「チェンジ」を訴えて大統領に就任したオバマ政権が、発足から1年を迎えようとしている。政治メディアも数々の変容のただ中にあるが、本号そして次号では、アメリカの政治メディアを概観することで、アメリカ社会と政治動向の動きに見る「オバマ時代」の検証を試みたい。
オバマ陣営選対本部長の回顧録とメディア
『ニューヨーク・タイムズ』など大新聞の経営危機は、アメリカでもメディアのあり方を問い直す契機になっていることは周知の通りである。しかし、新聞の影響力が政治の世界で低下したわけではなく、むしろ地方紙の意義は改めて見直されていることは興味深い。アメリカの政治関係者の間で、2009年秋に話題となった書籍に、オバマ陣営の選対本部長を務めたデイビッド・プラブ氏が書き下ろした『The Audacity to Win』がある。
プラフ氏は同書の大半を予備選、中でも多くの頁をアイオワ党員集会の回顧に割いている。サラ・ペイリン出現後の本選回顧は、全17章中わずか4章で、合わせて13章が「ペイリン以前」の回顧だ。この「配分」は、2008年のオバマ選挙を経験した、現場関係者の率直な感覚をそのまま反映している。オバマ選挙は、党内序列や慣習を解体する、ある種の民主党内反乱として始まった選挙であり、予備選でクリントン陣営を撃破する過程こそが、最大の山であった。プラフの回顧に強烈に滲み出ているのは、民主党の候補者指名を獲得した時にこそわき起った「歴史を作った」達成感であり、本選に勝って大統領にまでなったのは、ある種の「望外の喜び」「ボーナス」のような感覚であった。
プラフの政治論で興味深いのは、ローカル政治の重要性、とりわけ大統領選やアメリカ政治を州単位で考える発想であるが(これが党員集会重視にも直結している)、随所で「全国メディア」と「ローカルメディア」の対比が用いられている。オバマ陣営の戦略は、アイオワに始まり、アイオワがすべてというトーンが貫かれた。アイオワで勝てなければその先はないとしてアイオワに賭けていた。プラフは2年間の運動期間の間、実に半分以上をアイオワに費やしたと語る。
鍵として見直されたのが、ローカルのメディアであった。全国メディアには過度に依存せずに、ローカルの政治メディアの力を重視した。プラフは州レベルの政治動向を正しく伝えているのはローカルメディアであることを示唆する。全国メディアが、時にあまりに「実状」からかけ離れた、ワシントン中心の報道に支配されやすいかを、緒戦で誰がリードしているかについての世論調査の過去の実例を基に説く。オバマ陣営はアイオワの地元紙『デモイン・レジスター』の世論調査を特に重視し、全国メディアのパンディット(評論家)達による舌戦による報道サイクルに、一切惑わされないことが肝要だとしている。全国メディアのワシントン発の「論説」と、陣営のフィールド関係者が州レベルの皮膚感覚で把握している選挙民動向には、大きな乖離があること、ローカルの空気を的確に把握して、地元選挙民を引っ張って行くには、全国メディアは時に無力であることが、緒戦の裏話を交えて力説される。
もちろん、全国メディアとはいってもここでプラフが論じているのは、報道のことである。トークショーホストのオプラ・ウィンフリーが、いかにアイオワ戦に向けて効果的だったかについては、プラフも大成功だったと認めている。ウィンフリー人気はアフリカ系に留まらない。コアなファンはリベラルな白人女性層である。また、放送拠点がシカゴであることから、ウィンフリーといえば「シカゴ」という地域のシンボル的存在でもあり、これもオバマと見事に重なった。中西部アイオワへの遊説は、絶大な効果を発揮した。
ちなみにウィンフリーは、2011年9月で自分の番組を終了させる意向を突然発表し、アメリカのテレビ関係者の間では、この秋の最大の衝撃的ニュースとなっている。ケーブルテレビへの移籍が囁かれているが、ケーブルは視聴者層が限定的なので、地上派のような影響力は失うのではないかという声もある。他方、慈善活動などの政治色を強めるのではないかとも言われており、オバマ支援で政治参加を躊躇しなくなったウゥインフリーが、2010年中間選挙、2012年大統領でどのような発言をするのか興味深い。
ホワイトハウスとFOXニュースの確執
一方、注目したいのは、ブログ、YouTubeなど、ネットの浸透による「媒体の盛衰」という変容面と共に、オバマ時代にあっても、なかなか変わらないメディアの実状である。その一つが、政治メディアの党派性である。これについては、むしろ強まっていう見方もできる。2009年の後半から火種となっているのは、オバマ政権とFOXテレビの睨み合いである。
元来、FOXテレビは、民主党政権に厳しい放送を行なってきた。しかし、オバマ政権下でホワイトハウスとFOXの戦争を本格化させたのは、2009年9月、日曜の討論番組『FOXニュース・サンデー』だけ、大統領インタビューから外された事件であった。大統領は医療保険の売り込みのために「サンデー・モーニング・トークショー」と呼ばれる日曜午前の番組のメインアンカーとのインタビューに応じた。だが、FOXだけが除外されたのである。これにメインアンカーのクリス・ウォーレスが立腹し、同局のビル・オーレイリーの番組に出演して、ホワイトハウスに対して怒りをぶちまけた。
ウォーレスが自社番組で吐き出した苛立ちについて、ジャーナリストとして「言い訳がましく、見苦しい」という批判もあった。しかし、メディア関係者は、民主党支持者でも、ある種の同情を内心抱いていたのも事実である。ベテランのウォーレスにとって、FOXという「保守派の看板」を背負わされているだけで、大統領インタビューという政治ジャーナリストにとって重要な機会から外されることに対する、落胆は果てしなく大きかった。そもそも、討論型の報道番組は、取材力や映像で勝負することはできない。「人呼び」というブッキングが、番組の評価を決めるすべてである。重大な発言を引き出すことよりも、重要な人を重要なタイミングで出演させることが、まずもって特ダネであり、ニュースである。出演者の政治家は、出るからにはそれなりの発言を用意しているもので、ブッキングさえ確保できれば、よほどテレビ慣れしてない口べたな政治家か、モデレーターの致命的な能力不足がない限り、通信社が記事にするようなニュースはいくつか出るものである。それゆえ、番組の命であるブッキングで、外されるのは致命的ダメージだ。
サンデー・モーニング・トークショーの競争
ブッシュ時代からオバマ時代へと変遷するアメリカは、CBS、ABC、NBCの3大ネットワークの「顔」の変容期とも重なる。「アメリカの顔」ウォルター・クロンカイトを引き継いで久しかったCBSのダン・ラザーは、誤報スキャンダルで失脚降板し、ABCのピーター・ジェニングスが癌で他界し、NBCのトム・ブローコウが引退するなど、ネットワークの夕方の顔の様変わりは、CNNやMSNBCなどニュース専門局の定時ニュースに、視聴率でも政治的影響力でも惨敗する、ネットワークのイブニングニュースの時代の終わりすら感じさせた。
アメリカのネットワーク報道は、夕方のイブニングニュースの存在感の低下の一方で、日曜のトークショーの視聴力競争が過熱化している。ティム・ラサート時代に不動の地位を安定させたNBC『Meet The Press』は、2008年大統領選挙中のアンカーのラサートの突然の死で、短期間ベテランのブローコウがつないでいたが、鳴り物入りで若手の元ホワイトハウス記者、デイビッド・グレゴリーを投入した。これが他局に追撃の隙を与えた。
グレコリーは甘いマスクで女性視聴者にも人気があり、同局の朝の総合ニュースショー『TODAY』の臨時アンカーを務めたことがある。「しゃべり」が巧いテレビ向きのジャーナリストである。『TODAY』はアンカー同士のおしゃべりを演じたり、スタジオ外の観客を絡めた演出をしなくてはならないので、日本でいう「アナウンサー」に近い司会業をこなさなくてはいけない(アメリカには、ニュースからバラエティ番組の司会までこなす日本型の「アナウンサー」職は存在しないので、ニュース番組のアンカーは記者であり、コメディショーの司会はコメディアンである)。プロンプターを棒読みすることしかできないアドリブが苦手な記者や、定時ニュースのアンカータイプには向かない。グレゴリーは、中継やアドリブが上手だった。
しかし、1970年生まれのわずか39歳という年齢と国際経験を含め取材歴の薄さは、ビデオジャーナリスト出身で、戦場や災害現場に強いCNNのアンダーソン・クーパーなど他の若手テレビ記者と比べても大きく見劣りする。前任のラサートは、かつてモイニハン上院議員の補佐官を務めており、アイルランド系の出自もあり個人的にはリベラルな思想を持っていたが、ジャーナリストとして党派性を一切棚上げして、厳しい質問をする厳格な報道姿勢が信頼を集めていた。グレゴリーはラサートほど鋭い質問をしないという評価が支配的だ。MSNBC『Hard Ball』のクリス・マシューにすべきだったとの声も出た。このように、ラサートの後任としてグレゴリーはあまりに軽量級という事情通の指摘も相次ぎ、NBCの牙城も盤石ではなくなり、日曜日午前の視聴率競争は揺れ始めた。
そもそも、アンカーの「若返り作戦」は、CBS『イブニング・ニュース』が、NBC『TODAY』の司会で売れていた顔と、軽妙な「しゃべり」の力を買って引き抜いたケイティ・コリックで大失敗をしており(視聴率は最下位を続伸)、局のメインアンカーは、著名性やアドリブ力ではなく、取材歴に裏打ちされたジャーナリストとしての信頼感が不可欠という、当たり前の古くて新しい反省が業界内に出ていた矢先だった。ABC『This Week』の司会は、元クリントン政権のジョージ・ステファノプロスで、彼はジャーナリストではないが、民主党政界への人脈とクリントン政権のインサイダー情報力を用いて、独自の地位を築いた。固定ファンがいる。他方でCBSの『Face the Nation』は大ベテランのボブ・シーファーで、安定感が売りだ。
FOXは保守系の視聴者にとって唯一の受け皿であることと、過激な言論に加え、派手なグラフィックCGとテクノ音楽のSE(効果音)による演出を際立たせ、ストックカーレースやフットボール中継を見る感覚で政治ショーを「消費」する層に受け、一定の視聴率を確保している。しかも、アンカーのウォーレスは、NBC時代には『Meet The Press』、ABC時代には『Nightline』などの名物番組のアンカーもしていた。父親はCBS『60 Minutes』のマイク・ウォーレスで、メディア界のサラブレットである。報道トークショーのメインアンカーの意義は、議員の人呼びに直結する、ワシントンでのネームバリューであり、ウォーレスが大統領インタビューを「落とした」ことで傷ついたであろうプライドは、メディア関係者なら誰でも痛い程わかる。それだけに、ホワイトハウスのFOX外しは、実に効果的だったとも言える。
「反リベラルの保守」という記号としてのFOX
その後、10月にはケネス・ファインバーグ大統領特別顧問へのインタビューで、同じくFOXが排除されかける一件が起き、ホワイトハウス高官から「FOXは報道機関とは見なさない」という趣旨の発言が相次いだ。筆者周辺の政治関係者の間では、一連のFOX批判は、オバマ政権流の高等な戦術であり、FOXの上を行っているとの見方も根強い。FOXがオピニオン番組を売りにしており、その大多数がきわめて保守的であることは、そもそも社会的には共通の認識であると言える(FOXがどんなに否定しようとも)。FOX愛好者は、FOXの保守言論が好きで観ているのであり、これは自明のことだ。したがって、FOXを敵視する行為は、実に「リベラル」なシグナルになる。実際の政策では、医療保険など内政においても、アフガニスタンの増派をはじめとする外交においても、ある意味で中道化を余儀無くされているオバマ政権が、政治的トーンの「シグナル」としては、「リベラルさ」を発光し続けようとしているとの見方だ。
高官が相次いでオンレコでFOX批判をするのには、それなりの理由があると考えられている。上手に敵対メディアを手なずけて、取り込もうとする方法は、他にいくらでもあるからだ。案の定、FOXとの喧嘩をリベラル派は好意的に受け止めている。政策では中道路線の懸念は拭えないが、FOXと名指しで喧嘩をする高官たちの態度にリベラル派は、まだまだオバマ政権は「リベラル魂」を失っていないと安堵する。
アフガニスタン増派への反対集会を呼びかけた『Progressive Magazine』のマシュー・ロスチャイルドは、政治的にリベラルな街であるウィスコンシン州マディソンでの集会にわずか数十人しか集まらなかったことに落胆しているが、「自分達が支援したオバマ政権を批判することには、まだリベラル派内に抵抗感があるのだ」と自身が運営するポッドキャストの配信で総括した。FOXが本気でオバマ政権を失敗させたいのならば、逆説的ではあるが、ホワイトハウスと正面から喧嘩して自社番組で未練がましく「特オチ」を嘆くのは、どうも逆効果なようである。今の所、ホワイトハウスの戦術のほうが、FOXよりも一枚も二枚も上手と言えよう。
NPRによる自局記者へのFOX出演禁止要請をめぐる波紋
そのような中、公共ラジオのNPRの幹部が、自局の記者にFOXへの出演を控えるようにお達しを出したとの報道が、アメリカの政治報道関係者を騒然とさせている。『POLITICO』(2009年12月8日)が報じたところによれば、10月上旬にNPR上層部が、同局のマーラ・ライヤソンに、FOXの放送が党派性を強め過ぎているので、出演を控えるように促したという。NPRは中道リベラル寄りの局として、穏健派からリベラル派、無党派層までリスナーを抱えており、局イメージとして、NPRの記者がFOXに出演することは望ましくないと考えている模様だ。
アメリカには日本のような系列がない。また、終身雇用の社員制度もないため、すべての記者が契約の更新と隣り合わせで「所属している」記者である。そのため、社員規則のようなものは比較的薄く、テレビの記者が他の局に出ることはさすがに少ないものの、新聞やラジオの記者が、テレビにパンディットと呼ばれるコメンテーターとしてレギュラー出演することは、半ば慣習化している。良心的で的確な報道で知られるライヤソンは、そのように分類されることに抵抗があろうが、「バランス」を建前にしているFOXは、「FOXリベラル」と揶揄されるアリバイ用のリベラル系論客をレギュラーに配置して、バランス取りをしてきた。
アメリカのトーク番組は、右か左かどちらかに偏る出演者構成は、視聴者に受けない。右と左が喧嘩している様子を視聴者は好む。FOX内での「リベラル役」のひとりがNPRのライヤソンだった。1997年以来FOXと契約を結び、『FOXニュース・サンデー』のラウンドテーブル・コーナーに、長年レギュラー出演している。NPRでは、1989年から議会担当、クリントン政権の8年間のホワイトハウス記者を務めた。ホワイトハウス時代には、数回受賞歴もあり、コーキー・ロバーツ、ニーナ・トーテンバーグなどに連なる、女性名物記者である。ライヤソンは名前が売れているだけに、他局出演でも目立つ。通常は自社の記者の出演は、局のブランドを売る意味では、比較的好意的に野放しにされており、今回のように上層部が介入するケースは異常事態と言ってもよい。
たしかにFOXの保守偏向は強烈であり、主流メディアが総じてリベラル偏向しているといっても、FOXのリベラル版と言える程のリベラル偏向局が、主流マーケットに存在しているわけではない。FOX出演禁止令は、理解できないわけではないが、今まで放任してきたにもかかわらず、ここにきて禁止する姿勢に対して、経営陣の判断こそ党派的ではないかというライヤソン擁護の声もあり、動向は波乱含みだ。前述の『POLITICO』によれば、ライヤソンは「保守的なホストの意見番組に出ているわけではない」「FOXとは契約を結んでしまっているので解約できない」などの理由で、続投の方針だという。可能性は少ないが、仮にライヤソンが本格的にFOXに移籍するようなことにでもなれば、FOXの「偏向報道」とホワイトハウスとの「喧嘩」をめぐる火種は、アメリカでこれまでほとんど議論されてこなかった記者の他社出演をめぐる倫理、リベラル・メディアと保守メディアの根本的なあり方にまで論争を広げることであろう。
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員