米国のオバマ政権が財政再建への第一歩として位置づけているのが、いわゆる「PAYGO原則」の法制化である。本稿では、今年2月に成立したPAYGO原則について、その内容を整理する。
「PAYGO原則」の復活
PAYGO原則は、義務的経費の増加や減税による財政赤字の拡大を防ぐための財政ルールである。将来的な財政の健全化を課題に掲げるオバマ政権は、そのための第一歩として、PAYGO原則の法制化を主張してきた。
2月12日にオバマ大統領の署名を受けて成立した今回のPAYGO原則 *1 は、法律としては9年ぶりの復活となる。PAYGO原則の原型は、1990年のBudget Enforcement Act of 1990 *2 で法制化されている。また、同法で法制化されたPAYGO原則とは別に、1993年には議会規則としてのPAYGO原則も施行されている *3 。ただし、2002年度には法制化されたPAYGO原則が失効しており、議会規則のみが存続する状況となっていた。
「PAYGO原則」の仕組み
今回法制化されたPAYGO原則の運用には、二つの段階がある。まず第一に、義務的経費や税収を変化させるような法律が制定される度に、これらが財政収支に与える影響を記録する。これは「PAYGOスコアカード」と呼ばれ、向こう5年間、及び、10年間の影響がそれぞれ記載される。第二に、一年間の議会審議が終了した時点で、二つのPAYGOスコアカードに積み上げれらた記録が、いずれかの期間について財政赤字の拡大を示した場合に、これを相殺するだけの一律歳出削減が自動的に実施される。このような仕組みによって、まずは個別の法律が審議される時点で赤字を増やさないような財源の確保を促し、それでも年間を通算して赤字が増加する結果となった場合には、歳出削減によって財政中立を強制的に実現するわけである。
議会規則としてのPAYGO原則と法制化されたPAYGO原則の大きな違いは、こうした一律削減を含めた二段構えの仕組みの有無にある。議会規則としてのPAYGO原則では、個別の法律が財政収支に与える影響に焦点があてられる。例えば上院の場合では、赤字を増やすような義務的経費・税制の変更を行うような法律の可決には、3分の2以上の議員の賛成が義務づけられている。その一方で、法制化されたPAYGO原則にあるような、一律削減の仕組みは設けられていない *4 。規則としてのPAYGO原則は、赤字を増やすような法律の可決を手続き的に難しくするものの、最終的に財政中立を強制するような手立ては存在しない。
PAYGO原則の限界
もっとも、法制化されたPAYGO原則には三つの限界がある。
第一に、PAYGO原則は、予算の全ての部分に適用されるわけではない。具体的には、PAYGO原則の対象(立法による変更があった場合にPAYGOスコアカードに影響が記載される施策)は、義務的経費と税制に限られる。毎年の予算審議で決められる裁量的経費は、PAYGO原則には縛られない *5 。また、義務的経費のなかでも、公的年金は対象外である。
今回の法律には、これ以外にもPAYGO原則の対象外となる施策が列挙されている *6 。ブッシュ減税の延長など、いずれも政策の継続性を重視するための措置とはいえ、かなりの規模の施策が対象外となっているのが現実である。
第二に、PAYGO原則が適用されるのは、新規の法律に限られる。言い換えれば、既存の制度が理由で増加する財政赤字には、PAYGO原則では対処できない。ところが、今の制度を維持するだけでも、いずれ米国の財政赤字は「維持不可能」な水準にまで拡大してしまう。たとえ新規の法律が制定されなかったとしても、医療保険や年金の歳出は拡大を続けていくからである。こうした現実の前には、PAYGO原則の力不足は明白である *7 。
第三に、法制化されているとはいえ、PAYGO原則の実効性は政治の意思に左右される。自動的な歳出削減が用意されているとはいっても、政治がこれを迂回するのは不可能ではない *8 。例えば、法律の中で「緊急事態への対応策」に指定された項目は、PAYGOスコアカードに記載されない。極端な場合には、PAYGOスコアカードの残高を減らすように法律で指示し、一律削減を回避することも可能である *9 。
実際に、以前の法制化されたPAYGO原則は、2000年代に入って急速に形骸化していった。2001年度以降に法律上の指示で一律削減を免れた項目は、実に7,000億ドルを超えるという *10 。
おわりに
米国が1990年代に財政再建を実現した際には、PAYGO原則を始めとする財政ルールが大きな役割を果たしたと評価されている。しかし、今回改めて法制化されたPAYGO原則は、今後の財政再建の決定打にはなり得ない。財政再建の本丸はあくまでも具体的な赤字削減策の実施であり、財政ルールの改革はその脇役に過ぎないと言えそうである。
*1 :Public Law No: 111-139
*2 :Public Law No: 101-508
*3 :1993年の施行は上院のみ。下院は97年から実施。
*4 :議会規則としてのPAYGO原則でも、年初から可決されてきた法律が積み上げた赤字への影響は記録されており、それまでに積み上げられた結果が財政赤字を減らすような内容であれば、次の法律の「財源」として取り扱うことができる。
*5 :1990年代の場合には、裁量的経費にも法律で上限が定められていたが、現在はこれに相当する法律は存在しない。
*6 :具体的には、?医師に対するメディケア診療報酬の調整、?相続税改革(11年分まで)、?AMT改革(11年分まで)、?ブッシュ減税の延長(富裕層を除く)が例外とされている。
*7 :4月27日に開かれた財政再建に関する超党派委員会(National Commission on Fiscal Responsibility and Reform)の第一回会合で、委員の一人であるアリス・リブリン元連邦準備理事会(FRB)副議長は、「PAYGO原則は、これ以上の(財政事情の)悪化を防ぐことを助けるだけだろう。しかし、歳出を拡大させるのは、既に存在する制度、とくにメディケアやメディケイドなのである」と述べている。
*8 :前出の超党派委員会の第一回会合では、証言を行なったロバート・ライシャワー元議会予算局(CBO)局長が、「議員が赤字を減らすために歳出削減や増税を実施したくないのであれば、財政ルールの改革で彼らに行動を強いることは不可能である」と述べている。
*9 :PAYGO原則には、一律削減の対象となる歳出の範囲が極めて限定されており、いざ削減の対象となった場合に、対象となった施策の削減率が大きくなりがちだという問題がある。このことは、一律削減の実施を政治的に受け入れ難くする。具体的には、一律削減の対象は義務的経費に限られており、さらにその中でも公的年金や退役軍人向けの手当てなど、数多くの施策が対象外とされている。今回の法制化されたPAYGO原則の条文では、一律削減の対象外となる施策を列挙した部分が、実に全体の3割近く(6頁)を占めている。
*10 :Robert Keith, Pay-As-You-Go Procedures for Budget Enforcement, Congressional Research Service, November 20, 2008
■安井明彦:東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長