R-2023-123
政府—有権者間の情報格差 「手がかり」の活用と信頼 日本の有権者の情報収集コストを削減するもの 政府への信頼 提案:考えられる方向性 1.政治リーダーによる中長期展望の提示 2.国会の財政規律機能の再生と独立財政機関の設置 |
持続可能な財政社会保障を民主的に実現していく上での究極的な課題として、政府—有権者間の情報格差の是正が挙げられる(佐藤他 2024)。本稿では、有権者の政府などへの「信頼」という視点から、財政社会保障問題についての政府—有権者間の情報格差の問題への対応のあり方を考察する。
政府—有権者間の情報格差
民主制の下での主権者である有権者が、政治判断に必要と思われる情報を十分に持たない、という実証結果は、日本の財政社会保障問題に限らず、今まで多くの政治学研究で明らかにされてきた(例 Achen & Bartels 2016; Lupia 2016; Somin 2013; Delli Carpini & Keeter 1996)。
有権者はそれぞれ本業などに忙しく、その分野の専門家や政策当局者などに比べ、政府や政策について情報を収集し分析する時間やインセンティブが不足する。
財政社会保障問題で言えば、財政政策立案や経済研究を本業とする政府当局者や経済学者に比べ、有権者全般の有する情報量が少ないのは、ある意味当たり前である。
しかし政府—有権者間の情報格差は、財政民主主義のあり方に大きな問題を生じうる。研究プログラム「多様な国民に受け入れられる財政再建・社会保障制度改革の在り方」(以下、本研究プログラム)において実施した数次にわたるアンケート調査結果でも、有権者の情報不足の問題は浮き彫りにされてきた。
2022年末に実施したアンケート調査では、有権者が財政社会保障について有する知識についての問いを設けている。そして、回帰分析の結果、そうした問いへの回答率の高い——つまり財政社会保障の知識量の多い——有権者の回答ほど、並行して実施した経済学者に対する質問の回答と有意に近づくことが明らかになった。
たとえば、国民全般と経済学者との間で回答が大きく乖離した消費税についての問いでは、財政社会保障の知識量が多い有権者ほど、経済学者と同様に消費税増税などへの受容度が高かった。つまり国民と経済学者との意見の違いは、両者が有していた情報量の違いに由来している部分もあると思われる。
このように、本研究プログラムの研究調査でも改めて明らかになったのは、政府—有権者間の情報格差の問題の是正が、財政社会保障の持続性の確保にとって、究極的に求められるということである(佐藤他 2024)。
情報格差を是正する上では、まず政府が、財政についての情報開示を徹底することが必要条件となる。実際、予算の透明性が高い国ほど財政赤字、公的債務残高が小さいという実証結果が一貫して示されてきた(例 Benito & Bastida 2009; Alt & Lassen 2006)。ネット時代の新たな技術を活用しつつ、開示された情報をより幅広く流通させる試みも進められるべきだ。
しかしそれでは全く不十分であろう。有権者の時間制約やインセンティブの問題がある限り、おそらく今後も、情報格差の問題の劇的な改善は望めない。ではどうすべきか?
「手がかり」の活用と信頼
政府―有権者間の情報格差は深刻な問題だが、それをもって、ウォルター・リップマン(Lippman 1993 [1925])のような民主主義悲観論に直ちに結びつけるべきではない。たとえば、有権者が各種の「手がかり(heuristics, cue)」あるいは「情報ショートカット(information shortcut)」(Popkin 1991)を活用して、不足する情報量を補った適切な判断をすることは可能だからだ(加藤 2023)。
政治行動における「手がかり」となる代表的なものは政党だ。支持する政党の候補者に投票する「政党投票」は、有権者の情報収集コスト削減の手段の一つでもある。政策や候補者についての詳細な情報を収集・分析する手間が省けるからである。
政治行動における政党は、消費行動で言えばブランドに似た役割を果たす。私たちが自動車を購入する際、自動車がどういう部品を使っているか、溶接状態はどうかまで調べる者は少ない。よほどのカーマニアでもない限り、そんな時間はない。それよりも、トヨタ、ホンダといった信頼するブランドを「手がかり」にして購入する。ブランドという「手がかり」の存在により、消費者は、自動車購入の際の情報収集・分析のコストを大幅に削減できるのだ。
このように「手がかり」のベースとなっているのは「手がかり」——この場合はブランド——への信頼である。トヨタ、ホンダといったブランドを信頼するからこそ、消費者は細部まで精査せずに購入する。逆に、信頼しないブランドであればそれは「負の手がかり」となり、消費者は、性能やスタイリングを気に入ってもなかなか購入しない。
同様に、「手がかり」としての政党投票のベースとなるのも、その政党への信頼と支持である。ある政党を信頼するからこそ、自分の選挙区の各候補者の人格や能力や公約などを精査せずに、支持する政党の候補者に投票する。
日本の有権者の情報収集コストを削減するもの
それでは、日本の財政社会保障問題について、有権者の「手がかり」となりうるものはあるだろうか。
まず、日本の政党はこの問題については現状、政治選択をする際の「手がかり」としては有効に機能していない。程度の差こそあれ、大半の主要政党が財政拡張を競い合う「バラマキ合戦」となっているからだ。
欧米諸国でも政党間のバラマキ合戦は見られるが、その中でも「保守政党=財政均衡」「リベラル政党=財政拡張」という構図が何とか維持されている国は多い。そういう国での政党は、財政社会保障問題についての有権者の政治選択の有力な「手がかり」として機能しうる。しかし今の日本では、どの政党を信頼しても、財政均衡の道はなかなか見えない。
政党の他に各種メディアの評価も、政治選択の「手がかり」として有権者の情報収集コストの削減に大きな役割を果たしてきた。
今回のアンケート調査では、財政社会保障問題につき、自分が信頼するメディアが日本の有権者の「手がかり」的に活用されていることが表れた。第1次アンケート調査(2022年12月実施)の回答者のうち、財政社会保障についての主な情報源が新聞だと答えた者の回答は、経済学者の回答と有意に類似した(加藤 2023)。つまり、消費税増税の受容度などが高かった。一方、新たなメディアであるSNSを主要な情報源としている者の回答は、経済学者の回答から有意に乖離した。つまり消費税増税などへの反発が強かった。
財政社会保障問題についての論調を概観すると、主要紙では今の日本の財政状況に懸念を示す言説が目立つのに対し、SNS上の言説では緊縮財政に対する強い反発が目立つ。さらなる因果の検証は必要となるが、それぞれのメディアを「手がかり」にして、有権者が財政社会保障問題についての選択を行っていることが推察される。
他には、経済学者やメディアで露出の多いインフルエンサーの見解などが、有権者の「手がかり」として活用されている可能性もある。そのため第2次・第3次アンケート調査(いずれも2023年に実施)では、経済学者やインフルエンサーの財政社会保障についての言説を有権者の一部に紹介し、それが有権者の回答に影響するかを実験手法的に分析したが、いずれの影響力も有意には表れなかった[1]。
政府への信頼
このように、信頼する政党やメディアの存在は、有権者の情報収集コストを大幅に節約することを可能とし、政治選択を行う際の有権者の情報不足の問題を緩和する役割を果たす。それでは、財政社会保障政策をつかさどる政府自体への国民の信頼はどうだろうか。
政府(特に財政当局)への国民の信頼が高ければ、国民の納税意欲は一般に高くなる。これはある意味当然だが、本稿の文脈からは、国民が、政府自体を信頼できる「正の手がかり」と見て、その政府が求める納税に合意するケースとも言えよう。
今回のアンケート調査結果の分析でも、政府への信頼と納税意欲の高さの相関は裏付けられた。第一回アンケート調査において、政府を信頼すると答えた国民の回答は、経済学者の回答と有意に類似した。つまり、消費税増税などへの受容度が高かった。
また、有権者の政府への信頼は、有権者の主観的割引率への作用などを通じ、各種政策について有権者の視野を長期化する方向へも作用しうる[2]。関連する興味深い例を挙げれば、スタンフォード大学において実施された著名な「マシュマロ・テスト」の追加的検証においても、実験者への被験者(幼児)の信頼が、被験者の視野の長期化をもたらすことが示されている(ミシェル 2015)。
このように、国民の政府への信頼は、有権者の納税意欲の高まりや視野の長期化を通じ、持続可能な財政社会保障制度の実現にとり、大きなプラスの影響を与えうる。
しかし日本は、他の先進民主主義国家などと比べ、国民の政府への信頼が低い傾向がある。図1は、OECDが2年ごとに実施している加盟国に対するアンケート調査の最新の結果である(OECD 2021)。調査結果が出ている20カ国中で日本は19位となっている。同じくOECDが別方法で行った2021年調査でも、政府への信頼において、日本は37カ国中32位である[3]。
図1 国民の政府への信頼
図2は、OECD調査(2021)における政府への信頼と対GDP比公的債務残高との関係をプロットしたものだ。政府への信頼が低い国ほど、対GDP比の公的債務残高が大きくなっている[4]。
図2 政府の信頼性と債務残高
様々な要因が絡むため、もちろんこの図だけで両者の相関関係や因果関係を認めることはできない。ただ、日本が置かれている状況が非常に厳しいことは明らかだ。政府への信頼と対GDP比累積債務残高の双方が最低レベルにある「二重苦」の日本が、国民の理解を得つつ、持続的な財政社会保障体制を構築していくのは、非常に厳しいことが予想される。
提案:考えられる方向性
政府—有権者間の情報格差は、民主主義国家におけるあらゆる政策課題に共通する問題だが、財政社会保障については、①日本が財政民主主義を採っていること、②有権者の関心が特に高い分野であること(過去に多くの首相が財政社会保障問題で政権の座を追われている)、③情報量が膨大な分野であること、などから、特にその問題性は大きい。
繰り返しになるが、本研究プログラムでも、問題の根源の一つは政府—有権者間の情報格差であることが確認された(佐藤他 2024)。
有権者への情報の流通のあり方については多くの研究があり、本研究プログラムの過去のReviewでも触れてきた。本稿では、政党や政府などへの信頼の存在が、情報格差の問題を軽減する上で重要な役割を果たすことを見てきた。よって以下では結びとして、政府への国民の信頼と関連する点につき、考えられる2つの方向性について述べる。
1.政治リーダーによる中長期展望の提示
すでに見てきたように、国民の政府への信頼は、財政再建などを通じた持続的な財政社会保障の実現にとり、大きなプラスの影響を与えうる。逆に言えば、図2の統計的外れ値に位置する日本の現況は非常に厳しい。
すでにGDP比公的債務残高が世界的に見て圧倒的に高い現状において、政府への国民の信頼が世界最低水準のまま、国民の痛みを伴う財政再建を進めることは、政治的に極めて困難なプロセスとなろう。
政府が国民に信頼されていない現況では、政府自体が「負の手がかり」と国民に捉えられかねず、いくら精緻で優れた改革案を提示したとしても、国民の猛反発を受ける可能性が高い。
「政府への信頼」については、様々な要因が影響する概念であるため、その向上のための具体的な対応を特定することは難しい。ただ、過去のOECD調査やその他のデータを見る限り、その時々の政治リーダーによって大きく動く場合がある。日本での「政府への信頼」は、高いときでも概ね40%を割っており、他国と比べて全般的にも低く推移してきたが、小泉政権や第二次安倍政権の誕生時などには、大きく数値が跳ね上がっている。
この状況を大きく動かすことができるのは、やはり国民からの信頼を勝ち取ることができる政治リーダーの存在と言葉である。
精緻な試算や分析に基づいた財政・社会保障政策を試算・立案していくことは当然必要だが、それを見せるだけでは国民の信頼は勝ち取れない。発信力と胆力のある政治リーダーの下で、厳格な数値計算をベースとしつつ、20年、30年、50年先の日本の姿を国民に具体的にわかりやすく見せ、そのための応分の負担を国民に求めていくような試みが求められる。
2.国会の財政規律機能の再生と独立財政機関の設置
より政策的な対応としては、財政社会保障問題につき、独立的な機関を設置することも検討すべきである(東京財団 2013など参照)。政府(特に財務当局)が国民から信頼を得られないのであれば、国民に信頼され、国民から「手がかり」として活用されるような、政府から独立した機関を設置するという考え方である(Carpenter 2001参照)。OECD諸国の多くでは、独立的財政機関(Independent Fiscal Institutions)が長期経済・財政試算などを行っており、ここで大きな役割を果たしている(OECD 2013)。
また、独立財政機関の設置場所を国会とすることで、国会の財政規律機能を回復させる嚆矢とすべきである[5]。
今では忘れられがちだが、近代市民革命によって設置された議会の本来の大きな役割は、国民の代表者(議員)による財政規律の監視だった。財政民主主義の起源もそこにある。
日本でも明治期に帝国議会が発足した当初は、納税者代表として財政膨張を阻止しようと積極的に活動した時期があったという(大山 2016)。しかし、現在の日本では、政府内の財務当局(財務省)が、財政膨張を求めてロビイスト化した一部の議員から財政規律を守ろうとしているようにも見える。つまり近代市民革命の理念とは逆転した状況となっている。
こうした状況を反転させ、国会が本来の役割である財政規律の維持という機能を取り戻すため、独立的財政機関の国会への設置を提案したい。
<参考文献>
Achen, C. H. and L. M. Bartels. 2016. Democracy for Realists: Why Elections Do Not Produce Responsive Government. Princeton: Princeton University Press.
Alt, J. E. and D. D. Lassen. 2006. “Fiscal Transparency, Political Parties, and Debt in OECD Countries.” European Economic Review. 50. Pp. 1403-1439.
Benito, B. and F. Bastida. 2009. “Budget Transparency, Fiscal Performance, and Political Turnout: An International Approach.” Public Administration Review. 69(3). Pp. 403-417.
Carpenter, P, D. 2001. The Forging of Bureaucratic Autonomy: Reputations, Networks, and Policy Innovation in Executive Agencies, 1962-1928. Princeton: Princeton University Press.
Delli Carpini, M. X. and S. Keeter. 1996. What Americans Know about Politics and Why It Matters. New Haven: Yale University Press.
加藤創太 2022.「有権者の情報不足の問題にどう向き合うべきか:日本の財政民主主義を機能させるために」東京財団Review.
加藤創太 2023.「財政問題について経済学者と国民の意識はどう乖離するのか 『経済学者及び国民全般を対象とした経済・財政についてのアンケート調査』の紹介」東京財団Review.
Lippmann, W. 1993 [1925]. The Phantom Public. Routledge.
Lupia, A. 2016. Uninformed: Why People Know so Little About Politics and What We can do about It. Oxford: Oxford University Press.
ウォルター・ミシェル 2015.「マシュマロ・テスト:成功する子・しない子」早川書房。
OEDC 2013. Government at a Glance. 2013. OECD publishing.
OECD 2021. Government at a Glance 2021. OECD publishing.
大山礼子 2016.「第5章 財政と議会政治」。加藤創太・小林慶一郎編著『財政と民主主義:ポピュリズムは債務危機への道か』。日本経済新聞出版社。
Popkin, S. 1991. The Reasoning Voter: Communication and Persuasion in Presidential Campaigns. Chicago: University of Chicago Press.
佐藤主光 2024.「2023年『日本経済と財政に関する国民調査』の結果について」東京財団Review.
佐藤主光・大竹文雄・加藤創太・小林慶一郎・前田幸男 2024.「政策提言(研究プログラム「多様な国民に受け入れられる財政再建・社会保障制度改革の在り方」)」東京財団Review.
Somin, I. 2013. Democracy and Political Ignorance. Why Smaller Government Is Smarter. Stanford: Stanford University Press.
東京財団 2013.『独立推計機関を国会に』。
[1] 実験的な設定においては、ジャーナリストの池上彰氏、OECDエコノミストなどの言説を素材として用いた。
[2] 政府への信頼は、視野の長期化というルートを通じても、納税意欲の向上につながると考えられる。
[3] OECD (2024), "Trust in government" (indicator), https://doi.org/10.1787/1de9675e-en (Accessed on 08 February 2024).
[4] 統計的な外れ値である日本を取り除いたデータでも、両者の負の相関性は有意に見られる。
[5] 東京財団では以前から国会のうち参議院に置くべきだと提言してきている。