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アメリカNOW 第117号 ハワイ政治の文脈(2):日系(AJA)中心の民主党優位体制の起源と変容の兆し(渡辺将人)

September 16, 2014

ハワイ固有の政治風土

ワシントン在住経験のあるハワイの政治関係者は、必ずアメリカ本土(メインランド)とハワイの政治風土の違いを強調する。彼らは民主党全国委員会など政党の全国組織からホノルルに送り込まれてくるスタッフにも、「ハワイではネクタイを取り、アロハシャツに着替え、ハワイ流に振る舞うこと」をアドバイスする。日本人からすると、日本とハワイのほうが、アメリカ本土とハワイの差よりも文化的には近い面もある。アメリカ本土在住経験者にとって、ハワイ州は法律的にはアメリカ合衆国なのだが、文化的にはほとんどアジアあるいは日本に感じられる要素もある。アメリカを熟知した日本のアメリカ研究や日米関係の専門家ほど、ハワイを訪れて「ハワイはアメリカではない」という感想を抱くことも少なくない。

順序が重要で、あまりアメリカ本土の経験を持たないまま、日本から直でハワイに行くと、ひとまず「海外」としての印象が際立つが、アメリカ本土からホノルルに到着すると「アジア圏に帰ってきた」という気分に包まれる。これはシアトルでもサンフランシスコでも味わえない独特の感覚だ。アジア系人口が多いだけでなく、現実にここはもうアジア圏なのだと実感するのである。1990年代末、ノースウエスト航空で「ミネアポリス、サンフランシスコで乗り換え、ホノルルで滞在費自費3泊のストップオーバー」が条件で、信じられない格安のワシントン発・成田行きのチケットが手に入り、偶然初めてハワイを訪れた筆者には、車窓から見える神社の鳥居も町中で売られているオニギリも日本で幼少期から夏休みに親しんだ海の町のように見え、「熱海のようだ」と発言した。それがハワイのローカルの友人に言い得て妙とばかりに受けて、「次はいつアタミに来るの」と、ジョークがいつの間にかホノルルの代名詞になりつつある。

それだけにハワイ政治の解剖は、一筋縄ではいかない。ハワイの特質がハワイだけを密着観察することでは見えない問題もある。本土の政治と比較しないと何が特殊なのか浮き彫りにならないのだ。最も参考になるのは、ハワイ出身だが本土の政治に深く関与し、その後ハワイ政治にも関与している人の声だ。アメリカ政治の一般的な尺度を当てはめようとする本土的な視点でも、ハワイだけを深く知る比較の視座なき深掘り分析でも、いずれかだけでは理解できないものが彼らには見えている。例えば、日系3世のビル・カネコはその1人だ。プナホ高校でオバマの1学年上(1978年卒)だったカネコ氏は、初のネイティブ・ハワイアンの州知事ジョン・ワイヘエのスタッフを経て、ワシントンで民主党全国委員会に勤務した経験を持つ弁護士である。カネコは本土とハワイの政治風土の違いを2009年に以下のように解説していた。

「ワシントンは党派性が露骨な街です。オバマがやろうとしているのは、党派対立に橋を架けることですが、ハワイ育ちであることと無関係ではない。ハワイはものすごく多文化的で、人種も混ざり合っています。アジア文化の土地でもある。アジア系は腰が低く、他人への敬意を重視します。戦闘的姿勢を好まない。オバマはハイブリッドだと思いますね。ハワイ育ちと本土育ちには大きな差があります。ハワイで育って、本土に行くと、未知の社会的、政治的なしきたりがあって、それに適応を迫られます。本土ではより断定調に声を荒げていかないといけない。それはハワイ文化やアイデンティティを捨てることではないものの、本土で通用するリーダーシップのスタイルにも慣れないといけないのです」「オバマは腰の低い物静かな男ですよ。彼なら日本でも、アジア文化的なハワイでも、上手にやっていける。でも、それはアメリカの主流とは異質なものです。大統領を務めるには、周囲が求めるスタイルで振る舞わないといけない。より断定的に、舌鋒鋭く。彼はプナホを出てすぐ本土に行ってしまったので、向こうに慣れたのでしょうね。その後2度とハワイに移り住まなかった。私は向こうの政治空間にあまり馴染めなかったので、ハワイに戻ったくちです。彼は本土に馴染んだ。オバマは融和を目指していますが、手法そのものはとても(本土の)アメリカ的です」(拙著『評伝バラク・オバマ』集英社 86頁)。

アカカ連邦上院議員の報道官をワシントンで務め、現在はホノルルでロビイストを務めるエド・トンプソンもやはり同様の意見である。アメリカ本土の政治とハワイの政治、その両方を越境する関係者は、両者の差異を踏まえた上で自然とスイッチングを行っている。オバマもそうしてきた。

日系を中心とした戦後ハワイの民主党優位体制

ハワイ政治は戦後、民主党の「1党体制」で、共和党があまりに弱体であった。しかし、1つしか組織や選択肢がないと、その内部のニュアンスの差はより重要になる。民主党の中でも、アジア系の中でも、微妙な派閥がある。好例はイデオロギー的な特徴だ。本土ではグループにもよるが、歴史的に概ねアジア系は民主党支持でリベラルである。しかし、ハワイではアジア系の比率が際立っているため、マイノリティ意識は皆無だ。アジア系の権利を守ろうとする防衛意識は生まれず、アジア系なら「公民権リベラル」という蓋然性はない。ハワイでは人種とイデオロギーが本土と逆転している。2014年の予備選挙では、知事選でも上院選でも現職の白人候補がそれぞれイデオロギー的にはリベラル派に属し(ニール・アバクロンビー知事、ブライアン・シャーツ連邦上院議員)、挑戦者の沖縄系(デイビッド・イゲ州議会上院議員)と日系(コリーン・ハナブサ連邦下院議員)が、それぞれ穏健派だった。

ハワイでなぜ移民として世代を重ねている日系らが革新系ではなく、保守系・穏健派なのかは独特の理由がある。第1に、上記のようにアジア系、中でも日系がハワイ州においてはマイノリティではなく、政治的にはマジョリティですらあり、本土のように差別是正を声高に叫ぶ政治姿勢を採る必要がなかったことにある。本土のアジア系が「アジア太平洋諸島系(APIA:Asian Pacific Islander American)」として汎エスニック的な概念を創造して一致団結したのに対して、ハワイでは「アジア系」というアイデンティティは区別として意味を成さない。ハワイの政治関係者は「アジア系」「アジア太平洋諸島系」という呼び方を嫌うし、とりわけネイティブ・ハワイアンはアジア系と彼らを混合した呼称を好まない。ハワイにおいてまったく別の存在だからだ。諸島系の中だけでも、ミクロネシア系、ポリネシア系などに分かれているし、ネイティブ・ハワイアンとサモア系、トンガ系なども違うアイデンティティがある。

我々に身近な例としては、沖縄系(オキナワン)が挙げられる。ハワイでは彼らは必ずしも「ジャパニーズ」ではない。注意が必要だ。サトウキビ農園への官約移民時代に、沖縄系は日本本土のグループと峻別されていた。それがかえってオキナワンとしての誇りを育んだ。ハワイ州議会上院議員で日系3世のクレランス・ニシハラは「今は日系と沖縄系は混合している。しかし、私が育った時代はジャパニーズとオキナワンの結婚にはまだ差別感があった。今はそうした感情は皆無だ。しかし、1世代前まではそうした深刻な差別があったし、2世代前まで遡れば確実にあった」と語る。日系から沖縄系への区別意識は薄くなっているが、沖縄系側の日系へのある種の「対抗意識」は根強いものがあり、「この候補者にはオキナワンの血が入っている」というだけで沖縄系の熱狂的な支持を受ける。沖縄系はジャパニーズとは別の沖縄フェスティバルを開催し、ハワイ日本文化センターとは別にオキナワン独自のハワイ沖縄センターを設立した。これがハワイでは沖縄系がエスニシティ化している証と語るのは、日系の州議会上院議員グレン・ワカイだ。ワカイによれば、候補者の属性で支持が集まるエスニック集団は、ハワイではオキナワ系とフィリピン系の2つと考えられている。日系には必ずしもそういう意識はないという。ちなみに2014年8月州知事予備選挙で現職のアバクロンビーを打ち負かしたデイビッド・ユタカ・イゲは、日本の報道ではわかりやすく「日系」として紹介されているが、実際には沖縄系(オキナワン)である。オキナワンの期待の星だ。

第2に、軍への親和性とその関連での意外に強い愛国心である。ハワイでは宣教師の子供達である白人第2世代がサトウキビ農園経営で成功し、ビッグ・ファイブと呼ばれる5つ程度の一族が支配的な力を保持していた。この白人プランターの支配体制を壊滅させ、権力構造をリセットする転換点となったのは軍と第2次世界大戦だった。1941年12月7日の軍の戒厳令で、陸軍が裁判所、新聞、病院、食品製造、労働者団体に至るすべてを管理することになり、戦後はかなりの数の兵隊がハワイに残った。復員軍人援護法(G I Bill)で退役軍人は高等教育を受け、日系2世が社会的に台頭した。サトウキビ畑は機械化によって労働力を必要としなくなり、農園が移民労働者を支配する構造は消えて行った。人種統合運動のパイオニアでもあった第2代州知事ジョン・バーンズが、日本語ができるアジア系アメリカ人を集めて、日系コミュニティを調査したことがあったが、日系人の忠誠心は信頼できる高さだったという。バーンズはイノウエら日系政治家を贔屓にしたが、バーンズがとりわけ寵愛したジョージ・アリヨシが州知事を引き継いだことで日系人の政界への影響力に弾みがついた。

他方、ハワイに対する軍関連の政府歳出額はハワイの輸出総額をまたたくまに追い抜き、ハワイの雇用と経済は軍なしには考えられなくなった。オアフ島の25%を軍が所有し、労働者の約4人に1人が軍に雇用されている。極めて皮肉なことであるが、第2次世界大戦と軍はハワイにおいては、ハオレ(白人)による閉じられた封建的なプランター社会を解体する圧力となり、日系の戦争英雄を生み、日系の政界進出を助け、州の雇用と経済を支える根幹にもなってきた。かくしてハワイは軍需に依存している関係から、州の経済を第1に考える民衆派ほど、安保政策では実は軍事費維持には賛成であり、反基地、反戦リベラル的な色彩は薄い。ハワイで農園労働に従事していた移民の子孫にとっては、退役軍人は尊敬に値する存在であり、軍は「イノウエ」を生み出した原点でもあり、歳出委員会のイノウエは軍需でハワイ経済を支えた。

本土の西海岸や都市部のように「アジア系イコール、リベラル」という図式は必ずしも成立しない。2014年連邦上院選でも、民主党予備選では現職白人(ブライアン・シャーツ)がむしろ環境保護第1を唱えるニューポリティクス派(「気候変動タカ派」とも呼ばれている)で、日系の挑戦者ハナブサは、マウイ島に細々と残っている砂糖工場の労働者の雇用優先として、時には共和党議員と足並みを揃える形で、工場の稼働に影響を与える化石燃料規制に反対してきた。白人のほうが、政策面では理想論的にリベラルという側面がある。宣教師一族の系譜の白人ではなく、アバクロンビーのように1960年代以降に本土から移住した白人の系譜ならば、尚更リベラルでニューポリティクス色が強い。

ハワイの日系の「親日」的伝統の遠因

ところで、ハワイの日系人(AJA:Americans of Japanese Ancestry)は本土の日系人と比べると親日的だと言われることがある。様々な背景の中で3点ほど指摘しておきたい。第1点は、ハワイの日系人の多くが、本土の日系人のように太平洋戦争中に強制収容所に大規模収容されなかったことだ。本土では日系であれば有罪とされ12万人の日系人が強制収容所行きになったのと対照的である。真珠湾攻撃時、日系アメリカ人のハワイ人口は約40%の約16万人だった。重要な太平洋の拠点のハワイにおいて、それだけの数の人材を軍の戦略や地元経済に影響を与えないままで収容することは不可能だった。そこでハワイの日系人の多くは自由のままにおかれ、むしろ第442連隊戦闘団、第100歩兵大隊を編成してアメリカのために尽くした。戦争中ただのひとつもストライキも起こさずに熱心に働いた日系人に対する信頼と評価は高まった。

本土での不当な日系人差別を後に緩和したのは、こうしたハワイの日系人によるアメリカへの貢献という愛国心の証明チャンスと無関係ではなかった。本土の日系人にとって日本の真珠湾攻撃が「強制収容の記憶」とそのまま因果関係的に重なるのに対して、ハワイではそうした因果関係が直接には生じなかった。しかも、ハワイの日系人部隊が活躍したのは欧州戦線で、太平洋における日米の戦いを「棚上げ」する形で、まったく別の空間でアメリカへの忠誠を誓えた。親の出身国と面と向かって戦うという移民にとっての究極のジレンマを回避できたのだ。

第2点は、サトウキビプランテーション時代に農園主が、労働者の団結によるストライキを阻止することを目論んで、ある労働者管理をしたことだった。それは出身地を横断した結束が生まれないように、日系、中国系、朝鮮系、フィリピン系などが相互に交流しないようにと、それぞれ違う居住地に住ませる方法だった。そのため、日常生活からコミュニティにおけるレクリエーションまで、日系集団内だけでピュアに日本文化が維持され、婚姻もその中で生じた。「写真花嫁」も多数来訪した。初期の中国系移民は女性を伴わなかったので、ネイティブ・ハワイアンの女性と多く結ばれ、文化的に早期から混ざり合うことがあったのと対照的だ(ダニエル・アカカ元連邦上院議員の「アカカ」は中国系とハワイ系のハイブリッドで作られた名字)。日本食や盆踊りのような伝統が、相当程度原型のまま存続し、オバマ大統領と娘達の好物でもある「シェーブアイス」(かき氷のことでオアフ島ではハレイワの「マツモト」「アオキ」の2店が特に老舗として有名)、日系が持ち込んだ着物を利用したシャツが起源とも言われるアロハシャツなど随所に拡散した日本文化もある。

本土のようにアジア系としてマイノリティ意識を強めたり、旧敵国という意識をコミュニティで周囲から殊更持たれずに済んだことも関係していよう。白人と結婚してバイレイシャル(ハパ)の子を生むようになっても、子供は少しでも日本の文化を受け継いでいれば自ら「ジャパニーズ」と名乗ることも珍しくない。ジャパニーズの文化は肩肘張らない自然な形で「ローカル」文化として継承された。また、2000年までに累計200万人近くとも言われる日本人観光客がハワイを訪れたことも間接的には影響があった。ワイキキ周辺の日本人観光客や一時滞在者とローカルの日系人の行動空間は基本的に別だが、日本人訪問者はローカルの日系人に「現代日本」の息吹を運んでくる存在であり、ハワイに漂うジャパニーズ文化の相互作用も育んできた。観光客と日系人が顧客として重なっている店も少なくないし、観光客の延長のような移住者と地元の日系住民の垣根は本土諸州よりは低い。

第3点は、ハワイの政治関係者は、沖縄系を含む形で日系をAJA(Americans of Japanese Ancestry)と呼ぶが、そのAJAが連邦レベルでも地方レベルでも、選挙区内で大多数を占めてきたことだ。小選挙区制の連邦議会や地方議会では、選挙区の声が全てに上回る。そのため連邦下院では選挙区の人口動態、宗教、産業、イデオロギーの最大公約数を体現した人物が選出される傾向にあるし、選出された議員は選挙区の要求に忠実に応えて再選を目指す。カリフォルニア州、ワシントン州など日系人の多い西海岸諸州においても、ニューヨーク州都市部においても日系人だけで大半を占めるという選挙区は存在しない。他のアジア系の比率が高ければ、たとえ日系議員でも日系だけを向いた政治はできない。本土では「日系」を過度に強調することは困難でもある。太平洋戦争の記憶に配慮する感覚から、本土の日系人は政治的に目立つことを極力避けてきた。筆者がかつて行ったニューヨークでのアジア系集票においても、日系人に特定の政党や候補者を支持する運動に引き込むことが最も大変だった。

日系政治家は少しでも日系や日本贔屓になり過ぎないように注意し、過度な日本贔屓をしないことが選挙区で信任を得る鍵というジレンマを抱えている。これはアフリカ系やヒスパニック系の政治家が、アフリカ系やヒスパニック系向けの利益誘導だけをやれば「エスニック利益誘導の政治家」と烙印を押され、「地方政治家」や「公民権運動家」以上の全国区の政治家には脱皮できないのと構造としては同じだが、日系は他の東アジア系との「折り合い」の問題を抱えている点でより複雑である。一方で白人や他のマイノリティとの対抗面で「アジア太平洋諸島系」として汎エスニック性を強調しなければいけないが、他方で内実は必ずしも一枚岩ではなく、本土の「アジア系」は、複雑な二面性を有している。

フィリピン系の増加という人口動態上の変化

しかし、人口面でこれまで多数派として安泰だったハワイのAJAの地位も徐々に脅かされている。フィリピン系の増加が原因である。フィリピン系は現在でも毎年多くの新移民が到来し、出生率も高い。国勢調査によれば、2000年のハワイ州の白人は約29万人(294,102人)、フィリピン系が約17万人(170,635人)、日系が約20万人(201,764人)だったが、2010年調査では白人が約33万人(336,599人)、フィリピン系が20万人台に迫る勢いで197,497人、日系が18万人台に縮小して185,502人と、2000年代にフィリピン系と日系の数が逆転した。異人種間結婚で血が一部でも入っている者も含めてカウントすると、日系人は2000年代の10年間で5.3%と微増しており、必ずしも数が急減しているわけではないが、フィリピン系もマルチレイシャル人口が増加しているので、総数では相対的にフィリピン系に逆転されている。

こうした問題は州内政治でも現実問題となっている。前述のハワイ州議会上院議員のニシハラ氏も選挙区内にフィリピン系を多数抱え、対抗馬もフィリピン系候補者だった。パンフレットでもフィリピン系への理解を示し、コミュニティのイベントにも参加。日系支配が当たり前だったハワイの州議会選挙において、日系議員達は慣れないアウトリーチ活動を求められている。それは白人候補がアジア太平洋諸島系に理解を示すアウトリーチをするという本土のそれとは異なり、同じアジア系内で日系候補がフィリピン系有権者に配慮するという細分化されたアジア系内アウトリーチだ。第1世代は出身国との結びつきが強く、フィリピンの衣服や文化をそのまま持ち込み、フィリピンの国旗を車に貼っている住民も少なくない。ニシハラ議員は2006年のフィリピン訪問後、フィリピンの学校に教科書を寄贈する活動も始めている。

フィリピン系の票は必ずしも民主党に入らない。共和党のリンダ・リングルが知事に当選できた後ろ盾には、リングルのフィリピン系の親友や実力者がいた。しかし、フィリピン系全体は共和党支持とも限らず、スイングボーターだ。ロビイストのリック・ツジムラはこう言う。「フィリピン系は勝ち目のありそうな候補者に流れる。もし彼らがリングルのことが好きでも、ヒロノの勝機ありと見れば支持する」。2012年連邦上院選挙の結果はその通りになった。フィリピン系はAJAの牙城を突き崩すのか。ツジムラは「突き崩す努力の必要すらない。日系は徐々に縮小している。10年以内にはフィリピン系が最大のエスニック集団になっている」と述べる。しかし、フィリピン系は投票率が低い問題を抱えている。この傾向は当面は変動しないだろうと予測されている。日系は人口縮小にも関わらずその高い投票率と熱心な政治参加で、しばらくは戦後続いたハワイにおける日系の政治への影響力を行使し続けるだろう。

ハワイでは明白なAJA優位体制が築かれてきたが、AJAの優位維持を表立って唱えることは憚られる。「私的な会合ではAJAについて話し合う。しかし、平場のキャンペーンでは、AJA票を求めるというようなことは決して言わない」のが暗黙のルールだという。2014年の予備選の隠れたテーマの1つは、コリーン・ハナブサに象徴されるAJA候補が連邦議会で議席を維持できるかどうかだった。日系の人口減の中で、ハワイでもAJA候補が単独で議席を維持することが困難になっている。日系以外のアジア系、アジア系以外のグループへの配慮が求められるようになると、ハワイの日系政治家の姿勢もこれまでのようにはいかず、徐々に「本土化」していくのだろうか。

いずれにせよ、ハワイにおいてはアジア系、日系を本土(メインランド)と同一の尺度で観察することは困難だ。こうした前提を踏まえた上で、次号以降、2014年選挙に生じている「異変」を現地報告したい。

■渡辺将人 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授

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