アメリカの選挙現場におけるアウトリーチOutreachとは、選挙区のなかのさまざまな選挙民に手をのばしていく意味から派生し、属性別の選挙民対策を行うことを指す。アウトリーチの諸相は近年急激に変化してきている。顕著なのはマイノリティの人口動態の変化であるが、それは量的変容と質的変容の両面で進行している。量的変容の象徴は、ヒスパニック系の急激な人口増だ。共和党も伝統的な白人プロテスタント信徒を基礎票とするだけでは、安定多数を維持できない時代となり、ヒスパニック系に対する意欲的なアウトリーチに乗り出している。前回2010年の中間選挙において、ニューメキシコ州知事選でスザナ・マルチネスが、フロリダ州連邦上院選でマルコ・ルビオが勝利し、ヒスパニック系候補者を擁立する共和党戦略が際立った。
他方、質的変容としては、激戦州において人口の少ないマイノリティ集団がスィング・ボーターとして存在感を増す現象だ。例えばアジア系は、ヴァージニア州など複数の激戦州で、急激に人口を増やしていることから、票の拮抗状態で勝敗を決する集団としてにわかに台頭している。2012年選挙サイクルで民主党全国委員会アジア系アウトリーチ局長を務めたフィリピン系のナオミ・タクヤンは「我々はラティーノのように人口は多くない。しかし、説得可能性の高い有権者の数は多い。とりわけ下院選挙区では、我々アジア系は勝敗を決するマージンの存在であることを強調する必要がある」と指摘した。アジア系の影響力を誇示する好機として、2012年の民主党全国党大会のアジア系コーカスには、アジア系の連邦議員やホワイトハウス高官が大挙して駆けつけ、かつてない盛り上がりを見せた。
周知の通り、2012年オバマ陣営戦略の特徴は、端的に述べればビッグデータ(Big data)の分析結果からキャンペーンが動いた点にあった。激戦州10州で過半数獲得の目標に絞って、人的・財政的な資源配分と説得・動員可能性の高い有権者だけを抽出する戦略であった。アウトリーチでも例外ではなく、陣営技術局が試行錯誤で開発したアプリケーション「ダッシュボード(Dashboard)」が活用された。運動員が集めた世帯情報(家庭のエスニシティや言語)は、本部や各地の有権者情報と瞬時に同期された。「ダッシュボード」上で運動員の性別、エスニシティ、人種などの情報とも照らし合わされ、運動員と同じ人種や宗教の家庭を戸別訪問に割り当てることで、訪問時の対話の説得効果を上げる努力を行った。人種や言語の情報が効率的にデータ化される以前は、スペイン語話者のヒスパニック系の新移民の家庭に、スペイン語ができない学生が訪れたり、アフリカ系街に他州から応援で入った非アフリカ系が割り当てられてしまう試行錯誤は頻繁だった。オンライン技術の浸透で、政党や選挙陣営側の効率的アウトリーチへのインフラストラクチャー作りは洗練の度合いを強めている。
さて、アウトリーチのインフラストラクチャーを育てるのは、集票活動の主体である政党や候補者陣営だけではない。エスニック集団ごとに様々な団体が、マイノリティ選挙民と政治の「橋渡し役」になっている。急速に発展したインターネットをめぐる新技術と歩調をあわせて存在感を増した組織に、アジア系有権者のための組織「APIAVote」がある。APIAとはAsian & Pacific Islander Americansの略で、アジア太平洋諸島系アメリカ人の意味である。内国歳入庁が認定する501(c)(3)団体で、非営利・非党派の公益団体だ。非党派(non-partisan)であるため、特定の政党、候補者のために集票活動を手伝うことはできない。しかし、アジア系選挙民の広義の政治参加、例えば投票率を上げるために様々な活動を展開している。
政党や候補者にとっても、こうしたエスニック団体と協力関係を結ぶことには、アジア系の票と献金を呼び込む上で意味がないわけではない。「APIAVote」は、創立者で中国系のクリスティーン・チェンが、かつて勤務していたアジア系のための公民権擁護団体OCA(Organization of Chinese Americans)からスピンオフさせる形で2007年に始動した。アジア系全体の利益向上を目指し、東アジア系、南アジア系、東南アジア系が合流する汎エスニックな姿勢を重視している。インターネットが浸透して以降、比較的近年に誕生した団体である。筆者が団体の存在を知ったのは、2008年夏にデンバーで開催された民主党全国党大会で「APIAVote」のイベントに参加したときであったが、2014年中間選挙年を迎えた節目で、ヴァージニア州で創立者のチェンに、団体の展開について改めて話を聞いた。
チェンによれば、組織の目的の1つ目はアジア系の有権者支援だ。具体的には、有権者登録、有権者教育、GOTV(投票呼びかけ動員運動)、選挙監視協力である。州によって法律が異なり、改正も頻繁なため、州ごとの情報を収集して各州で、選挙トレーニングをしてもらう。14州に連携団体があるが、オンラインでの情報提供を積極的に行っている。「APIAVote」のサイトから「Voter(有権者)」の項目をクリックすると、「Voter Education 101」の中に、基礎的ではあるが、なかなか即答できないようなQ&Aが詳細に用意されている。「有権者登録」「投票日前」「事情通の有権者になるために」「投票日当日関連」の題目ごとに丁寧な解説、例えば「登録の締め切りはいつか」等の問いに対する解説が書かれている。「APIAVote」は全国組織である。サイトにはアラスカからハワイまで、文字通り全米のアジア太平洋諸島系の有権者が訪れるため、アラマバからワイオミングまでアルファベット順に50州の情報が細かく記載されている。「実家から離れている学生はどこで投票すればいいのか」という単純な想定質問から、「アメリカ市民ですが英語が話せない友人がいますが、どこで友人への支援を受ければよいか」という、ヒスパニック系と並んで1世移民が途絶えないアジア系らしい項目もある。
「Candidate(候補者)」をクリックすると、2012年大統領選挙のオバマ、ロムニー両陣営のアジア太平洋諸島系向けの政策公約が電子版で見られる。これは大変便利である。候補者の人種・エスニック集団向けの綱領は、候補者のサイトから探そうとしても見つけにくい所に埋め込まれており、選挙が終了すると閉じてしまうことも少なくない。「Issues(争点)」のアイコンは、「The National Council of Asian Pacific Americans (NCAPA)」が発行している「2012 Policy Platform」にリンクされていて、アジア系にとって各政党の政策がどのようなインパクトを持つのかを学べる仕組みだ。「Voter Rights(有権者の諸権利)」「Youth Vote(若年層票)」などの項目でも、有権者へのオンラインのガイド役に徹している。
驚かされるのは「Voter Resources(有権者のリソース)」内で、オンラインで共有されている各州のアジア系有権者支援や投票促進のための素材である。例えば、ヴァージニア州の「ハガキによるリマインダー」をクリックすると、英語、中国語(繁体字)、韓国語、ベトナム語、ベンガル語で、投票日と投票支援ホットラインの電話番号が記されたPDF原稿がダウンロードできる。ジョージア州の項目では、投票を呼びかける「ロボコール」(自動音声)のサンプルがMP3音源で埋め込まれておりダウンロード可能だ。英語、中国語(普通話)、韓国語で、それぞれ幾つかのバージョンが用意されている。不在投票のガイドも、英語、中国語、韓国語、ベトナム語で用意されている。かつて筆者がニューヨーク州民主党の陣営でアウトリーチに携わっていた2000年頃は、まだブロードバンド環境も未成熟で、コミュニティリーダーがアジア系内で自主的に有権者教育や投票促進活動を行うには、隣近所で声がけをして教え合うという、ある種原始的な気の遠くなるほど非効率な方法しかなかった。ところで、「APIAVote」がこうした選挙関連の素材の多言語翻訳にこだわるのは、アジア系では言語の壁が投票の阻害要因として依然として無視できないという、彼らの現場の皮膚感覚と調査結果の双方に基づくものだ。
チェンが言う2つ目の「APIAVote」の目的は、政党とメディアにアジア太平洋諸島系の選挙民の重要性を広報・教育することである。「APIAVote」は2008年、2012年と共和党、民主党双方の全国党大会に連続して参加し、アジア系有権者と政党との接点を築くイベントを開催するなどしている。しかし、チェンらアジア系の活動家リーダーらには、政党や候補者陣営は、たとえ民主党であろうとも、アジア系有権者の実態について依然として無知であり、アジア系アウトリーチは的外れな「漂流」に陥りがちと受け止められている。アジア系の活動家にとって長年の不満の種は世論調査だった。アジア系は人口が少ないことや言語障壁があることから、アジア系の政策選好や投票行動の実態が、正確にメディアや政党に吸収、反映されることが少なかった。英語で行う世論調査とアジア言語で行う調査では、結果にかなりの差が生じることに気がついていたチェンらは、コムキャストの協力で独自の世論調査に乗り出した。これを契機に2012年選挙以降、メディアから注目されるようになり「APIAVote」の認知度が高まったという。調査結果は共和党も民主党も手に入れられるようにオープンな形で提供されているが、「おそらく民主党のほうが、特定の州のアジア系アウトリーチへの資源配分を決める参考にしたり、政党内部で有効利用している」とチェンは述べる。
また「APIAVote」が、選挙過程を通じたアジア系の影響力拡大の広報の一環で行っているのが、「候補者フォーラム(candidate forum)」と呼ばれる候補者による討論会である。中立な立場から共和党と民主党の候補者を招待して司会者に質問をして政策論争を深めるイベントだ。非党派団体として政党に肩入れできないので、独立系の立候補者にも声をかける。アジア系有権者が増加傾向にあり、スィングボートの役割を果たしつつある州や選挙区を選んで、協賛団体と組んでフォーラムを開催する。例えば、2012年選挙では、連邦下院のヴァージニア州第10選挙区および第11選挙区の候補者を招いて、9月21日にフォーラムを開催した。該当選挙区のヴァージニア州フェアファックス郡は、アジア系が人口の18%を占め、アジア系によるビジネス経営数は1万9000にも達している。
こうしたマイノリティ団体主催の候補者討論会そのものは以前から存在した。しかし、「APIAVote」の討論会が独特だったのは、オンライン媒体を持つエスニック・メディアを巻き込んで、州内外にイベントを配信・拡散したことである。エスニック・メディアとは、エスニック集団向けにアメリカ国内で発行・放送されている新聞、雑誌、テレビやラジオなどの媒体である。英語とスペイン語のほかアジア言語など複数の媒体が存在するが、2000年代後半から急激にオンライン化が進んだ。例えば、首都ワシントン圏でアジア系のエスニック・メディアとして、英語で広く読まれているものに1993年創刊の「Asian Fortune」があるが、近年はオンライン版によって読者層が飛躍的に広がっている。元来、エスニック・メディアは特定地域のローカルの狭い範囲のコミュニティで移民やマイノリティの「生活情報」を提供する媒体だったが、近年オンライン技術で記事、映像、音声が異なる州や地域にも伝えられ、それを契機に遠隔地のマイノリティ同士の交流も促進されるようになった。記事や画像が簡単に貼付けられるようになったことで、ソーシャルメディアを利用した広報にも有益になり、キャンペーンの効率から小規模のイベントには尻込みしがちだった政治家の積極的な参加も後押しした。
2012年のヴァージニア州フェアファックス郡の「候補者フォーラム」では、地元局「FOX5」のベトナム系記者シェリー・リーとニューヨークに本拠地を置く中国系放送局「新唐人電子台」のドン・シャン記者が司会・質問者として参加した。この様子は動画配信されFacebookやTwitterで共有されるとともに、他のオンラインのエスニック・メディアでも広められた。マイノリティ集団が、政党や候補者に存在をアピールする上で、「APIAVote」のような非党派・非営利のエスニック団体の役割は小さくない。有権者の政治参加を促進するインフラストラクチャーを構築する過程で、インターネットの支援がブレイクスルーになった様子が窺える。有権者教育、投票促進運動、世論調査等によるアジア系有権者についてのリサーチの提供、エスニック・メディアと協力してのイベント開催等は、人口規模ではアフリカ系を追い越したヒスパニック系の陰に隠れがちなアジア系にとって、地道だが興味深い取り組みだ。アメリカ政治でマイノリティ内の少数集団が発言力を高める工夫として、政党や候補者からのアプローチとは別の角度から、政治参加のインフラ構築の試みが行われている。
■渡辺将人:東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授