インフレ率を超える賃金上昇があれば労働意欲が高まるのか? | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

東京財団政策研究所

詳細検索

東京財団政策研究所

インフレ率を超える賃金上昇があれば労働意欲が高まるのか?
画像提供:getty images

インフレ率を超える賃金上昇があれば労働意欲が高まるのか?

March 2, 2023

R-2022-127

賃上げは労働意欲を高めるのか?
過去の実験研究では矛盾した結果
純賃金錯覚と税回避を同時に分析

賃上げは労働意欲を高めるのか?

2023年1月4日に岸田文雄首相は、インフレ率を超える賃上げの実現を企業に求めていく考えを示した。インフレ率を超える賃上げが行われれば、実質賃金が上がる。実質賃金が増加すると消費も増え経済に好循環が生まれてくる。また、実質賃金の上昇は、労働者の労働意欲を高め労働供給を増やしたり、生産性を高めたりする可能性がある。

しかし、インフレ率を超える賃上げが行われても、手取りの実質賃金が増えるかどうかはわからない。雇用保険料の本人負担が2022年度までの0.3%から2023年度には0.6%になり、0.3%ポイント引き上げられるからだ。賃上げがインフレ率を0.1%ポイント超えるだけだと、手取りの実質賃金は下がってしまうのだ。

伝統的経済学では、インフレ率を超えた手取り賃金の上昇率に労働者は反応するはずだと考えられてきた。しかし、賃金が何%引き上げられるかを私たちが知るのは早いが、手取りの給料額を認識するのは、給料が振り込まれる段階である。伝統的経済学で考えられてきたように、私たちは本当に手取り賃金だけを指標にしているのだろうか。税引き前の賃金を指標にしているのであれば、所得税や社会保険料が引き上げられても、賃金が変わらなければ労働意欲は変わらないはずだ。逆に、手取り賃金で労働意欲が決まってくるのであれば、賃金が変わらなくても、社会保険料が引き上げられれば労働意欲は低下することになる。

過去の実験研究では矛盾した結果

税引き前の賃金と税引き後の手取り賃金のどちらに労働者は反応するのだろうか。過去の実験室実験では、矛盾した結果が得られている。

Fochman (2013)[1]の研究では、手取り賃金だけではなく、税引き前の賃金にも労働供給は影響を受けることを実験室実験で明らかにしている。彼らには実験参加者に手紙を折って封筒に入れるという作業を行ってもらった。手紙を一つ折って封筒に入れた数に応じて賃金がもらえる出来高給である。実験参加者は、税率がゼロ%のグループ、25%のグループ、50%のグループの3つのグループに分けられた。税率は異なるが、各グループで税引き後の手取り賃金は同じように設定された。つまり、税引き前の賃金だけが異なるのだ。伝統的経済学からは、この3つのグループで仕事量は全て同じになるはずだ。しかし、税率が高く、税引き前の賃金が高かったグループで一番生産性が高かったのだ。研究者たちは、この現象を「純賃金錯覚」と呼んでいる。

一方、増税によって賃金が下げられた時の方が単に賃金が下げられた時よりも生産性を引き下げるという実験結果もある。Kessler and Norton(2016)[2]は、実験参加者に対して、/ ) (_ <とスペースの7つの文字からなる9つの文字列を指定された順番でコンピューターにつぎつぎと入力していくという作業を行わせた。その際に、3つのグループが設定された。最初に提示された出来高給で仕事をしてもらうグループ、途中から賃金が引き下げられるグループ、そして、税金という名目で手取り賃金が引き下げられるグループである。伝統的経済学では、賃金が引き下げられた理由とは無関係に手取り賃金で生産性が決まるはずだ。しかし、賃金が下げられて手取り賃金が下がった時と増税されて手取り賃金が下がった時では、増税の方が労働者の生産性に悪影響があったのだ。研究者たちは、この結果を「税回避」現象と呼んでいる。この2つの研究結果は、矛盾しているように見える。純賃金錯覚では税金にあまり反応しないということだが、税回避では税金に大きく影響するということになるからだ。

純賃金錯覚と税回避を同時に分析

Mori, Kurokawa and Ohtake(2022)[3]は、純賃金錯覚と税回避を同時に分析できる実験を行って、これらの矛盾を解消することを試みた。実験参加者には、スライダータスクと呼ばれる作業をしてもらった。コンピューターの画面上に1本につきゼロから100までの表示がある48本のスライダーが表示されている。どのスライダーも最初は全てゼロの表示のところにある。実験参加者にはそれぞれのスライダーをマウスで動かして50のところまで移動させていくというタスクが与えられる。50のところまで動かすことができた回数に応じて賃金が支払われる。

全グループの実験参加者には税引き後の賃金報酬4ポイント(報酬5ポイント、税金1ポイントとして計算)を提示し、実際の作業課題を時間内で行ってもらう。次に、賃金カットのグループは、税引き前報酬が3ポイントに引き下げられるが税金は同じ1ポイントで、税引き後賃金報酬は2ポイントに半減される。一方、増税グループは、税引き前報酬は5ポイントのままだが、税金が3ポイントに引き上げられて、税引き後報酬が2ポイントに引き下げられる。どちらのグループも税引き後報酬は半減しているが、その理由が異なるのだ。

伝統的経済学であれば、どちらも同じだけ生産性を引き下げることになるはずだ。私たちの実験結果は、伝統的経済学の予測通り、生産性の低下の程度は、賃金カットと増税では変わらなかった。これらの結果は先行研究と異なっている。

純賃金錯覚が観察されなかったのは、実験セッション中に手取り賃金を変更することで、実験参加者が変化に気が付きやすかったことが原因だろうと私たちは予想している。また、税回避が観察されなかったのは、先行研究では最初に税金がない状態から税金が導入されていたのに対し、私たちの実験では最初から税金があり、それが増税されたという設定の違いに起因している可能性がある。つまり、新税だと嫌われるが、既存の税の増税だと特別な意識をしないで賃金カットと同じように認識するという可能性だ。

私たちの実験結果が、現実にも当てはまるとすれば、賃上げがインフレ率以上になされるだけでは不十分で、社会保険料率の上昇も上回らないと、労働者の労働意欲は高まらないということだ。

[1] Fochmann, M., Weimann, J., Blaufus, K., Hundsdoerfer, J., & Kiesewetter, D. (2013). Net Wage Illusion in a Real-Effort Experiment. Scandinavian Journal of Economics, 115(2), 476–484.

[2] Kessler, J. B., & Norton, M. I. (2016). Tax aversion in labor supply. Journal of Economic Behavior & Organization, 124, 15–28.

[3] Mori, T., H. Kurokawa, and F. Ohtake. (2022): “Labor Supply Reaction to Wage Cuts and Tax Increases: A Real-Effort Experiment,” FinanzArchiv, 78, 362–77.

 

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究員のコンテンツ

0%

PROGRAM-RELATED CONTENT

この研究員が所属するプログラムのコンテンツ

VIEW MORE

DOMAIN-RELATED CONTENT

同じ研究領域のコンテンツ

VIEW MORE

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム