安井明彦 みずほ総合研究所欧米調査部長
米国の大統領選挙では、トランプ旋風等に表れている米国民の不満の一因として、所得の伸び悩みや格差の拡大といった経済問題の存在が指摘されている。ところが、予備選挙の開始を前にして、その米国の世論調査において、争点としての経済問題の比重が低下している。また、同じ経済問題でも、民主党と共和党では、関心の置き所が全く異なっている。トランプ旋風によって混沌とする大統領選挙の行方だが、選挙における経済の位置づけも混沌としているようだ。
低下する経済への関心
予備選挙の開始を前にした米国の世論調査で、争点としての経済問題の比重が低下している。ニューヨークタイムズとCBSが2015年12月4日から8日にかけて実施した世論調査では、「(米国が直面する)最も重要な問題は何か」という問いに対し、経済と回答する割合が8%に止まり、前回調査(2015年11月6日~10日実施)の12%から低下した。雇用と回答する割合も、前回の8%から4%に低下している。
対照的に有権者の問題意識が高まったのは、テロ問題である。テロ問題を「最も重要な問題」とする割合は14%に達し、前回調査の2%から急上昇している。パリでのテロ事件、そして、カリフォルニア州での銃乱射事件が、こうした調査結果に影を落としているのは明らかだ。
経済問題の比重低下は中期的なトレンド
もっとも、一連の事件だけをきっかけとして、突如として経済問題への関心が低下したわけではない。争点としての経済問題の比重の低下は、金融危機からの回復に伴う中期的なトレンドである。ニューヨークタイムズとの共同調査を含め、CBSによる世論調査を時系列で整理すると、最も重要な問題を「経済」「雇用」とする回答を合わせた割合は、2008~2009年の金融危機時に60%近くにまで上昇した後、2011年の後半頃から低下傾向が続いている。
こうした世論の問題意識の変化は、争点の分散化と表現するのが適切だろう。金融危機からの回復期間には、これまでも外交、戦争、テロ等に関する問題意識が高まった時期があった。しかし、これらは散発的な現象であり、必ずしも経済問題への関心低下に呼応した動きではなかった。足下についても、少なくとも現時点では、同時多発テロ後の外交・テロ問題や、金融危機直後の経済問題のような、圧倒的な論点が存在する状況ではない。
経済問題でも分散化
争点の分散化は、経済問題の中でも生じている。民主党と共和党では、経済問題における力点の置き所が全く異なっている。民主党は経済格差を論点として重視する一方で、共和党は成長力の強化に対する問題意識が強い。
政治メディアのPOLITICOが2015年11月に結果を発表した調査では、予備選挙序盤州の政治関係者を対象に、予備選挙において重要となる経済面での論点を尋ねている。それによれば、民主党の関係者では、経済格差を選ぶ割合が約8割を占めた一方で、同じ回答の選択肢を与えられた共和党の関係者では、7割弱が経済成長を選んでいる。民主党の関係者で経済成長を選んだ割合は2割に満たず、共和党の関係者は誰も経済格差を論点に選ばなかったという。
経済格差の拡大と潜在成長力の低下が、米国経済が抱える代表的な難問であることは間違いない。しかし現時点では、党によって別々の論点が論じられている状況であり、これらの難問に関する議論が深まっているとは言い難い。いざ本選挙となった際に、どのように議論が焦点を結んでいくのか、さらには、どこまで議論がかみ合うのかは不透明だ。
経済面の論戦が深まらない現状は、「政策通」を強みとする候補にとっては、腕の見せ所に欠ける状況である。トランプ氏を筆頭に、いわゆるアウトサイダーが隆盛を極めている一因は、経済政策に関する深い議論が求められていない点にあるのかもしれない。
消費者マインドは好調
今回の大統領選挙では、米国民の不満の強さが強調されている。また、その一因として、所得の伸び悩み等の経済問題が指摘されている。
確かに、経済に関する米国民の不満を示唆する調査結果は存在する。ピュー・リサーチ・センターが2015年12月8日から13日にかけて実施した世論調査では、1年後の経済状況に関して、「良くなる」とする回答が20%に止まった。2015年初めの調査では、こうした回答の割合は30%前後となっており、概ね2012年頃からの低下傾向が続いている。
しかし、米国民の経済に対する見方を悲観的と断ずるのは難しい。経済統計を見る限り、米国の消費者マインドは良好である。2016年初の中国市場の混乱が発生する前の指標ではあるが、カンファレンス・ボード、ミシガン大学といった機関によれば、米国の消費者の認識は、現状判断・先行き判断のいずれにおいても、良好な水準を維持している。
正常化か、危機の予兆か
前述のピュー・リサーチ・センターの調査結果も、他の回答結果とあわせると、印象は変わる。前述した2015年12月の調査では、経済の現状を良好とする割合が増加傾向にあり、経済の現状を「良い」とする割合が、1年後の経済が「良くなる」とする割合を約8年ぶりに上回った。このように現状判断が将来判断を上回るという関係は、金融危機に先立つ2000年代半ばの景気拡大期に同センターが行っていた調査の結果と似通っている。
金融危機後の米国では、現状に対する認識が異例なまでに悲観的になり、その反動として、将来への期待が相対的に高い水準に押し上げられていたのかもしれない。そう考えると、足下での世論調査の動きは、現状認識が正常化されてきたことで、現状対比での将来期待が低下している(正常化している)可能性が指摘できる。
もっとも、結果的には、金融危機前の世論調査に現れていた米国民の将来判断の悪化は、金融危機の発生によって現実化してしまった。2016年の米国経済は、中国市場の混乱という荒波の中でスタートしている。「経済こそが問題だ」という環境が復活するとすれば、それは米国経済のみならず、世界経済にとっても好ましくない事態が生じた場合なのかもしれない。