ポール・J・サンダース
センター・フォー・ザ・ナショナル・インタレスト常務理事
東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・海外メンバー
北朝鮮は、国際的注目を引くために様々な動きに出ている。そうした行為はもはや恒例行事と化し(四季の変化程の頻度でないことが救いだが)、サプライズ感も失われつつあるようだ。北朝鮮の姿勢から察するに、北の指導者たちは、自国が国際社会から孤立した「隠者の王国(Hermit Kingdom)」であることに不満はないが、国際社会から「忘れられた国(Forgotten Land)」になることは何としても避けたい、というところであろう。最近の人工衛星/ミサイル発射実験をはじめ、北朝鮮が定期的に大胆な行動に出ることに対しては、米国およびその同盟国に対話を強要し、譲歩を引き出すための行為だ、と見る向きが大半であり、こうした見解は尤もに思える。しかし、金正恩とその同志の真の望みは何か。そして、その代わりに北朝鮮は何を差し出せるのというのか。
北朝鮮の核兵器開発プログラムを終わらせることが、米国にとって最重要課題であることは論を待たない。とりわけ、北朝鮮のミサイル技術が米国本土を射程距離圏内に収める段階にまで近づきつつある今、絶対に譲れないポイントである。この点に関する分析の大半が、北朝鮮に核兵器保有を断念させることは不可能ではないが極めて困難としている。これはおそらく正しい見方だろう。だが、核兵器開発プログラムのみならず、核兵器自体をも廃棄した国があることは想起しておく価値がある。中でも、最重要なのがウクライナである。ソ連が崩壊しウクライナとして独立した時点で、国内には世界第3位の核兵器保有国となる程大量の核兵器が存在していた。
元米軍縮担当ネゴシエーターであり、かつて駐ウクライナ大使を務めたスティーブン・パイファー氏は、昨年、ウクライナが非核保有国へと至った過程を有益な論文にまとめた。[http://www.brookings.edu/~/media/research/files/papers/2011/5/trilateral%20process%20pifer/05_trilateral_process_pifer]
1986年に発生したチェルノブイリ原発事故が、ウクライナにとって大きな引き金となったことは言うまでもない。あのような悲劇が、北朝鮮をはじめ世界のいずれの場所においても再び発生することを望む者はいないだろう。ともかく、パイファー氏が論じるところによれば、ウクライナは結局、核兵器がもたらすメリットはわずかしかない、という判断を下したのであり、安全保障と財政的補償のバランスがとれた枠組みを模索していたのである。なお、後者については、後日米国、ウクライナ、ロシアの3カ国交渉の過程で浮上し実現したものである(ウクライナは、核弾頭をロシアに引き渡した)。北朝鮮も当然安全保障と金銭な見返りを望んでいる。だが、その額はどの程度で、どのような種類の安全保障なのか。そして、最終的に、北朝鮮は本当に核兵器保有を断念するのだろうか。
もちろん、チェルノブイリ事故を別にしても、ウクライナと北朝鮮の間には多くの違いがある。とりわけ最も重要なのは、ウクライナの指導者が、核兵器は自国の安全保障に資するところはわずかしかない、という判断を下した点である。もうひとつ、同様に重要なことがある。ウクライナが核兵器備蓄の一部だけでなく、米ソ軍事交渉や米ソ政府関係者としての経験を有する外交官や専門家を含む外務・国防官僚の一部も、旧ソ連から受け継いだという点である。これが、核放棄プロセスの異例のスピードにつながったのだろう。交渉が6カ国間ではなく3カ国のみであった点も、このスピード化に貢献した。最後に、ウクライナは共同覚書(最終的には、英国を含む4カ国で締結された)で定められた安全「保障」に満足し、米上院の批准承認が必要な条約による安全保障を主張することはなかった。もっとも、ウクライナは第一次戦略兵器削減条約(START I)を継承したのであるが。北朝鮮との「重要な取引」には朝鮮戦争を終結させる正式な平和条約が求められる可能性があるため、交渉および実行はより困難になることが予想される。
このような差はあるものの、ウクライナの核兵器廃棄という決断は、北朝鮮について考える上で有益なヒントとなるのは確かだ。そのひとつとして、ウクライナは旧ソ連構成国であり、冷戦時代米国と対立関係にあったのにもかかわらず、米国からではなく、ロシアから自国を守るための安全保障を求めた、という事実がある。その背景として、1990年代のウクライナは、誕生から間もなく、国家として脆弱な状態にあったこと。独立国家としての威厳に乏しく(民族的にロシア人が多いことも一因)、またロシアとの国境線が長い上に、両国の相互関連性は強かった(そしてウクライナがやや経済的に依存状態にあった)ことがある。
こうした構図を念頭に置いて考えると、北朝鮮の対中姿勢―特に中国の隆盛に対する姿勢―に関して、まだ検討不足なのではないか。大半のアナリストは、北朝鮮は基本的に中国を信頼できる庇護者、経済的ライフラインとみなしており、一方で自国が目的を追求する必要に迫られれば、問題なく裏をかく可能性がある国であると見ている。北朝鮮には選択肢が限られていることを考えれば、これは論理的評価ではある。だが一般的に、大国と国境を接する小国は脅威を感じるものだ。巨大な隣国と連携を深め、安全保障を確保しようとしている時ですら、どこか安心できないのが普通である。このことから、ひとつの疑問が生じる。北朝鮮は、中国との関係に本当に満足しているのだろうか。
こうした問いに答える経験的証拠は乏しく、以下の考察はどちらかと言えば推論にすぎない。それでも敢えて言うならば、中朝関係史を長期的視点で見た場合、北朝鮮指導者の一部が、中国、特に上り調子にある中国への圧倒的経済依存を苦々しく感じている可能性がある。こうした観点からすれば、核兵器は実際のところ、中国からの政治的独立を保持しうる唯一の方法なのかもしれない。結局、対中関係において、核兵器以外の切り札を北朝鮮が見出すのは難しい―相手は人口にして50倍、財政規模で250倍の超大国である。金日成が核配備に乗り出した当初、そうした目論見があったとは思えないが、この20年間、中国が経済力、政治力、軍事力を高める中で、北朝鮮にとって核兵器が対中国の交渉上の切り札となっていったとしても無理はないのではないか。
これが想像の賜物でなく真実であるとしたら、北朝鮮が米国の関心を引こうと頻繁に行なっている行為についての解釈も違ってくるだろう。北朝鮮が中国に懸念を抱いているということであれば、そうした見解をおくびにも出せない6カ国協議よりも、米国との2国間交渉を強く望んだはずだ。これは、北朝鮮指導者が、米国や日本、韓国に対する安全保障に懸念を抱いていない、という意味ではない―おそらく抱いているだろう。しかし同時に、対中関係における現実的安全保障を北朝鮮に提供できる国は、全世界を見渡しても米国以外にはない。ミャンマーの軍上層部がこの点を認識し、それに沿った行動に出ることができると仮定すれば、北朝鮮の指導者がそうした行動に出ないと誰が言えるだろうか。
皮肉にも、そして残念なことに、上述の論法に頼れば、北朝鮮に核兵器を廃棄させることはより難しくなってしまう。なぜなら、その代償として、米国はより高次の安全保障を、より信頼性の高い形で北朝鮮に提供しなければならないからだ。だが、米国は過去において、これ以上の難題を切り抜けてきた実績がある―20年前のソ連解体時、米国は大規模な暴動が発生しないよう支援を行った。ウクライナやカザフスタン、ベラルーシを説得して核放棄にまで持っていった。さらには、東西ドイツ再統一の支援も行った。第一の、そして最も重要な問いは、「北朝鮮の真の望みは何か」なのである。