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富裕層の移動と主権国家の課税権
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富裕層の移動と主権国家の課税権

August 30, 2024

R-2024-030

スター選手たちのプレー地と納税地
課税権と国際法のルール
ケーススタディ 居住地の移転による税のがれは成功するか
居住者扱いの延長という対抗策
国外の非居住者に税を執行できるか
海外に移住した富裕層に対人管轄権を拡張することに理由はあるか
おわりに


国内に住所があれば全世界の所得や資産について課税されるが、国内に住所がなければ課税対象は国内のものに限られる。人や財産が移動すると、富を蓄え、人的資本を形成し、活動した場所と、そこから生まれた富や所得に課税が行われる場所が異なることが起こるようになる。また、移住により税を免れる試みも現れてくる。こうしたことが国民国家の公共サービスの財源である税収の帰属先に与える影響は、富裕層について顕著になる。本稿では、税制の基盤である主権国家との人的なつながりに基づく課税について、最近の事例にも触れながら考えてみたい。

▼スター選手たちのプレー地と納税地

国境を越えて活躍することが宿命のスター選手の課税についての話題から始めよう。

サッカーJリーグ、ヴィッセル神戸で2023年までプレーしていたスペイン人スター選手、アンドレス・イニエスタ選手が税務調査を受け、年の途中で来日した2018年分についても日本の居住者であると認定され、多額の追徴課税を受けたことが報じられた。イニエスタ選手はスペインで居住者として申告済であり、両国で二重課税になっていると訴えている。(2024323日各紙)

大谷翔平選手は、202312月にドジャース球団との間で10年間、総額7億ドルの契約を結び、68千万ドルは11年後から10年間の「後払い」で受け取ることとした。9千万ドルの税収を失う可能性があるカリフォルニア州議会上院のベッカー議員(民主党)は、「現行税制は高額所得者の所得繰延を無制限に許し、税負担の歪みを生んでいる。米国議会に対し、繰り延べ報酬に上限を設けるよう求める」とする決議(SJR14)の採択を提案している(20248月現在審議中)[1]。可能性が高いとは言えないが、連邦議会が税制改正に応じたらShohei Taxとでも呼ばれるのかもしれない。

イニエスタ選手は非居住者であれば税率は20%だが、居住者になれば最高45%(国税)で課税される。大谷選手が11年後にカリフォルニアに住むことを選択しなければ、カリフォルニア州は最高13.3%の州所得税を課税できなくなる。

▼課税権と国際法のルール

税を課すためには、根拠となる税法が必要であり(立法管轄権)、法を執行する(執行管轄権)必要がある。これらについてはどのようなルールがあるだろうか。

米国議会租税合同委員会のレポートは、お互いに対等の主権国家の課税権と国際法の関係について、次のように述べている。

国際法は、一般に、主権国家と十分な関連性(ネクサス)を有する行為や人物を規制する規則を定める権利を各主権国家が有することを認めている。ネクサスは、関連する者と主権国家とのつながりに基づく場合もあれば、領土、すなわち、 関連する行為と主権国家とのつながりに基づくネクサスである場合もある。 ただし、各国は自国の法律が域外適用される範囲に関する制限を尊重している。このような規範は、課税を含むクロスボーダーの貿易や経済取引を規制する権限にも及んでいる。(JCX-16R-212頁。筆者が一部簡素化して仮訳)

居住や国籍など、主権国家との人的なつながりに基づく課税は「居住地管轄」と呼ばれ、日本を含む多くの国は全世界の所得や資産に課税している。

▼ケーススタディ 居住地の移転による税のがれは成功するか

居住地を移転させることで課税を免れる試みは単純にみえる。所得税のない国(例えばアラブ首長国連邦やモナコ)や税率の低い国(例えばシンガポール)に住所を移し、外国に移した所得を受け取るだけだ。

過去にあった例に取材した事例に基づいて考えてみよう。次にのべる事例Aと事例B。税逃れの試みが成功したのはどちらだろうか(結果について後述)。

事例A 個人A124日にシンガポールに日本法人の株券を持って転出し、翌年16日に株式譲渡契約を締結し、112日に香港で株券(国外財産)を交付し引き換えに代金を受領することで日本の課税(所得19億円)を免れることができるか。

事例B 日本居住者である贈与者Xが保有していた日本法人の株式をオランダ法人に売却し(国外財産に転換)、Xの子供である受贈者Bが住所を香港に移した後に、XからBにオランダ法人の出資を贈与することで日本の贈与税(1300億円)を免れることができるか。

▼居住者扱いの延長という対抗策

 (青写真の提案)

7月のG20の際に議長国ブラジルの委託によりフランスの経済学者Gabriel Zucmanが提出した「超富裕層に対する最低実効税率課税基準のための青写真」(以下「青写真」)は、多くの国では、富裕層が出国した日から非居住者とされれば、富を蓄えた国で課税を受けなくなるが、この結果は極端であると指摘する。そして、税のがれのために富裕層が住所を移すインセンティブを削ぐため、億万長者については海外に移住した後も一定の年数、課税上は居住者として扱う制度を提案している。(37頁)

成人してから40年間A国に住んでいた甲氏がB国に移住したとする。

A国は一定の期間、甲氏を居住者であった時と同様に課税し、B国で支払った税があればA国の税から税額控除する。

ただし、この延長された居住期間の納税義務は、A国出国後の期間の経過により減じることとする。移住後最初の年には、A国居住者であった場合の納税額の40/41相当額、2年目には40/42である。

 
この提案は、A国の課税権が移住した後も長期間残る点でドラスティックに見えるが、A国が市民課税を行う米国であれば、甲氏は生涯米国の課税を受けており、それはそれで極端な結果だ。このため、青写真はこの提案を”中間的“と呼んでいる。

 (各国の経験)

非居住者になった後も課税上居住者扱いを一定の期間続ける制度を持つ国は存在する。

例えば、日本の相続・贈与税の例がある。贈与者、受贈者のどちらかが贈与前の10年以内のいずれかの時点で日本に居住していた日本人の場合、「非居住無制限納税義務者」として居住者の場合と同様、全世界の財産について贈与税が課税される。なお、相続・贈与税については、国際的な二重課税の可能性は大きくないし、米国との一例を除いて租税条約もない。

ノルウエーは、10年以上居住者であった者が外国に移住した場合、3年間は引き続き税務上は居住者として課税される。なお、ノルウエーで非居住者になるためには、課税年度中のノルウエーの滞在日数が61日以内であるほか、本人及び親族がノルウエーに居住地を持たないなど、高いハードルがある。

各国の経験は、国籍や長期間居住していた納税者について、出国してからも対人主権に基づいて全世界課税をすることが国際法に承認されているとみなせることや、租税回避対抗措置が租税条約の規定に直ちに抵触しない可能性を示唆している(グラクソ事件最高裁判決(平成211029日)3頁参照)

制度の概要を表にまとめる。

(表)非居住者に対する居住者課税の延長制度

税目 要件 延長期間(出国後)
国籍 居住
日本 相続・贈与税 あり 贈与等の前10
以内のいずれかの時点
10年間
ノルウエー 所得税・富裕税 なし 出国前10年間 3年間
青写真 富裕税 なし 出国前510 15~20
米国 所得税 あり 該当しない 無制限

(出所)財務省「税制改正の解説」(2017577頁、ノルウエー国税庁ホームページ、「青写真」3.2節及びEU Tax Observatory20233.2節より筆者作成。

▼国外の非居住者に税を執行できるか

非居住者に対する課税であるから、執行管轄権の厳しい制約がある。非居住者に適正な申告をさせることは果たして現実的か。

この点について、わが国は、納税義務のある非居住者に対して、国内に「納税管理人」を選任する法令上の義務を課しているほか、2022年からは、納税者が納税管理人を選任しなかった場合には、税務署長が国内にいる生計を一にする親族等を「特定納税管理人」として指定することができる制度が導入されている。

米国は、5万ドル以上の税を滞納して出国した米国人について、内国歳入庁が国務省(外務省に相当)と連携することによりパスポートを失効させることが可能な法律を、オバマ政権当時の2015年に導入している(IRC 7345条)。

▼海外に移住した富裕層に対人管轄権を拡張することに理由はあるか。

これについては、租税回避防止のためという説明と、出身国で受けた公的サービスや機会による応益原則による説明があり得るだろう。

日本の制度の趣旨目的について、財務省(2017577頁は、「人・財産を国外に移転することにより、簡単に外国に所在する財産を相続税及び贈与税の課税対象から除くことができます。こうした租税回避に対応するため」と説明している。

青写真37頁は、「ある国に長く住み、その国で金持ちになった富裕層は、その国で受けた教育、事業を成功させたインフラや公共財、医療制度、法制度、司法制度などに少なくとも成功の一端を負っているという事実によって正当化できる」と述べ、応益原則による課税根拠を主張している。成功できたのは社会的インフラのおかげでもあるということだ。

国籍に基づく課税制度を持つ米国でも、米国市民は国から便益を得ていることが市民課税の根拠になっている[2]

▼おわりに

ケーススタディの答え合わせをしよう。事例Aも事例Bも日本での課税を免れることに成功した。しかし、その後の税制改正により対策が講じられている。事例Aは、2015年に国外転出時課税制度(いわゆる出国税)が導入されたことにより、出国時の時価で含み益に課税されるようになった。事例Bは、贈与の前10年間に贈与者・受贈者のいずれかが日本国籍を持ち日本の居住者であった場合、居住者同様、海外の財産も贈与税の対象になっている。

このようにみると、この分野での税制の制度設計は、課税管轄(居住地管轄)から離脱するという荒っぽい手段による租税回避策に対するいたちごっこで形成されてきたように思われる。本稿では、移住により課税を免れる行為に対抗するため、億万長者について引き続き税務上は居住者として課税するアプローチが「青写真」で提案されており、応益原則により正当化されると主張されていることを紹介した。

国全体のあるべき累進度を構想する際に、富裕層が移住により簡単に税を回避できるといった抜け穴があっては信頼を得られないので、課税上の住所を簡単に変更できないようにすることは必要な措置だ。しかし、そのありかたについては十分考えることも必要だろう。スタースポーツ選手が活躍することでプレーが盛り上がるように、有能な人材や、リスクをとる投資家がイノベーションを生み、超過利益の源泉を生んでいる。人的資本の向上策(森信税の交差点」92回)や、オープンイノベーション促進税制など、政策的な促進策とのバランスを確保することは、課税対象となる人々の支持をとりつけるためにも大事だろう。

制度設計においては富裕層の税負担の適正化や租税回避対抗のために必要な範囲を見極めることが大切であり、国際的な意見交換はそのことに役立つだろう。閾値(しきいち)を設けた青写真の提案は、方向性としては理にかなっている。対象を軽課税国に移住した場合に絞ることもあってよいだろう。

20247月のG20(ブラジル)で、採択された宣言の中で、財務大臣たちは「租税主権を十分に尊重し、超富裕層が効果的に課税されるよう協力する。」ことにコミットした(パラ13)(拙稿参照)。リターンに課税されれば有能な人材やリスクを取る投資家が海外に移住する[3]、というが、それが可能なのは所得税の軽課税国があるからにすぎず、税のがれの機会を制限すればよいだけのことだ。G20のイニシアチブは、1国だけでは困難なこの作業にとって明るい展望と言えるだろう。

富裕層課税の分野におけるわが国の経験は、いたちごっこの抜け穴ふさぎだったかもしれないが、G20のイニシアチブにおける各国の議論の参考になるものが多いはずだ。同時に、国際的な議論から得られる知見がフィードバックされ、この分野におけるわが国の議論が深化することを期待したい。


参考文献

財務省(2017) 「税制改正の解説」

EU Tax Observatory2023)「Global Tax Evasion Report 2024


[1] なお、決議案は大谷選手が節税したと糾弾してはいない。大谷選手個人については、ベースボールプレーヤーではなく”ピッチャ―兼バッターのオータニ”と呼ぶなど、傑出した実績に対する敬意を感じる。

[2]メキシコに20年間住む米国籍の納税者が、米国外であるメキシコの資産からの所得に対する米国の課税の取消を訴えた裁判において、米最高裁判所は「政府はその性質上、どこにいても市民とその財産に恩恵を与えるものであり、したがって、その恩恵を完全なものにする権力を有する」と述べて訴えを退けた。 Cook v. Tait (1924) パラ9 なお、米国市民課税の起源には、南北戦争当時にリンカーン大統領が戦費調達のために所得税を導入した際、海外居住の米国人も税を負担すべきという「国に対する納税の義務」の考え方があった。

[3] ただし、富裕層が税を理由に移住していることをはっきり示すデータはないようだ。青写真は、富裕層の国外への移動のリスクは、ここ数十年、富裕層への課税の軽減を支持する主な論拠となってきたが、それは実際より誇張されており、実証的な研究によるとゼロではないが大きくないとしている(31頁)。また、億万長者(フォーブス誌の基準による)が国籍の異なる国に住む者の割合は、2010年から89.5%程度でおおむね横ばいであるとしている(Figure 8)。

 

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