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アメリカ経済を考える「格差問題に関する米国の論点(5)~ 『21世紀の資本論』 とリベラル派の焦り~」(安井明彦)

August 22, 2014

今春に米国で英語版が発売されるや否や大きな話題となったトマ・ピケティの「21世紀の資本論(Piketty(2014)) *1 」は、日本でも複数の経済誌で特集が組まれるなど、邦訳版が発売される前から大きな注目を集めている。

そこで本稿では、改めて「21世紀の資本論」に関する米国の論調を振り返り、格差問題に関する米国の議論の現状に光を当てたい。同書を巡る米国の論調は、「リベラル派は絶賛、保守派は批判」といった単純な構図ではない。実はリベラル派にも、同書の内容に疑問を呈する声は少なくない。その背景には、有効な格差是正策が打ち出せないことへの、リベラル派の焦りが感じられる。

問題提起には高い評価

Piketty(2014)に関しては、一般にかねてから格差を問題視してきたリベラル派は歓迎する一方で、格差への政策対応に否定的な保守派は拒否反応が強い、といわれる。実際にリベラル派の陣営では、プリンストン大学のクルーグマン教授が、「経済に関する議論を一変させた」等と、同書を絶賛している(Krugman(2014b) *2 )。保守派の反応についても、同教授は「本質的な反論が全くできていない」として、「ピケティに対するパニックは、保守派に(格差問題に関する)アイディアが枯渇していることの表れ」と評している(Krugman(2014a) *3 )。

もっとも、クルーグマン教授のような絶賛を、リベラル派の共通意見として捉えるのは早計だろう *4 。Piketty(2014)に対するリベラル派の高評価は、「格差の現実を詳細に分析し、絶妙なタイミングで問題提起を行った」という点に集約される。むしろ、それ以外の部分については、リベラル派といえども批判的な意見が少なくないのが現実である。

格差は避けられないのか?

リベラル派による批判は、主に二つの点に向けられている。

第一の論点は、同書が「格差の拡大は市場システムと不可分な現象」であり、過激な政策対応がなければ、「今後も続いていかざるを得ない」と示唆していることだ(Summers(2014) *5 )。

広く報じられているように、Piketty(2014)では、資本収益率と経済成長率の関係から、格差の拡大を資本主義の特性として位置づけている。リベラル派の論客は、こうした分析が過去についての事象に関して有効だったとしても、それが同じように将来にも当てはまるとは限らないと指摘している。プリンストン大学のブラインダー教授は、「優れた議論が展開されているが、予測に過ぎないのも事実だ」とする(Blinder(2014a) *6 )。プリンストン高等研究所のロドリック教授は、「経済学では既知の事実からの推定は危険であり、それを裏付けるために提示された根拠も決定的とは言えない」としている(Rodrik(2014) *7 )。オバマ政権のファーマン経済諮問委員会委員長も、「興味深く重要な懸念事項ではあるが、実際にあり得るかどうかは定かではない」と慎重だ(Furman(2014) *8 )。

より踏み込んだ疑問を提示しているのが、ハーバード大学のサマーズ教授である。Summers(2014)は、米国の衰退を予言したポール・ケネディの「大国の興亡 *9 」を取り上げ、「(1987年の発表当時には)時代の雰囲気に合致していたが、(ベルリンの壁が崩壊し、米国が隆盛を極めた)10年後には間違いであったことが分かった」として、過去に関する分析を将来に適用することの危うさを指摘する。その上で、「Piketty(2014)の理論が、米国における格差の進行を理解する手引きになるかどうかについては、重大な疑念がある」として、理論面からの反論を繰り広げている。

政策は無策なのか?

「格差は避け難い」とするPiketty(2014)の示唆へのリベラル派の批判は、同書に対するもう一つの批判につながる。Piketty(2014)が提示した「グローバルな資産課税」という処方箋への批判である。リベラル派の論客には、グローバルな資産課税は政治的・実務的に非現実的であり、そこまで非現実的な政策でなくても、格差は是正できるとする主張が目立つ。例えばSummers(2014)は、Piketty(2014)がここまで大がかりな提案を行ったのは、「富の蓄積・集中は資本主義の避けられない副産物である」という分析に立脚しているからだとしつつ、金融規制の見直し等、他にも富裕層への富の集中を防ぐ政策はある筈だと指摘している。

Summers(2014)もそうだが、グローバルな資産課税によって富裕層を標的とするよりも、中間層以下の底上げに注力すべきとの議論も多い。例えばブラインダー教授は、教育の強化や最低賃金の引き上げ等の必要性を主張する。Blinder(2014a)では、格差への対応には「(Piketty(2014)のように)富裕層を引き下ろそうとする政策と、中間層以下を底上げしようとする政策がある」とした上で、「自分と同じように、米国民は後者を好むと思いたいが、Piketty(2014)の人気は、こうした認識が間違っていることを示唆しているのだろうか」と問いかけている。その上でBlinder(2014b)では、中間層以下の潜在力を引き出すような格差対策は、成長促進につながるとの議論が展開されている *10

リベラル派の焦り

Piketty(2014)へのリベラル派の批判には、有効な格差是正策を打ち出せないことへの焦りが感じられる。格差が資本主義の避けられない副産物であり、「過激な政策でなければ対処できない」というPiketty(2014)の示唆が正しいとすれば、これまでリベラル派が主張してきた政策は、根本的な格差是正策にはなり得ない。それどころか、処方箋とされたグローバルな資産課税が現実的でない以上、Piketty(2014)は格差に無策であることへの「免罪符」にすらなりかねない *11

クルーグマン教授の指摘とは裏腹に、アイディアの枯渇を問われているのは、保守派だけではない。かつてFukuyama(2012)は、2011年に盛り上がったOccupy Wall Street運動が失速した理由として、リベラル派が「中間層を守ることができる現実的な政策を提示できなかった」ことを指摘していた *12 。現在の米国でも、中間層以下の底上げに関して注目されているのは、むしろ保守派陣営の「改革派保守 *13 」であり、最低賃金引き上げ等のリベラル派の提案に、新味が欠けるのは否めない。

Stiglitz(2014)は、「格差の拡大は変えることのできない経済の法則ではなく、我々が作りだした法律によってもたらされている」として、あくまでも政治・政策を通じて格差是正に取り組むことの重要性を強調している *14 。「21世紀の資本主義」で高まった格差是正への問題意識は、Occupy Wall Street運動のように実際の政策に結びつくことなく沈静化してしまうのだろうか。リベラル派にとっては、正念場である。

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■安井明彦:東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、みずほ総合研究所調査本部欧米調査部長

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