R-2023-015
「未来の水ビジョン」懇話会では、世界各地で気候変動にともなう水不足が顕在するなか、ビジネスセクターがどのような影響を受け、どのような対策が必要になるかなどについて議論を行う。(2023年2月17日 東京財団政策研究所にて)
Keynote Speech(概要)
本郷尚/三井物産戦略研究所シニア研究フェロー
1.水不足の時代の企業活動はどうなるか
1)産業で水が使われるいくつかのケース
企業活動には水が欠かせない。たとえば、水力発電は燃料費がかからず発電時に温室効果ガスを排出しない。だが、降雨・降雪量が少ないとダムの水が減り発電できなくなることもある。フィリピン・ルソン島北部に日本企業が建設した多目的ダムがある。ダムは発電、灌漑、洪水調整に使われている。フィリピンは雨季・乾季で雨量の差が大きいが、気候が温暖であるため、水があれば2期作、3期作も可能になる。
生産活動において冷却水は不可欠だ。火力発電は熱エネルギーで水を高温の蒸気に変え、タービンを回し発電する。この際、大量の冷却水が必要になる。
鉱業と水との関わりは一般的には意識しにくいが、大量の水を使う。採掘した鉱石を粉砕し、数十ミクロン程度に細かくする。一定の条件によって水をはじいたり馴染んだりする鉱物の性質を利用し、対象となる鉱石を多く含む部分とその他の部分に分離する。
2)水不足と海水淡水化の普及
近年、海水から真水をつくる海水淡水化技術が普及している。中東では豊富なエネルギー資源を利用し、海水から都市用水、工業用水をつくり供給している。
チリの銅鉱山開発では、かつて浮遊選鉱に地下水を利用していた。生態系への影響に配慮していたが大幅に不足した。対策として港町アントファガスタで海水淡水化を行い、185kmのパイプラインで海抜3200mにある鉱山まで輸送した。海水淡水化は日量220,000m3だが、増設するも計画がある。ここでは良質の銅が採掘できるため、造水に費用をかけても元が取れている。
海水淡水化は農業でも活用されている。シナイ半島ではイスラエル、エジプト企業が協力し、海水淡水化で都市開発、農業開発を行っている。水がときに紛争や戦争の原因になる。イスラエルとパレスチナの争いの要因の1つにゴラン高原の水問題がある。1967年、イスラエルはヨルダン川西岸およびゴラン高原を征服し、地域の川および地下水に対する支配を拡張した。水は政治的対立を生む一方で協力関係も生んでいる。
一方で、使用した水は処理してから環境中に戻される。都市に大量の水を供給すれば、大規模な下水処理施設が必要になる。2018年、三井物産の連結子会社であるメキシコのアトラテック社が、メキシコのインフラ事業会社・イデアル社、スペインの水処理会社・アクシオナアグア社などと、アトトニルコ下水処理場での事業を開始した。単一施設としては世界最大規模の日量360万m3の処理能力を有し、人口2000万人を抱えるメキシコ首都圏の家庭排水の約60%を処理する。
3)水が支える水素社会
水素活用は電力部門だけでなく、脱炭素化を目指す産業でも選択肢としてあがるが、製造方法によって以下に分類される。
グレー水素……天然ガスや石炭などの化石燃料を利用して作られる。製造過程で大量のCO2が大気中に排出される。 ブルー水素……化石燃料を利用して作られるが、CO2回収技術によりCO2排出量を抑制し、回収したCO2を貯留したり、他の産業で利用したりする。 グリーン水素……製造過程でCO2は排出されない。再生可能エネルギーを利用し、水を電気分解することで作られる。 |
グリーン水素は水を電気分解、水素を取り出すが、水質によって効率が変わってくる。きれいな水ほど効率が良い。海水から作る場合には海水淡水化設備が必要になりコスト高になる。水と同時に再生可能エネルギーを得やすいこともグリーン水素製造の条件になる。
2.ますます重要になる企業のリスクマネジメント
1)企業に求められるさらなる情報開示
規制は需要を生む。リスクがあり、マネジメントする必要があると、誰かのビジネスチャンスになる。私は2000年頃、JBIC(国際協力銀行)の「環境ガイドライン」(環境社会配慮確認のための国際協力銀行ガイドライン)策定に携わった。環境ガイドラインは借入れ人またはプロジェクト実施主体による適切な環境社会配慮の実施を確認する目的でつくられた。企業は現地の法規制を遵守しつつ活動するが、現地規制が日本や国際的な規制や国際慣行と差がある可能性もあり、注意喚起する必要があった。とりわけ開発途上国の場合、環境に関する制度が十分でない国もある。そこで国際的な基準や慣行に照らしながら作成した。
策定当時、多数の事業に対して環境デューデリジェンス(環境リスクなどを調査すること)や融資後のモニタリングも行った。たとえば、前述したフィリピンの多目的ダム開発では様々な分野の専門家で構成したミッションを派遣、いくつもの指摘を行った。例えば、乾期に貯水し過ぎると下流域が水不足になり、漁業に影響が出る可能性があった。そこで事業者は一定量の水が貯まる池をつくり下流域が枯渇しないようにした。住民移転の問題もあった。かつてのフィリピンではダムなどを建設すると、そこに住む住民を強制的に移転させ、補償金の支払いもなかった。だが、この事業では事業者は十分な説明を行い、新しい集落、家屋を建てて移転してもらった。だが、補償金をもらうと働かなくなる人もいるなど課題が残った。
2) リスクは定量評価に変わり義務化される
今後は自然資本をいかに持続的に使うかが重要になる。すべてのGDPは自然を何らかの形で利用して生み出されたと言って良い。たとえばエネルギーは経済活動に欠かせないが、化石燃料という資源を消費し続けるといずれはなくなる。自然資本と市場経済の関係を図1にまとめた。
将来、環境問題や経済は自然資本という考え方を中心に考え方が整備され、経済システムに組み込まれるのではないかと考えている。まずは環境負荷の情報開示であり、現在注目されているのが、IFRS(International Financial Reporting Standards)=国際会計基準の情報開示案だ。国際会計基準審議会(IASB)によって設定された会計基準の総称で、大企業から新興企業まで導入が進む。各国で上場するには国際会計基準で財務諸表を作る必要があり、今後、世界標準になるだろう。
国際会計基準にはサステイナビリティーや気候変動に関する情報開示が含まれる予定で、以下に「サステナブルな水の使い方」に関する記述の一部を紹介する。
鉱業などは地域の水資源と水質に影響を与える可能性がある。水不足、コスト、排水規制、地域社会との競争などにより、事業リスク、規制リスク、風評被害に直面する。海水淡水化、水循環、革新的な廃棄物処理など、水に関するリスクに対処するための新技術の導入が必要となる場合もある。水使用量および汚染の低減は、企業経営の効率を高め、事業コストを低減させる。 事業体は、すべての事業について水リスクを分析し、World Resource Instituteの水リスクアトラスツール「Aqueduct」で分類された「ベースライン水ストレス」が高い(40~80%)または極めて高い(80%以上)場所で水を引き出し、消費する活動を特定すること。 |
気候変動に関するリスク評価は、従来の定性評価から定量評価に変わり、やがては義務化される方向だ。定量評価の難しさは十分に認識されていない可能性があるが、実施する方向で動いている。まずは社内でどのような水の使い方、水との関わり方があるのか調べ、定量化の方法も検討する必要があるだろう。
水に関連する気候変動リスクの分析についての1つのやり方を図2に示した。
まず自社の全事業をスクリーニングし、気候変動情報、事業特性、過去の被災情報などから、リスクの高い事業とそうでない事業に分類する。そのうえでリスクが高い事業について詳細な分析を行い、対策を考える。モニタリングを行い、結果をフィードバックし、計画が正しいかどうか確認するというサイクルをつくる。はじめから全事業について詳細を分析する事は意味がなくコストがかかるため、スクリーニングから始める。
3)正しく恐れられる情報発信の重要性
今後、企業のあらゆる人が自然資本に関する情報に触れ、アクションを考える時代になる。これまで環境部門のみが担当していた案件も、国際会計基準が導入されると、経理・IR部門や事業部門なども扱うようになる。企業の業態によっても、また企業内の部門によっても、必要な情報のレベルは異なる。
専門家間の議論では「いかに情報を伝えるか」を考えている。たとえば温暖化に際し「自由の女神が沈む」という表現をするとインパクトはあるが思考停止に陥ってしまうだろう。
一方、国立環境研究所が「長野県の温度上昇への影響」を発表した際、「気温1度の変化は、垂直方向で150m、水平方向(南北)で145kmの移動→暑さに弱いリンゴは2度温度上昇で最適栽培地は300m高い場所に変化(信濃川沿いから高原へ)。他方、山間部でもおいしいお米ができる」と情報発信した。こうした情報はアクションにつながりやすい。
気候変動問題への効率的な取り組みを進めるには、正しく恐れられる情報発信が大切になるだろう。
さらなる議論
ビジネスニーズとしての水循環システム
水素社会と水の関係
水に関する規制をどのようにつくっていくか
「未来の水ビジョン」懇話会について
我が国は、これまでの先人たちの不断の努力によって、豊かな水の恵みを享受し、日常生活では水の災いを気にせずにいられるようになった。しかし、近年、グローバルな気候変動による水害や干ばつの激化、高潮リスクの増大、食料需要の増加などが危惧されている。さらには、世界に先駆けて進む少子高齢化によって、森林の荒廃や耕作放棄地の増加、地方における地域コミュニティ衰退や長期的な税収減に伴う公的管理に必要な組織やリソースのひっ迫が顕在化しつつある。
水の恵みや災いに対する備えは、不断の努力によってしか維持できないことは専門家の間では自明であるが、その危機感が政府や地方自治体、政治家、企業、市民といった関係する主体間で共有されているとは言い難い。
そこで「未来の水ビジョン」懇話会を結成し、次世代に対する責務として、水と地方創成、水と持続可能な開発といった広い文脈から懸念される課題を明らかにしたうえで、それらの課題の解決への道筋を示した「水の未来ビジョン」を提示し、それを広く世の中で共有していく。
※「未来の水ビジョン」懇話会メンバー(五十音順) |