R-2023-127
・中国の日本化(Japanification)の可能性 ・コロナ禍の後遺症 ・人治国家で試される制度の力 ・中国の景気減速による日本への影響 ・問われる日中関係のあり方 |
中国経済はファンダメンタルズ(労働、資本と生産性)がそれほど悪化していないなか、経済成長率が急減速している。その背景には市場の失敗よりも政策の失敗がある。習政権が正式に発足・始動したのは2013年3月だった。そのときの中国経済は供給過剰にあった。それから11年経過して、今は、中国経済は需要不足に悩まされている。2024年3月に開かれた全人代で李強首相は政府活動報告のなかで、はっきりと需要不足を克服しないといけないと明言している。しかし、具体的な政策は示されていない。
なぜ、中国で需要不足が深刻化するようになったのだろうか。直接な原因はコロナ禍に対応する中国政府が実施した厳しいゼロコロナ政策だった。新型コロナウィルスの変異を振り返れば、最初の段階でこのウィルスの性質が十分に認識されておらず、治療薬もなかった。致死率が高かったため、欧米などの先進国でもロックダウンが実施された。その後、時間が経つにつれ、新型コロナウィルスの感染ルートがほぼ解明され、治療薬も開発された。それを受け、パンデミックによるパニックは起きなくなった。それに対して、中国政府は一貫して厳しいロックダウンをともなうゼロコロナ政策を2022年12月まで続けた。
中国のゼロコロナ政策は、人々を自宅ないし専用の隔離施設に隔離するだけでなく、飲食店やスーパーなどのライフラインも止められた。結果的に数百万社の中小零細企業は倒産を余儀なくされたといわれている。2023年に入って、コロナ禍が終息して、中国経済はV字型回復すると思われていたが、倒産した中小企業は再建されず、経済回復の力が弱く、L字型成長になっている。2024年1月、アメリカのユーラシアグループが発表したグローバルリスクの6番目に中国経済の回復力が弱いことをあげられている。
結論を先取りすれば、供給過剰にあった中国経済は需要不足に悩まされ、需要と供給が均衡するまで中国経済の成長率は減速し続ける可能性が高い。実は、中国経済の減速はコロナ禍による影響だけでなく、習政権による国有企業に対する優遇と反スパイ法の改正・施行も経済回復を大きく妨げている。
中国の日本化(Japanification)の可能性
専門家の一部は目下の中国不動産バブル崩壊を理由に、中国は30年前の日本のバブル崩壊と同じ轍を踏むだろうと予測している。歴史は繰り返されるといわれているが、単純には繰り返されない。30年前、日本の資産バブルは崩壊した。1998年にバブル崩壊は金融システムに飛び火して、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行と山一證券など大手金融機関は相次いで倒産した。資産バブル崩壊以降、日本経済はデフレに見舞われ、30年失われたといわれている。
ただし、日本の金融危機は社会不安をもたらすことがなかった。なぜならば、金融機関の不良債権を処理するために、預金保険制度は役に立っただけでなく、政府も保障したからである。日本は30年失ったといわれているが、技術を失っていないからである。
1990年代、日本の資産バブルが崩壊したあと、中国政府の役人や研究者は日本に来て、経済政策のあり方と不良債権処理の仕方などをヒアリングして学んだ。要するに、中国の専門家は日本の失敗を学んだはずである。中国は日本と同じ失敗を繰り返さないだろうと思われていた。
実状は逆である。1990年代、日本に来て、資産バブル崩壊の後処理を学んだ専門家の多くはすでに引退している。なによりも、今の中国では、この40年来、もっと厳しい言論統制が実施されている。中国の書店に、日本の失われた30年に関する著作が陳列されているが、中国も日本の轍を踏む可能性に関する指摘はインターネットのSNSで許されない。リベラルの知識人のほとんどは沈黙を貫いている。Policy making(政策立案)の基本は専門家による切磋琢磨の議論が重要である。政府御用学者の忖度だけでは、正しい政策が考案されない。
これまでの日本の30年間と目下の中国と比較して、最大の違いは中国が不動産バブル崩壊とともに、技術を失う可能性があることである。なぜ中国は技術を失うのだろうか。バブル崩壊と重なって、米中対立が激化し、外国企業は相次いで中国にある工場を他の途上国に移転しているからである。それに拍車をかけているのは、反スパイ法の改正・施行である。新しく改正された反スパイ法では、スパイ行為の定義が広くて曖昧になっている。これは外国人ビジネスマンにとって予想以上のストレスになっている。
中国地場企業はミドルエンド以下の技術をかなり習得しているが、ハイエンドの技術をそれほど持っていない。台湾の半導体メーカーが日米で新しい工場を相次いで建設しているというのはその一片である。大手日本企業も中国にある一部の工場を閉鎖し、中国離れが進んでいる。
専門家の一部は中国とのデカップリングはありえなくて、デリスキングだと指摘している。最初にデリスキングを主張したのはアメリカのバイデン大統領だった。正確にいうと、デカップリングは完全な分断を意味するものだが、デリスキングは部分的な分断である。要するに、ゼロチャイナはありえなくて、ウィズチャイナが望ましいということである。いずれにしても、このままいくと、中国はハイエンドの技術を習得するチャンスを失う可能性が高くなる。
このように考えれば、中国の日本化ではなくて、日本以上に複雑で難しい状況になるということである。
コロナ禍の後遺症
3年間のコロナ禍が終息したが、その後遺症の一部がすでに現れ、しかし、全容はまだみえていない。上記で述べたように、コロナ禍に対処するゼロコロナ政策により、中小零細企業はたくさん倒産した。それによって若者の失業は急増した。しかし、これは目にみえる後遺症だが、目にみえない後遺症のほうがもっと深刻のはずである。
たくさんの中国人は中国の将来について希望を持てなくなった。コロナ禍以降、富裕層と中所得層と労働者階級の一部は相次いで海外へ移住している。富裕層と中所得層は中国社会の勝ち組のはずだが、彼らは祖国を捨てて、海外へ移住している。労働者階級は十分な資産がなく、正規のビザを取得できないため、中国パスポートを持っている者に対してビザを免除している国へ出国して、そこからメキシコを経由で、最終目的地はアメリカを目指す。
これらの新移民に対するインタビューを聞くと、ほぼすべての人は中国国内での生活に希望を持てなくなったから移民することにしたと答えている。しかし、状況はこれよりも複雑である。
中国政府が公表しているマクロ経済統計をみると、2023年の実質GDP伸び率は5.2%だった。世界二番目の経済規模を誇る中国経済が順調に回復しているのに、なぜその人民は祖国を捨てて海外へ移住するのだろうか。中国で実施されている愛国教育の文脈では、中国に喧嘩を売るアメリカは中国政府にとって競争相手であり、場合によっては敵国ともいえる。洗脳されているはずの中国の若者はなぜ競争相手のアメリカないしアメリカの同盟国カナダなどへ移住しているのか。
コロナ禍後遺症のもう一つの側面は結婚しない、子供を産まない若者が急増していることである。中国政府が発表している公式統計によると、2022年と23年、中国の総人口は減少に転じたといわれている。構造的にみて、中国経済にとって人口ボーナスは経済成長を支える柱だった。総人口が減少に転じたというのは人口ボーナスがオーナスになることを意味する。なぜ若者は結婚しない、子供を産まないのか。3年間のコロナ禍により、家計の可処分所得は減少したからである。失業率は高止まりし、現役の会社員の給料も下がっている。地方公務員の給料は地方財政が赤字に転落したため、賃金がカットされているとの報告が増えている。中国では、若者が結婚する要件として、マイホームとマイカーを所有することである。現状では、マイホームとマイカーを購入できない若者が多い。
なお、コロナ禍前に結婚した若者は生活苦により子供を産まない決断をしている人が増えているといわれている。コロナ禍のとき、ある動画が中国で拡散された。上海のある民家で、白い防護服を着た政府職員とみられる人たちはPCR検査が陰性だが、同じエリアに住む別の住民が感染したから彼らを専用の隔離施設に連れて行こうとした。そのとき、住民は抵抗して、なにを言われても行かない防護服を着た人の一人は「このままでは、あなたの子供は将来進学するとき、問題になりうるよ」と脅した。それに対して、住民は「我々は最後の世代。謝謝!(ありがとう)」と返した。暗に子供を産まないから、心配していないといった。この「我々は最後の世代」は中国でその年の流行語に選ばれた。
これらの事例からみて、人々は政府に対する信頼が崩れ、将来について希望を持てなくなった。習政権は政権への求心力を強化しようとしているが、ゼロコロナ政策によって政権への求心力は明らかに低下している。
人治国家で試される制度の力
これまでの10年間、習主席への権力集中は予想以上に進んでいる。半面、組織は十分に機能しなくなった。習政権が取った種々の政策をみると、内政も外交も自らの首を絞めるものばかりである。中国経済をもっともけん引しているのは民営企業と外資企業だが、大手民営企業に対する罰金と反スパイ法の改正・施行により、民営企業と外資企業の経営基盤が揺らいでいる。外交をみても、同じである。これまで中国に協力的だった日米をはじめとするG7の国々と激しく対立している。ウクライナ戦争が起きて、侵略者のロシアを非難せず、逆に側面支援している。大国としての中国の正義が問われている。
習政権にとっての目玉は「一帯一路」イニシアティブである。当初、「一帯一路」イニシアティブが考案された背景には、安全保障戦略の一貫としてではなくて、国内にある過剰生産能力を輸出するための枠組みだった。途中から歯止めが利かなくなり、どんどん広がっていった。諸外国のインフラ施設を整備するために、習政権は巨額の資金を投じている。経済が順調に成長している局面においてそれほど問題がないようにみられていたが、コロナ禍以降、中国経済は急減速して、今や持ち出せる財源が限られている。「一帯一路」がなくなることはなかろうが、かなりダウンサイズせざるを得ない。
なによりも、不可解なのは香港に対する締め付けである。イギリスは香港を中国に返還したとき、一国二制度が50年間変わらないとの約束を取り付けた。しかし、わずか20年あまりで、約束が破られてしまった。香港のエリートはイギリスや旧英連邦の国々へ大挙して移住している。北京にとって人材を失うだけでなく、アジア最大の国際金融センターとしての香港を失ったのである。中国国内でも、今の香港は国際金融センターの遺跡になっていると皮肉られている。
このようにどうみても、習政権の政策は矛盾だらけで大混乱をもたらしている。どうしてこうなったのか、なにが問題かというと、これまでの40年間、経済成長を急ぐあまり、制度作りを怠った。具体的にいえば、法律がたくさん制定されたが、その通りに運用されないことが多い。なぜならば、共産党は法を凌駕しているからである。習政権において習主席への権力集中が進んだ結果、その下部組織は機能しなくなった。とくに共産党と政府機関の横の連携が壊れてしまったため、ちょっとしたことでも、すぐさま大ごとになってしまう。習政権の弱点は制度の弱さである。10年間、腐敗撲滅キャンペーンを繰り広げられてきたが、幹部の腐敗は後を絶たない。これでは、反腐敗のキャンペーンはエンドレスのゲームになってしまう。
習政権にとって経済成長は自らの正当性を証明する唯一の根拠だが、経済成長はこのまま減速していくと、習政権が弱体化する可能性が高い。ここで、重要なのは改革・開放路線に戻ることである。
中国の景気減速による日本への影響
米中対立が激化してから、再輸出の製造拠点としての魅力は低下したが、日本企業にとって中国は今でも魅力的な市場である。自動車市場を例にとれば、中国では、1年間の自動車販売台数は3000万台に上る。ちなみに、日本の自動車販売台数は年間約400万台である。そのほかに機械や電子機器なども同じである。中国の景気減速が長期化すれば、日本企業の業績に影響が及ぶことが用意に想定される。
一方、米中対立が激化して、日本に予想外のメリットをもたらしている。日米を中心に中国に対して、半導体包囲網が作られている。とくに、台湾の半導体メーカーは中国で工場を建設しないで、日本で大規模な半導体工場を建設している。同時に、アメリカの半導体メーカーIBMは日本企業ラピダスに最先端のパワー半導体の生産を委託している。科学者や技術者によれば、これからは半導体を制するものは世界を制するとまでいわれている。これまで、日本の産業政策の失敗があって、半導体の研究開発と製造はかなり遅れているが、台湾企業とアメリカ企業との連携でそれほど遠くないうちに追いつく可能性がある。
日本にとって考えなければならないのは、ウィズチャイナの戦略をどのようにして構築していくかである。具体的にマーケットとしての中国を再認識する必要がある一方、最先端技術の国内回帰も課題である。これまで、日本企業は高い人件費と人手不足を心配して、産業の製造基盤を海外に移転していった。予想外の円安により、日本国内の人件費は諸外国に比べ、必ずしも高いとはいえなくなっている。人手不足は依然として心配だが、ハイテク技術の製造は必ずしも人手に頼るのではなくて、AIによるオートメーション(自動化)が重要である。いつの時代も同じだが、危機を転機と捉えることが重要である。日本経済と日本の産業にとって重要な転機が訪れているかもしれない。
問われる日中関係のあり方
日中は国交正常化してから50年経過した。これまでの歩みは決して平たんなものではなかった。田中元首相と周恩来元首相の言葉を援用すれば、日中は一衣帯水の隣国である。お互いの重要性が明白なのに、なぜ日中関係は安定しないのか。これまでのトラブルの原因は歴史認識の違い、尖閣諸島や東シナ海の領有権をめぐる対立などにあると思われている。
これらの問題は日中両国にとっていずれも重要だが、本質的な問題ではない。なぜならば、これらの問題はいずれも対話すれば、解決できることだからである。しかし、これらの問題は満足して解決されていない。最近では、日中両政府の対話はほとんど行われていない。日中関係の改善を邪魔するなにかの問題が存在するのは確かなことである。専門家でも、その問題を解明しようとしてこなかった。
では、日中関係の改善を邪魔している問題とはどういうものだろうか。
それは価値観の違いである。価値観が違う者同士は挨拶はできるが、対話ができない。ましてや問題を解決するための協働はほとんど不可能である。この現実に対する認識はお互いに不十分だったといわざるを得ない。
そもそも価値観とは、物事の善悪を判断するための尺度と基準である。これが違うと、あることについて、話し合ってコンセンサスを得るというのはほぼほぼ不可能である。これまでの日中関係を振り返るまでもなく、同じボートに乗っている者同士ではなく、同床異夢の関係にある。ここで、どっちがよい、悪いという議論をしたくないが、価値観が違うことを指摘しておきたい。
このような指摘に立脚して、これからの日中関係を展望しても、両国関係が大きく改善される期待を持てない。国際情勢の不確実性を踏まえれば、日中はそれぞれ異なる役を演じる可能性が高く、対立する場面がむしろ増えると思われる。したがって、これからの日中関係のあり方について、日中友好という安売りの陳腐な国際関係論ではなくて、危機意識を共有することが重要になる。日中が激しく対立した場合、互いにとっての弊害についてとりあえず議論しておくべきではなかろうか。