R-2023-041
はじめに
かつては長期に渡り物価が下落するというデフレーションに苛まれていた日本経済であったが、近年は食料品価格を中心とした継続的な値上げであるインフレーション(以下、「インフレ」とする)が消費者の生活を圧迫している。株式会社帝国データバンクが2023年7月31日に公表した『「食品主要195社」の価格改定動向調査』[1]によれば、8月に値上げをする食品は1102品目と報告され、値上げ疲れや生活防衛志向などの指摘もなされている。足元では、ガソリンや電気・ガスの価格上昇も加わり、家計の先行き不透明さは増すばかりである。
本Reviewでは、令和以降のインフレにどのような特徴があるかを考察していく。ここでは、物価を表すデータとして、総務省が公表する消費者物価指数 (Consumer Price Index: CPI)の他に、日経CPI Now (以下、「日経CPI」とする)という食料品・日用品に特化した物価データを使用する。2000年以降でインフレが起きたとされる2008年前後と比較分析することで、現状の特徴を抽出する。そして、消費者の購買行動に関する統計データを示すことで、昨今のインフレの特徴及び消費行動を示す基礎材料を提示していく。
一般物価と食料価格指数について
一般的にインフレ動向は、CPIの総合指数で示される。しかし、消費者は、食費や光熱費などから価格の変化を感じることが多いことを踏まえ、本Reviewでは、前述したように食料品によって作成される物価データを用いて考察を行う。CPIの中で食料品(分類名 食料)は、総合指数に対して最も高いウェイトを占めていることから、食料品の価格変動は総合指数へ大きく寄与することになる。まず、一般物価水準とされる総合指数と食料指数の推移を見ていく。図1は、CPI総合と食料の月次指数[2]について2000年以降の推移を描いたものである。
図1 CPI総合と食料指数の推移
図1上段の原数値の推移を見ると、食料指数は総合に比べて低い値であったが、2020年以降は逆転し、食料価格指数の上昇が総合指数を牽引している。また、下段の前年同月比[3]を見ると、食料指数は総合指数に比べて、変動が大きいことがわかる。そして、足元では8%を超える水準となっていることから、マクロでみるインフレと消費者が感じるインフレには乖離が生じているとみられる。このことから、消費者のインフレマインドの源泉は食料品などの価格変動から考察することが出来よう。
そして、このCPIには、直近の数量変化が反映されないという問題点がある。CPIはラスパイレス型指数と呼ばれ、基準時点の数量を固定して、指数が作成される。言い換えれば、2020年の販売数量が不変であるとして、価格変化のみが指数に顕現される。このことから、渡辺 (2022)では、昨今の物価高による買い控えを過大に評価する恐れがあると指摘されている。現状分析をする上では、こうした問題点を補正ないし、対処したデータを用いる必要がある。このことから、本Reviewでは日経CPI を用いて、近年のインフレ動向を分析する。
日経CPI Nowの概要
日経CPIは、かつては日経・東大日次物価指数と呼ばれていたものであり、現在は株式会社ナウキャスト(以下、「ナウキャスト社」とする)[4]より販売・提供されている。この日経CPIは、日経POS情報[5]というオルタナティブ・データ[6]をベースに作成され、スーパーなど小売店から提供された販売・価格情報を集計した食料品・日用品に特化した価格指数である。
日経CPIには、従来のCPIと比べて、以下の優位点がある。まず、CPIの問題点であった数量変化に対応している点である。この指数はトルンクビスト型によって計算されている[7]。簡潔に説明すると、日々のPOSデータから217品目の価格だけでなく数量情報も利用していることから、足元の価格上昇に対する買い控えなどの状態変化が精微に反映される形式となっている。もう1つは速報性が高い点である。CPIでは、直近でも約1ヶ月前の情報が開示されるのに対して、日経CPIは数日前の日次データが公表される。これにより、コロナ禍からの消費の回復過程や足元の物価高など時間的に詳細な動きが読み取れる。
次に、実際の日経CPIの動きについて紹介する。図2はナウキャスト社が提供する総合指数日次(上段)と月次(下段)を描いたものである。
図2 日経CPIの時系列プロット
まず、図2の上段を見ると、7日平均に比べ、日々の物価変動は非常にボラタイルであることがわかる。次に下段では、ナウキャスト社が日経CPIと比較可能にするために総務省のCPIを修正したもの[8]を比較対象として描画している。両者を比較すると、上述したように従来のCPIは数量変化に未対応であるゆえ、日経CPIよりも上方に位置している。日経CPIを真と仮定するならば、総務省が算出・公表しているCPIは現状を過大に評価している可能性がある。
そして、日経CPIには、全国総合指数の他に、品目別、寄与度、価格改定頻度、売上高などが収録されている。また、地域のブロックや都市別でも統計データが収録されていることから、物価のマイクロ分析だけでなく、地域などのマクロより細かい経済主体の分析にも有用なラインナップとなっている。本Reviewでは、この日経CPIを用いて、足元のインフレ動向について分析を進める。
世界同時不況期と比較した令和インフレの特徴
ここでは、足元の物価高の特徴について、品目別データを用いて、食料品や日用品の中でどの商品がインフレを牽引しているのかを可視化させる。具体的には日経CPIの全国月次品目別寄与度を使用し、箱ひげ図のプロットとクラスター分析を行う。次に、2000年以降でインフレが起きた時期(2007年9月から2008年11月)を比較対象とする。同時期は、金融危機による世界同時不況の時期であり、景気後退による需要の減少に加えて、原油価格の高騰から、インフレが起きた期間である。直近のインフレ期は2021年5月から2023年7月までとする。
まず、両期間における各月の寄与度概況を可視化させるために、図3において箱ひげ図にまとめた。この図はデータの分布状況を可視化させる際に使用される。各月の四角いボックスは四分位範囲[9]を表し、ボックスが縦に長い長方形になるほどデータのばらつき具合が大きいことを示す。また、菱形で図示されたものは、四分位範囲を超える異常値と呼ばれる。
図3 2期間の箱ひげ図
2007-08年のインフレ期(図3の上段)では、次第に四分位範囲を超える異常値が増えてきている。一方で、直近のインフレ期においては、初期段階ではインフレに大きく寄与する品目がある一方で、引き下げ品目も存在していた。しかし、2023年に入り、1つの品目の寄与度が突出している。これは、次のクラスター分析でも言及するが、「生鮮卵」である。そして、四分位範囲の値は、2007-08期では平均で0.5%程度であったのに対して、足元のインフレ期では3%程度と品目によって大きく異なる状況となっている。
次に、何がインフレに寄与しているのかという詳細についてみていく。本Reviewではクラスター分析によって、品目の分類を行う。この分析は、集められたデータから似た性質を持つデータをまとめ、クラスター(属性)としてグループ分けする方法であり、機械学習の分類手法の1つとして知られている。ここでは、非階層型k-平均法[10]を使用し、分類数は4とし、結果は以下の表1にまとめられている。
表1 各期間のクラスター分析結果
表1には、それぞれのグループに属する品目数とそれらの平均値を記載し、クラスの数が高ければ、インフレへの寄与が高いことを意味している。2007-08期では最も寄与度が高いグループ(クラス3)に属する品目数は3であったのに対して、直近では1に減少している。一方で、次点であるクラス2の品目数は5から10に増加している。平均寄与率の結果は、2007-08期はクラス0が価格上昇へマイナスとなっていたが、足元では平均的にプラスに寄与している。このことから、食料品・日用品全体で価格上昇しているものとみられる。
次に、インフレを牽引する品目は何かについて紹介する。表2は寄与率の高いクラス2と3の品目についてまとめている。
表2 クラス2と3に属する品目
表2より、両期間の共通する特徴として、麺類、牛乳、パン類、食用油が寄与度の高いグループに分類される点である。そして、令和のインフレ特徴としては、生鮮卵の大幅な価格上昇だけでなく、冷凍総菜・キャットフード・発泡酒が追加品目として出てきている点である。いずれも原材料価格・エネルギー価格の高騰に加え、急速な円安などの影響で価格転嫁したものとみられる。
最後に、グループ分けした結果は以下の図4で可視化する。図4の横軸と縦軸は、それぞれ分析に使用した標本の開始と最後の時点としている。これにより、右上方向にある品目は一貫してインフレに高い寄与度を持つことになる。
図4 クラスター分析と時間的変化
図4の右側より令和インフレ期は、生鮮卵(クラス3)が突出していることがわかる。全体の散らばり具合を見ても、近年はどの品目でも値上げが続いていることから、2007-08期よりもデータのばらつきが大きくなっている。
令和インフレ下における消費行動の変化
ここでは、近年の価格上昇に対して、消費者の購買行動がどのように変化しているかについて、総務省家計調査月報品目別データより現状を概観する。使用項目は購入頻度と購入数量であり、これらを前年同月比にしたものをプロットしていく。品目については、前節でインフレ寄与度の高いかつ利用可能なもの[11]に絞り、まとめる。
図5 購入頻度
図5より食パン、牛乳、卵、食用油はマイナス域で推移していることから、これらの品目に対して買い控えが起きている可能性がある。一方で、近年のインフレに高い寄与度を有する発泡酒は大幅に伸びている。
また、購入数量について考察する。図6は購入数量の前年同月比をまとめたものである。
図6 購入数量
図6より購入数量については、発泡酒を除いて大きな変化は見られない。消費者の買い控えは数量よりも頻度の方で顕著に見られると考えられる。
最後に、酒類の中で発泡酒だけが伸びている理由として以下の価格変化が考えられる。2022年10月に酒類メーカー各社はコストアップの価格転嫁として酒類に対して店頭想定価格の引き上げを行った。発泡酒の購入頻度が伸びている2022年10月前後における小売物価統計の酒類(チューハイ・ビール・発泡酒・ビール風アルコール飲料)の1缶当たりの平均単価[12]を算出し、以下の表にまとめた。
表3 酒類の平均価格
表より、発泡酒はチューハイやビール風アルコール飲料に比べて、価格自体は高いが、値上げ幅は小さいことから相対的に選択されたものと考えられる。
まとめ
本Reviewでは、物価データとりわけ日経CPIという食料品・日用品に特化した品目別のマイクロデータを使用し、直近のインフレの特徴について簡単な分析と考察を行った。現状を分析する上で、2008年前後の金融危機時におけるインフレ期と比較を行った。比較の結果として、現在は、パンや麺類だけでなく発泡酒や冷凍食品などの価格上昇がインフレに寄与していることが明らかとなった。また、こうした身近な商品の値上げに対して、消費者は数量よりも購入頻度を減らすことで、調整を図っている可能性があることを示した。
最後に、今後の課題は以下の通りである。日経CPIは日次で公表される速報性の高いデータベースであり、消費行動の分析に非常に有用である。地域別データなども公表されていることから、地域の物価動向や波及効果、景気への影響など分析出来ることは数多くある。また、物価は金融政策の重要課題であることから、トレンド分析なども重要である。Chan et al.,(2018)ではインフレのトレンドモデルが提案されているが、推定方法が日次などの頻度の高いデータには対応していない。このことから、改良した方法を提案し、実証分析を行う必要がある。これらは今後の課題としていきたい。
参考文献
- Chan, J C. C., Clark, T E., and Koop, G. (2018) “A new model of inflation, trend inflation, and long-run inflation expectations”, Journal of Money, Credit and Banking, 50, p.5-53.
- 平田 英明 (2023) 「景気動向分析におけるオルタナティブ・データの現在地」東京財団政策研究所 REVIEW R-2022-133 2023年3月13日
- 渡辺 努 (2022) 『物価とは何か』講談社選書メチエ
- Watanabe, K. and Watanabe, T. (2014) “Estimating daily inflation using scanner data: A progress report”,CARF working paper series, CARF-F-342, February 2014.
[1] 詳細については、https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/p230717.pdfを参照のこと。
[2] CPIはともに2020年基準を使用している。
[3] 食料価格は季節性があることから調整のために前年同月比が用いられる。総務省統計局には季節調整済みの指数が公開されているが、2010月2月以降しか公開されていないことから、ここでは前年同月比に変換したデータを用いる。
[4] 株式会社ナウキャストについては、次のURLを参照のこと。URL: https://nowcast.co.jp
[5] 日経POS情報については、次のURLを参照のこと。URL: https://nkpos.nikkei.co.jp
[6] オルタナティブ・データの定義や利活用に関する詳細な説明は平田 (2023)を参照のこと。URL: https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4209
[7] トルンクビスト型価格指数の詳細については、Watanabe and Watanabe (2014)を参照のこと。
[8] CPIの中で日経CPIと同じ品目を買うための費用を指数化したものであり、mic_cpiというラベルでナウキャスト社より提供されているものを使用した。
[9] 四分位とはデータを昇順に並べたとき、そのデータ数で4等分した区切りの値を意味し、四分位範囲とは、小さい方から75%(第三四分位)と25%(第一四分位)の区切り値の差で求められる。
[10] データの分類はPythonのskleanのKMeans関数を使用した。関数の設定は以下のサイトを参照のこと。URL: https://scikit-learn.org/stable/modules/generated/sklearn.cluster.KMeans.html
[11] 家計調査では、項目によっては内容が記載されていないものがある。例えば、牛乳や卵の購入数量は非表示となっている。また、品目名称は日経CPIと統一されているわけではない。
[12] ここでは、都市別価格を平均化し、1缶当たりの価格を算出した。