R-2023-071
・進む経済安全保障 ・サプライチェーンの強靭化 ・経済の政治目的利用への対処 ・自律的なサプライチェーン強靭化? ・経済安全保障は戦時体制か? ・如何に成長につなげるか? |
進む経済安全保障
政府はロシアのウクライナ侵攻や中国の軍事的台頭など我が国を取り巻く地政学的リスクが高まる中、「経済活動に関して行われる国家及び国民の安全を害する行為を未然に防止する」観点から「安全保障の確保に関する経済施策として所要の制度を創設する」べく「経済安全保障推進法」を昨年5月に成立させた。その関連政策が着々と進められている。例えば、11月に政府が公表した経済対策においても半導体の生産や開発に係る基金に補正予算でもって約2兆円措置するとした。本稿では経済安全保障と経済成長の両立について考えていきたい。
経済安全保障法において紛争や新たな感染症の発生などの有事において調達が困難であり、「国民の生存や国民生活・経済活動に甚大な影響のある重要な物資」を「特定重要物資」と指定して、その安定供給を担う民間企業等を支援することになる。その上で海外依存度や国内向け供給量、輸出量など指定重要物資のサプライチェーンの実態を把握するための調査を行うなどサプライチェーンを「強靭化」させる。昨年12月には半導体や蓄電池、医薬品(抗菌薬)等11分野が特定重要物資に指定されている。あわせて「将来の国民生活・経済活動の維持にとって重要」な先端的な技術のうち、「その技術が外部に不当に利用された場合において国家・国民の安全を損なう事態を生ずるおそれがあるもの」を「特定重要技術」として研究開発を支援する。次世代蓄電技術や人工知能(AI)を活用した偽情報の分析技術に関する技術などが指定重要技術とされてきた。
また、サイバー攻撃や破壊活動を念頭に「その利用を欠くことにより、広範囲又は大規模な社会混乱を生ずるなどの経済・社会秩序の平穏を損なう事態」が生じかねない基盤インフラの提供事業者を「特定社会基盤事業者」に指定、新規設置や維持管理業務の外部への委託に際して事前の届出を義務付ける。電気・水道事業者、空港の他、金融機関など14業種200社が対象になる。加えて原則、発明内容等が一般に公表される現行の特許制度の例外として「公にすることにより国家及び国民の安全を損なう事態を生ずるおそれが大きい」技術の特許を非公開にできるとした。その対象には「ステルス」技術や固体燃料ロケットエンジン、使用済み核燃料の再処理技術など25分野が含まれている。
こうした経済安全保障の枠組みは「国家及び国民の安全」の名の下で、行き過ぎた輸出管理や企業経営への介入など自由な経済活動を阻害しかねない。経済活動との両立を図るべく同法に基づく規制措置については「合理的に必要と認められる限度」(第5条)とされる。
サプライチェーンの強靭化
経済安全保障の柱の一つが「サプライチェーンの強靭化」だ。政府の新たな「総合経済対策」(令和5年11月)においても「重要物資の安定供給のためには、国内生産拠点の強化とともに・・・サプライチェーンの強靱化と国内投資拡大を図ることが必要」であるとしている。サプライチェーンとは一般に原材料や部品の調達から加工・製造・流通・販売までに至る流れを指す。経済のグローバル化に伴い、このサプライチェーンが国際的に拡大・複雑化していった。供給網が拡がると、例えば地震・風水害等の災害で一つの工場が稼働しなくても、別の地域の工場で生産を続けられる、あるいは仕入先の事業者が被災しても、他の事業者に代替することで経済活動を継続できるという意味でリスクが軽減されるように思われるかもしれない。しかし、実際のところサプライチェーンのうち1つの工程が機能しなくなるとサプライチェーン全体に影響が及び、その中の企業に大きな損害を与えるケースが散見される。東日本大震災(2011年3月)やタイ・バンコクの洪水(2011年10月)、熊本地震(2016年4月)に際しても上流の企業が被害を受けたため生産停止となり、サプライチェーンで繋がった下流に位置する国内外の企業も一斉に生産停止になった。同様のことはコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻に際しても見受けられた。
サプライチェーンの構造は大きく「ピラミッド型」と「ダイヤモンド型」に区別される。このうち「ピラミッド型」は製品の完成・消費者への販売という最下流を頂点にしたとき、上流に遡るほど供給者が増えていく。上流の一部で生産の途絶があっても、速やかに同じ階層に位置する他の事業者に切り替えることができる。この場合、サプライチェーンが災害リスク等に対して強靭になっている。他方、「ダイヤモンド型」とは部品や原材料など上流部分が特定のサプライヤーに依存した構造になる。ここで供給停止が起きると、連鎖的に下流が活動停止になり、脆弱なサプライチェーンといえる。前述の災害等の危機に伴って影響がサプライチェーン全体へ波及するのは「ダイヤモンド型」の構造に拠るところが大きい。
https://bcp-action.com/2021/01/25/bcp-supply-chain/
経済の政治目的利用への対処
部品の生産や原材料を特定の国に依存するリスクも「ダイヤモンド型」サプライチェーンに似ている。(サプライチェーンの上流における特定の物資の供給の他、買い手としても独占的になっているケースもあるだろう。)国際情勢や国内政治の変化などを契機に供給が不安定化しかねない。当該国が自身の政治目的に利用しようとするかもしれないからだ。実際、中国は軍事力だけではなく、経済的な手段でもって他国に圧力をかける動きを強めてきた。例えば、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件(2010年9月)に際して、日本へのレアアースの輸出を制限した。現状、我が国のレアメタル・レアアースの輸入額における中国のシェアは半分余りを占める(2022年、財務省)。また、電気自動車(EV)の車載用バッテリーに必要なリチウムはチリと中国が重要な供給者であり、輸出全体の約8割を占めている。[1] 経済安全保障推進法で「特定重要物資」に指定されているが、安定確保が危ぶまれる。無論、敢えて原材料等を抱え込むのではなく、海外市場で取引する方が利益になり経済合理性に適う。しかし、経済合理性ではなく(むしろ経済的な損失になっても)政治的な目的を優先する国もある。[2]他国に対する中国の経済的威圧にはG7でも懸念が表明されている。[3]中国は我が国とも政治的な対立はあっても経済的取引は続ける「政冷経熱」を旨としていた。とはいえ「社会主義市場経済」を標ぼうする限り、経済はあくまで政治目的の手段であり、経済の政治目的利用は避けられそうにない。[4] 従前、市場経済において各国は経済成長など自国の経済的利益に適うよう課税や規制を行ってきた。これとは異なる目的を(経済的威圧など)異なる方法で追及する国がある以上、経済安全保障のような市場原理とは異なる対策が求められるのかもしれない。[5]
自律的なサプライチェーン強靭化?
災害リスクや政治リスクに対処するよう企業は自律的にサプライチェーンの強靭化を進められないのだろうか?実際のところ難しそうだ。多くの生産・研究施設が集積していれば、地元政府が提供するインフラ施設の充実や知見の共有を通じたシナジー効果など「集積の経済」が働き易い。仮に中国に多くの企業が進出していれば中国において、この集積の経済を享受できるようになる。結果、企業が集中していく。日本企業が一致して拠点を分散できれば、中国以外の地域でも集積の経済が生じるだろう。自然災害や政情不安等で立地地域の生産活動が停止するリスクを勘案すれば、拠点の分散が本来「最適」であるとしよう。しかし、企業が個別に利益を追求している市場経済の「均衡」では(最適解に比して)過度な集中が生じてサプライチェーン寸断のリスクに晒されていることになる。[6] 図表3では簡単なゲーム論でもってこのことを説明している。企業A及び企業Bは当初C国に生産拠点を集約させていたとしよう。仮にA社のみがD国に一部の生産活動を移したとしても単独では集積のメリットがなく利益が下がってしまう。(A社の移転でC国における集積のメリットが減じられるためB社の利益も低下する。)他方、両者が一致してD国を含めて拠点を分散させれば、同国でも集積の経済が働く。C国で災害・政治リスクが顕在化してもD国で事業が継続できることから、両社の利益が高められる。しかし、そうした協調行動は起きそうにもない。
経済を政治目的利用した「経済的威圧」のリスクが日本経済に及ぶとしても、個々の企業の観点からすれば、自社だけが拠点を変えて解消するものではない。この場合にも企業には一致した行動が求められてくるが、企業の自主的な判断に委ねては実現し難い。ダイヤモンド構造であれ、中国など特定地域への企業立地の集中であれ、経済がグローバル化する中での「市場の失敗」の面もありそうだ。経済安全保障は生産活動の国内回帰を促しているが、必ずしもグローバル化に反しているわけではない。「賢く」制度設計すれば、拠点形成を含むサプライチェーンの最適(効率)化に資するかもしれない。
経済安全保障は戦時体制か?
ただし、「合理的に必要と認められる限度」(第5条)との定めにも関わらず、経済安全保障には統制経済に繋がる懸念がある。ここで想起されるのが戦前の戦時経済だ。1920年代までの日本経済は意外にも米国的な資本主義に近く、企業の活動は比較的自由・競争的だったとされる。状況が変わったのが満州事変(1931年9月)を契機とした戦争の遂行を目的とした政府・軍の経済への介入である。原油・石炭・鋼材など限られた資源を(民生部門から)軍事部門に優先的に割り当てるべく市場メカニズムによる需給均衡に代えて経済計画に基づく生産・配給・消費の統制が行われた。[7]国民生活を担う民生部門の犠牲の下で軍事部門が拡大したのである。結果、1930年代を通じて日本の経済は市場経済から計画経済へと移行していく。その計画経済を担った企画院は1940年に「経済新体制確立要綱」を策定、全ての経済活動は軍事目的達成を支えるよう運営されるべきとした。国民も企業も計画経済の中に組み込まれるとともに、生産力を確保するべく利潤の追求自体が否定されるようになった。経済新体制は経済的な価値ではなく生産量の最大化を志向したのである。当時の財閥を含めて(生産手段としての)企業の私的所有が廃されたわけではない。とはいえ、私的企業は国が定めた経済計画を実現する担い手と位置付けられていた。経済はあくまで戦争遂行という政治目的の手段に過ぎない。ここに自由な経済活動という発想はない。もっとも、「公益優先」・「生産本位」な経済新体制が政府・軍が計画した通りに機能しなかった。戦況が悪化する中、物資は慢性的に不足して生産量も計画した水準を下回っていく。企業の利潤動機を軽視したことも生産拡大を妨げたという。敗戦(1945年8月)とともに日本の計画経済は破綻した。
現在の経済安全保障はどうか?世界情勢が激変する中、半導体等重要物資の安定確保は企業の利益にも適う。前述の通り、(資源調達先や生産拠点の分散化させるなどして)企業自身がサプライチェーンを強靭化するのが困難であれば、「市場の失敗」を矯正するという観点からも政府が介入する余地がある。ここで重要なのは経済安全保障が政治と経済の間でWin-Winの関係になるよう「企業活動の制約要因ではなく、・・自由貿易や市場経済を維持・発展させるための政策」[8]であることだろう。政府は地政学的リスクに対処できる一方、経済界は物資の安定供給により事業の継続が可能になる。このように政治的な目的(安全保障)と経済的な目的(利益追求)が両立すればよい。他方、「官民の戦略的な対話、深い信頼関係を構築する」過程において、政治目的を優先させ経済を政治利用する、具体的には企業に利益ではなく国益の追求を求め、国策を実施させるようであれば危うい。経済的威圧を含む中国などの統制と強権に対応する経済安全保障が仮に我が国を戦前のような統制経済と強権政治に転じるならば本末転倒だ。
如何に成長につなげるか?
経済における民生と軍事の間の背反関係(トレードオフ)を「バター(=民生)と大砲(=軍事)」と称するが、我が国では「バター=民間経済」から「大砲=安全保障」に資源・労働力を移すだけの余裕はない。日本の人口は減少を続けている。成長力を示す「潜在成長率」も低下傾向にあり、1%にも届かない。我が国の経済安全保障は経済成長の促進と安全保障の強化という「二兎を追う」しかない。実際、「サプライチェーンの強靭化」は生産工程・流通過程における非効率を解消して生産性の増進に寄与するだろう。「次世代蓄電技術や人工知能(AI)など「特定重要技術」の研究開発は軍事だけでなく民生にも活用されるデュアルユーズである限り、経済成長と国内企業の競争力の向上に繋がる。「特許の非公開」も我が国の貴重な知的財産(無形資産)の保護になるならば有益だ。他方、前述の通り、今回の補正予算でも半導体や生成AI(人工知能)の支援に約2兆円を充てるなど政府の「補助金ありき」になっていないか?来年度税制改正でも設備投資費に加え生産量に応じて法人税を優遇する「戦略物資生産基盤税制」などが要望されている。国の支援を前提にして民間主導の経済成長が実現できるか疑わしい。財政支援を行うのであれば、進捗状況や効果(アウトカム)を検証して、補助金・減税等支援の在り方を適宜見直すことが求められる。経済安全保障という国の大事であればこそ、冷静な効果検証を忘れるべきではない。
[1] 日本総研「世界のEVシフトを左右するリチウム生産の課題」2022年6月6日
世界のEVシフトを左右するリチウム生産の課題 (jri.co.jp)
[2] ウクライナ紛争に際して我が国を含む各国はロシアの経済制裁を課してきた。しかし、これは軍事への労働・資源の導入といった経済利用を含む政治的野心へのけん制であり、自国の政治目的のためではないという違いがある。
[3] G7「貿易関連の経済的威圧及び非市場的政策・慣行に対する共同宣言」
[4] 輸出制限など他国へ経済的手法を用いて自国の地政学的な利益を確保する動きを「エコノミック・ステイトクラフト(Economic Statecraft)」という。
[5] 特定利益団体によるロビー活動、政治との癒着などは「政治の経済目的利用」とみなさるかもしれない。しかし、彼等が追求するのは自らの既得権益であり、社会全体が裨益するわけではない。他方、本稿で重視する経済的利益とは成長など社会全体に帰する利益である。
[6] 一般的なモデルは以下を参照のこと。
Bomin Jiang, Daniel Rigobon and Roberto Rigobon, 2022. “From Just in Time, to Just in Case to Just in Worst-Case: Simple models of a Global Supply Chain under Uncertain Aggregate Shocks”, IMF Economic Review
[7]岡崎 哲二(1994)「日本 : 戦時経済と経済システムの転換」社会経済史学60 巻 1 号 p. 10-40
[8] 経済産業省「経済安全保障に係る産業・技術基盤強化アクションプラン」令和5年10月