みずほ総合研究所欧米調査部長 安井明彦
米国における格差問題の大きな謎のひとつは、格差が拡大傾向にあるにもかかわらず、その是正を担う所得移転政策への支持が広がらないことだった。その米国で、公的年金・メディケア(高齢者向け公的医療保険)といった所得移転政策を擁護するドナルド・トランプ氏が、共和党の予備選挙をリードしている。「小さな政府」の立場にある共和党に起こった異変の背景には、White Working Classと高齢者の存在がありそうだ。
White Working Classと高齢者の政府依存
公的年金やメディケアを擁護するトランプ氏の政策は、これまでの共和党の政策とは色合いが異なる。米国では、格差の拡大にもかかわらず、それを是正するはずの所得移転政策への期待は高まってこなかった [1] 。むしろ2000年代の米国で存在感を増したのは、「小さな政府」を強く主張するティー・パーティーだった。
共和党では、新しく下院議長に就任したポール・ライアン下院議員のように、必ずしもティー・パーティーの流れに属さない政治家でも、年金や医療保険に関する政府の役割を低下させるよう提案する向きが少なくない。現在の共和党予備選挙でも、ジェブ・ブッシュ氏やクリス・クリスティー氏は、公的年金の受給開始年齢の引き上げ等を提案している [2] 。
公的年金やメディケアを擁護するトランプ氏の立場に対しては、その政治的な必然性を指摘する声がある [3] 。米国では、共和党の大事な支持層となっているWhite Working Classや高齢者が、政府からの所得移転に依存している。自らの支持層に痛みを強いるような政策の推進は、共和党にとって難しくなってきている可能性がある。
White Working Classと高齢者の政府依存
とくに政府への依存度が高まる傾向にあると考えられるのが、White Working Classである。
一般にWhite Working Classは、学歴の高くない、主にブルーカラーの白人層を指す [4] 。所得水準では貧困層から少し上(「中の下」)に位置すると考えられ、トランプ氏を支える重要な有権者層だとみられている [5] 。
「中の下」となる所得階層では、公的年金・医療保険等からなる移転所得への依存度が高まっている。所得階層を5つに分けた場合、下から2番目に当たる階層(第二分位)では、1980年に26%だった所得に対する移転所得の比率が、2011年には37%にまで上昇している。対照的に、最も所得が低い第一分位では、その比率が同じ期間に53%から38%に低下した。言い換えれば、「中の下」の所得階層が所得移転に頼る度合いは、最も所得の低い階層とほぼ同程度となっている。
高齢者の移転所得に対する依存度は、目立って上昇基調にあるわけではないが、継続的に高水準となっている。中間的な所得階層である第三分位で比較すると、世帯主が65歳以上の世帯の場合、所得に対する移転所得の比率は65%に達する(2011年)。世帯主が65歳未満の世帯における比率は28%(同)であり、高齢世帯の依存度の高さは明白である。
私のメディケアに手を出すな!
もっとも、所得移転政策に対するWhite Working Classや高齢者の態度は、一筋縄ではいかない。自らへの移転所得を「維持」することには賛同しても、貧困層や移民など、自らと異なる人々への「拡大」には懐疑的である可能性が指摘できる。
分かりやすいのは、高齢者である。
米国の高齢者の間では、所得移転政策の拡大に対する支持が明らかに低下傾向にあることが確認されている [6] 。既に述べたように、米国では格差拡大にもかかわらず所得移転政策拡大への支持が高まってこなかったわけだが、なかでも高齢者による支持の低下は、先進国としては国際的に特異な現象となっている。
その背景にあるとされるのが、米国特有の公的医療保険制度である。米国の公的な医療保険は、高齢者向けのメディケアと低所得者向けのメディケイドに限定されている。メディケアという公的な医療保険に加入できることは、高齢者に許された特権である。
そうした特権を守ろうとする意識が、高齢者が所得移転政策の拡大に懐疑的となる理由だったと考えられる。Ashok et al(2015)によれば、高齢者が所得移転政策の拡大に懐疑的になってきた度合いのうち、その約半分は医療保険拡大への懐疑的な意識の高まりで説明できるという [7] 。既に公的な医療保険の恩恵を受けている高齢者にとって、さらなる公的保険の拡大は、自らと異なる人々の利益となるに過ぎない。それどころか、拡大に必要となる財源をねん出する先として、メディケアが標的となる可能性すら想定される。
医療保険を通じた移転所得は、高齢世帯の依存度の高さが際立ってきた部分である。第三分位について比較すると、1980年時点の所得に対する医療保険を通じた移転所得の比率は、高齢世帯がそれ以外の世帯を8%ポイント上回っていた。2011年になると、その差は19%ポイントへと広がっている。そうした拡大の度合いは、移転所得全体における差で比較した場合(33%ポイントから38%ポイント)よりも大きい。
ティー・パーティー運動では、「政府は私のメディケアに手を出すな(Keep Your Government Hands Off My Medicare)」という標語が使われた。そもそもメディケアが政府の政策であるにもかかわらず、その政府に「手を出すな」と要求している点をとらえ、ティー・パーティー運動の支離滅裂さを示す好例とされてきた標語ではあるが、自らの特権が失われることへの高齢者の危機感が見事に映し出されている。
White Working Classの心境は複雑?
複雑なのは、White Working Classである。
世論調査を見る限り、共和党を支持するWhite Working Classは、所得移転政策に好意的だと考えられる。ピュー・リサーチセンターの調査によれば、大卒未満の共和党支持者は、公的年金や医療保険の維持に賛同する傾向が強く、大卒以上の共和党支持者は、これらの削減を支持する傾向にあるという [8] 。
その一方で、White Working Classは、所得移転政策への依存を強めざるを得なくなっているからこそ、そうした政策を忌み嫌っているとも指摘される。「政府への依存は本意ではなく、一刻も早く自立したい」というわけである [9] 。また、White Working Classには、依存からの脱却に努力しているという自負があると言われる。そのため、自分よりも貧しい層に属する人々に対して、「努力せずに移転所得に依存している」という憤りを感じやすく、さらには、貧しい人々を移転所得に「依存させる」政府のあり方に対しても、批判的になりやすいとされている [10] 。
所得移転政策に対するWhite Working Classや高齢者の感情には、他者に不寛容になる雰囲気が漂う。White Working Classは貧困層が移転所得に依存していると憤り、高齢者は医療保険が他者に広がることで自らの特権が揺らぐと心配する。不法移民・難民排斥のように、トランプ氏が他者に不寛容な政策を声高に主張している現状と、不気味な風向きの一致が感じられる。