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未来の水を担う次世代、とりわけ高校生のみなさんに、知っているようで知らない水にまつわるお話を、実務者・研究者の視点からお届けします。水に関わる専門家は、どんなきっかけで水分野に出会い、仕事として取り組むようになったのでしょうか?そこには、身近な疑問や10代の頃の経験、学びの過程で出会った本などが大きな影響を与えているかもしれません。ご自身の経験をベースに水分野に携わるきっかけや次世代に伝えたいメッセージを伺います。
・「土木」に惹かれ、そして河川へ ・河川を「管理する」とはどういうことか? ・河川の姿は社会の要請を写す「鏡」 ・「流域治水(りゅういきちすい)」という転換 ・もっと知りたいあなたに!黒川さんのお薦め本 ・訪ねてみよう!黒川さんお薦め水名所:北海道厚岸郡浜中町・琵琶瀬川の右支川一番川(黒川氏撮影) |
第5回 国土に働きかけ、人と人の協力で生活を支える〜国家公務員として水に関わる魅力
お話:黒川純一良さん(東京財団政策研究所「未来の水ビジョン懇話会」メンバー/公益社団法人日本河川協会 専務理事)
第5回は、日本河川協会専務理事の黒川純一良さんに、河川に関わる実務者の視点からお話を伺いました。水に関わる仕事を志した背景、国家公務員として河川の管理や住民とのコミュニケーションに携わってこられた経験を踏まえて、これから気候変動による自然災害の増加が予測される中、水と暮らしへの行政の取り組み、市民として求められる行動がどのように変わっていくのか、お考えを話していただきました。
東京財団政策研究所「未来の水ビジョン懇話会」メンバー。兵庫県出身。1986年建設省入省、河川分野を中心にダム事業、河川法改正、淀川河川整備計画見直し、災害対応などに携わる。2020年より現職。
「土木」に惹かれ、そして河川へ
―なぜ水に関わるお仕事を始めたのでしょうか?
私は研究者ではなく、国家公務員、行政官としてずっと仕事をしてきました。高校生のときに吉村昭さんの書かれた「高熱隧道(こうねつずいどう)」という本を読んで、土木技術者に強く惹かれ、大学では土木工学科を選んで、3年時の学外実習で岩手県釜石市の湾口防波堤の現場に行きました。一番深いところでは60m以上ある海に建設する巨大な防波堤で、今では使われない言葉だと思いますが、現場の人はみな「海の土方」として誇りを持って仕事をしていました。1ヶ月半ぐらいの実習で、いろいろな設計をさせてもらって、毎日本当に面白かったです。
ちなみに釜石の湾口防波堤自体は東日本大震災で崩れてしまったのですが、あの大津波でも粘り強く持ったらしく、崩れるまで時間を稼ぎ、津波の高さを低減させた効果があったと言われたので、当時の実習生として端っこの端っこに関われてよかったと思っています。
―研究者と行政官の一番の違いはなんでしょうか?
そのまま海岸の研究をしたいと思ったのですが、巡り合わせで河川の研究室で勉強することになり、国家公務員として建設省(現在の国土交通省)に入って約35年間、河川に関わる仕事をしています。
研究者ではなく、行政官として水に関わることの特徴として、社会とダイレクトにつながり、人々の生活を少しでもよい方向に変えていく手助けができること、それを施設や制度のような形として社会に残せることが挙げられると思います。
河川を「管理する」とはどういうことか?
―川の水はなぜ汚れるのでしょうか?
仕事を始めてすぐに関わったのが、「水質」の分野でした。私が建設省(今の国土交通省)に入った約35年前は川の汚れが大きな社会問題になっていました。この分野に携わる前は、工場排水など大きな汚染源が原因ではないかと漠然と思っていたのですが、実は水質汚濁防止法[1]で工場排水には既に厳しい規制が加えられており、主な汚染源は生活排水だったのです。
都市部ではトイレの排水は浄化槽で処理していたものの、それ以外の台所、洗濯、お風呂などの排水は各家庭からそのまま川などの公共用水域に流れ出ていました。つまり、川を汚していたのは自分たち自身だったということに改めて気付かされたわけです。その後、都市でも農村でも下水道の整備が急速に進み、川の水質はかなり改善されました。様々な生きものが川に帰って来て、かつて日本一水質の悪い川と言われていた近畿地方の大和川でも鮎が確認されるようになりました。
―川と私たちの生活はかなり近い関係にあるということですね。黒川さんのお仕事として「河川管理」という言葉が登場しますが、具体的にはどういうことでしょうか?
今我々が目にしている川は何も手を入れずにただ流れているわけではありません。国土の保全や国民の生活に特に重要とされる河川を一級河川[2]とし、国土交通省がその河川管理者となっています。
私が考える川の管理とは、川の機能が期待されている通りきちんと発揮できる状態にあるということです。川の機能には次の3つがあります[3]。
①治水:洪水から町や農地を守る
②利水:水道用水や農業用水を取る
③環境:水のきれいさを保っていろいろな生きものが暮らせるようにする
川自体も生きものなので、気候の変化などに応じて毎年のように状況は変わりますが、これらが維持されるようにするのが川の管理だと思っています。
河川の姿は社会の要請を写す「鏡」
―公的に川を管理するという考え方は、いつから始まったのでしょうか?
政府が上流から下流までを見渡して、法律で川を管理するのは1896(明治29)年の河川法が始まりですが、人が川に働きかけ、その機能を暮らしに役立てることは、もっとずっと昔から行われています。江戸時代には幕府や藩、それ以前には戦国大名が川を管理する例がありました。ある程度以上の規模の川の整備をするには財力と権力が必要になりますが、地域ごとに川から水をとってきて農業に使うような管理は、それこそ農耕が始まった時代から、地域住民によって行われていたと思います。
―川に求められる役割は社会の変化に応じて変わってくるということですね。
時代とともに川に求められるものは変わります。明治時代初期までは農業用水の確保と舟運が重要な川の機能で、平常時の水位を対象にした「低水管理」が基本でした。それに対して、1896(明治29)年の河川法では、非常時の水害防除が目的として入り、河川への働きかけが大きく変わりました。1945(昭和20)年に太平洋戦争が終わった後に求められたのは、食糧生産と傷んだ国土の回復でした。さらに追い討ちをかけるように、カスリーン台風(1947年)、狩野川台風(1958年)、伊勢湾台風(1959年)といった大きな水害が続きました。
1950年代半ばから高度経済成長が始まると、水道用水、工業用水等の需要が急増し、これまで水を使ってきた既存の権利者との調整が課題となりました。農業や既存の水力発電など、川を流れる水はすでに全て行き先が決まっていたのです。そこで特定多目的ダム法を作り、河川法を抜本的に改正したのが1964(昭和39)年のことです。
―ダムを作ることで川の中にポケットを作って、使える水を増やしたということですか?
そうですね。自然に働きかけることで今まで使えなかった水が使えるようになったということです。ただ環境に与えるインパクトは非常に大きかったと思います。ダムにたくさんの水を貯めるには、狭まった谷があってその上流が開けた場所が適していますが、そういう場所には既に多くの人が住んでいたので、一つのダムのために400軒以上が移転を強いられたこともありました。もちろん生きものを含む周囲の自然環境にも大きな影響を与えました。1964年の河川法改正では、環境への配慮として、「流水の正常な機能を維持する」という文言が含まれましたが、当時の社会では、洪水を防ぎ、食糧を増産し、発電を行い、水道用水・工業用水を都市部に送るという社会の要請を満たすことが優先されたのです。
―自然が変化するスピードに対して、人間が起こす変化のスピードが速くなっていると感じます。我々のニーズで川を変え続けて大丈夫なのでしょうか?
人が自然に働きかける力が大きくなりすぎたのかもしれません。大きな力はきちんと使わないと自然に回復不可能な改変を与えてしまうことになります。
川の環境には2種類あって、一つは生きものを含めた空間環境、もう一つは水環境、すなわち流量と水質です。水環境を維持するためには川に入ってくる汚濁物質を減らすことと川を流れる水の量を確保することが重要です。下水道が整備されたり、工場排水が規制されたりすることで公共用水域に排出される汚濁物質の量は減ります。また、水が流れることで自らをきれいにする川本来の機能も期待できます。
―社会の要請というと漠然とした印象を受けますが、具体的には誰がそれを決めるのでしょうか?
社会の要請に応えながら川の環境を維持するには、河川空間の様々な使い方のニーズを把握して、住民の合意をどう形成するのか、声を上げない、または上げられない人の意見をどう活かしていくかが重要です。
私は行政側が川の管理の専門家としてある程度方向性を示す必要があると思っています。例えば、家族が病気になったときに、「親族で話し合って治療法を決めてください、私は決まったことをやりますよ」という医者が信頼されるでしょうか。本当に病気を治すなら、専門家としてきちんと意見を提示し、選択肢やメリット・デメリットを説明した上で、関係者の間で合意することが求められますよね。
その時代の要請、社会の正義、そしてなかなか難しいことですが一歩先を見越した判断で川のあるべき姿を示していくことが理想だと思います。
「流域治水(りゅういきちすい)」という転換
―川を変えるのか、暮らしを変えるのか。これからの川と社会の関係はどうなっていくでしょうか?
今まで私たちは、川をはじめとする自然に大きな改変を加えて、自分たちは豊かで安全な生活を求めてきました。河川管理も「どこの川も安全にする」というのが基本的な方向性だったのですが、気候変動による温暖化で雨の降り方が変わり、人口も減少する中では「全ての土地を安全に」というのは無理です。特に西日本を中心に200名以上がなくなった、2018年の「平成30年7月豪雨」は河川管理の方向性が変わる大きなインパクトになりました。
―近年、川に関連して「流域治水」という言葉をニュースなどでも聞きます。どういう取り組みでしょうか?
「流域治水」は、気候変動を踏まえた水災害対策として国が示した新しい方向性です。治水計画を過去の降雨のデータに基づくものから、今後の気候変動による降雨量の増加などを考慮したものに見直し、河川管理者だけではなく、あらゆる関係者が協働して流域全体で治水に取り組みます[4]。
私は、流域治水は「河川管理者だけで全ての土地は守れない」という河川管理者からの宣言だと思っています。国土交通省が示している流域治水の取り組みイメージ図でも、網かけの浸水被害が起き得る「氾濫域」での対策として「移転」という表現が含まれています。これからは土地ごとの条件を踏まえた上で土地を使うことが重要になると思います。
流域治水の推進(出所:国土交通省ウェブサイト[5] )
―若い世代を含めて、市民はどのように受け止め、行動する必要があるのでしょうか?
「流域治水」の一番の肝は、住んでいる土地のリスクをわかって使ってくださいと市民に明示したことだと思います。ただ、ハザードマップなど多くの情報が公開されるようになった反面、その中から必要な情報を見つけ出して理解するハードルはあると思います。
多くの若い世代にとって、川は遠い存在だと思いますが、まずは関心を持ってもらうことが大切だと感じます。釣りでもバードウォッチングでもよいですし、人によっては洪水への怖れがきっかけになるかもしれません。台風などのときにご自宅の近くの川のライブカメラをチェックする方も増えていると思います[6]。
それに積極的に関わらなくても水は誰もが毎日使いますよね。一部地下水を使っているところもありますが、ほとんどの自治体では河川の水を水道水にしています。朝水を使うときに「この水はどこから来ているのか」と考えるだけでも川を知る第一歩になると思います。
もっと知りたいあなたに!黒川さんのお薦め本
吉村 昭 著「高熱隧道」(新潮文庫、1975年)
高校生のときにこの本を読んで、土木技術者という仕事に強く惹かれました。水そのものの話ではなく、1930年代後半に、富山県の黒部第3ダムに発電所を作るために北アルプスの山の中を抜いてトンネルを開通させた実際の工事に基づいた小説です。地熱が高くて、発破のためにダイナマイトを挿入したら自然の熱で爆発してしまう危険な条件の中で、困難を乗り越え、たくさんの人と協力して成し遂げる仕事に魅力を感じました。私が行政官という仕事を選ぶ原点になった一冊です。
竹村 公太郎 著「日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント」(清流出版、2003年)
※ただいま品切れ中の為お買い求めはいただけません。
国家公務員としての先輩の著書です。東京、大阪、北海道など日本の様々な土地で自然に対してどのような働きかけをして、文化や暮らしが成り立ってきたかということが面白く解説されています。例えば、北海道は石狩川に手を入れることで札幌都市圏が成立したこと、大阪は大和川と淀川を千年以上かけて切り離し、土地を確保してきたことなど、半分ほどが水に関わる話題になっています。
大石 久和 著「国土と日本人」(中公新書、2012年)
島国であり激烈な自然災害に曝されてきた特殊な国土のあり方と、先人が、多くの災害に直面しながら環境を改変して豊かで安全・快適な暮らしを手に入れてきた過程が説明されています。それを次の世代に引き継いでいくには土地のリスクをきちんと理解し、地域の特性に合わせた住まい方をしていく重要性も訴えられています。国土と私たちの暮らしを考えるきっかけとして、ぜひ若い世代の方にも読んでほしい本です。
訪ねてみよう!黒川さんお薦め水名所:北海道厚岸郡浜中町・琵琶瀬川の右支川一番川(黒川氏撮影)
今、私たちが「自然」と捉えている風景の大半は、人の手が加わって成り立っています。そんな中にあって、根室と釧路の間を流れる琵琶瀬川は、人の手が入る前の日本の原風景とはこういうものだったのではないかと感じさせてくれます。きっと徳川家康が初めて江戸に入ったときに目にしたのはこんな景色だったのではないでしょうか。
この景色を目の当たりにすると、本当に手を入れていない「自然そのもの」は人間には苛酷すぎて、到底「自然の中で暮らすことなどできない」と身にしみて感じます。力を合わせて自然に働きかけて改変することで人間は暮らしを作り、文明を発展させてきました。その結果が今、私たちが見ている国土なのだと思います。
[1] 1971年に施行。環境基本法で定めた環境基準に基づいて、排水の水質を規制する法律。排水基準に違反した場合は罰金等の直罰が課される。参考:環境省ウェブサイトhttps://www.env.go.jp/hourei/05/000136.html
(2024年2月4日最終閲覧)
[2] 河川は上流部から小さな河川が合流を繰り返しながら徐々に海へ向かうにしたがい、大きな河川となる。これら一群の河川を合わせた単位を「水系」と呼び、国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定されたものを「一級水系」と呼ぶ。一級水系に係る河川のうち河川法による管理を行う必要があり、国土交通大臣が指定(区間を限定)した河川が「一級河川」である。参考:国土交通省ウェブサイトhttps://www.mlit.go.jp/river/basic_info/iken/question/faq_index.html(2024年2月4日最終閲覧)
[3] 東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」懇話会2「古くて新しい上下流問題-流域治水から市民の受益と負担を考える-」https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4045
(2024年2月7日最終閲覧)
[4] 東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」懇話会8「河川行政の未来ビジョン」
https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4188(2024年2月7日最終閲覧)
[5]国土交通省ウェブサイト https://www.mlit.go.jp/river/kasen/suisin/index.html
[6] 国土交通省「川の防災情報」https://www.river.go.jp/index (2024年2月4日最終閲覧)