R-2021-084
中国経済は基本的に輸出依存で俗に「外向型経済」といわれている。2021年、中国の国際貿易額(輸出+輸入)は6兆515億ドル(前年比30.1%増)、貿易収支は6,764億ドルの黒字だった(中国海関総署)。コロナ禍にもかかわらず中国輸出製造業のパフォーマンスは予想以上によかったと評価できる。
これだけ大規模な国際貿易を順調に伸ばすには、サプライチェーンの安定を維持するだけでなく、人民元の外国為替レートの安定を維持する必要がある。外国為替の安定は貿易黒字国の事情だけでは実現しないものである。とくに、中国にとって絶対に日本の轍は踏みたくない。日本はかつて対米貿易について順調に黒字を拡大させていたが、アメリカ政府が仕掛けた貿易摩擦に加え、円高圧力をかけられ、深刻な不況に陥った苦い経験を喫したことが記憶に新しい。
そして、1997年タイ・バーツの暴落を発端とする通貨危機はアジア諸国の経済を襲った。ヘッジファンドによってアジア諸国の通貨が売り込まれ、多くの国の通貨為替レートが暴落し切り下げ競争が展開された。外貨不足を補うために、アジア諸国はIMFに支援を要請したところ、IMFはアジア諸国に対して財政の健全化を求めた。その結果、危機はさらに深刻化していった。
アジア通貨危機の教訓の一つとして、過度な対米依存は経済危機につながる恐れがあると認識された。当時、アジアでは、ワシントン・コンセンサスに対する批判が高まった。それ以降、新たな通貨危機に陥らないように、日本がリーダーシップをとってアジア諸国の間で通貨スワップ協定が結ばれた。俗にチェンマイ・イニシアティブといわれるものである。要するにこの協定においてアジア諸国の間で約束された通貨スワップによって外貨不足に陥った国を助け合う考えである。結論をいえば、アジア通貨危機はヘッジファンドの投機によって引き起こされたと総括されたが、本源的には過度な対米依存が問題だと思われている。
それ以降、アジア諸国は通貨スワップ協定に加え、アジアのコモンマーケットの構築に取り組み、域内の自由貿易協定(FTA)が多数結ばれた。それとは別に、中国人民銀行(中央銀行)はドルへの過度な依存を徐々に減らすように、人民元の国際化を進めている。それは国際貿易の決済において為替リスクを管理し、人民元決済をスムーズに進めるための取り組みである。
現在、クロースボーダーの金融決済はスイフト(SWIFT)[1]経由で行われている。中国も例外ではない。中国人民銀行はSWIFTを補完する決済システムとして人民元クロスボーダーシステムとしてCIPS(Cross-border Interbank Payment System)を構築している。CIPSは2012年から整備を始められ、2015年に正式に稼働した。2020年末現在、CIPSに加入する国内外の金融機関は1092社に上る。CIPS経由で処理された人民元決済の金額は、図に示したように、その金額は増えているものの(2018年26.45億元→2020年45.27億元)、中国の貿易総額に比べ、きわめて少額といわざるを得ない。このことから、CIPSは目下、実験段階にあり、あくまでもSWIFTを補完するツールでしかないと思われる。
図1 CIPSによる人民元決済の処理額(2018-2020年)
資料:中国人民銀行
それに対して、SWIFT経由で決済された金額は1日あたりの平均は5兆ドルに上るといわれている。SWIFTは決済にかかわる情報処理システムであり、1日あたり約4200万件の情報が処理されているといわれている。このことからもわかるように、中国が構築しているCIPSは既存のSWIFTにとって代わるものではない。あくまでもSWIFTを補完する一つのツールである。
ただし、中国人民銀行は人民元の国際化を進めているのが確かである。中国国際貿易にもっとも貢献しているのは多国籍企業などの外国企業の直接投資である。中国が輸出するエレクトロニクスの製品と部品の6割強は多国籍企業によるものであるといわれている。東域内の国際貿易であれば、ドルのボラティリティの大きい局面において多国籍企業でも人民元決済を受け入れるインセンティブが働くはずである。
むろん、CIPSをより完全なものにするには、システムの処理能力の拡充、システムに加入する金融機関の増加、システムのセキュリティの強化などたくさんの課題が残っている。目下、人民元決済が注目されるのは、人民元国際化の進捗に加え、ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけにロシアの多くの銀行がSWIFTから排除され厳しく制裁されていることと関係する。すなわち、将来、中国が台湾に侵攻した場合、ロシアと同様に中国もSWIFTから排除されるかどうかが注目を集めている。そうなった場合、中国はCIPSを活用するだろうが、制裁から逃れられるかどうかについても検討されなければならない。
SWIFTから排除されたロシアの苦境を目にした中国は当然のことながら、CIPSの構築を急ぐ考えであろう。中国が台湾に侵攻するかどうかは別として、米中対立が先鋭化するなかで、いつアメリカから金融制裁を食らうかはわからないため、備えておく必要がある。とくに、中国からみると、SWIFT経由の貿易決済はアメリカの金融当局にモニタリングされている心配がある。機微な貿易取引について自前のCIPS経由で処理されたほうが安心できるメリットがある。
結論をいえば、中国人民銀行によるCIPSの構築は、将来の金融覇権を握る目的もあろうが、近い将来、日米欧によって制裁される痛みを緩和する狙いと国際貿易を拡大させる目的に基づいて進められている。むろん、これまでの論考でも指摘したように、人民元の国際化を実現するには、中国国内の金融制度改革と国際社会から信用される金融市場と金融システムの構築が不可欠である。それにはより長い時間と労力がかかると思われる。それでもCIPSの構築は有意義な取り組みであると認められよう。
[1] スイフト(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication SC)とは、全銀協によると、「銀行間の国際金融取引に係る事務処理の機械化、合理化および自動処理化を推進するため、参加銀行間の国際金融取引に関するメッセージをコンピュータと通信回線を利用して伝送するネットワークシステム」である。
※本Reviewの英語版はこちら