米国では、医療制度改革の議論が本格化してきた。にわかに注目を集めているのが、一人当たり医療費の地域格差である。オバマ政権は、医療費が低水準である地域に全米が倣えば、医療の質を落とさずに医療費を抑制できると主張する。医療費の抑制は、無保険者の削減と並ぶ医療制度改革の大きな狙いの一つである。本稿では、その成否の鍵を握る医療費の地域格差の問題を整理する。
注目集める医療費の地域格差
テキサス州マッカレンに、ウィスコンシン州グリーンベイ。米国では、医療制度改革をめぐる議論の中で、こんな町の名前が頻繁にきかれるようになってきた。オバマ政権が目指す医療制度改革は、医療費の抑制を大きな目標の一つにあげる。政権がその鍵を握ると考えているのが、冒頭にあげた二つの町の間に存在する大きな違い、すなわち、医療費の地域格差なのである。
テキサス州マッカレンは、全米でも一人当たり医療費の水準が高い。注目を集めるきっかけとなったのは、その実態を伝えたNew Yorker誌の特集記事*1だ。オバマ大統領が議員との会合で取り上げるなど、医療制度改革に携わる関係者のあいだでは必読の記事になっているという。
そのオバマ大統領が、6月11日に行なった医療制度改革に関する遊説先に選んだのが、ウィスコンシン州グリーンベイである。アメリカンフットボールのパッカーズの本拠地として知られるグリーンベイは、マッカレンとは対照的に一人当たりの医療費が低い。ダートマス大学がメディケア(高齢者向け公的医療保険)を対象に取りまとめた調査*2によれば、2006年の一人当たり医療費の全米平均は8,300ドル。二つの町を比べると、マッカレンが1万2,000ドル近いのに対して、グリーンベイは6,800ドル程度である。
この二つの町に象徴されるように、米国の一人当たり医療費には、地域間で大きな格差がある。ダートマス大学の調査によれば、2006年の一人当たり医療費(メディケア)の平均は、5,300ドル程度のハワイ州ホノルルから、1万6,000ドルを超えるフロリダ州マイアミまで、実に約3倍の開きがある。
オバマ政権は、こうした地域格差の向こう側に、医療費抑制の可能性をみている。高コスト地域の存在は、医療に潜む無駄を示唆している。低コスト地域のような医療を全米に普及させることで、こうした無駄をそぎ落とせるはずだというのが、オバマ政権の考え方である。実際に、医療制度改革の陣頭指揮に立つオルザク行政管理予算局長は、こうした手法を通じて、年間7,000億ドル(国民医療費の30%)の医療費を削減できる可能性があると主張している。
格差が示唆する医療の無駄
オバマ政権の主張のポイントは、医療費の地域格差を無駄の存在と結びつけた点にある。医療費の格差には、地域住民の健康状態の違いなどが反映されている可能性がある。また、地域の住民が費用に見合った医療の結果を得ているのであれば、たとえ費用が高い地域であるといっても、むやみに医療費を抑制しようとすれば、その地域の医療の質を低下させかねない。しかしオバマ政権は、こうした事情を勘案したとしても、そぎ落とせる無駄はあるはずだと主張する。オルザク局長がいう7,000億ドルは、あくまでも医療の質を落とさずに減らすことのできる「無駄」だというわけである。
無駄の存在を示す根拠としてよく用いられるのが、ダートマス大学による一連の調査だ。同大学は、医療費の地域格差の理由は、高コスト地域における過剰な医療行為にあると主張する。同大学が行なった同じような病状を抱える高齢者を対象にした調査によれば、低コスト地域の患者は高コスト地域の患者よりも6割近く多くの医療行為を受けている。しかし、生存率や病後の経過といった医療の結果については、二つの地域のあいだに目立った相違はみられなかった。高コスト地域では、結果の出ない医療行為を多用しているがゆえに、医療費が高くなってしまっているというわけだ。
議会予算局(CBO)も、医療費の地域格差の一因として、過剰な医療行為の存在を示唆している*3。CBOは、医療費の地域格差の背景には、地域間の医療価格の差や健康状態の違いが影響していると認めている。しかし、これによって説明できるのは最大でも格差の半分程度に過ぎず、むしろそれよりもかなり影響度合いは低い可能性があると指摘する。所得や人種といった住民の特性や、その医療に対する嗜好についても、格差の理由としてはそれほど重要ではないというのがCBOの分析である。一方でCBOは、医療の供給側(医師や病床の数など)が潤沢な上に、多くの医療行為の提供を促すようなインセンティブ(診療報酬など)を利用しようとする度合いが強い地域で、医療費用が高くなっている可能性が強いと推測している。
浮かび上がってくるのは、収入を増やすために、とにかく多くの医療行為を提供しようとする供給側の行動である。冒頭で紹介したNew Yorker誌の特集は、マッカレンの医療業界は、利益至上主義に陥っていると指摘する。この記事が紹介するのは、「(マッカレンでの)医療のやり方は完璧に変わった。かつてはいかに良い仕事をするかどうかを気にかけていたが、今では『どれくらい儲かるか』が最大の関心だ」という地元の医師の発言だ。オバマ大統領の「(急騰する)医療費用の一部は、不当な暴利をむさぼろうとする行為の結果である」という6月6日のラジオ演説での発言にも、こうした問題意識がにじみ出ている。
一筋縄ではいかない具体策
それでは、どのようにして地域格差に秘められた医療費抑制の可能性を引き出すのだろうか。もっとも単純なのは、医療費用の高い地域について、診療報酬を引き下げるというやり方である。実際に、医療制度改革の財源確保を議論している上院財政委員会では、全米平均よりも医療費用が高い地域については、地域の医療価格や住民の健康状態を勘案しつつも、政府が負担するメディケアの支払額を削減するという選択肢を提示している*4。
もっとも、医療の供給側を「利益至上主義」から「患者至上主義」に引き戻せなければ、医療の質の低下という副作用は防げない。そのためには、二つの要素が必要になる。
第一に、インセンティブの見直しである。今の診療報酬制度には、それぞれの医師や病院が、「量」を重視した医療行為を行なうようなインセンティブがあるという。このため、提供する医療の「質」に重点を移すと同時に、医師や病院の連携を奨励し、重複した医療行為を排除するような診療報酬制度の組み換えが模索されている。
第二は、「質の高い医療とは何か」という情報の分析と共有である。高額の医療でなくても優れた結果が得られるという確証は、過剰な医療行為の歯止めになる。オバマ政権は、比較効果研究(Comparative Effectiveness Research)の取り組みを進め、こうした情報の蓄積を進める方針である。また、比較効果研究に必要な情報を収集し、その結果を共有するためには、情報インフラの整備が欠かせない。オバマ政権が医療情報の電子化を推進している理由はここにある。
地域格差に着目した医療費の抑制は、一筋縄ではいかない難題だ。制度設計の難しさもさることながら、政治的にも、診療報酬の抑制が見込まれる高コスト地域の議員からは、早くも懐疑的な意見がきかれている。また、医療費用の抑制は、「患者が望む医療行為を提供できなくする」という批判を招きやすいのも事実である。
具体的な法案の審議が本格化するに連れて、オバマ政権が挑む道の険しさは鮮明になってくる。オバマ政権にとっては、気の抜けない時間帯が続きそうだ。
*1: Gawande, Atul, “The Cost Conundrum”, New Yorker, June 1, 2009.
*2: Fisher, Elliott and others, The Policy Implications of Variations in Medicare Spending Growth, The Dartmouth Institute for Health Policy & Clinical Practice, February 27, 2009.
*3: Congressional Budget Office, Geographic Variation in Health Care Spending, February 2008.
*4: Senate Finance Committee, Financing Comprehensive Health Care Reform: Proposed Health System Savings and Revenue Options, May 20, 2009.
■安井明彦:東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長