「理想像」としての予算教書
2月13日、米国のオバマ政権が2013年度の予算教書を発表した。これによれば、2013年度の米国の財政赤字はGDP(国内総生産)比で5.5%、2013~22年度の10年間の財政赤字は、総額6兆6,840億ドルに達するという。
こうした予算教書の見通しは、本欄で繰り返し紹介してきた「ベースライン」とは性格が違う。ベースライン見通しは、「新しい政策が講じられない」という前提で作られる。これに対して予算教書では、「政権の提案が全て実現する」という前提で将来の財政赤字の道筋が示される。
言い換えれば、予算教書で示される財政見通しは、時の政権が思い描く「理想像」である。実際の政策決定には議会の議決が必要であり、政権が予算教書で示した提案が全て成立するとは限らない。まして、現在のように政権と異なる政党(共和党)が議会(下院)の多数党を握っている場合、政権の提案がそのまま実行に移される可能性は、限りなくゼロに近い。それでは、仮に議会の妨害がなかった場合に、オバマ政権はどのような政策運営を行うのだろうか。その答えを示すのが、今回の予算教書である。
財政再建の歩みを緩めて景気に配慮
2013年度の予算教書で示されたオバマ政権の「理想像」とは何なのだろうか。財政赤字の水準に着目すると、「中長期的な視点では財政再建を進めるが、短期的には景気への配慮を行う」という狙いが浮かび上がる。
今回の予算教書でもオバマ政権は、財政再建を進める方針は変えていない。2021年度の財政赤字の水準(GDP比2.8%)は、昨年の予算教書(同3.1%)よりも引き下げられている。しかしその一方で、目先の2012年度の財政赤字(GDP比)は、昨年度の予算教書での見通しから1.5ポイント引き上げられている。
「中長期的な視点では財政再建を進めるが、短期的には景気への配慮を行う」というのは、オバマ政権が発足以来繰り返し採用してきた方針だ。図表1は、オバマ政権がこれまでの予算教書で示してきた財政赤字の見通しの推移である。後年度の財政赤字の水準は今回がもっとも低く、財政再建を目指す政権の方針が一貫していることがわかる。その一方で、足下の2012、13年度については、予算教書が発表されるたびに財政赤字の水準が引き上げられてきた。
オバマ政権が短期的な赤字増を「理想」としてきた背景には、磐石ではない景気への配慮がある。急速に財政再建を進めれば、景気にとっては逆風になる。図2では、前年度からの財政赤字の改善幅(財政ギャップ)を、予算教書ごとに示している。財政ギャップが大きいほど、景気への逆風は大きくなる。昨年の予算教書では、2012年度にGDP比で4%近い財政ギャップが発生する見込だった。既に述べたように今回の予算教書では12年度の財政赤字が引き上げられており、こうした財政ギャップはほぼ解消されている *1 。
そもそも現在の米国財政は、2012年末に大型減税(ブッシュ減税)の失効が予定されていることなどにより、何もしなければ急速に緊縮財政が進む道筋にある。こうした「何もしない場合」に進む急速な緊縮財政を回避するのが、オバマ政権の狙いである。
このことは、ベースライン見通しと予算教書の比較に明らかだ。ベースライン見通しは「新しい政策が講じられない」という前提で作られた見通しであり、予算教書の見通しは政権が理想とする政策の影響を加味した見通しである。2013年度の予算教書で示されたオバマ政権の「理想像」では、ベースライン見通し *2 よりも財政赤字の水準が高い(図3)。2012年度の財政ギャップも、ベースライン対比では縮小されている(図4)。こうしたベースライン見通しと予算教書の違いが、オバマ政権が理想とする政策の影響を示している。
もっとも、財政ギャップの回避には副作用がある。ベースラインでの赤字が減少傾向にある以上、財政ギャップを回避するためにある年度の財政赤字を増やすと、その次の年度に発生する財政ギャップを埋めることが一層難しくなってしまうのだ *3 。
今回の予算教書にも、こうした副作用がうかがえる。図2にあるように、過去の予算教書との比較では、2012年度の財政ギャップが縮小した一方で、後年度のギャップは逆に拡大している。図4に示したベースラインとの比較でも、ギャップを大きく減らせたのは2012年度に限られている。
財政再建とベースライン
中長期的なオバマ政権の方針である財政再建に関する提案は、ベースラインの捉え方によって、見え方がずいぶん変わってくる。
今回の予算教書でオバマ政権は、「歳出の自動削減を回避する道筋を示した」としている。現在の米国では、昨年末に議会の超党派委員会が具体的な財政再建策作りに失敗したために、2011年財政再建法が定めた歳出の自動削減が2013年に発動される見込みとなっている *4 。オバマ政権は、今回の予算教書は「自動削減よりも大きな規模の財政再建策」であるとして、これらの提案をそのまま実現できれば、「自動削減の必要性はなくなる」としている。
数字で確認してみよう。オバマ政権の計算によれば、今回の予算教書に含まれた提案を積み上げると、向こう10年間(2013~22年度)の財政赤字は3兆1,730億ドル減少する。このうち、利払い費の減少が4,070億ドルなので、純粋な政策効果は2兆7,660億ドルになる。同時にオバマ政権は、同じ期間の自動削減による財政赤字削減効果を、1兆1,950億ドルと予測している。このうち利払い費の減少分は2,290億ドルであり、純粋な歳出削減は9,660億ドルである。利払い費を除いたベースで比較すると、オバマ政権が予算教書で示した提案は、自動削減の2.9倍近い規模の財政再建を実現できる計算になる。
ただしここで見逃せないのは、オバマ政権の予算教書が成し遂げる財政再建の規模が、ベースラインの捉え方に大きく左右されることだ。ここでいう財政赤字の削減額はあくまでもベースラインとの対比であり、たとえ同じ政策でも、どのようなベースラインを使うかによって大きさが変わる。二つの点を指摘したい。
第一は、ブッシュ減税の取り扱いである。オバマ政権は、富裕層向け以外の部分については、ブッシュ減税を延長する方針だ。これは、本来のベースラインの原則に従えば、財政赤字を増加(歳入を減少)させる提案である。「新しい政策が講じられない」ベースライン予測では、予定通りにブッシュ減税が全面失効することが前提であり、部分的にでもこれを延長すれば、ベースライン対比の財政赤字は増えるからだ。
しかしオバマ政権は、ブッシュ減税に関する自らの提案を、「富裕層向け増税」として財政再建策に計上している。実は今回の予算教書でオバマ政権は、「ブッシュ減税の全面延長」を前提としたベースライン(修正ベースライン)を使っており、これとの比較で財政再建策の規模を測っている。全てのブッシュ減税を延長した見通しを基準とすれば、部分的にでもこれを失効させれば、財政赤字は減少する計算になる。
第二は、戦費の取り扱いである。オバマ政権は、イラク・アフガニスタンからの米軍撤退によって、将来の歳出が削減できると主張している。前回の本欄 *5 で指摘したように、ベースライン予測では直近の戦費がインフレ率で延長される。このため、「米軍撤退」という現在の趨勢を反映させると、将来の歳出の水準はベースラインよりも低くなる。
以上のオバマ政権の計算方法は、いわばベースラインの「良いとこ取り」である。片方でオバマ政権は、ベースラインの前提に手を加えて、ブッシュ減税の部分延長を「財政赤字削減策」に分類している。その一方で戦費に関しては、「米軍の撤退」という既定路線をベースラインに反映させずに、これを「財政赤字削減策」として計算している。
「良いとこ取り」の規模は軽視できない。オバマ政権では、富裕層向け部分のブッシュ減税打ち切りによって、向こう10年間で1兆4,330億ドルの財政赤字を「削減」できるとしている。また、同期間の戦費「削減額」も、8,480億ドルに達すると見込んでいる。両者の合計は2兆2,810億ドルとなり、これだけで予算教書による「財政赤字削減額」の総額(2兆7,660億ドル)の8割を超える。言い換えれば、異なる前提のベースラインを使い、ブッシュ減税の部分延長と戦費の減少を「財政赤字削減額」に計上しなければ、今回の予算教書による財政再建の規模(4,850億ドル)は、自動削減(9,660億ドル)には遠く及ばない。
このように、今回の予算教書でオバマ政権が自動削減を不要とするような財政再建策を提示しているかどうかは、ベースラインの捉え方次第で変わってくる。それでなくても米国では、軍事費削減による悪影響などを理由に、自動削減の回避を目論む動きがある。今後の財政再建の議論においても、ベースラインの取り扱いが焦点となりそうだ。
*1 :今回の予算教書では、2012年度の財政赤字額が2011年度を270億ドル上回る。しかし米国経済は成長しているため、GDP比では2012年度の財政赤字の水準は2011年度の実績を下回る。
*2 :OMBによる見通し。
*3 :向こう3年間のベースラインの財政赤字見通しが、1,500億ドル→1,000億ドル→500億ドルだとする。この場合、2、3年目にはそれぞれ500億ドルずつの財政ギャップが発生する。ここで2年目の財政赤字を1, 500億ドルに引き上げると、財政赤字の見通しは1, 500億ドル→1,500億ドル→500億ドルになる。この場合、2年目の財政ギャップが解消する一方で、3年目に埋めなければならないギャップは1,000億ドルへと倍増する。
*4 :安井明彦、 米国の財政見通し改定と「ベースライン」 、アメリカNOW第88号、2012年2月9日。
*5 :安井明彦、 米国の財政見通し改定と「ベースライン」 、アメリカNOW第88号、2012年2月9日。
■安井明彦:東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長