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・冷戦終結後の米中関係 ・3年間のコロナ禍の影響 ・ウクライナに対するロシア侵攻のインパクト ・米中対立の新展開 |
アメリカ大統領選は本格的な政策論戦に突入している。この段階でバイデン大統領とトランプ前大統領のどちらが優勢かは判断できないが、両者の論戦を聞く限り、対中政策について、両者の考えは、濃淡の差こそあるが、おおむね対中経済制裁を厳しくする方向で一致している。このままいったら、米中貿易戦争はますます激化する可能性が高い。なぜならば、両者の相互信頼関係が完全に崩れてしまったからである。
では、アメリカの対中政策はどこで変更されたのだろうか。米中国交正常化のきっかけは1970年代、ソ連(当時)という米中にとっての共通の敵がいたからだった。とくに、冷戦において、アメリカにとって一番の敵国は間違いなくソ連だった。当時の中国にとってソ連は大きな脅威となっていた。敵の敵は仲間であり、アメリカはソ連に対抗するために、中国に対して多方面にわたって経済協力を行った。
1990年代はじめ、ソ連が崩壊し、冷戦が終結した。それを受けて、米スタンフォード大学シニアフェローのフランシス・フクヤマ氏は「歴史の終焉」を主張した。要するに、冷戦が終わり、民主主義が勝利したということだった。しかし、中国が改革・開放へ進むようになったが、社会主義路線を断念したわけではないことは忘れられたようだった。
冷戦終結後の米中関係
中国にとってアメリカの協力がなければ、改革・開放政策により経済を離陸させることはできなかっただろう。ソ連が崩壊するまで、アメリカ政府は中国に対して大規模な経済協力を行った。ソ連が崩壊したあとも、アメリカ政府は中国に対する経済協力をトーンダウンさせなかった。なぜならば、中国経済が順調に成長していけば、中国社会は自ずと民主化すると期待されていたからである。それは俗にいうエンゲージメント政策、すなわち、関与政策と呼ばれるものである
トランプ前大統領までのアメリカの歴代大統領は在任期間中、何度も中国の人権侵害を批判したが、それ以上の措置を取ることはなかった。アメリカ政府は中国がいずれ民主化すると甘い判断をしただけでなく、アメリカにとって中国が脅威になると本気で心配することもなかった。ある意味では、長い間、アメリカ政府は中国の実力を過小評価していたと思われる。
かつて、アメリカのシンクタンク、ピーターソン国際経済研究所のバーグステン所長と元大統領補佐官のブレジンスキー氏が米中によるG2の構想を提案して話題になったことがある。アメリカを代表する二人のオピニオンリーダーが米中の価値観の相違を無視して、まるで米中が連携して世界をリードすることができるような提言をしたのだ。
ダロン・アセモグルとジェイムズ・A・ロビンソンは「国家はなぜ衰退するのか」のなかで、inclusiveness(寛容性)を失うと、国家は衰退すると論じている。間違った結論ではないが、戦略なき寛容性は国家にとって深刻なリスクをもたらすことになると付言しておきたい。
ソ連が崩壊したあと、アメリカにとっての仮想の敵がいなくなった。アメリカ人は、中国は社会主義路線を堅持すると言っているが、アメリカにとって脅威になりえない。それよりも中国に対して、経済協力を続けていけば、中国はいずれ民主化するはずであると思ったのだ。
2018年、トランプ前大統領は中国からの輸入品に対して制裁関税を課した。当時、トランプ前大統領は中国の脅威を明確に認識したわけではなく、米中貿易不均衡、すなわち、アメリカの対中貿易赤字の大きさを問題視したため制裁措置を講じた。
その際、習近平政権は大きな政策上のミスを犯してしまった。すなわち、習近平政権はトランプ大統領(当時)に対して譲歩する姿勢を示せば、制裁が徐々にトーンダウンする可能性があった。しかし、習近平国家主席は自らの演説のなかで、中国の文化はやられたら、必ずやり返すと繰り返し強調した。その結果、米中関係はますますこじれるようになった。
3年間のコロナ禍の影響
その後、国際情勢を一変させたのはコロナ禍だった。10年以上前に、JETRO(日本貿易振興機構)は中国に進出している日本企業に対して、生卵を一つのバスケットに入れないで、分散したほうがいいとアドバイスしている。「中国+1」、「中国+α」を勧めるこの助言をどれほどの企業が聞き入れたのかは不明である。多くの日本企業にとって中国は工場であり、巨大な市場でもある。実はアメリカ企業にとっても、これは同じなのである。
外国企業にとって中国ビジネスは決して簡単なことではない。中国市場は確かに規模が大きいが、攻略するのは簡単ではない。なぜならば、中国では、the rule of law(法による統治)が徹底されていないからである。とくに製造業の外国企業は先端技術の供与を強要されることが多いといわれている。
2020年に入って、世界はいきなりコロナ禍に見舞われた。世界の物流がコロナ禍によってストップしてしまった。世界経済は想像を絶するほどダメージを受けてしまった。こうしたなかで、中国の武漢で最初に見つかった新型コロナウイルスの発生源について、中国外交部の報道官はアメリカの軍人によって中国に持ち込まれたものだと断定的に述べた。新型コロナウイルスの発生源については、国際機関の調査結果を待たなければならないが、その結論が出る前に、アメリカの軍人が持ち込んだと述べた外交部報道官の発言はアメリカ人の反中感情をよりいっそう助長してしまった。アメリカで行われた世論調査によると、8割以上のアメリカ人は中国のことをよく思っていないといわれている。
アメリカは民主主義の国であり、アメリカ人の対中国民感情が悪化している状況を考えると、アメリカ政府が中国に対して譲歩することはますます難しくなっている。バイデン大統領とトランプ前大統領は大統領選を繰り広げ、政策論争を行っているが、中国に対して厳しい姿勢で臨まないといけない点については完全に一致している。
しかも、コロナ禍を経験して、アメリカ企業はあらためてサプライチェーンを中国に集約させる場合のリスクを再認識させられた。むろん、ここですべてのサプライチェーンを中国以外の国へ移転させることはできない。JETROの提案通り、「中国+1」か「中国+α」が望ましいと考えられる。
ウクライナに対するロシア侵攻のインパクト
ソ連が崩壊したあと、ロシアは民主化したはずだが、気が付いたら、プーチン氏が率いるロシアは再び独裁国家と化している。フクヤマ氏の予言とは裏腹に、歴史がまだ終焉(しゅうえん)していない証拠である。アメリカにとって中ロ同盟の結成は明らかに悪夢である。独裁者プーチンはウクライナに侵攻して、既存の国際秩序に挑戦している。一方の習近平国家主席も憲法を改正して、もともと定められていた任期制を撤廃させ、自らが終身的な国家元首、すなわち、新たな皇帝になろうとしている。
アメリカは独裁者プーチンに譲歩することができないが、中国にどのように向き合うべきか、ホワイトハウスと財界の意見は必ずしも一致していない。中国の対米外交の特徴は経済外交である。すなわち、ウォールストリートの財界リーダーたちを巻き込んでホワイトハウスに圧力をかけることである。2023年11月、サンフランシスコで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議に出席した習近平国家主席はわざわざアメリカ財界リーダーたちを招待して晩さん会を開催した。そして、中国の経済外交のもう一つの側面は、アメリカで飛行機や農産物などを大量に買い付けて、ホワイトハウスの圧力をガス抜きすることである
ただし、中国のこのような常套(じょうとう)手段は徐々に機能しなくなっている。米中の相互信頼関係が崩れてしまった現状において、アメリカ政府は中国をロシア以上の脅威と認識しているようである。ワシントンにある戦略国際問題研究所(CSIS)が行った調査では、三分の二ほどのアメリカ人有識者は米中関係を安定的に維持することは台湾有事を阻止するうえで有効であると答えている。アメリカが避けなければならないのは、ウクライナ戦争が終結する前に、中国が台湾に侵攻することである。
大統領選のテレビ討論会でバイデン大統領はプーチンロシアの危険性を強調したのに対して、トランプ前大統領は自分が当選すれば、必ずウクライナ戦争を終わらせると宣言した。トランプ前大統領の常套手段は相手とディールすることだが、どういう条件でプーチンとディールするかは明らかではない。同様に、おそらくトランプ前大統領は中国にもディールを持ちかける可能性がある。
米中対立の新展開
今のところ、習近平政権は硬直的かつ挑戦的な戦狼外交を改める兆しはない。ただし、コロナ禍の後遺症とアメリカをはじめとする先進国の経済制裁により、雇用が悪化し、経済成長が大きく落ち込んでいる。グローバル社会は台湾有事の可能性を懸念しているが、現状では、中国が台湾に侵攻する可能性は高くない。軍上層部では腐敗が横行しており、国防部長(大臣)だった二人の幹部が追放されたばかりである。これは軍に対する統率がうまくいっていない証拠である。
習近平主席にとってプライオリティの高い政策は自らへの求心力を強化することである。経済成長が大きく落ち込むなかで、共産党への求心力が高まるどころか、社会不安が増幅するリスクが高まっている。
対外的にみると、中国はロシアからさらなる経済援助と軍事援助が要請されているが、このままロシアに対する援助を増やすと、欧米諸国はさらに制裁を厳しくする可能性がある。習近平主席が悩むのはロシアや欧米諸国とのバランスをいかに取るかという点である。とくに中国がハイテク技術を欧米諸国に依存する現状において、欧米諸国との関係を安定的に維持することは重要である。
一方のアメリカでは、中国とデカップリングするか、デリスキングするかについて議論が続いているが、簡単にいえば、かつての米ソ冷戦と違って、アメリカにとってゼロチャイナ、すなわち、完全なデカップリングではなくて、ウィズチャイナになるだろう。ウィズチャイナだからこそリスクをきちんと管理する必要がある。
ただし、習近平主席が心配しないといけないのは、トランプ前大統領が当選し、プーチンとのディールが成功した場合、予期せぬ悪夢になってしまうことである。プーチン大統領は演説のなかでアメリカにとっての真の脅威はロシアではなく、中国だと言っている。
結論的に米中ロのトライアングルがどのような形で落ち着くかはまだわからないが、アメリカ大統領選をきっかけに駆け引きがますます激化する可能性が高い。習近平主席にとって内憂外患の困った状況が当面続くものと思われる。アメリカの対中戦略がかつての蜜月に戻る可能性は低く、ウクライナ戦争が終結しても、米中対立が続くものと思われる。
最後に、この米中関係の変化による日本への影響について論じたい。日本経済と日本企業にとって中国は重要な市場である。ただし、安全保障は日米同盟に大きく依存している。仮にトランプ前大統領が当選した場合、アメリカの安全保障政策と通商政策は大きく変化する可能性が高い。そこで問われるのは日本の独自の戦略と政策である。まず、東アジア地域の地政学リスクを管理するために、日米同盟をさらに強固にする必要がある。一方、経済について、ウィズチャイナの戦略を日本独自で打ち出していかなければならない。これは簡単な作業ではないが、習近平政権との対話をレベルアップして、作業を続ける努力が求められている。