米国のオバマ大統領が、有権者への医療制度改革の売り込みに本腰を入れ始めた。世論を味方につける鍵はどこにあるのか。民主・共和両党の戦略家のアドバイスからは、驚くほど似通った現状認識が浮かび上がる。
腕利きのセールスマン
「私たちのような豊かな国は、あなたのような人にこそ、必要な医療が受けられるような保険を与えなければならない」。オバマ大統領は、闘病の悩みを訴える無保険者の女性を抱き寄せて、改革の必要性を語りかけた。7月1日にワシントン郊外で行なわれたタウンホールミーティングでの光景だ。
米国では、医療制度改革を売り込むオバマ大統領の広報活動に拍車がかかってきた。オバマ大統領は、このタウンホールミーティングに先立って、6月11日にはウィスコンシン州グリーンベイでの遊説を行い、15日には改革に警戒感を示す米国医師会に乗り込んで講演を実施した。また、24日にホワイトハウスで開かれたタウンホールミーティングは、テレビを通じて全米に生中継されている。「政権最強のセールスマン」の異名をとる大統領自らが、有権者の支持獲得に乗り出している格好だ。
医療制度改革では、議会を中心とした法案作りに視線が集まりがちである。しかし、有権者の支持獲得は、改革実現のために欠かせない要素だ。オバマ政権の勢いもあり、現在の米国では、改革に正面から反対するのは難しい。改革を挫折に導くような環境は、世論の離反がなければ生まれにくいのが現状だ。
振り返ってみれば、90年代にクリントン政権が改革に失敗したのも、世論の支持を得られなかったのが根本的な原因である。クリントン政権の挫折については、関連業界の強硬な反対や、議会への根回し不足が理由として指摘されるケースが多い。しかし、クリントン政権の改革を警戒する世論の存在がなければ、抵抗勢力がクリントン政権を押し切ることは不可能だっただろう。
90年代からのアドバイス
対峙する民主党・共和党の関係者も、クリントン政権の経験を忘れてはいない。今回の改革論争では、90年代に名をはせた戦略家たちが、世論を味方につけるためのアドバイスを行なっている。
民主党では、クリントン政権の参謀として知られるジェームス・カーヴィルらが、これもクリントン政権の世論調査担当として有名なスタン・グリーンバーグらによる世論調査をもとにしたメモを発表している*1。
一方の共和党にアドバイスを送っているのは、90年代半ばの議会共和党の隆盛を世論調査や広報関連のアドバイスで支えたフランク・ルンツである*2。
当然のことながら、オバマ政権の成功を願うカーヴィルらのアドバイスと、その妨害を狙うルンツの指摘では、目指す方向性が正反対である。しかし、この二つのアドバイスからは、驚くほど似通った三つの現状認識が浮かび上がってくる。
有権者の不満
第一は、現在の医療制度に対する有権者の不満の強さである。ルンツは、共和党がオバマ政権の改革を批判する場合でも、米国の医療制度が危機的な状況にあることは認めるべきだと主張する。こうした戦略は、クリントン改革の当時とは大きな違いである。
ウィリアム・クリストルの進言に代表されるように、当時の共和党は、医療制度改革の必要性自体を否定し、「クリントン政権は、自らの野心を実現するために、有権者の危機感をあおっている」と主張した*3。2005年に民主党がブッシュ政権の年金改革を挫折に追い込んだのと同じ論法である。
ところがルンツは、今回はこうした手法は通用しないと警告する。現在の制度に対する有権者の不満は強く、どのような改革を目指すべきかという政策論で勝負しなければ、共和党は世論の支持を得られないというのである。
カーヴィルらも、有権者の多くは、今のままの医療制度を維持することのリスクを理解していると指摘する。その証拠に、グリーンバーグらが実施した世論調査では、改革に必要な費用を公的医療保険の給付削減や増税で賄うという条件をつけた場合でも、過半数が改革の実現を支持しているという。
質の低下への懸念
第二は、たとえ改革の必要性が理解されていたとしても、医療保険に既に加入している人たちにサービスの質が低下することへの懸念がある限り、世論の支持はまとまらないという認識である。
カーヴィルらは、「改革が自分の家庭にどのような影響を与えるのか」という判断が、改革を支持するかどうかを分ける境目になると指摘する。
ところが、少なからぬ有権者は、現在の医療制度には不満を持ちながら、実際に自分が加入している医療保険には満足している。「改革は必要かもしれないが、結果として加入している保険のサービスの質が低下したのではたまらない」。米国には、そんな見方が広がる素地がある。だからこそ民主党は、改革の恩恵を具体的に説明し、有権者の懸念を払拭しなければならないというわけである。
ルンツが医療制度改革のアキレス腱として指摘するのも、まさしくサービスの質の低下に対する懸念である。ルンツは、有権者の琴線に触れる批判として、「(国による医療保険への関与が強まれば)病院での待ち時間が長くなる」、「国に乗っ取られた医療制度では、国民から選択の権利が奪われ、受けたい医療が受けられなくなる」といった言い回しを推奨している。
「悪者」としての医療保険会社
ここでルンツが提起している「選択の権利」の問題と関連してくるのが、第三の共通点、すなわち、「悪者」としての医療保険会社の存在である。二つのアドバイスは、いずれも有権者の医療保険会社に対する強い不満の存在を指摘する。米国では、保険会社こそが有権者の選択の権利を奪ってきた存在だと受け止められているからだ。
クリントン改革の挫折を受けて、90年代に医療保険会社がコスト抑制のために用いたのが、「管理医療(マネージドケア)」の手法である。保険がカバーする医療の幅を制限してコストを圧縮するそのやり方は、「患者の権利を奪う」として有権者の強い反発を受けた経緯がある。
立場が分かれるのは、選択の権利の問題と絡めながら、オバマ政権の改革と医療保険会社の関係をどう位置付けるかだ。カーヴィルらは、オバマ政権の医療制度改革を、「選択の権利を保険会社から国民に取り戻すもの」として描き出すべきだと提唱する。政府は有権者から選択の権利を奪うのではなく、保険会社の横暴を防ぐ役割を演じるというわけだ。
他方のルンツは、保険会社とオバマ政権を結びつけるような論法を推奨する。選択の権利を奪うという点では、医療保険会社と「ワシントンの官僚」は同類だ。それどころか、補助金などで無保険者の保険購入を支援するような改革は、「医療保険会社の救済策(ベイルアウト)」に過ぎないのではないか。クリントン改革では共和党と共闘関係にあった医療保険会社を、ルンツはオバマ改革の批判の道具に容赦なく使っている。
夏が勝負になる有権者への働きかけ
有権者の選択の権利は、医療制度改革の本質にかかわる問題である。 前回のアメリカNOW への寄稿でも取り上げたように、オバマ政権による医療費の抑制は、過剰な医療行為に着目した無駄の排除に力点がある。
その点では、医療保険会社の「管理医療」との類似点を取り上げられてもおかしくはない。オバマ政権も、「管理医療」という単語を使わずに、「証拠に基づいた(evidence-based)」医療の選択という言葉を使うよう関係者に指示するなど、この問題には神経質だ。
オバマ政権の目論見どおりにスケジュールが進めば、議会が最終的に医療制度改革法案の採択を行なうのは今年の秋になる。その前には、8月一杯続く長い議会の休会がある。これから7月末までに、法案の姿はある程度みえてくるだろう。そして8月は、各議員が地元に帰り、有権者の反応を探る時期になる。両陣営の有権者への働きかけは、今年の夏が勝負になりそうだ。
*1: Greenberg, Stan, James Carville and Andrew Baumann, Creating a Sustainable Majority for Health Care Reform, June 25, 2009.
*2: Luntz, Frank I., The Language of Health Care Reform, 2009.
*3: Kristol, William, Defeating President Clinton’s Health Care Proposal, December 2, 1993.
■安井明彦:東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長