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アメリカNOW第32号  バラク・オバマ大統領就任(2)下からの「永久キャンペーン」の胎動

January 29, 2009

バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領として、去る2009年1月20日に就任した。前稿に引き続き、ワシントンでの就任式出席を振返り、オバマ大統領就任の日を総括してみたい。

【ワシントンの地下鉄が「山手線」になった日】

筆者の関係者の間では、招待客ゲートは9時からしか開かず、チケット配布の人数は限定されていることから、チケットのある人は無理に早く行かなくてもだいじょうぶと言われており、筆者も8時過ぎに家を出た。すると目に入ったのが地下鉄のレッドラインが走るコネチカット通りを黙々と歩く大量の人々の群れ。衝撃的だった。レッドラインのヴァンネス駅やウッドリーパーク動物園・アダムスモルガン駅方面から、デュポンサークルを経由してワシントンの中心部方面に人の群れが続いていた。地下鉄は早朝4時から運転しているはず。チケットがない大半の参加者は早朝からモールに集まっているはずであった。

地下鉄の駅に行ってみて、路上を歩く大群の理由が分かった。ホームに入れないのである。券売機前が行列で切符を買えず、ホームに入るのも一苦労である。次に衝撃だったのは、地下鉄の運行間隔である。5分おき運転で、隣の駅に停車している別の車両が見えた。アメリカの公共交通システムの歴史上稀に見る混雑といってよく、ワシントンの地下鉄当局は車庫に眠っているすべての車両をフル回転させた模様だった。

それでも乗り切れず人が溢れ出る。車社会のアメリカでは地下鉄どころか、鉄道にも普段乗らない州も多い。そうした州や非都市部から来訪している満員の通勤電車に乗り馴れていない人たちは、日本の駅では日常的な「次の電車がすぐ来るので、この電車は諦めて下さい」という趣旨のアナウンスにもかかわらず、「式典に遅刻してしまうのではないか」と恐れてか、なんとか目の前の車両に乗り込み続けようとするため、電車がいつまでも出発できない路線もあった。

ヴァージニア州などの地下鉄の終点では、地下鉄に乗るためだけに長蛇の行列ができ、そのまま並んでいるうちに式典時間になってしまったケースもあったという。また、イエローラインとグリーラインが交差するギャラリープレイス駅で女性がホームに倒れ込んだため運行が停止し、チケットを持っていた招待客も現場到着を断念し、ホテルに戻ってテレビで「観覧」というケースもあったと伝えられた。

【当局の対応と議会付近の未曾有の瞬間人口】

しかし、ハプニングといえるのはこの程度で、当局の試算では総計97万3000人という当日の地下鉄利用者を、ワシントンの地下鉄は警察と連携して、大きな事故もなく見事にさばいた。感嘆と称賛に値するし、アメリカの交通機関としては、過密運行をめぐる稀な経験になった。いまや日本の大都市圏のJR、私鉄、地下鉄の混雑の大変さを感覚的に共有できるのはワシントンの地下鉄当局であるというのも興味深い。

筆者の乗った地下鉄は議会付近に行くにしたがって、ホームいっぱいに隙間無く人が埋まっている駅が続出し、ドアを開けるとなだれ込んできて危険なので、緊急判断で次々と通過した。ブルーラインのキャピトルサウス駅は筆者にとっても個人的に馴染みの深い駅であるが、その変貌した姿には目を疑わずにはいられなかった。ホーム一面に人が埋まり、どちらが出口かもわからない。警察が動員され拡声器で、Keep it moving(前に進んで)と声がけをして、それを大観衆が大声で繰り返した。時々誰かがYes, We canとかOabamaと言い出すと、その合唱が止まらない。駅の混雑そのものが珍しいのと、就任式で興奮していることもあってか、1分間に靴の先ほども進まない列に挟まりながら、皆ビデオカメラや携帯電話で群衆の撮影に熱心だった。

関係者と早く合流しなくてはいけなかった筆者は30分間表に出る事もかなわず焦りを感じたが、エスカレーターの先の地上も歩けないほどの人で溢れていた。いつもは閑静なキャノン下院議員会館からロングワース議員会館を挟んでレイバーン議員会館までが、マラソンのスタート地点になったような状態で道幅一杯に建物以外の領域にはすべて人が埋まっており、どこかの方向にそろりそろりと進んでいる。

ワシントンに土地勘がない人はどちらが議会だかわからず、無関係な方向にどんどん歩いてしまう人もおり、「7時に来たのにもう何周もしている。いったどこが自分のチケットの色の入り口だかわからない」と言う遠方州の支援者もいた。筆者はそれなりの土地勘になんとか助けられ、チケットの入り口を早期に発見して式典開始までにエリアに誘導してもらえたが、かなりの関係者が誤った方向に行ってしまい余計に歩いた様子だった。しかし、それでも往路はまだ集合時間が分散したため、この程度の混雑で済んだが、復路は一斉だったので、駅によっては構内に入る行列が一時間待ちという現象が発生した。パレード用に通行が規制される沿道を遠巻きにする形で、黙々と歩いて帰る参加者で市内が埋まった。

【全米各地からの支持者と寒冷天候適応力の差異】

また零下の冷え込みだったことで、寒さと疲れから救急隊の世話になる参加者も出た。しかし、私が着ていた厚手のオーバーを指差して、シカゴ出身の議員事務所スタッフが「お前は本当にシカゴにいたことにあるのか、こんな分厚いもの着る必要がないだろう」と語っていたが、この指摘は実は示唆的だ。今回の参加者の特徴は全米の各地域の州にまたがっていたため、気候への適応度に大きな差異があった。ワシントンは零下とはいえ、真冬は冷凍庫の中にいるような寒さのシカゴ出身者からすれば、さほどの寒さとは言えない。ところが南部の支援者は、この日のワシントンの寒さに度肝を抜かれていた。オバマの故郷のハワイの支援者もそうである。ジョージア州の支援者など、人生でこのような寒さを経験したことがないとまで断言する者もあった。

かつてブッシュ大統領の支持者として2001年に乗り込んできた参加者は、テキサスを中心に「レッド州」の南部や中西部の者が多かった。しかし、今回筆者の厚着を「シカゴらしくない」と指摘する薄着のスタッフから、寒さで倒れる人まで、気候適応力のばらつきは、オバマ陣営が旧来の温暖な「レッド州」にも内部で食い込みを果たし、「潜在的な支持マップ」(勝者取り後の赤青2色とは違う実勢図)としては「青寄りのパープル」が拡散した実状を反映していた。また、係員に背中をおされて詰め込まれる5分間隔の満員電車、人生で経験したことのない寒さ、など多数のアメリカ人が「初もの」経験をしたのも、就任式の興味深い一面だった。

【当日の臨機応変性が勝負だったテレビ報道】

オバマ夫妻の就任式一日の「中締め」のクライマックスは、好例の議事堂からホワイトハウスまでのパレードだった。パレードは、映画撮影隊のような荷台にカメラ備え付けのトラックが数台並走し、横から前からの映像を撮る。CBSのシェリル・アトキンソン記者は、黄色のノートパッドに手書きでなぐり書きした原稿だけで、トラックの荷台からスタジオにいるアンカーのケーティ・コリックとの生中継を頑張り通した。

アメリカのテレビ報道は、記者リポートで用いる外用のENGカメラにまで、小型プロンプターを取付けることが多く、ある種の「完璧主義」(読み間違いを極度に嫌う)が貫かれているが、オバマ就任式だけは、臨機応変でアドリブにも対応する、攻めの気風が感じられた。実際に「突発事故」も発生した。エドワード・ケネディ上院議員が、議会内の昼食会中に倒れ、救急車で運ばれた。

昼食会は、宣誓式典終了後に200人程の招待客を招いて議会内で開かれたものだ。大統領夫妻の親族を中心に、関係の深い議員などが招待された。この席でケネディが倒れた際、クリス・ドッド、ジョン・ケリー、オーリン・ハッチなどの上院議員同僚が救急車まで付き添った。ドッドはケネディと会話をして、意識を確認したため、その後ドッドやケリーに容態を確認する取材の嵐となった。過労と見られており、既に退院しているが、悪性の脳腫瘍の除去手術も受けていたこともあり一時は懸念が高まった。オバマの大統領就任で感極まって興奮して倒れたのではないか、などとも言われた。各メディアはこの予期せぬ事態に、パレードや舞踏会などの就任式の流れをフォローする組と、ケネディの容態続報を担当する組とに取材チームを一時的に分けることになり、放送でも同時報道するという柔軟な態勢を敷いた。

【パレードの歩行が見せた一体感の象徴性】

オバマ夫妻は、セキュリティの関係でパレードでは車からは外に出ないと予測する向きもあった。しかし、市民とともに歩み、草の根の声に推されて国の代表になったオバマ大統領は、ほんの一部分だけでも表に出て夫妻で歩くことにより、国民との一体感を示すはずと筆者は考えていた。クリントン以来の民主党大統領として、かつて先輩大統領夫妻がしたことをするだろうし、また歴史的大統領としても、やはり重要だろうと思われた。

16時過ぎ、オバマ夫妻は途中から車を降りた。すると付近を走っていたタクシーまで、ドライバーが車を道端に残して、カメラを持ったままパレード付近まで全力で走った。何人かがデジカメで撮った写真を見せてくれた。国民の期待に応えたオバマは本物だった。しかし、二人の子供は車の中に残した。かつて1977年、ジミー・カーターは娘のエイミーちゃんを真ん中に挟んでロザリン夫人と歩いたが、当時と今回はまったく状況が違う。父として、また警備当局への配慮として、オバマ大統領の判断はきわめて正しかったと思う。

1993年のクリントンも夫妻で歩いた。宣誓で着ていたパープルのコートに合わせたツバ付き帽子に、濃い目のピンク色の装いのヒラリーが印象的だった。今回のオバマは黒いコートに赤いマフラー、黒い手袋。好きな白いワイシャッツ。ミシェル夫人は、キューバ系デザイナーによるイエローの装いで、落ち着いた華やかさを示した。また、その後パレードの観覧ボックスでは、ミシェル夫人の母、マリアン・ロビンソンが赤色のニット帽でアメリカを代表する「アフリカ系の祖母」「サウスサイドの母」としての存在観を見せつけた。

【ボトムアップのパーマネント・キャンペーン始動の兆候】

今回の就任式で驚異的だったのは、その全体的な祝福ムードである。共和党支持者の6割までが、オバマ大統領に好意的な印象を抱いている。2001年に当時のゴア副大統領との再集計騒動を引きずって就任し、ゴア支持者の抗議デモに取り囲まれたブッシュ大統領の式典とは明らかに一線を画した。もちろん示威行動はあったが、それは争点を淡々と訴えるもので、オバマ大統領への中傷ではなかった。

ごく少数の原理主義的教会が、議会の裏側で人工妊娠中絶反対の「ストップ・アボーション」の立て看板によるデモンストレーションをしたが、彼らもきわめて穏健で「初のアフリカ系大統領を祝う気持ちは強くあり、祝福している」という声も多数聞かれた。主張の違う集団の攻撃のトゲすら丸めてしまう、そんな不思議な力がオバマ大統領にはあることも示唆しているように思えた。

筆者の率直な印象では、200万人のコアな参加者は少なからず、「オバマ現象」を巻き起こしたキャンペーン運動家と一致した。リベラル派、若年層、アフリカ系を中心にしたマイノリティ集団である。若者は学生団体でキャラバンを組んで、宿無しも承知で乗り込んできた。オプラ・ウィンフリーなどVIP招待客はもとより、チケットなしでモールに詰めかけたアフリカ系群衆の情熱は歴史的だった。就任式前日はマーティン・ルーサー・キング記念日であり、ある民主党議員事務所のアフリカ系スタッフはこれを「公民権運動の出口」と称して祝した。公民権法が成立以来、ようやく大統領にアフリカ系が誕生したことで、黒人にとってもアメリカ社会にとっても大きな一里塚となった。

象徴的なのは、式典会場には持ち込めないものの、ワシントンにヤードサインや大きな旗などキャンペーンのグッズをそのまま持ち込んでいる人々の多さだった。まるで選挙中のような印象だった。オバマの色とりどりの選挙バッジを10個も付けていたカリフォルニア州から来た女性は、「オバマ政権の間、ずっと身につけ続ける」と語る。肖像画、切り絵、版画など、オバマ運動の特徴の一つは、幼児からプロのアーティスまで、「オバマ・アート」の多さであったが、これが就任式でも盛り上がり、キング牧師とオバマ大統領の架空の握手シーンのコラージュの立て看板を持ち上げ、議会周辺を練り歩いた黒人女性もいた。Tシャツや記念品の出店の多さも、まるで党大会のデンバーに引き戻された錯覚を覚えた。

言い換えれば、「下からのパーマネント・キャンペーン(永久選挙運動)」の始動にも見える。政権運営を「パーマネント・キャンペーン」といえば、これまでは「世論調査」を媒介に当選後もキャンペーンを継続していく手法のことを指した。もちろん、オバマ大統領自身は、次稿で詳述するように、演説を通してキャンペーンから気持ちを切り替えて、直面する問題への対処を呼びかけている。2004年の上院選以来使ってきた Yes, We Can のスローガンもなく、少なくとも「上からのキャンペーン」とは違う実務路線への着手を目指している。しかし、支持者が下から勝手に応援する「パーマネント・キャンペーン」の継続は支持者の意志であり自由だ。そして、少なくとも現時点では、この下からの「オバマ運動」の継続意欲は尋常ではないパワーを持っている。

【歴史的選挙の意味:超党派路線への底辺からの支えになるか】

現代アメリカ研究プロジェクトとしても、メンバーが様々な角度から大統領選挙の過程を通して分析を繰り返して来たところであるが、大統領選挙プロセスからアメリカを読み解く意義の一つに、まさにこのプロセスの重要性がある。大統領選挙は制度的には大統領を選ぶ作業にすぎず、本来は決まればそれでおしまいのはずである。しかし、キャンペーンの過程で巻き起こった「運動」は、継続的なインパクトをもたらすことがある。

オバマ選挙を例にあげれば、第一に、アフリカ系大統領誕生によるアメリカのマイノリティ社会の意識転換である。公民権運動以来のアフリカ系の悲願達成として、黒人社会史の転換点になった以上に、アフリカ系大統領の誕生を契機に、移民社会アメリカのエスニック意識や共存意識などに何らかの変動が生じるかもしれない。第二に、若年層のシニシズムの解消である。政治に関心はあっても、所詮コメディショーで「消費」するジョークの対象にしかすぎなかった政治に対して、若年層の間に参加意欲を喚起させた。この他にもネットによるコミュニケーションのモデルの転換、公共心の鼓舞など様々な事例がある。

いずれにしても、オバマ選挙は勝つための選挙ではあったが、勝ったあとにもキャンペーンの「副産物」が残る選挙だったといよう。無論、それがどのように具体的にオバマ政権の政策実現に効果をもたらすかは未知数だ。しかし、キャンペーンをキャンペーンで終わらせない、キャンペーン過程で市民意識が覚醒され、新たな市民同士のネットワークも活性化し、「オバマ運動」に触発された、様々なグループが地域の医療活動、環境対策、教育改革などの「運動」を自主的に立ち上げるとすればどうだろうか。これはかつて、公民権運動が黒人のための運動の色彩を帯びていたにもかかわらず、他の市民運動に大いに刺激を与えて、別の運動を生み出していったことと似ている。選挙という本来は勝ち負けを決めるために行う競争にしかすぎないものが、キャンペーンの運動過程で、そのような「公民権運動」的な副産物を生むようになっていることに、筆者は注目したい。

オバマ選挙を総括するとすれば、選挙を選挙で終わらせない「余波力」のあったキャンペーンであり、そのような魔力をもった候補者だったことではないか。初のアフリカ系大統領として既に歴史を作ってしまったオバマ大統領だが、「選挙勝利」「就任」以外のなにかを市民社会に「種まき」したという点で、「歴史的大統領」である以上に「歴史的選挙キャンペーン」だったと考える。就任式の200万人の群衆がその何よりの証だった。

オバマの即戦力を重視した現実的な政権陣容作りには、リベラル派の反発も一部予測されたが、現時点でオバマ路線を支える姿勢に大きく変わりはない。また議会内のリベラル派はもとより、末端の「活動家の階級」のリベラル派が、熱狂的な応援を継続している。オバマ大統領自身に、彼らなら真意を理解してついて来てくれるという、絶大な信頼関係があったからだともいえる。これもキャンペーンを通じてのオバマの実感に由来するものだろう。

リベラル派内でも「オバマを信じて支えよう」というグループが、オバマにやや失望感を表すグループを説得する言論を展開している。例えば、リベラル派の代表誌『ネイション』ウェブ版の意見欄は、一般のリベラル派の活動家が多数書き込み、活発なオバマ論を展開してきたが、リベラル派内でのオバマへの失望を思いとどまらせ、支援を呼びかける声が強い。

下からの異例の「パーマネント・キャンペーン」は、オバマの現実路線を信じてついて行く下支えになる余地を残している。就任式の「200万人現象」は、少なくともその予兆を暗示するには十分だった。リベラル派の「脱周辺」の夢と、オバマの現実路線がリンクすれば、民主党政権は歴史的発展と成果を残す可能性を大いに秘めている。民主党内の穏健派とリベラル派の関係性にとっても、民主党の性格にとっても、中長期的には歴史的転換点になる可能性もある。

強い指導力あるアメリカと経済の活力を取り戻しつつ、優しいアメリカを実現できるか。オバマは恐らくその二つを明示的に峻別することを好まないだろう。前者を達成するプロセスで後者を達成する。勝つために行う選挙でありながら「運動」として市民社会にも「公共善」拡大の影響を与えてしまうのがオバマの選挙だった。厳しい内外情勢にありながらも、そんな希望と熱気に満ち溢れた、零下のワシントンであった。

以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員

    • 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授
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