<歴史から考えるコロナ危機>第3回「グローバル化時代の感染症にいかに対処するか?――歴史に学ぶ対応のヒント」 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

東京財団政策研究所

詳細検索

東京財団政策研究所

<歴史から考えるコロナ危機>第3回「グローバル化時代の感染症にいかに対処するか?――歴史に学ぶ対応のヒント」
グローバル・マップの上を歩く群衆(写真提供 gettyimages)

<歴史から考えるコロナ危機>第3回「グローバル化時代の感染症にいかに対処するか?――歴史に学ぶ対応のヒント」

October 19, 2020

政治化する新型コロナ対応

細谷 松田先生、ありがとうございます。「中国情報のリテラシー」が高いか低いかで今回の対策の大きな差が生まれた。さらには、日本の中でそれらリテラシーは政権の中枢であまり高くなかったことが致命的となってしまった。まさに欧米だけをみて判断するということが国民の生命にも関わってくる深刻な問題だということを改めて深く感じました。

つぎにご報告いただく詫摩先生は、保健衛生、WHOを研究する国際政治学者です。国際連盟の時代の保健衛生事業等について博士論文をまとめられ、今年4月には中公新書『人類と病』を出版されました。

詫摩 新型コロナ危機で浮かび上がった国際的な対応上の問題点を洗い出し、いかにそれを補強していくべきなのか、また日本はそこでどういう役割を果たせるのかについてお話しします。

今回のコロナ危機は、グローバル化時代の感染症の特徴を非常によく世界に示してきました。

感染症は、従来、公衆衛生という閉じられた領域の課題で、行政的には各国の保健省が対応するのが一般的でした。しかし、グローバル化時代の感染症は、公衆衛生の領域だけではなく、日常生活、経済、国防など多局面に影響を及ぼします。だからこそ、対応が内政的にも外交的にも政治化しやすい。たとえば、トランプ大統領をみれば、コロナ危機への対応が、いかに今秋の大統領選に影響するかが強く意識されているし、中国にしても、マスク外交を展開したり、あるいは各国がコロナ対応に注力している間に香港への締め付けを強めたりしています。

そうした中で、米中対立の舞台となっているのがWHOです。米国はWHOを脱退すると国連に正式に通告しましたが、皮肉なことに、米国はWHOと深い関わりがある国なのです。そもそもWHOをつくったのは米国です。

米国は国際連盟に加盟していませんが、戦前、非公式な形で国際連盟のさまざまな事業に関与しています。例えば、米国のロックフェラー財団の資金で、シンガポールに伝染病情報局が築かれました。そうした経緯があって、第二次世界大戦開戦後、米国は連合国の感染症管理において国際連盟に協力を求め、その経験から戦後の保健機関の設立を主導したわけです。

英国や当時のソ連などが、国連保健機関をつくろうと強く主張している中でも、米国は、グローバルな保健機関が必要である、保健や食料など機能的な事業を積み上げることが戦後の新しい国際秩序の基盤になる、という考えのもと、WHOや国連食糧農業機関(FAO)の設立を主導しました。

さらに、WHO設立後も、天然痘、エボラやエイズなど、グローバルな課題に積極的に関与して、解決に導いてきたのが米国です。特に、エイズやエボラに関しては、それまで国連安全保障理事会で公衆衛生関連の決議が採択されることはまずなかったわけですが、2000年以降、3回にわたって、それも米国のリーダーシップによって採択されてきました。その米国がいま、批判の矛先を向けているのがWHOだということです。

WHOに対する2つの批判

コロナ危機発生以降のWHOに対するトランプ政権並びに世界の批判は、大きく分けて2つあります。ひとつは中国寄りであること、もうひとつは基本的な義務を果たしていないということです。

1つ目の批判に関して、テドロス事務局長がコロナ危機対応をめぐって、中国に特別な配慮を行ったことは誰の目にも明らかです。その理由に関して、ちまたでは、事務局長の出身国エチオピアと中国の経済的な結び付きゆえに中国に忖度(そんたく)したのではないかといわれていますが、それを証明する具体的な証拠はいまのところ出てきていません。

ただ、可能性があるとすれば、SARSの経験が頭をよぎったということです。情報が隠蔽され、中国とWHOとの円滑なコミュニケーションが欠如していた。その二の舞になることを恐れ、称賛することで、なんとか中国とのコミュニケーションをとろうとしたという側面が背景にあったのではないか。

ただし、そうであっても、この状況下で中国を無条件に絶賛する行動に関しては、一つの国際組織の事務局長として慎むべきであったというのが大多数の意見だろうと思います。その理由の一つは、中国を賞賛することによって、問題の切迫感を削ぐような誤ったメッセージを国際社会に発することになった。また、米中が対立している状況の中で、一方の中国だけを褒めればどういう反応が返ってくるのかについてもう少し敏感である必要があった。冷戦時代にはWHOが米国とソ連双方に細心の注意を払っていました。

2つ目の批判、基本的な義務を果たしていない、については、WHO憲章並びに感染症対応の国際条約である国際保健規則に照らすと、WHOの義務とは、達成可能な最高水準の健康を達成すること、それを達成するためのさまざまな基準を設定すること、あるいは困難な状況に置かれている国々に対する支援を調達、調整すること、と明記されています。WHOがコロナ危機発生後に実施してきたことを振り返ると、状況判断をして緊急事態宣言をする、その直後に対応のためのガイドラインを発表する、あるいは診断やワクチン開発のための国際的なイニシアチブを立ち上げている。基本的な義務は、一応果たしているといえます。

一方で、過去の経験を踏襲しすぎたのは問題です。コロナウイルスの特異な性質を見抜けませんでした。また、WHO2009年のH1N1インフルエンザのとき、早くに対応し過剰反応だと国際的な非難にさらされたことで、それ以降、慎重に状況判断するようになっていました。 

できることが限られる中で

より問題だったのは、できることが限られている状況だったということです。感染症への対応は、初動が重要です。発生国でいかに封じ込めるかが、その後の感染拡大を抑えるうえで、決定的に重要です。2009年のH1N1インフルエンザのときには、発生国米国と緊密に連携して、それほど世界的に拡大させずに収めました。しかし、米国のように優秀な国ばかりではありません。中国、コンゴ、イエメン、北朝鮮等の国でも感染症は発生しうるわけです。そうした中で、WHOが発生国に立ち入ってなんらかの調査をする、情報を出させるといった強制的な権限は持っていない。できることが限られているのです。

それを具体的にどういう形で補強していくべきなのか。

喫緊の課題は、感染症対応の国際条約である国際保健規則を改定することです。この規則では、WHOの強制力については定められていないので、初動対応に限定して、WHOの権限について関係国で議論し、改善していく。また、状況の評価や勧告に関する、より詳細な基準をつくることも必要です。130日に国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態を宣言した後も、311日にパンデミックの様相を成していると宣言した後も、具体的なWHOの各国に対する勧告に大きな差がなかった。だからこそ、各国が混乱に陥ったので、それぞれのパンデミックのフェーズをより細かく区分して、それぞれのフェーズにふさわしい勧告をより具体的に定めていくということではないか。

また、中長期的な課題は、グローバル化時代の感染症は、冒頭で申したとおり、もはや公衆衛生上の危機ではないことに関わります。設立当初、WHOは公衆衛生の専門機関として設立されたわけで、いまのグローバルなレベルでの危機に対処する枠組みになっていません。国際機関等の総合的な連携なしには対処できないので、そのための制度設計も必要です。 

WTO改革における日本の役割

WHOは、あくまで国際機関で、自らの意思で動けるわけではありません。加盟国の合意があってはじめて、できることやその権限も決まる。それゆえ、以上に提示した課題に関しても、加盟国がリードしなければ、実行には移せません。

それを従来リードしてきたのは米国でした。その米国が今後、一切関与するつもりはないという姿勢を表明したわけです。少なくともトランプ氏が政権にとどまるかぎり、米国のリードは期待できません。その隙を中国が突いて、勢力拡大を狙うわけですが、中国に関しては、従来のグローバルヘルスを規定してきた、例えば人権の尊重、透明性の確保、法の支配などの価値観を守る保証はありません。従来の規範を維持しながら、改革を進めるためには、欧州、オセアニア、日本といった国々の連帯が必要です。

細谷 詫摩先生、ありがとうございました。

◆続きはこちら→第4回「文献紹介―「歴史」のなかの感染症、新型コロナ問題」

    • 政治外交検証研究会メンバー/東京都立大学法学部教授
    • 詫摩 佳代
    • 詫摩 佳代

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究員のコンテンツ

0%

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム