R-2021-073
・はじめに |
はじめに
新型コロナウイルスの感染拡大は我が国の財政を更に悪化させている。2020年度の一般会計(国)の歳出規模は補正予算を含めて170兆円を上回り、新規国債発行額は112兆円超になった。21年度も(22年度予算を含む)「16カ月予算」の一環として30兆円の補正予算が組まれるなど、財政拡大が常態化している。中長期的には社会の高齢化に伴い年金・医療等社会保障給付費は増加し続けている。内閣府は社会保障給付費が2040年度には最大190兆円にまで拡大すると試算する。国・地方を併せた一般政府の債務残高対GDP比は約240%(2020年)と主要先進国の中でも最悪の水準にある。財政悪化は社会保障制度の持続性を危うくしかねない。しかし、国内では「危機感」が乏しい。その原因の一つには正確な情報・データに基づいた政策論争が行われていないことがある。
本稿では「国民経済計算」、「全国家計構造調査(2019)」、及び「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(厚生労働省)」など公開されているデータを基に社会保障(公的年金、医療・介護等)、警察・消防、学校教育などの公共サービスや消費税、所得税等の負担について総額(マクロ)の金額を個人・世帯の属性(年齢、所得、地域等)に応じてブレークダウンして個々の受益・負担(ミクロ)を与える。合わせて、経済の動向(成長実現・ベースラインシナリオ)などに応じた財政状況(基礎的財政収支)の2040年度までの長期推計を行う。その上で財政の持続性を回復するような(具体的には基礎的財政収支赤字を解消するための)財政再建の選択肢(シナリオ)を複数提示、ミクロレベル(個人・世帯の属性別)の影響を明らかにする。
試算の概要:マクロ
以下では試算の手法について説明する。本稿では医療・介護、教育等の現物・現金給付、消費税・所得税等の負担についてマクロ(一国全体)の金額から始め、一定の基準の下にミクロ、具体的には所得階層・年齢・地域別に按分していく。マクロは国民経済計算の「一般政府の機能別支出(COFOG)」(2018年度)に基づく。この機能別支出は一般政府(中央・地方、社会保障基金)の防衛、教育、社会保障など目的(機能)別支出を記載している。このうち「環境保護」は(多くが)清掃費・衛生費にあたる。各目的別支出は雇用者報酬(賃金等)を含む最終消費支出、現金給付(「現物社会移転以外の支出」)、総固定資本形成などの性質別支出が計上されている(図表1)。
2018年度の一般政府の歳出総額は約212兆7千億円となる。機能別支出のうち社会保障支出は「7.保健」、「10.社会保護」にあたる。本稿はこれを公的年金・児童手当等現物給付及び医療・介護等現物給付に区分するため、同じ国民経済計算(2018年度)の中の「一般政府から家計への移転の明細表(社会保障関係)」(以下、社会保障明細書)を用いた。ただし、総額が機能別と必ずしも一致しない(誤差は少ない)ため、社会保障明細書にある厚生年金・国民年金を「公的年金」として、その(同明細書に占める)比率を「7.保健」・「10.社会保護」の総額に乗じた。児童手当などのその他の現金給付、現物給付(医療・介護)も同様に算出している。図表1はその結果の通りである。この中から公共サービスとして警察サービス・消防サービス、教育等を取り上げる。警察・教育は警察官や教員等の配置に拠ることを勘案して機能別支出のうち雇用者報酬を受益総額とする。現金給付からは公的年金の他、児童手当・社会扶助(生活保護など)を分析の対象とする。児童手当・社会扶助は按分に用いる「全国家計構造調査」の中の「その他社会保障給付」にあたる。現物給付については医療保険と後期高齢者医療を合わせて公的医療とする。
図表1:一般政府の機能別支出(COFOG)
出所:国民経済計算(2018年度)
マクロの負担は国民経済計算の「一般政府の部門別勘定(GFS)」に拠る。その中の「付加価値税」が消費税、「所得・利益・資本利得に課される税」のうち「個人からのもの」が所得税にあたる。これらマクロ(国民経済計算)の数値をミクロ(年齢・所得階層、地域別)に分割する。(こうしたマクロからミクロへのアプローチは財政再建の要請が家計に及ぼす影響を知る上で有用である。)その按分基準は図表2のように与えられる。
マクロからミクロへ:按分基準について
警察・消防を含む公共サービスの按分には2021年度の基準財政需要額を用いる。基準財政需要は地方交付税の配分基準であり、「制度的」には地域の費用構造やニーズを反映する。警察、消防、初等・中等教育など行政サービス毎に人口等に応じて都道府県別・市町村別に算出される。このうち消防費は市町村の基準財政需要に計上されるが、本稿ではこれを都道府県単位に合算する。更に都道府県人口で割って人口一人当たりの消防に係る基準財政需要額を出す。警察も同様である。「人口一人当たり」とするのは将来的に都道府県人口が変化したときに対応するためである。詳細は以下を参照のこと。
図表2:按分基準
注:環境保護は基準財政需要では清掃費・衛生費にあたる。
現状の受益と負担
国民経済計算(2018年度)及び図表2の按分基準から年齢別・地域別、所得階級別のミクロでみた受益(給付等)と負担(課税)の現状が推計される。図表3における人口(学校教育は対象人口)一人当たり支出のバラツキは基準財政需要額で測った地域間のコストや財政ニーズの違いを反映する。図表4は児童手当と社会扶助(生活保護等)の世帯主年齢別・所得階層別の給付をみている(公的年金は含まれない)。若年勤労世帯の受給が多いのは児童手当の給付に拠るものだろう。他方、医療・介護は高齢世代ほど受益が多くなる(図表5)。消費税の負担額は概ね世帯主の所得・年齢が高くなるほど増加する。一般に消費税は逆進的(世帯年収に占める比率が低所得層ほど高い)とされるが、ここでは絶対額でみていることに留意されたい。同じ所得階層でも若い勤労世代の間で消費税額が少なくなるのは貯蓄性向(収入から貯蓄に回す割合)が高いからだろう。
図表3:公共サービス
図表3:其の2
注:国民経済計算は2018年度、按分基準は図表2参照
図表4:現金給付(他の社会保障給付)
注:国民経済計算は2018年度、按分基準は図表2参照
図表5:現物給付(医療・介護)
図表6:年齢別負担(所得税・消費税)
将来シナリオ
以下では将来試算について説明する。公的年金、医療・介護の給付総額は「2040年を見据えた社会保障の将来見通し」(厚労省)に基づく。経済の今後を(内閣府「中長期の経済財政に関する試算」にある)「成長実現」と「ベースライン」の二つのシナリオに分けた上で2018年度を起点に2025年度、30年度、35年度、40年度における給付額を推計する。合わせて(2018年度を基準値とした)GDP指数、物価指数、賃金指数も与えている。加えて年金、医療・介護別の社会保険料の見通しから社会保険料についても指数を作ることができる。本稿では、これらをマクロ変数の前提条件とする。具体的にはマクロ変数として雇用報酬を取り上げた警察・教育は賃金の伸びに応じる一方、消防費、その他公共支出はGDP成長率と同率に増えるものとした。ただし、教育については今後の少子化を見込んで児童一人当たり支出額は賃金に連動させるのに対して、(5歳階級別の)児童数は将来の人口推計に拠るなど年金・医療・介護同様、年齢調整を施す。
内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」では社会保障以外の支出の推移については物価の伸びに合わせているが、見通しとしては楽観が過ぎるかもしれない。長期的には支出の水準は対GDP比で一定になるものとしてGDP指数を採用した。[2]一般政府の収入のうち、社会保険料の雇用者負担は前述の社会保障指数に、雇用主負担については賃金指数に拠るとした。(両者の違いは雇用者負担には個人事業主・非正規雇用など事業主負担が生じない社会保険料が含まれることに拠る)。他方、経済成長に対する税収の弾性値が概ね1であることを反映して、所得税・消費税を含む税収は国内総生産(GDP)に比例するものと仮定している)。こうした前提条件から経済シナリオ(成長実現・ベースライン)別、年度別に機械的にマクロ変数の将来見通しを試算したのが図表7(政府支出の将来見通し)及び図表8(税収・保険料の将来見通し)である。いずれも「名目額」であるが、ミクロ(地域別・年齢階級・所得別)に按分するに際しては現状との比較のため物価指数で除して、「実質化」する。
図表7:政府支出の将来見通し
注:総額(純利払いを除く)は「6(1).一般政府の部門別勘定」による。このため、2018年度の総額が図表1の総額に一致しない。
図表8:税収・保険料の将来見通し
注:総額・税収は「6(1).一般政府の部門別勘定」による
図表9~11は2035年度(経済はベースライン・シナリオ)におけるミクロの受益(公共サービス・給付)と負担(所得税・消費税)の「実質値」(物価調整済み)を与えている。総じて現状よりも高い水準になるのは物価上昇率を上回る経済成長を想定しているからだ。繰り返すが、(1)式、(2)式のような推計にあたって、マクロ変数の推移の他、人口・世帯数の変化は織り込み済みである。学校教育については図表3で与えていた(対象人口)一人当たり支出を賃金指数で延伸の上、都道府県別・年齢別(5歳階級)人口の将来推計値を乗じてマクロの総額を算出している。
図表9:公共サービス
注:2035年度、経済はベースライン・シナリオ(以下同様)
図表10:現物給付(医療・介護)
図表11:所得税・消費税
財政再建の影響分析
図表7及び8にある一般政府の(利払い費を除く)歳出総額、(公債金を除いた)歳入総額の差額から基礎的財政収支(プライマリーバランス)が年度別・経済想定(成長実現・ベースライン)別に試算される(図表12)。図表にある通り、成長実現のケースであっても基礎的財政収支の赤字は解消されない。むしろ年度の経過とともに増加する傾向が見受けられる。(なお、内閣府「中長期の経済財政に関する試算」に比べて赤字幅が大きいのは政府支出の伸びをGDPに合わせていることなどがある。)仮に基礎的財政収支赤字を解消するよう財政再建を迫られる事態が生じたとしたらどうだろうか?
本稿では、①警察・消防を含む公共サービスを一律に削減する、②公的年金・児童手当等(「他の社会保障給付」)を削減する、③医療・介護といった現物給付をカットするシナリオ、及び④消費税、もしくは⑤所得税を増税するシナリオを想定する。実際はこれらのシナリオの組み合わせになることが予想されるが、試算の簡単化のため、個別に検討を加えることにしたい。財政再建のタイミングは2035年度としよう。経済はベースラインを仮定する。基礎的財政収支赤字は20兆円弱に上っている。低成長で税収が伸びないこともあり、成長実現ケースに比べても赤字の金額が大きい。この場合、シナリオ1では41%の歳出カットが求められる。現金給付(シナリオ2)あるいは現物給付(シナリオ3)については削減率が26~27%余りになる。消費税の増税(シナリオ4)に至っては6割を超える増税(単純に考えれば現行税率10%を16%超に引上げ)を要する見込みだ。増税が所得税(シナリオ5)であっても、負担は概ね5割増しになる。こうした厳しい財政再建は家計に対してどのような影響を与えるのだろうか?
図表12:財政再建のシナリオ
注:基礎的財政収支は名目額
図表13以下はそれぞれのシナリオについて地域別・年代別、(世帯主の)年代所得階層別のミクロの影響(給付等の受益の減少や増税額)をみている。ただし、所得水準は2019年の基準による。(例えば、2035年度の所得階層300万円~350万円は2019年に割り戻したときの金額にあたる。)財政再建のシナリオに応じて年齢別・所得階層別・地域別の負担(サービスカット、増税)の影響が異なることが分かるだろう。
図表13:シナリオ1(公共サービス削減)
注:財政再建は2035年度、経済はベースライン・シナリオ、数値は現状維持からの増減額(以下同様)
図表14:シナリオ2(現金給付の削減)
図表15:シナリオ3(医療・介護の削減)
図表16:シナリオ4(消費税の増税)
図表17:シナリオ5(所得税の増税)
結語
本稿では現金・現物給付(年金、児童手当・社会扶助、医療・介護)や公共サービス(学校教育、警察・消防等)、課税(消費税・所得税)について「国民経済計算」のマクロの金額を起点に「家計構造基本調査(2019年)」、「国民医療費」、「基準財政需要」、「人口統計」などの統計に基づき、地域、年齢・所得階層など個人・世帯の属性別に按分を行うことでミクロ・レベルでの給付(受益)と負担を「見える化」させた。合わせて2040年を見据えた社会保障の将来見通し」等と用いて、2040年度までの財政状況に係る長期試算を行った。その上で将来的に基礎的財政収支赤字を解消して、財政の持続性を回復するための選択肢として消費税・所得税の増税や現物・現金給付の削減、公共サービスのカットなどを与え、個人・世帯の属性別の影響をシミュレーションした。今後、経済・財政の前提条件の見直しなど試算結果の精査が必要だが、財政問題を国民にとって「自分事」にするためにも、こうした家計の属性に応じたミクロ・レベルの影響分析は有用であろう。
[1] 按分手法将来推計は世代会計の文献に従っている。
吉田浩(2006)「世代会計による高齢化と世代間不均衡に関する研究∗(改訂版) -2000 年基準による世代会計推計結果」
[2] 小塩・宮尾(2019)も非社会保障支出を対GDP比で一定と仮定して試算する。
小塩隆士・宮尾龍蔵「整合性のある政策論議を:財政の長期検証なき社会保障論議への警鐘」NIRA オピニオンペーパーno.45/2019.Oct