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現職米大統領が暴力を用いて議会主義を侵害した2021年の連邦議会議事堂襲撃事件は世界中に衝撃を与えた。米国の民主主義は危機に直面し、それが他国に伝搬している。一方で、議会制民主主義が批判され、それが形骸化する危惧はなくなっていない。民主主義の現状とは。政治の分断が深刻化する米国と、比較的民主主義が安定していると指摘されることが多い日本の政治を比較分析し、政治や社会が不安定化する要因を探る。 ※本稿は、2023年2月10日に開催した「歴史分析プログラム」ウェビナー「日米における民主主義とポピュリズムの現状」の内容を東京財団政策研究所が構成・編集したものです。 |
【登壇者】(敬称略、登壇順)
板橋拓己(東京財団政策研究所歴史分析プログラムメンバー/東京大学教授):モデレーター兼コメンテーター
竹中治堅(東京財団政策研究所歴史分析プログラムメンバー/政策研究大学院大学教授)
三牧聖子(同志社大学准教授)
民主主義の危機を考える——政治社会が不安定化する要因とは
板橋拓己 東京大学教授(以下、板橋) いま世界はロシアのウクライナ侵攻で将来の見通しが不透明になると同時に、欧米先進民主主義諸国でも政治の二極化やポピュリズムの台頭、陰謀論の浸透など民主主義が危機に直面しています。そのような状況について、歴史的な視座から相対化をして捉え直すことで、冷静に現状を理解すると同時に問題の本質を抽出することが容易になるのではないか——こうした問題意識から、東京財団政策研究所歴史分析プログラムでは、歴史的観点から民主主義の危機を考えるウェビナーを2回シリーズで開催することにしました。第1回は、2月2日に「危機の中の民主主義――戦間期の経験から」と題して、政治外交史研究の最先端の成果を活用して日本と欧州の戦間期の経験を振り返りました。第2回の本ウェビナーは、戦間期から現在に戻り「日米における民主主義とポピュリズムの現状」をテーマとします。
ドナルド・トランプ大統領(当時)による米連邦議会議事堂襲撃事件から2年が経過しました。現職大統領が暴力を用いて議会主義を侵害したことは、世界中に襲撃を与えました。一方で、議会制民主主義が批判され、それが形骸化する危惧はなくなっていません。本ウェビナーでは、歴史的な知見も活用して民主主義の現状を検証し、政治の分断が深刻化する米国と、比較的民主主義が安定しているといわれる日本の政治を比較分析し、政治や社会が不安定化する要因を探ります。
最初に、三牧先生から報告いただきます。
トランプは去っても「トランピズム」は残る——米国民主主義の危機
三牧聖子 同志社大学准教授(以下、三牧) 「米国政治とポピュリズム」をテーマに3つの論点を提起します。
第1の論点は「トランプは去っても『トランピズム』は残る——米国民主主義の危機」です。トランプ前大統領は2024年の大統領選挙に出馬することを表明していますが、かつてのような影響力や勢いはありません。しかし、いまの米国の政治社会に「トランピズム」は様々に残っている、すなわち、米国の民主主義の様々な危機がみえている状況です。
現ジョー・バイデン政権は、対外的には民主主義のリーダーとして民主主義国の結束を固めようとしており、2021年11月には民主主義サミットを開催しました。しかし、その足元で米国の民主主義はゆらいでいます。
米調査機関ピュー・リサーチ・センターによる2021年夏の世論調査をみると、日本を含む先進国で「米国は、かつては自分たちにとって民主主義のモデルだったが、今日ではそうとはいえない」と回答する人が5〜7割います。米国の自画像と世界の米国像が食い違っています。
スウェーデンの民主主義・選挙支援国際研究所(IDEA)は2021年版の報告書”Global State of Democracy Report”で初めて米国を「民主主義が後退している国」に分類しました。2021年1月の連邦議会議事堂襲撃事件が大きなインパクトになったということです。この事件は、「2020年大統領選で大規模な不正があった、選挙が盗まれた」というトランプ氏の訴えかけに呼応して、暴徒たちが議事堂を襲撃して死者が出た事件です。これが米国の民主主義にとってターニングポイントとなり、世界がみる米国像に影響を与えています。
なお、トランプ氏の「選挙が盗まれた」という呼びかけに、日本でも呼応する人たちが現れて、各地でトランプ氏を支持するデモがみられました。これはひょっとしたら米国から伝播する民主主義の危機の兆しが日本でも現れているのかもしれない、ということで、あくまで問題提起ということで言及しておきたいと思います。
States United Democracy Centerの調査によると、2022年11月の中間選挙で、連邦・州レベルで立候補した共和党候補のおよそ半分の300人近くが2020年大統領選に何らかの疑義を呈する「選挙否定派(election deniers)」でした。自分が敗北した場合には、不正選挙を疑うと宣言して立候補する候補すらいました。「トランピズム」が米国政治から去るどころかむしろ強まり、拡大しているといえる状況が中間選挙でみられました。
いくつか世論調査をみながら米国の民主主義の現状をさらに探ります。
ピュー・リサーチ・センターが2020年大統領選直前の11月に行った調査結果をみると、「トランプとバイデン、自分が応援していない候補が勝ったら破滅的な事態となる」と回答する割合が、トランプ支持者で89%、バイデン支持者で90%でした。平和的な権力の交代は民主主義の中核的な要素の1つですが、自分が応援していない候補が当選したら破滅的だと考える人がこれほどいる。これを突き詰めたところにあったのが、議会議事堂襲撃という暴力でした。自分が支持していない政党候補が勝ったとしても、選挙の結果を尊重する雰囲気、選挙そのものへの信頼が失われつつあることが示されています。
2022年の調査結果をみると、「政府への暴力は基本的にはいけないけれども、場合によっては許容されうる」と回答する人の割合が、1995年の10%から徐々に増え、2021年には実に34%がそのように回答しています。一方、「決して許されない」と回答する人の割合は1995年には約90%であったのが、2021年には62%まで減少しています。暴力を容認する風潮も生まれています。
2023年1月にブラジルで起こった大統領府・議会議事堂襲撃事件は明らかに米国の議事堂襲撃を意識した試みでした。つまり、いまの米国は民主主義のお手本どころか、選挙否定のモデルになっている。歴史的に米国は、世界に民主主義という普遍的な価値を広める盟主を自認してきたわけですが、むしろ今は、米国から民主主義の危機が「輸出」されているという見方も可能なのではないかと思います。
「ポピュリズム」で動かせない人権問題——中絶の権利
第2の論点は、「『ポピュリズム』で動かせない人権問題——中絶の権利」です。人権は本来、誰にでも等しく尊重されねばならないものです。しかし、いまの米国では9名の判事から成る最高裁と、世論や人権の問題が実に複雑な関係になっています。それが端的に表れるのが人工妊娠中絶の問題です。
2022年6月24日、米連邦最高裁判所が中絶を憲法上の権利と認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を破棄しました。これにより、州による中絶制限が可能になりました。「ロー対ウェイド判決」が破棄されたその瞬間から、最高裁がそのような判断を下した場合に自動的に発効する法律(トリガー法)を事前に成立させていた州を中心に、多くの州で中絶が制限され、いまも続いている状況です。
米国の中絶制限は世界の人権の流れに逆行する動きといえます。Foreign Policy誌(2022年6月24日)によると、この30年間で中絶へのアクセスを拡大した国は非常に多い。中でもラテンアメリカは宗教上の問題などから中絶を厳しく制限する国が多かったのですが、この数十年間、マレア・ベルデ(「緑の波」の意)と呼ばれる市民運動を重ねた結果、安全な中絶、人工妊娠中絶へのアクセスが徐々に確立されてきました。一方、この30年間で中絶へのアクセスが制限された国は数が少なく、しかも、ロシアや北朝鮮など、米国が民主主義や人権を尊重しない国として批判してきた国々です。つまり中絶問題において米国は、これらの国々と「価値を共有する」状況になってしまっているわけです。
「ロー対ウェイド判決」への支持は米国社会にも定着してきました。調査会社ギャラップの2021年の調査によると、1989〜2021年にかけて、6割前後の支持が安定してみられてきました。支持しない人は3割前後です。また、中絶制限を支持する人も、いま一部の保守的な州で行われているような、例えば中絶手術を行った女性や医師を罰するといった極端な中絶制限を支持する人はごく少数派です。しばしば米国は「中絶支持」と「中絶反対」とに分断されているといわれます。間違っているわけではないのですが、無制限の容認とあらゆる中絶の反対の間には大きなグレーゾーンがあり、大多数の国民がここに属しているといえます。こうした共通項に目を向けることも大切です。
こうした世論であるにもかかわらず、最高裁は「ロー対ウェイド判決」を破棄する判決を下しました。世論と最高裁の関係も緊張関係にあるということです。
判決を下した最高裁をみると、トランプ時代に3名の若い保守派の判事が決定的な役割を果たしています。日本でもよく知られているリベラル派のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事の後任に、保守派で中絶反対を唱えるエイミー・コニー・バレット判事が就きました。こうした判事の交代による保守化が判決の背後にあります。
ポピュリズムと外交——ウクライナ支援をめぐる米世論
最後に、第3の論点「ポピュリズムと外交——ウクライナ支援をめぐる米世論」です。
ウクライナ戦争が米国にもたらした衝撃は「2001年の9・11同時多発テロ事件以来の超党派の動きをもたらした」とも表現されます。いまの米国政治において与野党はほとんど何でも対立していますが、ウクライナ戦争に関しては、ウクライナを超党派で巨額の軍事支援を支えてきました。
しかし、2022年5月頃からトランプ氏およびその周辺を中心に、「米国第一」の声が高まってきました。例えばトランプ氏は5月13日、ウクライナへの支援を批判して「民主党はウクライナに400億ドルを送ろうとしているが、米国の親たちは子どもたちに食事をさせるのさえ大変なのだ(中略)米国第一!」と主張しました。同月19日、ウクライナ支援を強化する400億ドル規模の追加予算案が可決された際には、トランプ氏に近い共和党議員を中心に反対票が増加しました。上院の共和党議員50人のうち11人、下院の共和党議員208人のうち57人が反対票を投じました。
現在も「ウクライナ支援は継続すべきだ」という意見が一貫して多数派ではありますが、細かくみていくと、「米経済に打撃があっても有効な対露制裁を追求すべき」という人はだんだん減っており、代わって「対露制裁の効果が減じても米経済への影響を考慮して制裁を行うべきだ」という世論が強まっていることを示す調査結果もあります。
懸念はこうした「支援疲れ」だけではありません。共和党支持の右派たちの間には、ウラジーミル・プーチンロシア大統領への価値的な共鳴がみられます。人権や民主主義といった価値を重視せず、むしろ権威主義的な統治体制にシンパシーを示してきたトランプ氏はウクライナへの軍事侵攻の直前までプーチン大統領を「天才」と称賛するような言動をしていました。こうしたトランプ氏の姿勢も大いに反映する形で、侵攻直前の2022年1月20〜24日に行われたヤフーニュース/YouGov(ユーガヴ)の世論調査によると、共和党支持者の62%がプーチン大統領をバイデン大統領より強いリーダーだと回答しました。共和党支持者はバイデン大統領よりプーチン大統領に好意的なまなざしを向けていたということです。
フォックステレビの有名なアンカー、タッカー・カールソン氏はその典型です。2022年12月の時点でも、「プーチンには侵攻するつもりはない」「バイデン政権の過剰反応」と発言するなどしていました。ウクライナ支援が党派的に議論される政治の現状があります。こうしたトランプ氏やカールソン氏の言動はロシアにとって好都合なので、ロシアの国営テレビでも切り取られてプロパガンダに使われてしまっている状況です。
保守主義者や右派が広く集う全米保守行動会議(CPAC)が2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻と前後する時期に開催されて、トランプ氏と次期大統領選有力候補といわれるフロリダ州知事ロン・デサンティス氏などが登壇しました。しかし、ウクライナ侵攻という衝撃的な事態にもかかわらず、そこでも登壇者の批判の矛先はウクライナを侵攻したプーチン大統領ではなく、米国の内なる脅威として民主党の「ウォーク(woke: 目覚めた)・リベラル」といわれる急進左派に向けられました。共和党を支持する右派たちの内向化が端的に示された形です。こうした傾向は、超党派で支えてきたウクライナ支援に影を落としていくかもしれません。冷戦時代以来の「盟主」意識を持つバイデン大統領のもとで、米国はウクライナに未曾有の支援を行ってきましたが、今後はどうなるか。不安材料はたくさんあるようです。
板橋 ありがとうございました。つづいて竹中先生、お願いいたします。
■続きはこちら→第2回「日本の民主主義への一視角」(竹中)