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米国経済:マイナス成長下の雇用堅調というパズル ―部門間生産性格差の金融政策への含意―
写真提供:Getty Images

米国経済:マイナス成長下の雇用堅調というパズル ―部門間生産性格差の金融政策への含意―

August 23, 2022

R-2022-032

米国経済の不可思議な動き
コロナ禍からの景気回復の特徴
インフレ率はまだまだ上がる?

米国経済の不可思議な動き

米国経済のデータが不可思議な動きを示している。それは、GDPがマイナス成長となる中で、雇用者数が堅調な動きを続けていることだ。周知のように、今年前半の米国の実質GDP成長率は第1四半期が年率-1.6%、第2四半期が同-0.9%と、2四半期の連続のマイナス成長だった。2四半期連続のマイナス成長=景気後退とする簡便な見方に従えば、米国経済は既にテクニカル・リセッションに陥っていることになる。しかし、他方で7月の雇用統計をみると、非農業部門の雇用者数は市場予想を大きく上回る52.8万人の増加となり、雇用の増加に目立った衰えは窺われない(失業率は3.5%と、コロナ直前の低水準まで下がった)。米国の正式な景気循環の認定はNBER(全米経済研究所)が行なうことになっているが、この場合、雇用の動きがかなり重視されるため、直ちに景気後退が認定されることはないだろう。

金融市場では、GDPのマイナス成長にみられる景気の明確な減速と、ガソリン価格の低下に伴うインフレ率の若干の落着き(CPI前年比:6月+9.1%→7月+8.5%、ただしエネルギーと食糧品を除いたコアではともに+5.9%)を根拠に、現在は利上げを急ぐ姿勢を強調しているFRB(連邦準備制度理事会)も、来年前半には利下げに転じるとの見方が出ているようだ。実際、市場ではこのところ長期金利低下、株価上昇(為替市場ではドル安・円高)といった動きがみられている。株式市場では、雇用の堅調も「リセッションは回避できる」という「いいとこ取り」の材料にされているらしい。果たしてこうした解釈は正しいのか、少し冷静に考えてみよう。

コロナ禍からの景気回復の特徴

それには、マイナス成長下の雇用堅調という不可思議な組み合わせが何故生じているのかを考える必要がある。そして筆者は、そこにはコロナからの景気回復の特異な姿が大きく影響していると判断している。米国では、一昨年の春に新型コロナ感染症が急拡大すると、感染者数が多かっただけでなく、日本などとは違って雇用調整のスピードが極めて速いこともあって、20年4月に失業率が一気に10%以上上昇するととともに、実質GDPも同年4~6月期には年率30%を超える急降下となった。その後、米国経済は昨年末まで急速な回復を遂げるが、その大きな特徴は、高いGDP成長率と鈍い雇用の回復の組み合わせであった。実際、米国の実質GDPは昨年4~6月時点で既にコロナ前を上回っていたが、当時の雇用者数はコロナ前比大幅な減少であった(雇用者数がコロナ前を上回ったのは、漸く今年7月のことだ)[1]。その背景としてしばしば指摘されてきたのは、移民流入の減少やベビーブーマー世代の早期リタイアといった労働供給要因である。確かに、米国の労働参加率は62%強とコロナ前を1%以上下回っており、労働参加率の低下が労働需給逼迫や雇用者数伸び悩みの一因となっていることは間違いない。

しかし、もう一つ注目すべきは、部門間の労働生産性の格差である。昨年までの米国の景気回復の大きな特徴は、デジタル産業や製造業等の対人接触の少ない部門の需要が大きく伸びる一方、飲食・宿泊など対人接触の多いサービス業の需要の回復は鈍かったことだ(いわゆる「K字型回復」)。ここで注意すべきは、平均してデジタル産業や製造業の労働生産性が高い一方、対人接触型のサービス業の労働生産性は低いという事実である。つまり、昨年までは経済の中で生産性の高い分野が拡大し、生産性の低い分野は停滞していたため、GDPは大きく伸びた一方で、雇用者数はなかなか伸びなかったということである。

逆に、今年に入って起こっているのは、コロナ感染者数が減ったことや、それ以上にウィルスの主流がオミクロン株に交替したことに伴う軽症化で、人々がコロナを恐れなくなった結果、対人接触型のサービス需要が急回復する一方、デジタル産業や製造業への需要は減速しているということだろう(言わば「逆K字型回復」)[2]。今度は、低生産性部門の需要が伸び、高生産性部門の需要は停滞していることになる。今年前半のGDPマイナス成長と雇用の堅調な伸びは、その結果と理解することができる[3]。部門間の生産性格差は常に存在する問題だが、今回のような激しいコントラストは、まさにコロナ禍からの景気回復だったからこそ生じたものと言えよう。

インフレ率はまだまだ上がる?

こう考えると、金融市場関係者が描く楽観シナリオは非現実的に思えてくる。まず景気については、前期ないし今期の所得が需要の強弱を規定するから、足もとの所得形成=GDPがマイナス成長である限り、先行きも景気は減速傾向を辿る可能性が高い。もちろん、これまでに積み上がった過剰貯蓄が需要を下支えするであろうし、欧州や日本と違ってエネルギーも食糧も自給できる米国では、資源価格上昇に伴う所得の海外流出を心配する必要もないなど経済環境は相対的に恵まれている[4]。それでも、FRBが今後も利上げを進める姿勢を崩していない以上[5]、景気の更なる減速は避けられそうにない。

一方で、物価を巡る環境は極めて厳しいと言わざるを得ない。7月の雇用統計によれば、時間当たり賃金は前年比+5.2%と前月並みであり、賃金上昇は3月の+5.6%をピークに頭打ちとのコメントも聞かれる。しかし、物価を規定するのは賃金そのものではなく、賃金上昇率から労働生産性の上昇率を差し引いたULC(単位労働コスト)の筈である。GDP成長率がマイナス、雇用者数は増加ということは、労働生産性の伸びがマイナスだということであり、ULCの上昇率は表面上の賃金上昇率より労働生産性の低下分だけ高いと考えなくてはならない。賃金コストの上昇が既に頭打ちとなったと言う解釈は誤りである可能性が高い[6]

先行きに関しても、まだ当面デジタル、モノからサービスへの需要シフトが続くとすると、労働生産性が急速に高まることは想定し難い。しかも、現在の失業率3.5%は自然失業率を下回っている(6月のFRB公開市場委員会の経済見通しによると、長期の失業率見通しは4.0%だった)ことを考えると、今後も賃金上昇率は簡単には低下しないだろう。つまり、ULCの上昇率は今後さらに高まることはあっても、明確な低下は期待しにくいことになる。

確かに、最近の原油価格の軟化などを考えると、ヘッドラインのインフレ率が若干低下する可能性はある。しかし、FRBが金融政策を遂行する上で重視するのは食料品とエネルギーを除くコア指数、正確にはPCE(個人消費支出)デフレーターのコアであり、それに最も強い影響を与えるのはULCである。だからULCが上昇を続ける限り、自らの政策対応が後手(behind the curve)に回ったことを強く意識するFRBは、インフレ抑制が実現するまで景気減速を厭わず利上げを続ける筈だ[7]。そう考えれば、来年前半にも金融緩和に転じるという見方は一部市場関係者の希望的観測に過ぎないことが分かる。残念ながら、米国経済の先行きについては、金融引き締めの早期終了→ソフトランディングというシナリオよりも、ある程度の景気後退(失業率上昇)によって、漸くインフレ率の上昇に歯止めが掛かるというミニ・スタグフレーションのシナリオの蓋然性が高いというのが現時点での筆者の判断である。


[1] これに対し、日本の実質GDPの水準は今年4~6月時点で20年1~3月を0.3%下回っており、米欧と比べて回復の鈍さが目立つ。しかも、日本の実質GDPのピークは19年10月の消費増税前の19年4~6月だったから、現状はこれと比べると2.7%もの低下だ。19年10~12月は消費増税の影響でGDPが落込んでいたことを考えると、この水準を上回ったことで「コロナ前を回復」とするのはミスリーディングである。  

[2] これを象徴するのが、巣ごもり消費時代に急増したNetflixの会員数が減少に転じた一方、米国では空港が日本人には信じられないほどの旅行客で大混雑しているという事実だろう。

[3] このように、米国における労働需要の逼迫だけなら、労働参加率の低下によって説明できるが、GDPと雇用の乖離を説明するには部門間の生産性格差を考慮することが不可欠である。

[4] 日本の場合、資源価格の上昇等に伴う交易損失(所得の海外への流出)が今年4~6月には年率15.4兆円(1~3月は10.8兆円)に上った。このため、交易損失を考慮した国内総所得(GDI)は、昨年初から減少基調を辿っている。また欧州の場合、交易損失だけでなく、天然ガス等のエネルギーの調達自体にリスクを抱える。こうした点で、米国経済が日欧に比べ恵まれた立場にあることは明らかである。

[5] 米国では6月、7月と2回連続で0.75%幅の利上げが行なわれた後、本稿を執筆している8月半ばの時点では、9月の公開市場委員会(FOMC)で0.5%ないし0.75%の利上げ、さらに11月、12月にも利上げが行なわれるとの見方が一般的となっている。

[6] 逆に言うと、生産性の伸びが高かった昨年中頃までの物価上昇は、レンタカーのように一時的(transitory)なものが中心だったが、生産性が鈍化しULCの伸びが高まるにつれ、より持続的なインフレが懸念されるようになったということである。

[7] FRBがbehind the curveに陥った背景については、今年4月に本欄に寄稿した米国利上げと日本の金融政策―YCC弾力化の可能性 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所 (tkfd.or.jp)を参照。その政策的帰結については、Carl Walshが今春の日銀国際コンファレンスで行なったスピーチ米国利上げと日本の金融政策―YCC弾力化の可能性 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所 (tkfd.or.jp)が大変参考になる。

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