R-2023-114
アベノミクスの「3本の矢」として、インフレ率2%の実現を目指し、2013年から実行された「異次元緩和」の手仕舞いが大きな局面に向かい始めている。その象徴が、日銀の植田和男総裁が2024年3月7日開催の参議院予算委員会で語った言葉ではないか。
この予算委員会において、植田総裁は、2%のインフレ目標が安定化する可能性につき、「実現する確度は引き続き少しずつ高まっている」とし、「実現が見通せる状況になれば、マイナス金利政策など大規模緩和策の修正を検討していく」と発言したのである。
周知のとおり、既に大規模緩和の修正は徐々に始まっており、国内物価の上昇などが続く中、日銀は昨年7月の金融政策決定会合において、イールドカーブ・コントロール(長短金利操作)を修正した。イールドカーブ・コントロールとは、短期金利をマイナス0.1%に誘導する一方、長期金利を低水準に抑制する政策で、昨年7月までは長期金利の上限を0.5%にとどめてきた。
しかしながら、昨年7月、日銀は事実上、長期金利の上限を0.5%から1%に引き上げる対応を行った。また、日銀は10月下旬の金融政策決定会合でも、イールドカーブ・コントロールの修正を行い、長期金利で事実上の上限としてきた1%を「目途」に改め、長期金利が1%を超えることも一定程度は容認する姿勢を示した。
このように、イールドカーブ・コントロールの要の一つである長期金利については、概ね自由に市場メカニズムで決まる方向性へ変わってきており、短期金利でのマイナス金利が解除できれば、イールドカーブ・コントロールの役割は概ね終了することになる。
マイナス金利がいつ解除になるのか、現時点で筆者は分からないが、春闘(労使間の賃金交渉)との関係も含め、2024年の3月か4月というのが専門家の多くの標準的な見方ではないか。春闘での賃金交渉は大企業を中心に2月から始まり、中小企業なども含めて概ね3月下旬には終了する。このため、日銀がこの春闘の経過や結果を見定めながら、マイナス金利を含む、大規模緩和の修正判断を行うというのが一般的な見方である。
理想的にはインフレ率を上回る賃上げが実現することが望ましい。なぜなら、先般(2024年3月7日)、厚生労働省が公表した2024年1月分の「毎月勤労統計調査」(速報、従業員5人以上の事業所)では、実質賃金の伸びが前年同月比で0.6%減であったためだ。これは、物価の伸びに名目賃金が追い付いていないことを意味し、実質賃金の伸びがマイナスとなるのは、22ヶ月連続である。
もっとも、マイナス幅が今回は縮小しており、この関係で注目されるのは、春闘(賃上げの労使交渉)後の実質賃金の伸びがどうなるかである。全従業員に占める大企業の従業員の割合は概ね3割だが、残りの7割は中小企業の従業員等で、春闘の結果が実質賃金の伸び全体にどう波及するかも注目に値する。
もっとも、マイナス金利が解除できても、本当の意味で金融政策の正常化が実現できるわけではない。既述のとおり、マイナス金利の解除は、イールドカーブ・コントロールの役割を概ね終了するだけで、これから問題となるのは、日銀が大量に保有する国債の扱いではないか。
財務省の資料「国債等の保有者別内訳」(令和5年9月末(速報))によると、政府が発行している国債残高1,066兆円のうち、約54%の574兆円を日銀が保有している。
この結果、日銀が供給しているマネタリーベースは、現時点(2024年2月)で662兆円(平均残高)に到達している。異次元緩和が始まる直前(2013年3月)のマネタリーベースは135兆円(平均残高)であったので、現在は約5倍の国債を保有していることを意味する。
その一方で、2023年度における国の債務残高(対GDP)は約255%にも達しているが、財政の持続可能性に対する大きな懸念が発生しないのは、これまで日銀が大規模緩和で大量に国債を買い取り、長期金利を低い水準に抑制できていた効果も大きい。
では、本格的に日銀が金融政策の正常化を進め、出口戦略として、保有する国債を市場に還流していったとき、長期金利が何%まで上昇する可能性があるのか。この試算をするため、筆者は2000年1月から2023年5月までの日銀等の月次データを用いて、日本の長期金利モデルで簡易推計を行った。この結果が以下の図表である。
図表 長期金利とマネタリーベース等との関係
被説明変数:日本の長期金利(2000年1月―2023年5月)
係数 | 標準誤差 | t値 | |
無担保コールレート | 0.57198*** | 0.116911 | 4.89 |
為替レート(円/ドル) | 0.006821*** | 0.001256 | 5.43 |
マネタリーベース平均残高 | -0.002413*** | 2.54×10^-4 | -9.49 |
日銀買入割合の対数 | -0.398507*** | 0.030704 | -12.97 |
政府債務合計 | -1.94E-03*** | 8.07×10^-4 | -2.407 |
政府債務合計の2乗 | 1.87E-06*** | 5.12×10^-7 | 3.65 |
定数項 | 2.04E+00*** | 3.63×10^-1 | 5.611 |
標本数 281 | |||
Adjusted R-squared 0.88758 |
(注)係数の***は1%有意水準で有意、 **は5%有意水準、*は10%有意水準で有意であることを示す。
その推計モデルに基づくと、いくつかのシナリオで長期金利の理論値が推計できる。例えば、日銀が現在保有する国債をバランスシートで持ち続けるシナリオだ。為替レートが1ドル150円の下、このシナリオを達成するため、日銀買入割合を57.6%とし、マネタリーベースを662兆円としても、マイナス金利の解除で無担保コールレートが0.05%になり、財政再建が進まず、政府債務が1,500兆円に膨らむと、長期金利の理論値は1.17%となり、1%を超えることが確認できる。
では、日銀がバランスシートを縮小し、保有する国債を市場に還流するケースはどうか。上記と同様の設定(為替レートが1ドル150円、無担保コールレートが0.05%、政府債務が1,500兆円)で、日銀買入割合を20%とし、マネタリーベースが450兆円になると、長期金利の理論値は2.1%となり、2%を超えてくる。
国債残高が1,000兆円や1,500兆円のとき、長期金利が2%であれば、国債の利払い費は20兆円や30兆円で済むが、長期金利が3%を超えてくると、国債の利払い費が30兆円や45兆円に膨らみ、財政が非常に厳しい状況になるのは明らかである。
ワシントン・ポスト(2024年1月27日)等の報道によると、アメリカの大統領選挙で再選に挑むトランプ氏が、2024年の大統領選で勝利した場合、対中国の輸入品に対し一律60%の関税を課すことや、中国以外との貿易の輸入品にも10%の関税を課す検討を行っている旨を報じている。
このような事態になれば、世界的に再びインフレ圧力が増し、日本でも長期金利で上昇圧力が高まる可能性も否定できない。長期金利の上昇が本格化する前に、もう一段の財政再建を進めておくことが望まれる。