P-2022-002
本政策研究について
本政策研究は、東京財団政策研究所の研究プログラム「人民元の国際化とデジタル化─国際金融システムへのインプリケーション」の研究成果として、本研究は東京財団政策研究所の研究プログラムとして実施されたものである。 |
第二次世界大戦以降、ドルを基軸通貨とする国際通貨制度、ブレトンウッズ体制が作られた。1971年のニクソン・ショックで事実上体制は崩壊し、当時と比べ現在の国際通貨制度におけるドルの重要性はいくらか低下しているが、ドルが依然として基軸通貨の役割を果たしている。1999年ユーロが誕生した。ユーロはドルを取って代わるものではなく、ドルを補完する役割を担う通貨であるとみなされている。それ以外に、円も同様にドルとユーロを補完する通貨として位置付けられている。
こうしたなかで、中国経済は台頭し、2010年に日本経済を追い抜いて世界二番目の規模になった。今は、中国は世界の工場であり、世界の市場でもある。これを背景に、中国政府は人民元の重要性を高め、人民元の国際化を進めている。同時に、通貨の新しい形態として、人民元のデジタル化も積極的に実験している。一部の評論家は人民元が将来、ドルの通貨覇権に挑戦し、新たな基軸通貨を目指していると指摘している。人民元はほんとうに国際化するのだろうか。また、人民元の台頭はどのような政策的インプリケーションを意味するものだろうか。
■「政策研究『中国人民元 国際化・デジタル化の示唆』」全文はこちら (※PDF 約4MB)
Summary
人民元国際化の可能性
一国・地域の通貨を国際化すること、すなわち、それを国際通貨にしていくというのは何を意味するものだろうか。そもそも通貨には価値の尺度、交換手段(決済機能)、価値の保存という三つの基本的な機能がある。通貨の国際化とは、これらの諸機能を国際的な取引や金融において発揮し、ウェイトを高めていくことであると一般的に認識されている。価値の保存といった場合、準備通貨としての役割も重要である。自国通貨が国際化した場合、国際貿易などの決済において為替リスクを管理しやすいメリットがある。反対に通貨が国際化した場合のデメリットも考えられる。それは自国通貨が海外で流通し国際通貨としてのステータスを維持するためのコストである。
具体的に通貨の国際化を進めるために、どのような条件を満たさなければならないのだろうか。基本的に国際貿易などにおいて当該通貨が広く使われるには当該通貨が広く信用を得なければならない。通貨に対する信認を得るために、まず、その国の経済はそれ相応の規模がないといけない。そして、その国の貿易と金融市場が開放されていなければならない。むろん、いかなる国にとっても、貿易と金融市場を開放することはそれなりのリスクに晒されることにもなる。
ここで、中国が目指す人民元国際化の戦略的目的と実現可能性およびその影響を検証することにする。振り返れば、中国は長い間、外貨不足に悩まされていた。1994年まで、中国は実質的に人民元と外国人専用の外貨兌換券(FEC)からなる二通貨体制であり、それを導入した狙いは外貨が個人に流れていかないことを目的とした為替集中制度のためであった。1990年代に入ってから、貿易黒字が順調に拡大し、外貨不足が緩和された。それを受けて、1994年、中国政府は外貨兌換券の発行を廃止し、人民元に一本化され外国人でも人民元で買い物することが可能になった。それから2年後、1996年中国政府は経常収支に関する自由兌換を宣言し、IMF8条国に移行した。
2001年、中国は念願の世界貿易機関(WTO)加盟を果たした。それをきっかけに多国籍企業を中心に外国企業は中国の安い労働力を利用すべく工場を中国に集約させるだけでなく、物流や流通などのサービス業も中国に集約されていった。中国の南部沿海部で機械やエレクトロニクスなどの産業クラスターが出来あがり、中国は徐々に世界の工場になっていった。それを受けて、中国国内で人民元国際化の気運が徐々に高まっていった。
中国経済はすでに世界二番目の規模にまで成長している。外貨兌換券が廃止された1994年、中国のGDPの世界シェアはわずか2%だったが、2021年、18.1%と急拡大した(同年のアメリカは23.9%、日本は5.1%)。中国政府が人民元を国際化しようとする背景には、このような急激な経済成長があると思われる。ただし、経済規模の拡大だけでは、人民元は国際化しない。同時に、金融市場を開放し、関連の法整備も進める必要がある。
人民元のデジタル化
1990年代後半、もう一つの変化はIT革命の勃興である。今、中国は世界でデジタル産業の発展をリードしているといわれている。当時、アメリカに留学していた中国人若者ははじめてインタ―ネットというものに接して、それと同じものを中国で作れないか、試みた。EC(電子商取引)を中心にビジネスを展開するアリババが創業されたのは1999年だった。SNSサービスを主力商品とするテンセント(Tencent)が創業されたのは1998年だった。検索エンジンの百度(Baidu.com)は2000年に創業された。
2021年、中国国内のインターネット利用者数ははじめて10億人を突破した。2022年、インターネット普及率(利用者数÷総人口)は74.4%に達した。インターネットインフラが整備されたのを受け、ネットビジネスのサービスも多様化するようになった。その一つはスマホ決済である。具体的にはアリババグループの「支付宝」(Ali Pay)とテンセントグループの「微信支付」(WeChat Pay)が主力ツールとなっている。スマホ決済が広く受け入れられているのは支払い機能や送金機能などの利便性のほか、国有銀行を中心に提供している金融サービスの不便さと偽札が横行している現実を鑑みて、現金で支払う側と受け取る側のいずれもスマホ決済を選好するからである。
今の中国でデジタル人民元を普及させようとすれば、各々の消費者にスマホ決済とデジタル人民元のいずれかを選択してもらうことになる。スマホ決済を利用する際、とくに不便を感じないなかで、わざわざデジタル人民元を利用する必要性がそれほど高くないのは事実である。利用者からみれば、デジタル人民元とスマホ決済は機能面において重なる部分が多いため、同時に両方を使う必要性はないという意見が少なくない。
ただし、スマホ決済はデジタル通貨の決済機能を兼ねて決済サービスを提供しているが、デジタル通貨そのものではない。現状において消費者は給料などをもらい、銀行などに預貯金し、消費や投資などの支払いについてスマホ決済を利用するという組み合わせについてとりわけ不便を感じるわけではない。
既存のスマホ決済とデジタル通貨の機能に関する論点整理が簡単になされているが、デジタル通貨を導入した場合、信用創造、金融仲介と金融政策にどのような影響を及ぼすかについて研究が十分に進んでおらず、それに関する制度作りと技術面の手当などについても、先進国でさえ遅れがちになっている。一つはシステムの安全性の問題である。もう一つはデジタル通貨を利用した際のデータ管理の問題である。ただし、これらの問題が十分に解決されていないとはいえ、時代は間違いなくデジタル通貨が主導する方向へ突き進んでいる。これから繰り広げられるのはデジタル時代の通貨覇権をどの国が握るかということはもとよりデジタル時代の国際標準をどのように策定していくかが重要なポイントである。中国は新興国として積極的にデジタル通貨の標準化に関わろうとしている。
日中金融協力のあり方
日本と中国の経済相互依存を考えれば、日中両国は金融協力を強化することが重要であると思われる。一方、現下の日本における対中国の国民感情を踏まえれば、日中協力を主張するだけで強く批判される空気が漂っている。日中協力よりも、中国に対する警戒を強化すべきとの論調が多いように思われる。むろん、本研究プログラム(人民元の国際化とデジタル化-国際金融システムへのインプリケーション」研究プログラム)は日本社会の表層的な空気感に迎合するためのものではない。人民元の国際化とデジタル化の事実を明らかにし、日本にとってどのような示唆があるかを示すものである。
そもそもなぜ日中金融協力が必要なのだろうか。有識者の意見を簡単に総括すると、次の諸点に集約される。一つは、中国に進出している日本企業のためである。もう一つは日本の金融機関のビジネスのためである。そしてそれらには、具体的な協力について官民一体の努力が必要であるといわれている。
これらの主張は間違っていないが、具体的に日中金融協力によって日本がどのようなメリットを得られるのだろうか。日本政府および金融業界において日中金融協力が必要と考える実際の背景はコロナ禍前から、日本では少子高齢化が進み、中国という人口大国との連携強化で日本経済はさらに成長することができると期待されている。人民元の国際化に関連しては、日本の銀行が人民元決済銀行として指定を受けることで日本は人民元決済センターとしてのポジションを手に入れることができる。
問題はコロナ禍後、日中経済協力の強化よりも、中国と距離を置くべきであるという警戒論が強まっていることだ。3年間のコロナ禍において日中の経済対話は停滞した。担当者レベルでは、協力が必要と考えているかもしれないが、政策のプライオリティにおいて日中の経済協力が劣後になっている。
とはいえ、日中関係がこれ以上トーンダウンした場合、双方にとって大きなロスを被ることになる。これ以上日中関係が悪化せず、あるいは安定させるには、金融協力を含む経済協力全般についてルールを明確化することが重要である。
本研究で得られた政策インプリケーション
本研究プログラムで中国における人民元国際化・デジタル化の動きを制度的に考察してきた。同時に、中国政府が実行している関連の政策も概観してきた。結論的にいえば、人民元の国際化とデジタル化のいずれも簡単には実現しないが、中国が経済成長を持続すれば、少しずつ前進していくのは間違いないことである。
中国は世界二番目の経済大国であり、その通貨が国際化するのは世界にとって脅威ではない。むろん、人民元の為替レート決定メカニズムの透明性と人民元の兌換性が高くなければ、人民元の国際化も限定的にしか進まないはずである。
同様に人民元のデジタル化は技術の進歩が待たれる。とくに、個人情報の管理に関わるセキュリティの問題と既存のスマホ決済とのすみわけ問題などの解決も課題である。近い将来に中国人がリテール決済や貯蓄において大半をデジタル人民元に移行することは考えにくい。
最後に、本研究から得られた日本に対する示唆について述べておこう。
まず、円の国際化について、今後ハード・カレンシーとしての特性を生かして存在感を高める努力が必要だ。日本は成熟した工業国である。少子高齢化が進んでいる現実を踏まえれば、これから量的に拡張を目指す経済成長よりも、質的向上を目指すことになる。すでに国際通貨とハード・カレンシーになっている円の使い勝手をよくすることで決済通貨と準備通貨としての重要性を高める余地がある。
日中の金融協力と通貨協力は双方に利するものである。日本にとって中国は最大の貿易相手国である。同時に、中国の対外輸出に中国進出している日本企業が大きく寄与しているのも事実である。したがって、日中の国際貿易と金融取引を安定させるために、日中の通貨協力が不可欠である。
一方、デジタル円について日本では、日本銀行を中心に実験と検討が進められている段階にあり、中国と同様に技術の進歩と制度的な検討が必要である。長い目でみると、現金を使用するウェイトが下がるのは確実だが、デジタル通貨(CBDC)はそれにとって代わるには依然として高いハードルが待ち構えている。
同じ文脈で考えれば、デジタル人民元(e-CNY)が中国国内で実験的に導入されているが、実験範囲の広がりは緩やかである。ただし、日本と違って、中国経済に深く依存しているカンボジアなど東南アジアの小国でAli Payなどのスマホ決済がすでに浸透している現実を考えれば、近い将来、デジタル人民元の流通もありうることだろう。
むろん、それは決済通貨と準備通貨としてのドル、ユーロと円の地位を大きく脅かすものとは思えない。米中対立の副産物として、日米欧の金融当局の間で、中国を意識しつつ、途上国債務処理、中銀デジタル通貨などの課題についてより緊密な連携・協力が進んでいくだろう。重要なのは日米欧の協力は強化されるが、それは中国を排除するためではなく、中国を国際通貨協力の枠組みに受け入れて、既存の国際ルールに従うよう働きかけることである。
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