はじめに
大統領選におけるディベートの歴史は実はそれほど長くない。1940年、共和党大統領候補ウェンデル・ウィルキー・ホームズが現職民主党大統領フランクリン・ルーズベルトにディベートを挑戦したが、応じても得るものがないルーズベルトは拒否した。
初の大統領候補ディベートは1960年、ジョン・F・ケネディー民主党大統領候補とリチャード・ニクソン共和党大統領候補間で行われた。国民1億8000万のうち、7000万人もが視聴した。一部、異論はあるが、ラジオの視聴者はニクソンが勝ったと思い、テレビの視聴者は疲れ青髭が目立つニクソンに比べ、若々しい姿のケネディーに軍配を上げたとよく言われている。しかし、4回にわたる両者のディベートが、選挙の勝敗を左右したとは考えられていない。
選挙結果に影響を及ぼしたのは、1976年のフォード対カーター、1980年のカーター対レーガンのディベートだと言われている。そしてディベート史上、今回の第1回もその中に含まれるようになるかも知れない。
ちなみに、オバマ大統領のディベート訓練相手はマサチューセッツ州選出上院議員としてロムニーを熟知しているジョン・ケリー、ミット・ロム二―共和党大統領候補の相手を務めたのはロブ・ポートマン上院議員(オハイオ州選出)である。
10月3日 第1回大統領討論会
コロラド州デンバー デンバー大学
トピック:国内政策
司会:ジム・レーラー、PBS NewsHour
第1回のディベートの夜、ワシントン地域でもオバマ支持者によるディベート観戦パーティーが数十箇所で開催された。その一部はバーなどで開かれていたが、支持者がオバマのサイトに自宅でパーティーを開催するとリストしたケースも多かった。これに対し、ロムニー側の観戦パーティーは、激戦州バージニアのバーやレストランを中心に開かれ、オバマとは全く比較にならない少数だった。
筆者はワシントン市内のオバマのサイトにリストされた支持者のパーティーをのぞいてみた。集まった十数名の大半が、弁護士も含む高学歴の政府職員。人種も白人、黒人、ヒスパニック、アジア系、中にはゲイらしき人たちもおり、いかにも熱心なオバマ支持層の代表的な顔ぶれであった。彼らはロムニーについて、「人を見下した口調だ」「信用できない」と毛嫌いしていた。
ディベート中はカメラ目線を使っていたオバマだが、締めくくりではカメラを見ず、しかも「4年前、自分は完璧な人間ではないし、完璧な大統領にはなれないと言った。ロムニー州知事は私がその約束を守ったと考えているだろう。」と後ろ向きの発言までした。これは彼独特の謙遜だが、決して浮動層の支持を獲得できる発言とは言えない。
生気がなく、自身が軽蔑しているといわれているロムニーと討論しなければならないこと自体が耐えられないという雰囲気のオバマは、ロムニーの発言中、メモを取るのに熱心で下を向いたまま。オバマ陣営は、テレビが頻繁に両者をスプリット・スクリーンで同時に写すことを念頭に置かなかったため、オバマにロムニーを見るようアドバイスしなかったという。ロムニーと目を合わせず下を向いた姿は、視聴者に自信がないという印象を与えてしまった。音声なしで観た専門家たちは、ボディー・ランゲージだけでもオバマが負けたと分析している。「ロムニーを攻撃せず、大統領らしい威厳を保つ」という戦略は裏目に出た。しかし、オバマが不出来だったという評価を下した筆者とは異なり、パーティー参加者全員がオバマのパフォーマンスに満足していた。オバマ陣営や支持者、コメンテーターたちがほぼ全員、「オバマは敗北」という結論を出した中で、このパーティー参加者たちは極めて異例だったようだ。
ロムニーは締めくくりをしっかりカメラ目線で、「過去4年、オバマ政権はアメリカを間違った方向に導き、43ヶ月連続で8%の失業率が続いたが、自分が大統領に就任したら1200万人の雇用を創出するし、オバマが削減したメディケア予算7160億ドルを復活させる」と視聴者に訴えた。
討論中、例えば、ロムニーは「オバマがメディケア予算7160億ドルを削減した」という高齢者を脅かすデマを10回ほど繰り返した。しかし、「この数字は保険会社への無駄な支払いを中止したことによる節約で、それによって高齢者の処方箋薬代が平均600ドル下がった」とオバマが反論したのは1回だけ。「メディケア7160億ドル削減」という数字だけが視聴者の頭に残ってしまったことはオバマにとって大問題である。
この数ヶ月、オバマ側のネガティブ広告、また47%発言(1人5万ドルを支払った150人余が参加したフロリダでのファンドレイザーで、「国民の47%は所得税を支払っていないが、自分の大統領としての役割はこれらの人たちのことを心配することではない」と述べた)が暴露されたりと、劣勢に追い込まれていたロムニーにとってディベートは、「大統領に相応しい人物である」という印象を与えるまたとないチャンスとなった。
何よりもこれまでと違い、浮動票確保を狙い、穏健派のポジションを示し、富裕層向けの減税案などを曖昧にしたまま、中小企業の税負担を軽減することによって、景気を回復させると主張。これまでロムニーのことをよく知らなかった浮動票層に対して「経済通で中道」という印象を与えることに見事に成功した。その結果、ロムニーの支持率は全米平均ばかりか、激戦州であるフロリダ、コロラド、ノースカロライナ、ウィスコンシン、ネバダ、ニューハンプシャー、オハイオ、フロリダでも上昇した。
ディベートではしばしば一番、印象に残るシーンが話題になる。第1回ディベートではロムニーが減税に伴う歳出削減案の一例として、「ビッグ・バードは好きだが、PBS予算はカットする」と述べたことがそれに相当する。PBSに対する政府助成金は年4億4500万ドル、連邦政府予算の0.01%に過ぎず、大半は視聴者からの寄付で運営されている。にもかかわらず、減税を優先し、子供たちが愛する「セサミ・ストリート」を放送する局の補助しないというのは「クリスマス・キャロル」の拝金主義者スクルージのような印象を与えた。その結果、ネット上でビッグ・バードにまつわるパロディーが氾濫した。
なお、司会のレーラーは討論会進行において、自身がフォローアップの質問をすることもなく、基本的に放任したことから、一部からは批判の声も上がった。本人は「両候補にできるだけ自由に議論させることが主旨であった」と語っている。
10月11日 副大統領討論会
ケンタッキー州ダンヴィル センター・カレッジ
トピック:国内、外交政策
司会:マーサ・ラダッツ ABCニュース主任外交記者
バイデン副大統領には、オバマ大統領の第1回目のディベートでの不調を挽回するプレッシャーがかかっていた。しばしば本心をぽろりと漏らす失言が多い同氏にとって、失敗は許されなかった。実際、6日間かけて討論会の準備に専念し、遊説中も勉強に勤しんだといわれている。
一方、ポール・ライアン副大統領候補は勢いのついたロムニーの相棒として、2008年にサラ・ペイリン候補が討論会の場で「やはり副大統領の器ではない」という印象を与えてしまったような事態を避けねばならなかった。
以上の点において、両者は各自の目的を果たし、ディベート後の評価はほぼ互角だった。
バイデンは特に外交政策について、上院外交委員長としての長年の経験、そして副大統領としてオバマにアドバイスを与えてきた実績に基づき、ベテランぶりを発揮した。例えば、「イスラエルを重視していない。国連総会の際にもオバマ大統領はネタニヤフ大統領と面会せず、資金集めやテレビ出演をしていた」というライアンの批判に対して、「自分はビビ(ネタニヤフ大統領の愛称)とは長年の友人であり、イスラエル重視は変わらないし、オバマ大統領はビビと1時間も電話した」と反撃。ベンガジにおいてアメリカ大使を筆頭に外交官4名が死亡した事件について、大使館の警備不足を批判するライアンに対しても、しっかりと反論した。更に、オバマ政権のイラク、イラン、アフガニスタン、シリア政策等を批判するライアンに対して、「それでは具体的にオバマ政権といかに異なる政策をとるのか」と突っ込み、結局、あまり違った政策はとれないことをライアンに認めさせた。ただし、ライアンの発言を中断したりと、少し、挑発的過ぎたという批判もあった。
一方、ライアンは外交政策については知識不足でも、財政面については下院予算委員長としての見識を披露した。もしロムニーが落選しても、42歳のライアンは保守派の次世代大統領候補としての座を確保することに成功した。
このディベートにおける印象に残る一言は、バイデンの”Oh, now you’re Jack Kennedy”。これは「5兆ドルの財政予算削減をミドルクラスの税控除限度額引き下げだけで補充することは不可能だ」というバイデンの批判に、ライアンが「可能だ。ジャック・ケネディーは減税し、財政収入を増やした」と反論した際の茶々である。1988年副大統領候補討論会でロイド・ベンツェンがダン・クエールに対して”You are no Jack Kennedy”とその経験不足を攻撃したことを髣髴させる発言だった。
なお、司会のラダッツは両者に対して、曖昧な点は厳しく突っ込み、説明を求めた。また外交記者であることから、外交政策の質問が多く、これはバイデンに有利な展開となった。
10月16日 第2回大統領討論会
ニューヨーク州ヘンプステッド、ホフストラ大学
トピック:国内、外交政策
タウンホール形式
司会:キャンディー・クロウリー CNN主任政治記者
第2回目は、筆者は共和党支持者が集まるディベート・ウォッチ・パーティーを見学したかったのだが、ロムニー選対のサイトを見ても、第2回ディベートのパーティーはワシントン近郊では見当たらなかった。
このタウンホール形式では、ギャラップ社が意識調査で選んだ支持候補未定の有権者たちが質問した。その内容は国内問題から外交面まで幅広く、多くの有権者に関心がある内容だった。しかし、両者とも相手を攻撃することに専念したため、タウンホールでありながら、質問者と観衆に対して真摯に語りかけ、魅了し、有権者を説得するというクリントン大統領が最も秀でていたテクニックは見られなかった。
オバマは第1回と正反対に非常に好戦的で、終始ロム二―に発言に挑戦し続けた。第1回ディベート後に意気消沈した支持基盤の活性化、これまでオバマが圧倒的に優位だった女性支持が第1回ディベート後、ロムニーに移行したことを挽回すること、浮動層に対してロムニーの中道路線は仮の姿であること、ロムニーの経済政策は具体性に欠けていることを明らかにするという目的を達成した。ディベート後の世論調査(CNN)によると、46%はオバマが勝った、39%はロムニーが勝ったと回答している。オバマはディベートでやる気を見せたことにより、支持基盤を活気付け、ディベート翌日には、2008年も含め、1日で過去最高額の寄付を集めた。
ロムニーは第1回のような勝利を望めなかったが、失点もなく、自分の「5ポイント・プランで経済は復活し、1200万の雇用を創出する」というメッセージを浸透させることに成功した。オバマの経済政策の失敗を次々と指摘し、「大統領の説明より過去4年はよくなかったこと、そして今後4年も改善するとはあなた達は感じていない」と述べることで、2008年にオバマを支持したが今回は迷っている有権者の支持を取り付けようとした。これに対し、オバマは反論しなかった。その結果、直後の世論調査では経済、税、そしてヘルスケア政策についてさえ、ロムニーを信頼できると回答する者が多かった。
ディベート中、オバマが明らかに怒ったのは、リビアでの米大使を含めた4人の大使館員の死亡事件に関して、ロムニーが「ただちに事件で起きたことを認めなかったことは政治的だった」と攻撃した点だ。オバマは「このような悲劇に関して政治的動きをしたと指摘すること自体が侮辱である」と憤慨した。そしてオバマが「事件翌日の記者会見でテロ攻撃だと述べた」と反論し、両者で言い合いになったため、司会のキャンディー・クロウリーが「大統領はそう述べた」と介入する場面が見られた。
さて、このディベートで後日まで話題になったのは、会場の女性の男女賃金格差の質問に対して、ロムニーが”binders full of women”と発言した点だ。オバマはリリー・レッドベター公正賃金法を成立させた実績を誇ったが、ロムニーはマサチューセッツ州知事就任後、スタッフ候補が男性ばかりだったので、女性候補を用意させたと自慢した発言である。確かにそれ以前は州政府の上級職の女性は30%だったのが、2004年までに42%に増えた。が、2004-2006年には23%に落ちてしまった。また、ロムニーが「女性スタッフが5時には職場を離れ、夕食を作れるようにした」と述べたことも、「女性の産む権利」をもじって、「女性の料理する権利」と女性側からは反感を買ってしまった。
10月22日第3回大統領討論会
フロリダ州ボカ・ラトン リン・ユニヴァーシティー
トピック:外交政策
司会:ボブ・シーファー CBS “Face the Nation”ホスト
第3回ディベートを筆者は会場のメディア・センターで多数の国内外のジャーナリストたちと視聴した。ディベート後、オバマ陣営からはジョン・ケリー上院議員やウェズリー・クラーク元統合参謀本部長、ロムニー陣営からはジョン・マッケイン上院議員(アリゾナ)やリンゼイ・グラハム上院議員(サウスカロライナ)といった外交、軍事政策通たちがスピン・アレーに登場し、それぞれの支持候補の出来映えを賞賛した。
ディベート前は、ロムニーの外交面での未熟さが目立った。例えば夏の外遊、ロシアが最大の敵であるという発言、ベンガジ事件に関する時期尚早のオバマ批判など。これに対し、オバマはイラク戦争を終わらせ、アフガニスタンからの米軍撤退の期日を設定し、オサマ・ビン・ラーデンを殺害し、長年、共和党に有利だった外交、安保面で有利な立場から最後のディベートに挑んだ。とはいえ、9月には15ポイント優位に立っていたオバマの外交政策面での優勢には、すでに翳りが出始めていた。
外交がテーマのディベートではあったが、今年の大統領選に於いて経済問題が最大関心事であるため、両候補は国内問題に連結させる回答に終始した。
特に中国に関する質問では、オバマは中国が「敵でもあるが、国際規範を守るのであれば、国際社会のパートナーとなる可能性がある」と述べた上で、「米国内の失業が中国の国際ルール違反に起因していることから、WTOに提訴し、勝利してきた」と主張した。そして、「教育と研究に投資することが中国に先を越されない手段だ」と述べた。また、ロムニーが中国に仕事を流出した企業に投資したと攻撃した。
一方、ロムニーは中国の通貨操作、また知的財産侵害を厳しく批判。「対中貿易赤字が毎年、悪化することで失業が増え続けた」と指摘した。また「米財政赤字と軍事予算カットによって、中国の目から見るとアメリカは弱体化した」とオバマの政策を批判した。
両者の中国に関するやりとりは、80年代末から90年代にかけて、大統領予備選や大統領選の過程で、日本の経済的脅威がバッシングの対象になったことを彷彿させた。また、軍事的脅威よりも、経済面が議論の中心になったことも国内事情を反映している。
全体的に、オバマはロムニーの過去の発言を徹底的に攻撃した。例えば「オサマ・ビン・ラーデンを追跡することに多大な労力を投じることは無意味だ」「ロシアが敵である」等。また、中東、アフガニスタン、イラク、イランなどあらゆる外交政策問題について立場がころころ変わったことを批判した。
一方、ロムニーは「中東やアフガニスタン、パキスタンなど問題地域の情勢が4年前より悪化したことは、アメリカのリーダーシップの欠如である」と批判した。しかし、ロムニーが大統領としていかに異なる政策を展開するかについて、具体策は示すことなく、アメリカ外交政策の選択肢にあまり幅がないことを改めて実感させる結果となった。これは或る意味で、オバマ政権が伝統的な共和党的外交政策を展開してきたということを意味する。
最後のディベートでの巧妙な応答は、「海軍は1917年以来、一番小規模だ」というロムニーの攻撃に対して、オバマが「空母が小型砲艦と同等と計算するならば、そういうことになるが、軍の性質が変わったから、馬と銃剣も減った」と応じたシーンである。「飛行機が着陸する空母というものがあるし、水面下を進む原子力潜水艦という船もある。つまり船数が重要な戦艦ゲームではない」と皮肉った。
ディベート直後の世論調査(CNN)によると48%がオバマ、40%はロムニーが勝ったと評価している。しかし、ディベートによって、オバマ支持の可能性が高まったと答えたのは24%、ロムニーは25%、影響がなかったのは50%と、ディベートの影響があまりないという結果も出ている。一方、最高司令官職に相応しいのはオバマと答えたのは63%。これに比べ、ロムニーは60%と、互角の結果が出ている。
そもそも、ディベートにおける誇張や誤解を招くような発言に関して、視聴者はその事実確認をせず、鵜呑みにする傾向があり、言ったもの勝ちなっていることも事実だ。今年のディベートの特徴は、まるでスポーツ観戦のようにツイッターが活用されたことである。それは両陣営からも頻繁に発信された。第1回は1030万、第2回は720万、第3回は650万のツイートがあったと同社は報告している。ソーシャル・メディアは思慮深い洞察には不向きであり、インスタントなメッセージが素早く広まってしまい、そこで勝負が決まってしまう。
3回のディベートを通じて、ロムニーは「自分はオバマにとって替わり大統領職に就くに相応しい人物である」とプレゼンテーションすることに見事に成功した。同氏はディベート前より有利な立場から、終盤戦に突入することになり、オバマは極力、避けたかった大接戦状態での抗戦に挑むことになる。