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【座談会】東アジアの歴史認識と国際関係--安倍談話を振り返って(上)

August 24, 2016

2015年8月14日に安倍談話が発表されてから、1年が経ちました。

この談話により、国内外でどのような反応が見られ、影響があったのか、そして、グローバルに展開する歴史認識問題に今後日本はどう向き合っていくべきなのか。

政治外交検証研究会では、改めて安倍談話の意味を検証するとともに、東アジアの歴史認識と国際関係について、中国、韓国、米国、欧州の専門家が考察していきます。

※本稿は2016年2月行った政治外交検証研究会の内容を東京財団が編集・構成したものです。

【メンバー】(順不同、敬称略)

  • 川島 真 (東京財団政治外交検証研究会メンバー/東京大学大学院総合文化研究科教授)
  • 西野 純也 (東京財団政治外交検証研究会メンバー/慶應義塾大学法学部准教授)
  • 渡部 恒雄 (東京財団政策研究ディレクター兼上席研究員)
  • 細谷 雄一 (東京財団上席研究員・政治外交検証研究会サブリーダー/慶應義塾大学法学部教授)[モデレーター]

上:安倍談話とは何だったのか

1 安倍談話をどうとらえるか

1-1 各紙はどう報じたか

細谷 はじめに、2015年8月14日に発表された安倍晋三総理による内閣総理大臣談話(安倍談話)を全国紙が社説でどのように取り上げたのかを確認しましょう。

全国紙の中で最も好意的だったのが、「読売新聞」でした。社説の見出しは「反省とお詫びの気持ちを示した」、本文冒頭で「先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう」と書かれていました。

続いて、比較的好意的だったのが「日本経済新聞」です。社説の見出しは「70年談話を踏まえ何をするかだ」となっており、本文中では談話をおおむね常識的に落ち着いた内容だと評価しています。

同紙で興味深いのが、安倍談話の内容が村山談話よりよいと評価していたことです。村山談話が「遠くない過去の一時期、国策を誤り」と記しながら、それが具体的に何を指しているのか明らかではなかったのに対して、安倍談話で「何を反省すべきかをはっきりさせたのはよいことだ」と書かれています。いわば、安倍談話が、村山談話よりも長文で、より具体的な内容となっていることを評価しているといえます。この社説の最後の部分が、国民の一般的な感覚に比較的近いと思うのです。すなわち、「首相は日本という国を代表する立場にある。国民の多数の意見を幅広くくみ取って政権運営に努めねばならない」という部分です。村山談話が歴史認識をめぐる左右の分裂をもたらしたとすれば、安倍談話がそれを収束させて「国民の多数の意見」を表しているとする、肯定的な評価が可能でしょう。

安倍談話に対して最も批判的だったのが、「朝日新聞」です。社説での談話への批判は、他紙と比べて突出したものであったように思えます。他方で、同紙で興味深いのが読者の「声」欄です。安保法制のときは、社説も「声」欄も総動員して、安保法制批判一色でしたが、安倍談話に際しては、「声」欄は安倍談話に好意的な読者の声が掲載されていました。

安倍談話に対して、抑制的でありながらもやや批判的なのが「産経新聞」と「毎日新聞」でした。特徴的なのは、「朝日新聞」「産経新聞」「毎日新聞」のいずれも、歴史談話においてもっと色濃くイデオロギーを出すことを求めていることです。つまり、「産経新聞」は、保守的な立場から、謝罪を強いられ続けるべきではない、謝罪外交をやめようと論じ、もっと安倍総理のイデオロギーを出すべきだと主張しています。いわば、安倍談話はそのような保守的なイデオロギーが不十分であったと、不満を抱いているのかもしれません。他方で、「朝日新聞」と「毎日新聞」は、歴史認識ではもっとリベラルなイデオロギーを出すべきだと主張しています。

また、安倍談話を肯定的にとりあげた「読売新聞」「日本経済新聞」では、談話が周辺国との関係改善の手掛かりとなる、二国間関係の改善に役に立つとしています。

さて、安倍談話に対して、中国、韓国、米国ではどのような反応があったのか、さらに、安倍談話がどういう意味をもったのか、それぞれのご専門からお話しいただけますか。

1-2 4 つの要素とキーワード(植民地支配・侵略・痛切な反省・おわび)

川島 安倍談話発表前の雰囲気を思い出してみると、日本政府・安倍総理に対して、歴史修正主義だという決めつけが内外でかなり強かったと思います。しかし、2015年4月、安倍総理が米国連邦議会上下両院合同会議で演説した直後から、その評価が変化しました。中国や韓国は必ずしもその評価を変えなかったと思いますが、少なくとも欧米、特に米国で、「安倍総理は(総理として)歴史修正主義者」と断言する人は減少したと思います。

戦後70周年の歴史イヤー、2015年は、安倍談話の発表、旧日本軍の(従軍)慰安婦問題での日韓合意などをみると、日本政府・安倍総理は少なくとも欧米からの強い批判を避けながら、大きな失点がなく終わったと私は思っています。

安倍談話の最も大きな特徴は、1931年の満州事変前後を歴史の転換点にしたことです。村山談話や小泉談話は、戦前全体を否定しているように読めなくもない。ただ、1931年の満州事変を歴史の転換の一つの目安にすると、それ以前の日本の対外侵略、たとえば植民地主義を肯定するようにも読める。この点に韓国は反発するし、納得しない方も多いと思います。

1931年を転換点にすることに関しては、私もメンバーであった「21世紀構想懇談会」で議論がありましたが、専門家の感覚の下でのある種の公約数であると思います。その歴史観を示すことによって、国内・国外における歴史におけるさまざまな軋轢や分岐を、無論反論はありえますが、一定程度オブラートに包むことができたのではないかと思います。

安倍談話は4つのキーワード、つまり「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」が注目されましたが、私は構造的には4つの要素から構成されていると思っています。(1)村山談話と小泉談話を底本とし、(2)安倍総理がこの1年で行った演説の内容を盛りこんで矛盾がないようにし、(3)21世紀構想懇談会の提言を組み込んだ上に、(4)さらに新しい内容を詰め込んだのです。新しい内容とは、「謝罪を子々孫々で受け継がない」といった文言で、公明党や自民党の派閥などの主張を勘案して作成されたのが安倍談話だろうと思います。

社会的に注目された4つのキーワード、すなわち「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」がにわかに注目されるようになったのは、メディアによるアジェンダ・セッティングによります。安倍談話は、必ずしも歴史の検証に重点を置いたものではなく、むしろ戦後や未来に重点がありました。しかし、メディアが「通信簿」の評価基軸としてこれらのキーワードを指定し、注目されるようになりました。また、安倍談話の発表が国会会期中となり、安保法制の審議と絡まってしまったこともあるでしょう。そのために、談話の内容についても政治的考慮がいっそう必要になり、世論やメディアのキーワードへの反応をふまえて、おそらく当初考えられていた以上に慎重に言葉選びがなされたのではないでしょうか。

中国も、日本全体の雰囲気を反映して、「日本のメディアの反応を中国政府は重視している」、「日本のメディアが大きく批判するようなものを中国政府は評価することはできない」といったことを伝えてきました。また、2015年7月前後の安保法制の審議の中で出てきた、南シナ海が安保法制の適用範囲に入るか否かということにも中国側は敏感に反応していました。ただ、結果的にみれば、日本のメディアの多くは、談話を肯定的に評価しました。これでは中国からみてもあまり日本を厳しく批判できない。実際、中国からの抗議は原則論にとどまり、メディアの宣伝はあったものの、総じて談話を真っ向から否定するものではなくなったのです。

日中関係で付け加えますと、温家宝元総理が日本の国会で2007年4月に演説したとき、村山・小泉談話を肯定的に評価しています。ただ、まだ、中国政府は安倍談話のことを公的には評価をしていません。

また、1998年の日中共同宣言には、「日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国側は、日本側が歴史の教訓に学び、平和発展の道を堅持することを希望する。双方は、この基礎の上に長きにわたる友好関係を発展させる」と書いてあります。「1995年8月15日の内閣総理大臣談話」というのは、いわゆる村山談話である。日中双方ですでに村山談話を基礎にした関係の発展についての合意はできています。この点には留意していいと思います。

こうした指導者の発言や日中関係の公的文書の中に、すでに位置づけられた村山談話・小泉談話に加えて安倍談話が中国側から公的にどう位置づけられるのかも、今後の日中関係では重要だと思います。

1-3 国内政治と国際関係の影響

西野 朝鮮半島・韓国を専門とする立場からみると、安倍総理が談話を発表することに対する警戒感は、韓国では非常に強かったと思います。

個人的には、安倍談話は比較的バランスが取れている談話だと考えます。その理由のひとつは、国内政治と国際関係の二つが大きく影響したことです。

国内政治については、川島先生が指摘されたように、国会審議の最終段階であった安保法制との関係が大きかったのではないでしょうか。また、細谷先生が指摘されたように、歴史認識をめぐる国内のイデオロギー的な対立が作用した結果、バランスが取れた談話になったのだと思います。それに加えて何よりも、21世紀構想懇談会の報告書の内容がかなり色濃く反映されたことが大きかったと思います。もし、安倍総理の意思をそのまま強く反映していたならば、もう少し保守的な談話になったのではないでしょうか。

国際関係については、安倍総理の海外での演説が重要でした。例えば、2015年4月のバンドン会議での演説、そして最も重要だったのは米国連邦議会上下両院合同会議での演説です。これらの演説は、日米関係やアジアとの関係を考えてつくられたものです。こういった演説の内容が談話に適切に反映されたこともあり、結果的に国際関係と国内政治の2つが、談話を作成する上で重要な力として作用したといえます。

安倍談話の歴史観は、日本人の一般的な感覚からすれば、それなりに常識的でまっとうなものが示されたといえるでしょう。しかし、韓国からみれば、その歴史観は受け入れがたいものがあります。1931年の満州事変までは、日本も当時の世界の大国の一つとして国際社会で役割を果していた、しかし満州事変を契機として誤った道を進んでいった、というような歴史観は受け入れられないのです。

さらに、安倍談話では日露戦争について、「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と書かれていますが、韓国の歴史認識とは正反対です。日露戦争は、日本が帝国主義への道を大きく踏み出し、朝鮮半島支配を強めていく上で極めて重要な出来事であり、その最大の被害者が韓国である、と韓国は認識しています。したがって、安倍談話で示された歴史観は、「到底受け入れがたい」のが、韓国の人たちの率直な感想ではないかと思います。

ただ、安倍談話を読むと、日韓関係が難しい状況の中で、安倍談話発表後の関係改善を見越していた部分があったといえます。それは、戦時の女性の人権問題について2カ所言及された部分です。これは韓国に対するメッセージだったと私は考えています。

興味深いのは、安倍談話が発表された翌日、8月15日に韓国の朴槿恵大統領が、光復節の演説(韓国の大統領としては最も重要な演説のひとつ)で、安倍談話を前向きに評価したことです。「安倍総理の戦後70年談話は、われわれとしては残念な部分が少なくなかったのは事実」と、残念であると表明はしましたが、その次に、「謝罪と反省を根幹とした歴代内閣の立場は今後も揺るぎないということを国際社会にはっきりと明らかにした点に注目します」と朴大統領は述べました。「歴代内閣の立場を揺るぎなく引き継ぐ」に着目をして、その部分を「注目します」という言葉ではありますが、基本的には安倍談話を肯定的かつ前向きに評価したのだと思っています。

ここからうかがえるのは、朴大統領あるいは韓国政府は、安倍談話の発表後には、日韓関係を改善したいとの気持ちがあったということ、そして、安倍談話もそれを念頭に置いたものであったということです。この点を私は評価したいと思います。

実は、朴大統領は8月10日の青瓦台の会議で、「安倍談話が果たしてどういうものになるのか、歴代内閣の立場を引き継ぐようなものになるかどうか注目している」と発言しました。安倍総理は、結果的に朴大統領の発言に応える形で談話を発表しました。いわゆる4つのキーワードに加え、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」と述べたわけですから、深読みしすぎかもしれませんが、日韓の間ではそれなりのあうんの呼吸のようなものがあったのかなと思います。

韓国政府からすれば、2015年の韓国外交を展開する上で、安倍談話を重要なポイントとして注目していました。安倍談話は玉虫色であったがゆえに、韓国としてもある程度評価しやすくなった、その結果、日韓関係が改善につながる流れをつくることができた。したがって、2015年に日韓関係を転換するという観点からみれば、安倍談話は玉虫色ではありましたが、それがむしろポジティブに作用した面があると考えています。

また、安倍談話の「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉は、実は、安倍総理が日韓合意(2015年12月28日)後にも述べており、「安倍カラー」が強く出た部分だと思います。韓国でも、この部分に注目して報道されていました。いわゆる「ゴールポストを動かす」論と密接に結び付けて解釈されたからです。要するに、「韓国はゴールポストを何度も動かすけれども、それではいけない、これで終わりにしなければいけない」ということです。「いつまで後々の世代にまで謝罪を続けさせるつもりなのか」という安倍総理のメッセージだと読むことも可能です。あまり深読みするのは正しい読み方ではないと思うのですが、韓国ではそういう見方がされています。

さらにあえて深読みすれば、その前のパラグラフには、「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います」とあります。これはうがった見方をすると、「果たして韓国はどうなのですか」と問うている、と深読みすることも可能です。裏返せば、「日韓関係においても、韓国がそういう寛容の心を発揮してくれることを心から期待します」という暗黙のメッセージにも受け取れなくもないのです。1998年10月の日韓共同宣言では、小渕恵三元総理が「痛切な反省と心からのお詫び」を述べ、金大中大統領はこの歴史認識の表明を評価し、あわせて戦後の日本の歩みをも高く評価したわけです。安倍談話には、「日韓共同宣言の精神に戻ろう」という思いが込められていたかもしれないと思います。

1-4 米国は安倍談話をどうみたのか

細谷 西野先生がおっしゃった国内政治と国際関係の二つの側面は、おそらく本座談会で重要なテーマだと思います。2015年は安倍談話が発表された年というだけではなくて、東アジアの国際関係の転換の年として記憶される年になるのではないかと私は感じています。

東アジアの国際関係を考える上で重要なのは米国です。日韓関係と日中関係、いずれにおいても米国の存在が大きいと思っています。オバマ政権の東アジアにおける外交政策は、ある程度うまく機能したと思います。安倍政権も米国をかなり意識して、安倍談話を発表したのでしょう。そこで、渡部先生には安倍談話の米国の反応について、米国の東アジア政策を含めてお話いただけますか。

渡部 米国のメディアの安倍談話への反応からお話します。

安倍政権の歴史認識に関しては、「ニューヨークタイムズ」などのいわゆる左、「ウォールストリートジャーナル」などのいわゆる右、その両方からずっと安倍政権の歴史認識は批判されてきました。「ニューヨークタイムズ」からの批判は、リベラルな理念に沿っていないというイデオロギー的な批判が主だった。これは、「朝日新聞」「毎日新聞」と似ています。それに対して、「ウォールストリートジャーナル」からの批判は、日本の「産経新聞」のような保守からのイデオロギー批判ではなくて、リアリスト的観点からの批判でした。つまり、日本が米国の同盟国・韓国と、歴史認識で和解していないのは、米国の国益である地域の安定維持に沿わないという批判です。

そのような米国の安倍総理への批判的な見方への転換点になったのは、すでに触れられていますが、連邦議会上下両院合同会議での演説です。ここで安倍総理が日米の過去の和解を演出することで、少なくも日米の過去については、歴史修正主義者という疑念を払拭したということです。安倍総理はサンフランシスコ講和体制を見直す気はない、ということを再確認したともいえます。

また、米国内で日本の歴史認識問題として重要視されているのは、従軍慰安婦の問題です。なぜ重要なのかというと、それは米国の民主主義を構成する基本的な価値観である、女性の人権を守るという世論に批判者が訴えかけることによって、注目を浴びているからです。リベラルな「ニューヨークタイムズ」が関心をもつのも当然です。ですから、安倍談話が発表される前の米国のリベラル系のメディアは、日本、特に安倍政権に厳しかった。そして、米国の保守系メディアも人権の尊重という価値観は共有している上に、米国の安全保障の国益上、北朝鮮や中国に対抗する上で日韓関係の改善を強く希望しているため、日本には厳しかった。この米国の左右両翼からの要請は安倍政権、そして自民党に影響したのは間違いないと思います。それが、安倍総理の米国議会での演説の内容にも影響し、その演説によって、米国の否定的な見方が大きく改善されるのです。

この演説は、第二次世界大戦後の日米の和解を強調しました。特に硫黄島守備隊の総司令官・栗林忠道氏の孫の新藤義孝衆議院議員と、硫黄島で戦った退役軍人の方を招待して日米の和解を演出しました。このとき、おそらく韓国と韓国系米国人にはかなり不満があったと思います。

韓国系米国人を支持者に多く抱える米国下院のエド・ロイス外交委員長は、安倍総理の議会演説の当日は親族の葬儀で欠席したのですが、その後、演説にはアジアとの和解が入っていないという批判のステートメントを発表しています。その中で、特に従軍慰安婦に関しての謝罪の文言がないことを強調していました。安倍総理の演説をよく読むと、従軍慰安婦に関してはあまり触れていません。その代わり、日米首脳会談後のオバマ大統領との共同記者会見において、安倍総理は、従軍慰安婦に関してかなり踏み込んだ反省的なコメントをしています。ここでバランスを取ったのだと思います。韓国系米国人に近いロイス委員長は厳しい反応をみせましたが、おそらく安倍総理の記者会見も聞いているリベラル系のメディアは、それほど厳しく反応せず、むしろ比較的、好意的な記事を掲載しました。

また、米国連邦議会での演説の成功が韓国国内にも影響して、朴政権の外交姿勢に対しても、あまり日本を叩きすぎると米国との乖離をもたらすというような認識をもたらし、よい影響を与えたと思います。中国もこの点はよく認識していたかと思います。おそらく、ここで日米での歴史認識での和解というワンステップがあり、戦後70周年の安倍談話への好意的な反応の布石になっているのだと思います。

安倍談話への米国の反応で興味深かったのが、「ニューヨークタイムズ」の反応です。このリベラル系の新聞は、それまで安倍総理のことを書くときには必ず、枕詞のように“outspoken nationalist”(遠慮なくものをいうナショナリスト) という言葉を添えるほどの反安倍色の強い新聞なのですが、今回は社説で談話についてまったくコメントをしなかったのです。理由はわかりませんが、肯定的に評価するほどのものではないが、批判をするほどのものではない、と判断したのかもしれません。これは安倍談話が米国では肯定的に受け入れられたことの証左だと思います。

それがわかるのが、同じリベラル系の「ワシントンポスト」の社説での評価です。極端に否定的ではなく、比較的肯定的なものでした。社説は、安倍談話について、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました……こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」といっているわりには、「安倍総理の言葉の謝罪が入っていないのは悲しい」と指摘します。談話の中の「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という安倍総理らしい保守的な部分にも引っ掛かっているのでしょう。しかし、「安倍総理は、アジアの近隣の『何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実』を認めており、全体としてみれば、今回の談話は彼の歴史観に批判的な人たちが事前に懸念したよりも、はるかに融和的で、ナショナリズムが弱いものだ」という評価を下しています。

「ワシントンポスト」の政治的立ち位置はリベラルですが、安倍政権に対してはアジアの国際関係のリアリズムの中で冷静に観察しています。そもそもこの社説は、中国が日本の歴史認識を批判する一方で、文化大革命による犠牲者などの自分たちの過去には向き合っていないというダブルスタンダードにも触れ、国家がみずからの否定的な過去に向き合う難しさも指摘しています。そして、日本が憲法解釈を変えて、アジアの安全保障により積極的に協力することを社説は支持すると強調し、だからこそ、日本は近隣の不必要な懸念を起こさないように、戦前の歴史を書き換えないようにすることが重要だと述べています。これはオバマ政権の考え方にも近く、アジア情勢をよく知っているワシントンの専門家のコンセンサスの反映でもあり、今回の談話はそれらの立場からはかなり良い評価を得たと考えていいと思います。

米国のアジア専門家たちの発言をみると、安倍政権に批判的な人ほど、今回の談話に関しては一定の評価をしています。彼らは、直接安倍政権の歴史認識に関して憤りをもつというよりは、それによって日韓関係や日中関係を悪化させて、むしろ米国のアジアでの影響力が弱まることを恐れる人たちです。今回の談話はそれらの懸念を払しょくしたということが重要です。談話の発表後、中国もそうですが、特に韓国との関係改善が進んだこともあり、米国のメディアでの安倍総理の歴史認識の姿勢への批判や懸念の声は収束しており、よほどのことがない限りは、それがぶり返すことはないだろうという段階まできたとみています。

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2 歴代総理談話と安倍談話の違いは何か

細谷 村山談話と安倍談話との違いを理解することも重要です。

「朝日新聞」、そして村山富市元総理自身は、安倍談話よりも村山談話のほうがはるかにいい内容だと認識しており、それを前提に、「朝日新聞」は社説で、何のために安倍談話を発表したのかと批判していました。他方で、現代の国際環境の中で、日中関係や日韓関係を改善し、さらに米国との関係も好転させるためには、ただ単に村山談話を肯定しただけではおそらく十分ではないと思います。というのも、安倍総理は2015年の年頭記者会見ですでに明確に、村山談話をはじめとした歴代の内閣の政権の立場を引き継ぐ、と発言しています。ですので、村山談話を継承すると述べただけでは意味がなく、現代の国際関係を考慮に入れてプラスアルファの言葉を含めることが不可欠だったのだと思います。

村山談話と安倍談話の連続性や関係性、そして評価の違いを適切に理解することは、実は難しいのだろうと思います。というのも、安倍総理自身がこれまで村山談話には批判的だったからです。村山談話と安倍談話の連続性や違いから、どういうことがいえるでしょうか。

2-1 4つの特徴

川島 村山・小泉談話以外に、総理談話には、宮澤談話、あるいは日韓の間での菅談話などもあります。今回、安倍総理が内閣総理大臣談話というスタイルにしたことは、明らかにこれまでの談話を継承したものだと思います。以前に、総理の意思を反映しやすい「内閣総理大臣『の』談話」にするという話もありましが、結局は内閣総理談話という形式を取りました。また安倍談話でも「歴代内閣の立場は今後も揺るぎないものであります」とはっきり言っており、これまでの談話を継承するかたちになっています。実際、明らかにひな型として村山・小泉談話が用いられています。そういう意味で大枠は歴代の談話を引き継いでいると思います。

ただ、これまでの談話と比べて4つの違いがありまして、それが安倍談話の特徴でしょう。1つめは、大きな歴史観を提示していることです。従来の談話は、日本が戦後になって生まれ変わった、つまり戦前と戦後に近現代史を分けて、戦後部分を肯定するというスタイルでした。それに対して安倍談話は、戦前部分、1931年あるいは1920年代末ぐらいからの日本が道を誤ったとしました。つまり、明治時代以来の近代日本を考えると、1920年代末から満洲事変の時期までは、そこまで大きく道を踏み外していないという歴史観を示しました。これは明治期から植民地をもった点、他国を侵略した点で、韓国や近隣諸国からは批判を受けるにしても、これまでの談話との大きな違いだろうと思われます。

2つめは、安倍談話には、昨今の国際情勢や安倍政権の安全保障政策が大きく反映されていることです。特に、最後のほうで「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」、つまり近代日本は国際秩序に同調、あるいはその中の貢献者であったはずが、ある時期に挑戦者となってしまったことを反省し、戦後は挑戦者にならずに貢献者になったことを強調しています。これは大きな論点です。当然ながら、昨今の国際情勢の大きな変化を念頭に置いて、日本は既存の国際秩序を重要視していることを主張し、「日本はけっして挑戦者になりません」と歴史的に説明しているようでもあります。これは同時に、挑戦者になるかもしれないような国や存在に対して批判をしていることにもなります。

さらに、「経済のブロック化」という言葉が2回も出てきます。日本自身が自由貿易に裏打ちされた経済のルールを守っていることを強くアピールしている。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)という、現政権にとっての政策課題を念頭に置いてのことだと思います。また、核や軍事の問題について、「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り……」という文言もまた、現政権にとっての政策課題である、安保法制を視野に入れているわけです。これらの点で、安倍談話は、これからの日本も戦後以来の歩みをけっして変えないということを、安保法制やTPPという現政権の政策課題を念頭に置きつつ述べているように読めます。これらの点は、村山談話にはなかった点であると思います。

3つめは、継承点ともいえる「和解」に関してです。村山談話も「和解」という言葉を使っているのですが、安倍談話は、先ほどの議論にあった「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としています。しばしば、内外のメディアでは、この部分だけを取り上げて、戦争を忘れていいと安倍談話が述べている、としたものがあります。しかし、それはこの言葉に続くフレーズをみれば違うとわかるでしょう。それは、「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」という部分です。これは和解へ向けての発想に基づいています。つまり、過去をきちんと受け止めて、それを語り継いでいく、周りの国々の人たちに感謝をする、そして安倍談話に多く盛り込まれた、周りの人々の寛容に感謝する、ということです。これは和解の基本です。安倍談話では、和解という言葉だけでなく、内容まで踏み込んで書かれているわけで、そのコンテキストの中で「謝罪という行為だけではない」と言っています。和解をキーワードにし、その内容を談話の中心に据えてきたことが安倍談話の特徴です。

4つめは心配な点で、和解の試みに対するフォローアップに関してです。村山談話は、1995年のものが有名ですが、94年にも村山談話があったことは知られていません。94年の村山談話に基づいた実際の和解への試みとして、平和友好交流事業が展開されました。かなりの予算が充当され、一定の成果をあげました。21世紀構想懇談会の提言書にも、この平和友好交流事業とも繋がるような提言が書かれています。安倍政権が長期政権になり、どのぐらい続くかはわかりませんが、国民レベル、市民レベルのさまざまな交流、和解の実際の試みに対する予算を、どのくらいバックアップしているのか、注視しなければならないと思います。

このほか、5つめを挙げるとすれば、言語です。村山談話は日本語で発表し、その後英文にも訳されましたが、日本語でという意識が強かったのです。今回の安倍談話は明らかに言語的な効果を意識しており、英語・韓国語・中国語バージョンをつくりました。特に韓国語、中国語バージョンの発表場所はソウルと北京の日本大使館でした。これは、違う翻訳バージョンをつくらせない、安倍談話の外国語の底本を日本がつくる、そして外国の方々に理解してもらう、という3つの要素をかなり強く出したものと思います。そういう意味では、パブリックディプロマシーを意識しており、村山談話から変化した点だと思っています。

細谷 安倍談話は緻密に練られた文章であったことがわかりました。この緻密なロジックをしっかりと検証していくことが重要だと思います。結果として、これが基礎となり、日中関係や日韓関係が改善したことを考えれば、川島先生が発言されたような緻密なロジックを中国政府も韓国政府も肯定的に受けたということが理解できると思います。続いて西野先生、いかがでしょうか。

2-2  アジア向けから国際社会全体に向けて

西野 いま川島先生が指摘された安倍談話の特徴のうち、1つめの歴史観の違い、2つめの国際秩序の問題を念頭に置いて、日韓関係の文脈に引き付けて考えてみると、安倍談話の歴代談話との違いは、オーディエンス、つまり対象とする相手、聞き手が異なる点だと思うのです。

安倍談話は米国を中心とする国際社会全体を強く意識しているのに対して、村山談話や小泉談話は基本的にはアジア向けなのです。その結果、受け手、聞き手によって、談話に対する受け取り方や認識はだいぶ変わってくることになります。韓国との関係についていえば、安倍談話が示した、満州事変以前の日本はそれなりに国際秩序には順応していたし秩序構築者であった、という歴代総理談話と異なる歴史認識は、韓国が認識する「日帝」つまり日本帝国主義という歴史観と真っ向から衝突することになりました。すなわち、従来から異なっていた日韓の歴史認識の違いがより際立つことになったのです。先ほどの日露戦争に対する評価の違いとも密接に結び付く部分です。

歴代総理談話との違いという点では、「積極的平和主義」も挙げることができます。小泉談話でも、国際社会への貢献は謳われていますが、やはり安倍政権のトレードマークである「積極的平和主義」という言葉は、安倍総理が談話の中で強く言いたかった部分だと思います。

それから、川島先生が4つめに心配な点として指摘された部分は、私も同感です。安倍談話をフォローアップする実質的な措置が取られるのかどうか。残念ながら、その後あまり具体的な措置が出てきていません。21世紀構想懇談会の報告書では、川島先生が力を入れた部分だと思いますが、歴史教育、歴史共同研究、青少年交流事業などが重要だと指摘されています。韓国側にも、歴史共同研究をやりたいという考えがあります。フォローアップ措置・政策が出てくれば、安倍談話がより意味あるものになると考えています。

2-3 地域の秩序とバランスの重視

渡部 西野先生が指摘された「積極的平和主義」に関わる話ですが、村山談話になくて安倍談話にあるのは、リアリズムだと思うのです。特に地域のバランス・秩序を重要視しています。具体的には、「事変・侵略・戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」というところです。これは日本だけではなく、すべての国家に当てはまるところが重要だと思います。

先ほど川島先生が指摘されたように、いまの秩序に対する挑戦者は日本ではありません。むしろ、日本は米国の同盟国として秩序を守る側にいる。これが「積極的平和主義」の背景にある現在の国際社会の基本的な構造です。日本は、専守防衛の基本方針を維持しながらも、地域の安定のために前向きに協力する。例えば、東南アジアへの能力構築支援や地域の海洋安全保障の公共財の提供を、米国および地域の関係国と協力して遂行していくのが積極的平和主義です。日本が今後のアジア太平洋地域の国際秩序にどのように関わっていくのかを、明確に文言に入れたのが最大の違いではないでしょうか。

韓国が日本の「積極的平和主義」を容認していくのは国民感情からみれば、容易なことではないと思います。第一次世界大戦後、1920年から日本は国際連盟の常任理事国として世界の秩序を維持する側にいましたが、その10年前の1910年に日韓併合を行いました。日韓併合は、当時の国際常識としては、国際秩序を維持する一つの方法として他の国も認めていたことではありますが、現在のルールにおいては容認されるものではないし、当事者である韓国の方々には耐えられないことです。ですから、特に韓国との関係の重要性を考えれば、日本の「積極的平和主義」との関わりの中で、歴史認識は慎重にしなければならないと思います。西野先生が指摘された韓国側が謝罪を受け入れることの難しさと重要性に同感します。

先日、ドイツのメルケル首相が来日して講演をしたときに、「日本は近隣諸国との歴史認識をどう解決したらいいと思うか」という質問に対して、メルケル首相は、「ドイツが欧州の中で和解ができたのは、近隣の国がそれを受け入れてくれたから」と発言されました。この発言が示唆することは、韓国にとっては和解の受け入れは難しいだろうが、日本の反省と同様に重要だということです。おそらく韓国や中国は、ドイツの近隣への姿勢が、日本の謝罪や反省のモデルケースになるべきと考えてきたと思いますが、メルケル首相の発言は、謝罪を受け入れる側の姿勢も大事であるという、和解の本質に迫り、かつ韓国にとっても容易ではない行為の必要性を指摘して、答えにならない答えを出したのです。謝罪を受け入れる側の韓国のほうが、謝罪する側の日本よりも、それに抵抗・反発する大きな国民感情という機微に触れる難しい問題を抱えていると思われるからです。

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    • 政治外交検証研究会メンバー/東京大学大学院総合文化研究科教授
    • 川島 真
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    • 政治外交検証研究会メンバー/慶應義塾大学法学部専任講師
    • 西野 純也
    • 西野 純也
    • 元東京財団上席研究員・笹川平和財団特任研究員
    • 渡部 恒雄
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    • 細谷 雄一/Yuichi Hosoya
    • 元 研究主幹、政治外交検証研究会幹事 / ポピュリズム国際歴史比較研究会幹事
    • 細谷 雄一
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