターの「Sarah: How a Hockey Mom Turned the Political Establishment Upside Down 」はなんと9月12日に出版されている。陣営関係者が事前に、ペイリン自伝の著者と版元を仕込まなければ、ここまですぐに発売することは不可能であろう。
これはもはや第三者的な出版活動ではないと考えられる。現実的に「キャンペーン」である。とかく選挙キャンペーンでは、「1」有料広告(陣営がお金を払って行うテレビ広告など)と「2」無料広告(報道機関に取材させることで「無料」でメディアに宣伝させること)についてこれまで論じられることが多く、アメリカでも書籍のキャンペーンについてはあまり分析されたことがないが、あえて本稿では「1」と「2」に加えて「3」として、「客観的第三者による〈評価〉を装う、書籍を利用したキャンペーン」を再考しておきたい。
候補者本人についての本「自伝」と「伝記」
「自伝」と「伝記」にわかれる。自伝では、今回の大統領選挙では民主党の主要候補であったヒラリー・クリントン上院議員の「Living History(邦題『リビング・ヒストリー』)」が代表例であろう。筆者はかつて「AERA」(2003年7月30日号)のヒラリー特集で、この本について「上院選キャンペーンの締めくくりとしての自己説明であり、政治への情熱の書」と解説した。ただの自伝ではなく「政治家ヒラリー」の新たなる「自己ブランディングの書」だったからだ。
ヒラリーが大統領をめざす意図ありと、2003年の出版時点で関係者が予見することになったきっかけの書である。そうでなければ、政治的攻撃のネタにされかねない自伝を議員就任直後に出すリスクは大きい。また自伝とはいえ上院選に出馬する経緯など、政治への情熱にかなりのページが割かれていたことから、関係者が読めば一目瞭然だったとも言える。ヒラリーは大統領夫人時代の1995年にも「It Takes a Village(邦題『村中みんなで』)」を出版している。いずれも邦訳されているのは日本での名前の浸透度の反映だった。
それに対してバラク・オバマ候補は、1995年に「Dreams From My Father: A Story of Race and Inheritance(邦題『マイ・ドリーム』)」を、比較的最近の2006年に「The Audacity of Hope: Thoughts on Reclaiming the American Dream(邦題『合衆国再生』)を相次いで出版している。共和党のマケイン候補も、自伝「Worth the Fighting For: A Memoir」を2002年に既に出している。やはり大統領を目指す政治家として「出馬する前に自伝」は定石と言えそうだ。
他方、「伝記」には二種類ある。味方陣営からの「擁護史観」に基づくものと、敵対陣営からの「批判史観」に基づくものである。アメリカの政治本は学術書でないかぎり、保守、リベラルのどちらかの本に偏る傾向があり、純粋な中立本は少ない。同時代の政治家の「伝記」はどうしても政治色に満ちた片側からの評価になりがちである。擁護書か批判書かのラインは、本人か少なくとも側近の「引用」がとれているかどうかである。取れていれば「オーソライズド」された許可本。取れてなければ、勝手に書いた本で、要するに敵対陣営からの悪意に満ちた批判本の可能性が高い。
この二項対立を前提として読まないと、バイアスが濃厚すぎて、知識が少ない段階の候補者へのイメージが誤って形成されることがある。ヒラリーをめぐっては、おびただしい数の「ヒラリー関連本」が出ている。大統領夫人だった1990年代から保守陣営よる書籍をバトルグラウンドとした「間接攻撃手法」の主要なターゲットとされていた。「批判史観」の定石であるが、どこから探してきたのか、目つきの悪い写真だけを集めて表紙や口絵の写真に使う。印象を徹底的に悪くするためである。マイケル・ムーアのブッシュ政権批判書も大きくジャンル分けすれば、この領域に入るかもしれない。
主要オバマ関連書籍「オバマ系」「反オバマ系」
さて、注目のオバマ候補の関連書籍である。筆者が定期的に滞在しているシカゴ大学のあるハイドパークには、「セミナリー・コープ・ブックストア」という全米でも著名な学術書専門の大規模書店がある。この分館の57丁目店の入り口に「ベストセラー・オバマコーナー」が組まれたのは8月のことだ。このコーナーにオバマの自伝以外に並んでいる書籍を確認しておきたい。
ディビッド・メンデルによる「Obama: From Promise to Power 」は、オバマの上院選を取材した地元シカゴのジャーナリストによる書籍で、オバマの政策を学ぶには適していないが、「シカゴのオバマ」を知るには絶好の書である。ただ、上院選取材が基本になっているので、最近のオバマについての記述はない。著者がハワイまで飛んで、オバマの親族に取材をしており過去を知るには参考になる。キャンペーンを付け焼き刃で追いかけざるを得なかった米メディアのオバマ番記者のガイドブックとして重宝された作品で、素人よりも玄人の間で読まれた。そのため、予備選過程で親オバマ論調をメディアで形成する上で、きわめて重要な役割をはたした作品だといえる。
ステファン・マンスフィールドの「The Faith of Barack Obama 」は、オバマの信仰心をあぶり出した秀作である。とりわけムスリムと勘違いされる傾向のあったオバマのキリスト教徒としての信仰心がいかなるものかを伝える意味で、本選前の夏場に、オバマのキリスト教徒としての信仰心に無知な無党派層向けに重要な役割を担った作品である。
ジョン・R・タルボットの「Obamanomics: How Bottom-Up Economic Prosperity Will Replace Trickle-Down 」はオバマ政策の総論である。経済政策を中心にオバマの政策をわかりやすく論じている。「オバマノミックス」という造語の発信源にもなった一冊で、キャンペーン過程でのメデァア関係者の種本になったと同時、キャンペーンに限定せずオバマ政策の初歩的理解には良質だ。
ボブ・ニアーの「Barack Obama for Beginners: An Essential Guide」は、コンパクトなポケットブックシリーズ。日本の高校の英語の授業で使うような副読本サイズの薄い本で、親オバマ的な論調でまとめられた「オバマ・ガイド」としてアメリカの中高生向けに作られているが、大人で忙しい人向けにも有り難い。本書の特徴は、本選に勝つまでのオバマのキャンペーンを残らず描いていることだ。その意味では現在出ているオバマ関連書のなかで異質である。予備選後の7月に緊急出版された。
他にも沢山の作品があるが、オバマ支援系では以上の4作品が出色である。これは筆者の意見ではなく、オバマの自宅近所のハイドパーク「セミナリー・コープ・ブックストア」での売り上げ結果である。
さて、批判本であるが、ヒラリーについては批判本が8割以上という状況にあって、オバマについては予備選過程で批判本らしい批判本が出なかった。それだけ未知の存在で、批判本を仕掛ける共和筋からも、本選に勝ち上がってくることが現実認識されていなかったことがこのことからも分かる。初動段階では、ヒラリーへの警戒を呼びかける共和党系の本ばかりであり、共和党系からのオバマ批判は、ようやく8月になって出た。
代表的なのが8月4日に緊急出版された「The Case Against Barack Obama: The Unlikely Rise and Unexamined Agenda of the Media's Favorite Candidate」というもので、 あまりにも酷い事実誤認はないものの出来事の解釈がすべてオバマの揚げ足取りになっている。「大学時代はマルクス主義的な作者の本を読んでいた」という記述が一例で、コロンビア大学で政治学を専攻してポストモダンな文学にも読書の幅を広げていたオバマにとって「マルクス主義的な作者」の本を読むことはあっただろうが、だからといって「マルクス主義」に傾倒していたと即断はできないのは当然のことだ。この本もそこまでは書いてない。嘘はつけないからだ。しかしオバマが嫌いな読者がこのくだりを読めばオバマがまるでマルクス主義者であるかのような印象を受けるのかもしれない。
批判本は概してこのような稚拙で大胆な論理構成が多く、これに影響を受けるというのは、よほど候補者への知識がない場合に限定される。そのため、キャンペーンの文脈では、無党派層向けアピールに資するというより、現実的には基礎票をさらに鼓舞する役割をはたしているといえよう。オバマの恐ろしい悪人のような目つきの表紙も「お約束」であるが、温厚な人格については共和党内でも浸透しているオバマなだけに、とってつけたような印象が上塗りされている面は拭えない。
アメリカのオバマ書籍に登場する「日本」
ところで、2008年大統領選挙の特徴のひとつは国際的な注目だった。オバマの欧州訪問も話題をさらったが、序盤のヒラリーとオバマの指名争いへの日本における注目の高さもひそかな話題の種だった。顕著な例が、4冊目として上記で紹介した「Barack Obama for Beginners: An Essential Guide」である。
本書は絵本形式になっていてイラストが目玉なのだが、このイラストに「日本語」が登場するのである。54ページに「クリント氏58%、オバマ氏32%、民主党」と書かれた街角の大画面らしきものを覗き込む二人の日本人女性が描かれている。
イラストレーターのジョー・リー氏が、取り寄せた資料のカタカナを見様見まねで描いたのだろう。クリントンが「クリント」になっていたり、昭和初期を彷彿とされるレトロなおかっぱ頭の女の子に描かれているのはご愛嬌だ。「これ、日本語じゃないか。面白いよ」といって、この本のことを教えてくれたのは、オバマ陣営の関係者だった。全米で読まれているオバマ本に、こんな形で「日本」が登場していることが、アジア系の関係者のあいだでは秘かな話題になった。
ところで、予備選初期の敗退者も実はさりげなく自伝でアピールしている。民主党候補では、副大統領候補になったジョセフ・バイデン上院議員が、予備選を睨んで「Promises to Keep: On Life and Politics」を2007年7月に緊急出版している。共和党側ではミット・ロムニー氏がやはり自伝「Turnaround: Crisis, Leadership, and the Olympic Games」を出していた。候補者が敗退するとこの手の本は書店で一気に値崩れするのだが、バイデン候補については、奥にしまい込んでいた全米の書店が慌てて8月末に平積みしなおすという展開になったのは言うまでもない。
候補者の関係者の本
候補者本人と深い関係のある人物の本はキャンペーンで批判にも擁護にもなる。代表例は配偶者であり、クリントン大統領の回顧録「My Life」は退任後に復活したクリントン人気の原動力となったが、予備選序盤で熱心なクリントンファンの間で「再読現象」が起きた。
また夫人パワーも重要である。隠れたマドンナだったのが、すでに撤退した民主党のエドワーズ候補夫人エリザベスであった。ガンを克服した体験は主婦層の感動を呼び、自著「Saving Graces: Finding Solace and Strength from Friends and Strangers 」は大ベストセラーになった。エドワーズのアイオワ党員集会での健闘には、エリザベス効果によるブルーカラー層の女性票支援もあった。
今回の大統領候補の配偶者のなかでは、ある意味で、ミシェル夫人やクリントン前大統領以上に、活発な政治的役割を果たした。アイオワ党員集会前のキャンペーンでは、エドワーズ候補とは別に米メディアのエリザベスを追いかけるエリザベス番が組まれたほどである。アイオワシティ中心部のバー「ミル」にて、党員集会前日に行った筆者のインタビューも気さくに受け、「ワシントンのロビーから献金を貰わないことがエドワーズ陣営の差別化路線だ」と強調するなど、専属の報道官が付かない状態で、かなり政治的に自由な発言が許されている珍しい配偶者だった。
キャンペーン過程での、元スタッフの出版も注目だった。クリントン政権一期目の報道官だったディ・ディ・マイヤーズの初の本格的自伝が予備選終盤で話題になった。日本ではあまり有名ではないマイヤーズだが、ドラマ『ザ・ホワイトハウス』の報道官C・J・クレイグのモデルになった女性といえば親近感が湧くだろうか。ドラマ自体も実はマイヤーズの全面的な情報提供でシナリオが練られている。
1990年代の前半に報道官をしていたということで、「今頃」感はある本だったのだが(アメリカ人でも10代の読者は写真を見ても誰だかわからないと呟く)「Why Women Should Rule the World」というタイトルからも分かる通り、あからさまなヒラリー応援歌の緊急出版本だったことに意味がある。いかにこれが緊急だっかは、2月26日にハードカバー版が全米で出版されているのに、1月のニューハンプシャー予備選での「涙の一件」が本書内に出てくることでも明らかであり、キャンペーンを睨んで同時並行で企画が成立した。
マイヤーズは在任が短期間ながら、女性初のホワイトハウス報道官で、ホワイトハウス時代の回顧は政治好き読者には受けた。ただ、ヒラリー擁護という本書への批判は少々視野が狭く、真の目的は「女性ムーブメント」の鼓舞であり、ジェンダー問題にアメリカ人の注意を改めて振り向け、アメリカ初の女性政治家を応援することにある。このマイヤーズの女性政治家支援本は、リベラル系の「アメリカン・プロスペクト」誌(2008年7月/8月号)の「ヒラリーを超えて」という、ヒラリーに続く民主党女性政治家発掘企画も焚き付けた。キャサリーン・セベリウス(カンザス州知事)、リサ・マディガン(イリノイ州司法長官)、ヒルダ・ソリス(下院議員:カリフォルニア州選出)などを注目の女性政治家として取り上げているが、この企画はマイヤーズの書籍を通した「女性運動鼓舞」の延長に生まれた。
選挙への便乗本
最後に、便乗といっては失礼だが、候補者や選挙年を象徴する「ことがら」についての本が、選挙の流れのなかで注目を浴びることもある。例えば、今回の序盤戦で一つのキーワードは「ベビーブーマー世代」だった。1992年の大統領選挙で、クリントンとゴアは「世代交代」を訴えて勝利した。今回はそのベビーブーマー世代のヒラリーが出馬し、ブーマー世代はリタイアすべきか、これからますます国をリードすべきか、改めてブーマー「世代論」に火がついたのだ。
NBCテレビで長く「NBC Nightly News」のアンカーを務め、ティム・ラサートの急死後、ラサートの日曜討論番組「ミート・ザ・プレス」を臨時で引き継いでいるトム・ブロウコーの「BOOM!: Voices of the Sixties」がスマッシュヒットだった。1960年代に青春を過ごした有名人集合のコンセプトで、ブローコー自身を含め、ケネディの選挙にスピーチライターで参加したテレビコメンテーターのジェフ・グリーンフィールド、ウーマンリブ運動を巻き起こしフェミニズム雑誌「Msミズ」誌の創刊者でもあるグロリア・スタイナムなど同時代の人生を振返る。そしてここにヒラリーも加えられているところが、視聴率戦争を生き抜いてきたブロウコーらしい商魂で、実際に予備選過程で広く読まれた。
また、政権批判も選挙年の目玉だが、2008年の目玉は何といっても5月末に出た元ブッシュ政権報道官のスコット・マクレランによる「What Happened: Inside the Bush White House and Washington's Culture of Deception」であろう。ハリケーン・カトリーナでの政権の対応を批判しているほか、大統領に父親がなし得なかった二期目獲得という執念があったことが、イラクの現状を冷静に精査する機運を奪ったという記述などで注目を集めた。選挙年の政治関連書籍には、その意図がなくとも、結果としてキャンペーンとの相互作用が生まれる。
以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員