評者:川島真(東京大学大学院総合文化研究科教授)
なぜ「越境者」の政治史なのか―本書のモチーフ―
本書は、サントリー、毎日、角川の三賞を受賞した著作であり、学術誌でもすでに多くの書評が公にされるなど、大きな反響をよんだ。歴史学と政治史学との間に位置する本書は、日本近代史を「移民」の観点から見直そうとしたものである。そのために、オーソドックスな帝国史だと思って手に取ると、読者は意外な感を抱くだろう。
「越境者の政治史」と題された本書のモチーフは、サントリー学芸賞受賞に際しての著者の言葉に現れている [1] 。著者は、「本書の執筆を通じて分かったのは、近代の始まりから現在に至るまで、移民という現象が極めて普遍的なものであり、また政治と深く関わり続けてきたことでした」といい、「日本政治史で移民という主題を取り上げた研究は以前からありましたが、その多くは移民を外交上の争点や政策の対象としてのみ扱っていました。これに対して本書の特徴は、移民たちを主役とする政治史を描き出そうとした点にあります」と述べる。移民を主役とする政治史を描くこと、これが本書のモチーフである。この論点は近代政治史の根幹である、「民族」や「国民国家」にも深く結びつく。著者は、移住先において日本人移民たちが現地で市民権や参政権を求め、そこに様々な政治的な関係が生まれていくとし、「その結果として政治主体としての『民族』が生まれた」のだという。ただ、人が移動すればそこに「民族」の政治が生まれるというのではない、と著者はいう。近代の日本は国境が頻繁に変更していたが、その国家こそが「民族」の政治を規定したのではないかというのである。「このように変わりうる国境の内部を排他的に支配し、その住民を統治する主権国家が『民族』の政治を規定してきたことも、本書で論じたところです」という著者の言葉にそれが現れる。これは、国民国家に対する根源的な問いにも結びつく。国民国家は、一般に「国家は一つの均質な国民から構成されるべきだという考え方」に基づいていて移民はややイレギュラーな存在とも思われがちだが、著者は「本書でアジア太平洋地域における日本人移民の経験を考察した結果、近代という時代を通じて、実際にはそのような『国民国家』は存在しなかったと私は考え」る、というのである。現在信じられている「国民国家」なるものは、むしろ「世界中でナショナリズムの圧力が高まった第二次世界大戦を経て、戦後から冷戦期に脱植民地化が進行し、さらに国境を越えるヒトの移動が厳しく管理されるようになったために、『国民国家』の実在が信じられたに過ぎないのではない」か、というのである。
中心的課題としての「ハワイの日系移民」
著者が事例として特に注目しているのがハワイの日系移民である。毎日出版文化賞関連のインタビューで著者は次のように述べたという [2] 。「中でも思い入れがあるのはハワイの移民に関する研究」であり、「アジア系の住民は白人の支配下に立たされると同時に、出身国への帰属意識も持ち続けました。ハワイの民族間に、出身国の国際関係が影響を与えていたのは興味深かった」。
ハワイの事例が中心に据えられていることで著者のスタンスが明確になっている。つまり、空間としての日本帝国、あるいは日本本土と植民地、あるいは租借地や租界、鉄道付属地などといった帝国の外縁に至る空間が本書の対象ではないということだ。むしろ、移民と植民を同値として扱いながら、「日本人」の移動に焦点をあてた研究なのである。「近代の日本を『国民国家』と規定するにせよ『植民地帝国』と規定するにせよ、主権国家の支配領域に区切られた政治史とは異なり、本書は民族集団としての『日本人』を分析の中心に据えた政治史の試みである」(2頁)という著者の言葉にそれが明確に現れる。そして、「近代における日本人の移民と植民が、日本という国家、およびアジア太平洋地域の政治秩序といかなる関係を持ったかを問うこと」(同)、それこそが本書のモチーフなのである。
だが、ここで留意すべきは、日本人があまり移民、植民しなかった空間(たとえば台湾や朝鮮半島)は対象にならず、また、移民、植民したとしても現地社会と化学反応をおこして、「政治史」的な現象が生じなければ、著者の関心に絡まない、ということである。
先行研究への問い
上記のモチーフの部分に記したように、本書の主題それじたいが先行研究への大きな問いになっている。著者自身は、主権国家としての空間に国民国家が存在し、その国民のあり方が静的に扱われて、移動する人が周縁化されている現在の歴史学の言説は、いわば国境が固定化され、移動が制限された冷戦期のものだと見る(170頁)。だからこそ、「明治維新以後の国民統合のさなかにあった日本人が新たな領域へ移住したことが、政治秩序にいかなる影響を与えたかを、全体として共通の枠組みで捉え」(6頁)、「近代日本の移民・植民がもたらした政治秩序の変動を考察すべく政治史的分析を行う」(7頁)というのである。
分析枠組み―空間とヒトの対象の限定―
具体的な事例を検討するに際して、著者はきわめて興味ふかい枠組み設定をしている。第一に、本書は「本国―植民地」ではなく、「本国―属領」概念を用いる。これはきわめて重要で、どこがいつから制度的に植民地であったのかということには厳密な検討が必要であるが、著者はこの議論を避けて、性質として「政治的な支配―従属関係」があればそれを属領とみなすとしたのである。だからこそ、北海道や樺太などが扱える。次の枠組み設定はより重要だ。本書では「日本人」を日本戸籍保持者たる者に限定している。戦前では、国籍はあるが戸籍がない人々がいた。朝鮮半島の人々、台湾の人々、そして南樺太の原住者だ。こうすることで、本書は「日本人」すなわち日本戸籍保有者を、「大和人、北海道アイヌ、沖縄人、小笠原の欧米・ハワイ系住民、樺太アイヌ(一九三三年以降)によって主に構成される」(12頁)と定義づけている。著者は、戸籍を保持しなかった国籍保持者は、戦後にその国籍が剥奪されたから現在との関係もつかみやすいとしている。しかし、日本国のパスポートをもって移住した朝鮮人、台湾人こそ、満洲や南洋に移住していった人々であり、その行為が多くの政治史的課題を生み出していった。また、毎日出版文化賞のインタビューで著者は、日本に来ている留学生たちがかつての植民地のことを話すのに衝撃を受けたということを本研究の動機の一つに挙げている。この点、今後の研究の展開に期待したいところである。
本書の構成と内容(1)北海道・内地雑居・ハワイ
いずれにせよ、本書は空間とヒトについて対象を限定し、具体的には以下のような構成をとっている。まず全体は時系列に沿って三部構成となっている。第Ⅰ部が19世紀後半から20世紀初頭の移民・植民、第Ⅱ部が20世紀前半の移民・植民、第Ⅲ部が第二次世界大戦の経験を経て、国際社会で国民国家規範が体制化する過程における移民・植民の大変動だとされている。また、全体として三つの空間が措定される。それは、「第一に北海道および南樺太、第二にハワイ、第三に『満洲国』」(22頁)である。北海道・南樺太・ハワイは、「彼らの移住自体が現地社会の人口構成を一変させた点で、ヒトの移動と政治秩序との関係を問う本書の問題意識の基礎をな」すのであり、満洲国は「国境線の有無によって移民と植民とを線引きする枠組みの限界を明らかにする上で核心に位置する考察対象」(22-23頁)だという。そして、朝鮮・台湾、南北アメリカについては、比較対象とする補論として扱われている。
第一部「主権国家・世界市場と移民・植民」は三章構成である。第1章「北海道の属領統治と大和人移民の政治行動―参政権獲得運動と植民者意識」では、北海道を属領とみなし、「『国民』としての認知を求める大和人移民の政治運動を経て、属領統治下にあった北海道が本国へ編入されたことは重要な変化であるが、これによって北海道が府県と均質な領域になったとはいえない」(64頁)とする。北海道に長らく議会が認められていなかったことなどを、移民という面から再検討したのである。
第2章「『内地雑居論争』における移民と植民―開国と民族ナショナリズム」は、従来の内地雑居論争において、移民・植民の要素が十分に考慮されていなかったことを指摘している。これまで内地雑居論争といえば、治外法権との関連が議論されてきたが、著者は「欧米人による日本への移民・植民の可能性」が憂慮され、その影響が問題視されていたことを指摘し(66頁)、また「このような移民・植民への関心が民族集団を単位とするナショナリズムと直結していたこと、さらに日本人自身による国境内外への移民・植民の可能性も盛んに論じられていた」(20頁)ことを明らかにした。
第3章「アメリカのハワイ王国併合と日本人移民の政治行動―参政権獲得運動から日本人の『自治』へ」では、本書が重視するハワイの事例を扱う。著者は、「従来の研究では、ハワイという国家がアメリカに併合されたという大きな政治変動と、日本人移民との関係を捉えられていない」(112-113頁)こと、またハワイへの移住者が1924年の移民法改正以後も日米を架橋する存在であったことを示すこと、そして従来の研究が人口規模について考慮していないことを批判的に検討する。ハワイでは日系移民が最大の民族集団となる中で、彼らにいかに参政権を付与するかということがアメリカ側で大きな政治問題になり、「白人は欧米の国籍を保持したまま参政権を得たが、中国人・日本人はこの枠組みから排除された」(152頁)のだが、そこから日本国政府や現地の「日本人」たちが「日本」の下に現地での権利を求めていくという構図になった。ここでは、「日本人移民が、……日本国家から離脱することなく現地における政治参加や『自治』を求め続けたこと」が明らかにされたのである(20-21頁)。
本書の構成と内容(2) 矢内原の植民研究と樺太/朝鮮・台湾/満洲
第Ⅱ部「帝国・国際秩序と移民・植民」では、一般的に理解される日本帝国での「植民」が議論される。既発表の諸論文では論じられていなかった空間を、出版に際して補ったのが補論だと思われる。
第4章「矢内原忠雄の『植民』研究―帝国日本の移民と植民」では、矢内原が「社会的・経済的現象としての植民と、政治的な支配―従属関係という二つの観点を区別して捉える見方」(156頁)を有していたことを指摘し、その上で「植民現象と支配―従属関係とを弁別し、前者の価値を肯定しながら、後者をその実現の手段とすることを批判するという」(165頁)論理が矢内原にあったことを析出する。満洲移民問題はその一つの事例である。この矢内原の視点、「端的にいえば人口の移動と国境の移動のずれを捉えるという視点はいったん忘却され」(170頁)、1990年代になってようやく再び議論されるようになったという。日本の植民論を矢内原に代表させる点は北岡伸一によりすでに批判されてはいるが、本書において本章は分析の理論的な基礎をなす部分となっている。
第5章「南樺太の属領統治と日本人移民の政治行動―参政権獲得運動から本国編入反対運動へ」は属領としての南樺太を扱う。ここでも著者は、「南樺太に渡った日本人移民自身の政治行動と、その政治秩序に対する影響」を扱おうとする(172頁)。従来は他の植民地に影響することを懸念して樺太への衆議院選挙法適用を遅らせたという見方があったが、著者は『樺太日日新聞』を用いながら、衆議院選挙法の南樺太への適用と引き換えに、本国政府が南樺太の内務省移管を提案したために、「参政権獲得運動は、樺太庁のもとでの植民地開発体制を失うことへの恐れから内務省移管反対運動へと一転し、その後は本国編入の是非をめぐって長期にわたり分裂した」(207頁)ことを明らかにした。
なお、補論1「朝鮮・台湾における日本人移民の政治行動」では、人口的に圧倒的少数の日本人が現地社会に対峙した朝鮮や台湾において、逆に総力戦体制下で「朝鮮人・台湾人が動員・皇民化の受容と引き換えに民族間の平等を求めると、日本人は優位喪失を強く恐れるよう」(225頁)な状況が生まれたことを指摘している。
第6章「『在満日本人』か、『日系満洲国民』か―『満洲国』における日本人の政治参加」は、満洲国があくまでも独立国の体裁を保ったことに留意しながら、そこに移民した日本人がいかに政治参加を追求したかを検討する。ここでは従来の国籍制度研究とは異なり(227頁)、移民した日本人が「日系満洲国民」の擬制を受け入れ、その枠内で多民族とともに政治参加の実現を希求した点を明らかにしており、本書の特徴といえよう。著者は、「植民地主義と国民国家規範とが拮抗しながら同居する政治空間を形成した」(276頁)ものと位置付けている。
本書の構成と内容(3) ハワイ、太平洋地域と引き揚げ
第Ⅲ部「国民国家規範と移民・植民」では、まず第7章「帝国日本の植民者か、『東洋人系市民』か―米領ハワイにおける日系住民の政治行動」において再びハワイが論じられる。これは第3章と関連付けられている。帰化不能外国人であった一世と異なり、二世になると日系住民は市民権を保有するようになり、政治参加が可能になった。そのため、定住と社会統合が動き始めるのだが、それはアメリカから見れば安全保障上の脅威と映った。それは先行研究のいうような、単に欧米系白人の統治と日系住民の現地への適応といったコンテキストだけでなく、移民の出身地たる東アジアとの相互関係で理解されるべきだと著者は言う(280頁)。ハワイのアジア系移民には、本書が日本人とする大和系と沖縄系のほか、朝鮮系や中国系もいたが、日中の団結は一部でしか見られなかった(326―327頁)。また、著者はハワイで最大の民族集団としての日系住民の動向を日本のアジア戦略のフロンティアとしてみるのではなく、「日系住民と日本との結びつきが、彼らのハワイ定住志向と同居してさまざまな形で持続した」(328頁)ものとして位置付けようとする。なお、補論2「南北アメリカの日系住民と第二次世界大戦」は、アメリカ、カナダ、ブラジル、ペルーを扱い、「日本と移民先国家の双方に結びついた民族集団を形成」(349頁)したとする。
第8章「引揚げ・戦後開拓・海外移住―戦後の日本・沖縄と移民・植民」は、日本の敗戦などによる新たな国境の変化によって、引き揚げとそれに連続する、新たな内部での開拓、入植、そして新たな移民送出がなされた点に注目する。本土に引き揚げずにそのまま残るという選択肢もあり、政府はその方針だったが、結局強制移動に近い形で「引き揚げ」がなされ、また国外移住の禁止(1952年あたりから変化)もあったために、内部での戦後開拓がおこなわれたのである(北海道開拓、八重山開拓など)。これは、「日本人を日本の新たな国境内部にあるべき存在とする権力の作用の中で行われたヒトの移動」であり、「国民国家のイメージを、日本に定着させる一因となったといえ」(411頁)るというのが著者の見方であり、これが本書の冒頭にあった、固定化された国民国家像の下にある植民、移民像につながっていくことなのである。
終章「移民・植民と『民族』の政治」では、本書のまとめとして、第一に移住活動を行った日本人が各地で民族意識に基づく政治集団を形成し、民族政治の一主体となったこと、そしてこれが国際関係や帝国のありようと結びついたことが指摘される。第二に、戦後国際秩序と各国の政治体制が国民国家規範を体制化するというイデオロギーを有しており、それが戦後の移民観に反映されている、と述べられている。本書のまとめとして著者は以下のように述べる。「本書で検討してきた『越境者』たちの政治史から明らかになったのは、従来の政治史研究が視野の外に置いてきた『民族』が、主権国家と密接に関わりながらも、主権国家が規定する国籍や市民権の枠組みに完全には回収し得ない政治主体として、近代の日本およびアジア太平洋地域の政治秩序に一貫して影響を与え続けたきたことである」(422頁)。
評価と議論
本書のもっとも大きな意義は、従来の移民史と植民史という分断されたジャンルを統合した上で、それを政治史的に分析して見せたという点にある。ヒトの移動がもたらすさまざまな政治秩序の変動を描き出したことは、先行研究の事実認識だけでなく、その意義付けを大きく修正するものであり高く評価できるだろう。これは、空間や制度に重きを置いた、ある意味で「静的」な日本近代史研究、国際関係史研究、日本帝国史研究に対して、「動的」側面を加えたということでもある。そうした意味では、酒井哲哉、若林正丈、あるいは駒込武の諸研究に触発されているのではないかと思われる。
次に、本書が比較的長期を扱ったという点が特徴である。19世紀末から戦後初期までを扱うことで、これまでの先行研究が陥っていた問題の形成過程にまで示唆を与えている。また、空間という面でも従来比較的看過されがちであった、あるいは独立した領域として扱われがちであったハワイの日系移民史や南樺太の事例を取り上げたことは、研究分野の成り立ちや存在そのものへの疑義となっている。
そして、制度史偏重の「帝国」研究、あるいは戦後に成立した相手国の目線を重視する「植民地史研究」、さらに移動それ自体を重視する「移民」史研究への強い反論をおこなっている点が挙げられよう。帝国としての制度設計がヒトの動きを生むというよりも、ヒトの動きが起こす秩序変動という目線が本書には貫かれており、それは先行研究の叙述の因果律を逆転させるインパクトをもつ。
こうした意味で、「国民国家」を静的に捉えてきた(とりわけ日本の)歴史学に対する大きな問題提起となっており、さまざまな分野の研究者が議論に加われる重要な著書だということができる。他方で、本書の持つ課題があることも確かであり、書評をおこなう以上、義務として、課題についても指摘しなければならないだろう。
第一に、本書が必ずしも実証研究ではないということ、そして参考文献がつけられないなど、研究書としては構成に凹凸があるという点である。それは、たとえば幾つかの補論の位置付け、また矢内原の議論をおこなった部分と全体との関わりなど、である。また、本書が長期的な課題を分析しているとはいえ、時期的な偏りがある。本書は19世紀末から20世紀初頭の帝国形成期における移民との相互作用と、すでに一定の制度ができ、その制度的枠組みにヒトを流し込むような1930年代の時代の変化については必ずしも十分に描かれていない。「植民や移民が、政治秩序変動をともなった事例」を選び出したということだろうが、だとすればそのような事例はどのような場合に、どこで発生しているのか、ということを突き詰めて考えることも必要かもしれない。
第二に、先行研究の問題である。本書は木村健二の「植民圏」から示唆を受けたとしているが、植民、移民をめぐる問題については多くの先行研究がある。たとえばHirobe, Izumi, Japanese Pride, American Prejudice: Modifying the Exclusion Clause of the 1924 Immigration Act , Stanford University Press, 2001などは、1924年の排日移民法を扱いながら、それが日中関係といかなる関わりをもつかを指摘している。そして、何よりも本書が「日本への」移民を扱わない点である。移民が何かしらの政治秩序変動を生み出すのならば、日本への移民もまた大きな焦点になる。これは本書が内地雑居で論じたところである。そして、日本「への」移民については少なからず先行研究がある。拙稿「関東大震災と中国外交―北京政府外交部の対応を中心に」(『現代中国研究』4号、1999年3月、27-44頁)で指摘したこともあるが、1920年代の日本には多くの中国人(季節)労働者がきていた。彼らが関東大震災に際して虐殺されるのだが、日本に来る植民、移民は政治変動を生み出さなかったのか。日本人の外への移民だけが政治秩序変動を生み出したわけではなかろう。本来は、そうした全体の相互関係の下に、ヒトの植民や移民に関わる政治史が育まれているものと思われる。つまり、植民、移民の「相互性」とそこに育まれる相互的な政治変動の総体こそが重要ではなかろうか。そうした点で本書は日本「から」の植民、移民に視点が限定されており、またそこに視点を限定するということが必ずしも指摘されていなかった。
第三に、社会経済史的観点(養える地域、養えない地域、既存の人口問題)をどうするかということである。ヒトの移動が生じる理由、移民先での政治的変動を生み出すものは、単なる自然的な「参政権の希求」だけではなかろう。より経済的な理由もそこにはある。この点も、検討課題になるだろう。
第四に、本書が用いた幾つかの定義や概念、とりわけ「属領」概念を用いることであるとか、戸籍をもたない日本国籍保持者を分析から除外することなどについて、それがなぜ必要であり、そうすることで何が可能になったのかということをより明示して欲しかった。この分析概念設定は、確かに本書の議論の「確からしさ」を高めており、矛盾を減らす効果があっただろう。だが、こうすることで何が見えなくなったのか。台湾人移民、朝鮮の人々の満洲への移民などが語られないことによって、何が見えなくなったのか。そして本書はなぜそれよりも日本戸籍を有する国籍保持者に対象を限定したのか。そこにこそ、著者の本当の問題提起があるものと思われる。
[1] 「受賞の言葉」(http://www.suntory.co.jp/news/article/12785-4.html#shiode、2016年11月10日、2017年7月16日アクセス、以下省略)。
[2] 「毎日出版文化賞の人々 3塩出浩之さん」(2016年11月9日、 https://mainichi.jp/articles/20161109/dde/018/040/026000c)。