R-2024-079
・金融政策対応の評価を巡って ・財政という難問 |
金融政策対応の評価を巡って
日銀による金融政策対応を評価する部分について考えてみよう。ここで最も注目されるのは、言うまでもなく「異次元緩和」と呼ばれた大規模緩和の効果だ。ただ、最初に述べておく必要があるのは、この分析の評価は大変難しいという点である。もちろん、当初に掲げた「2年程度で2%の物価目標を達成する」という目標を達成できたか否かであれば、これは失敗というほかない。しかし、「異次元緩和を行なったメリットとデメリットのどちらが大きかったか」に答えるのは簡単でない。我々は異次元緩和を行った結果は知っているが、異次元緩和を行わなかった場合の日本経済について知る方法がないからだ。結局、異次元緩和を行わなかった場合の日本経済の姿をモデルを使ってカウンターファクチュアル・シミュレーションとして計算する他ない。実際、日銀もこの方法で評価を行っているのだが、それはどうしても「モデル次第」ということになってしまう[1]。
今回の報告書やその背景となる研究をみる限り、日銀が恣意的なモデルを使って自らに有利な結果を導いていると筆者は考えない[2]。しかし、そもそも完全に中立的な分析とは何かと考えること自体が困難だろう。この点、興味深いのは、シカゴ大学や欧州中央銀行(ECB)の研究者らによって書かれた“Fifty Shades of QE”という論文だ[3]。この論文によれば、中央銀行の研究者とアカデミックな学者の量的緩和に関する研究を比較すると、①中央銀行の研究者達は量的緩和のインフレ率や産出量への影響をより大きく評価する傾向があり、②量的緩和の効果をより大きく評価した論文を書いた中央銀行の研究者は、組織内で出世する傾向がある、③中央銀行の管理者は、研究内容に強く関与している、という。日銀のケースはよく分からないが、その分析結果を丸のみすることはできないであろう。
もう少し具体的に考えると、実質輸出の為替レートへの反応度や設備投資の実質金利への反応度は低下している可能性が高いが、この場合、モデルにどのようなパラメーターを用いるかという問題が生じる。これはモデルの計測期間に依存するし、固定パラメーターを使うか、可変パラメーターを使うかも影響するだろう。それから本稿(上)では、日本の場合、インフレ率の上昇が消費性向の低下につながる可能性があると述べたが、理論的には実質金利の低下は消費性向を上げると考える方が自然である。また、後述の予想インフレ率の場合は、理論的にはforward lookingと仮定することが望ましいが、実際に計測するとbackward lookingの程度を高めた方が当てはまりがよいという傾向がある。
もう一つの論点としては、日銀が8年前の「総括的検証」[4]において、異次元緩和が十分な効果を挙げられなかった理由として、「日本ではインフレ予想にbackward lookingな適合的期待の性質が強い」と結論づけて以降、この期待の性質を強調し続けてきた点に筆者は強い違和感を覚えていた。このため、近年の日銀が賃金・価格形成のノルム(今回の報告書では「慣行」と表現されている)と説明するようになったことは改善だと考えていたが、報告書では未だに日本と欧米との予想形成の違いが強調されていた。確かに今回の報告書でも、日本のインフレ予想は現実のインフレ率の影響を受けやすいことが示されているが、筆者はこれを日本と欧米のインフレ予想の仕方がもともと違うからだとは解釈しない[5]。
実際、ボルカー連邦準備制度(FRB)議長時代の1980年代前半を思い出すと、厳しい金融引き締めでインフレ率は大幅に低下していたが、長期金利がなかなか下がらず、長期の実質金利高がドル高などの問題を生んでいた。当時は米国でも、インフレ予想は粘着的(backward looking)だったからだ。それでも、当時のFRBには金利操作の自由度があったため、時間をかけて低インフレを定着させることで、インフレ予想を引き下げることに成功した。現在の欧米のインフレ予想が中央銀行のインフレ予想と整合的なのは、こうした経緯を経た結果だろう。そう考えると、異次元緩和が十分な成果を挙げられなかったのは、インフレ予想が粘着的だったからではなく、政策金利がゼロ制約下にあり、実際のインフレ率を押し上げることができなかったから、インフレ予想も上昇することはなかったと理解すべきではないか[6]。
財政という難問
続いて、大規模金融緩和の副作用について考えてみよう。今回の報告書では、国債市場など金融市場の機能度に焦点を当てた分析が多く紹介されているが、筆者は金融市場分析の専門家ではないので、この問題への深入りは避けたい[7]。一方、イールドカーブ・コントロール下で大量の長期国債購入を続けてきた結果、日銀が保有する国債の利回りはほぼゼロになっている。したがって、今後も政策金利の引き上げを続けていけば、日銀の実質的な収益は赤字となり、債務超過に陥るリスクがあるという日銀財務の問題がある。この点に関しては、これまで多くの経済学者、エコノミストによる試算が示されてきたが、黒田東彦前総裁時代の日銀は、常に「時期尚早」として回答を避けてきた。しかし、今回の報告書公表後に、日銀自身の試算結果が「日銀レビュー」で公表された[8]。間違いなく一歩前進と言える。その結論は「市場が予想する金利を前提とすれば財務リスクは限定的だが、より厳しい前提では問題もあり得る」というものだった。この結論には「楽観的に過ぎる」との批判も聞かれるが、前提の置き方次第という面もあるので、やはり深入りは避けよう。
ここで筆者が取り上げたいのは、財政規律の問題である。需給ギャップでみた需要不足は日銀推計でも内閣府推計でもごくわずかなのに、昨年秋にも大型の経済対策が策定された。これは財政規律の弛緩(しかん)以外の何者でもない。年収の壁を巡る議論も活発化しているが、103万円の課税最低限引き上げでは働き控えの抑制にはあまり効果がない一方、税収は大幅に減ってしまう。やはり財政規律弛緩の表れと言わざるを得ない。長期にわたりイールドカーブ・コントロールを含む大規模緩和が続いた結果、政治家に金利上昇への懸念が失われているからだろう。ここで注意すべきは、足もと物価高で財政赤字が減っているように見えることである。しかし、これには①物価上昇で名目GDPが増え、税収は増加している一方、②金利上昇は未だわずかであり、国債の利払い増加は新発債の部分だけ、というタイミングの問題が大きく影響している。今後も利上げが続けば、国債の利払いも大きく増加することになる。
もちろん、名目GDPの成長率gと国債金利rの間でg>rの関係が続けば、プライマリー・バランスが若干の赤字でも国債残高/名目GDP(D/Y)比率が発散することはない。マクロ経済学の大家ブランシャールは「g>rの可能性が高い」と主張する[9]が、筆者は懐疑的である。ブランシャールは専ら米国のデータを使って議論するが、米ドルは基軸通貨であり、世界中から資金が集まる(rが低くなりやすい)という法外な特権(exorbitant privilege)があるからだ。しかも、仮にD/Yが発散しなくても、D/Yが2.5倍を超える日本では毎月巨額の借換債を発行しなくてはならないので、市場が少しでも国債消化に不安を覚えれば、2022年秋に英国で起こったトラス・ショックのような国債金利の急騰が起こりかねない点に注意する必要があろう。この時、日銀が国債を買い支えても、黒田緩和末期のように円安→物価高→金利上昇という悪循環が発生する恐れがある[10]。
大規模金融緩和の副作用が今後発現するリスクとしては、日銀の報告書が指摘する国債市場の機能低下が長期化するリスクより、財政リスクの方がはるかに大きいと思われる。にもかかわらず、報告書では「意見交換の過程で、大規模緩和が財政規律の弛緩につながったとの指摘もあった」としながら、日銀の対応については「金融政策の目的は財政ファイナンスではないことを明確に示す」と述べるにとどめている。もちろん、財政規律の維持が狭義で日銀の「責任」でないことは明らかだ。しかし、政府と日銀は2013年1月に共同声明を発表しており、ここには①日銀ができるだけ早期に2%の物価目標を達成する一方、政府は②日本経済の競争力と成長力を強化する取り組みを進めるとともに、③持続可能な財政構造を確立する、とうたわれている。この共同声明は現在も有効なのだから、これを根拠に政府に自らの責任を果たすよう求めるべきではないか。2%目標達成の展望がなかった頃には、政府に意見を述べることは難しかったと思われるが、今は環境が変わったと認識すべきだ。
最後に、財政政策を考慮した場合の物価目標の位置付けを考えてみよう。「多角的レビュー」の結論部分にある糊代(のりしろ)論、すなわち、非伝統的金融政策の効果には限界がある以上、景気悪化や物価下落のリスクに備えて金利の引き下げ余地を残しておくことが必要だ。そのためには、平均的なインフレ率を2%程度のプラスに保っておくことが望ましい、という見方に筆者は基本的に賛成である。ただし、この議論は新自由主義ないしニューケインジアン経済学の全盛期、つまりマクロ安定化政策は基本的に金融政策で対応するとの考え方が支配的だった時代に形成されたことを忘れてはならない。その後、グローバル金融危機やコロナ危機を経て、経済政策の見方は大きく変わった。重大な危機時における財政政策の有効性が再評価されたからだ[11]。
いざという時に財政政策が使えるなら、金利がゼロ制約に直面したときには財政政策を使えばよいのだから、インフレ目標政策は柔軟に運用すべきだということになる。しかも最近では、従来インフレ目標政策を柔軟に運用してきた米FRBが2020年夏に平均インフレ目標政策という形で目標の厳格化を行った結果、予想以上の物価上昇を招いてしまったという経験があった[12]。この点を考慮すれば、ますますインフレ目標政策の柔軟化が重要になる。なお、財政政策の活用となれば、前述の財政規律の考え方と矛盾すると思われるかも知れないが、そうではない。財政政策はいざという時、重大な経済危機や天変地異といった時にこそ活用するものだ。だからこそ、平時においては財政バランスを保っておくことが重要と考えるべきである。
[1] 以上に関しては、「門間一夫の経済深読み:異次元緩和の総括は終わらない」、みずほリサーチ&テクノロジーズ(2024年11月27日)を参照。
[2]報告書の基礎となった研究は論文として、日銀HP内の「多角的レビュー」のページ金融政策の多角的レビュー : 日本銀行 Bank of Japanに掲載されている。
[3] Brian Fabo et al. “Fifty Shades of QE ; Comparing findings of central bankers and academics”, Journal of Monetary Economics, 2021
[4] 「量的・質的金融緩和」導入以降の経済・物価動向と政策効果についての総括的な検証
[5] 報告書末尾に掲げられた「有識者講評」の中で、慶應大の鶴光太郎教授は、賃金・物価の決定様式を期待との関連ではなく、企業と従業員、企業と消費者の間のゲームの「均衡」と捉えることを提案している。確かに、賃金・物価がなかなか変わらないということを説明するには、均衡の概念を用いるのが自然だ。ただ、その結果として鶴教授は賃金・物価の決定が今も変わっていない可能性を考えているが、均衡はそれを支える条件が変化すれば、不連続に変わる可能性がある。この点に関しては拙稿物価が上がり始めた理由―1つの歴史的偶然と2つの構造的変化― | 研究プログラム | 東京財団政策研究所を参照。
[6] マクロ経済学者は中央銀行のインフレ目標が市場のインフレ予想を支配すると考えがちだが、それは合理的期待均衡を仮定するからだろう。実際のインフレ率と中央銀行のインフレ予想が異なる場合には、中央銀行が政策金利を変更してしまうため、合理的期待均衡は成立しない。しかし、現実が合理的期待均衡下にあるなら、全ての経済主体のインフレ予想は一致するはずだが、現実には主体毎にインフレ予想が異なるのが普通だ。実際、日銀が「展望レポート」に掲載している予想物価上昇率は、家計、企業、金融市場等の異なる経済主体のインフレ予想を合成したものではないか。
[7] この点に関しては、内田浩史『現代日本の金融システム』、慶應義塾大学出版会、2024年を参照。
[9] Olivier Blanchard, Fiscal Policy under Low Interest Rates. 2022, MIT Press
[10] ここで述べた日銀財務や財政規律の問題や、ETFなどの大量購入の問題点は、比較的最近刊行された2つの新書本、河村小百合『日本銀行:我が国に迫る危機』、講談社現代新書、2023年、山本謙三『異次元緩和の罪と罰』、講談社現代新書、2024年で詳しく論じられている。
[11] こうした経済政策の考え方の変化については拙稿世界金融危機以降の経済政策思想を振り返る(1)新自由主義への不満の高まり | 研究プログラム | 東京財団政策研究所を参照。
[12] 米国のインフレ率は22年央には9%に達した。これは、基本的にはFRBがインフレの性質を見誤って一時的なものと考えた結果である。しかし、前年にインフレ率が加速し始めた時、それまでのインフレ率が2%を下回ってきたことから、平均インフレ目標政策の下、インフレ率が2%を多少上回っても構わないと利上げを躊躇ったことが失敗の一因になったと言われている。