第2節 改革の成否が経済に与える影響について
次に、現在中国で議論されている改革のうち今後の経済社会の安定にとって最も重要なものは何か、その成否は今後の中国にどう影響するかといった点について考えてみよう。
第12期全国人民代表大会第4回会議(2016年3月5日~16日、於北京)で採択された第13次5ヵ年計画は、2016年から2020年までを対象期間とし、37項目の改革方針を打ち出している。その中身は、経済の中高速成長の維持、国民生活の水準、質の向上、国民資質と社会文明の向上、生態環境の質的改善、各種制度の成熟と定型化を柱に、経済、社会、外交、ガバナンスなど多岐にわたる。
今次5か年計画の目的として掲げられているのは、いわゆる小康社会(国民全員がある程度ゆとりのある暮らしを送れる社会)の全面的完成である。多岐にわたる改革項目は、この目的のとおり、いずれも中国の経済社会の安定的発展のために必要なものばかりと言える。
では、これら多くの改革項目のうち、中国の経済と社会の安定という観点から、特に注目すべき改革項目は、どれであろうか。その改革項目の成否は、今後10年程度の中国経済にどのような影響を与え、大衆の実質生活水準や都市内、農村内格差といった中国社会の経済的ドライビング・ファクターをどう左右するのであろうか。
(1 )中国経済成長のメカニズム
まず、都市部および農村部にいる広範な大衆の実質生活水準を継続的に向上させ、都市内、農村内格差の是正を実現していくためには、経済全体の安定的な成長が欠かせないことは言うまでもない。そこで、中国経済の安定的成長の鍵を握る分野とそのために必要な改革について考えてみる。
労働力増減の影響は限定的
一国経済の成長力(潜在成長率)は、供給力、すなわち、労働力増加、資本蓄積、全要素生産性上昇で決まる。
この点、改革開放以来の中国の経済成長は、資本蓄積と全要素生産性上昇によってもたらされてきた。一方、意外に思う向きもあるかもしれないが、労働力増加の寄与率は決して大きなものではない。丸川(2013)によれば、中国経済の成長に対する労働力増加の寄与率は、改革開放以来、常に資本蓄積や全要素生産性上昇の寄与率よりも小さく、特に2000年代に入ってからは、労働力増加の寄与率は、わずか数%にとどまっている。むしろ、全要素生産性上昇と資本蓄積は、中国経済成長を牽引する車の両輪として、いずれも常に30%から60%程度の寄与率を記録してきた。(表1参照)
表1 中国経済成長の生産要素別寄与率
出所)丸川(2013)p.20
中国では、改革開放以来、農村での請負生産性の導入による労働意欲の向上、外資導入による先進的技術の導入、国有企業改革による効率性の向上などによって、全要素生産性が向上してきた。これと同時に、工業化や都市化に伴う活発な投資が行われ、資本蓄積が進んできた。
今後のカギを握る全要素生産
今後の中国では、一人っ子政策の影響等により労働力人口のゆるやかな減少(2015年:約8億人⇒2050年:約7億人)が見込まれる。
しかし、もともと改革開放以来の中国の経済成長を牽引してきた要素は全要素生産性上昇と資本蓄積であり、労働力増加の寄与度は軽微であったことから考えると、今後の中国経済の成長を左右するのも、労働力人口のゆるやかな減少ではなく、むしろ全要素生産性上昇と資本蓄積を維持できるかどうかである。
この点、資本については、今後増加率が徐々に低下していくものと考えられる。もちろん、中国の資本増加率は向こう10年ほどは比較的高い水準を維持するであろうし、対外開放に変更がなければ海外からの投資も流入を続ける。
しかし、これまで中国の資本蓄積を支えてきた高い貯蓄率が、高齢化の進展により低下が見込まれるのである。中国では、65歳以上人口の割合が2014年には10.1%であったが、2020年には13.9%、2030年には19.3%へと上昇していくと推計されている。
このように高齢化率が上昇するということは、貯蓄を取り崩して生活する人の割合が高まるということである。したがって、高齢化の進展に伴い貯蓄率は下がることになり、その影響で資本の増加率にも下げ圧力がかかることになる。
資本増加率が低下するとなると、今後の中国経済の動向を考えるうえで最も注目すべき問題は、中国が全要素生産性の伸びを維持できるかどうかである。
この点、中国は近年イノベーション力の向上を重要政策として掲げてきている。先日、全国人民代表大会で承認された第13次5ヵ年計画も、創新(イノベーション)を政策方針の5つの柱の一つに据え、イノベーション駆動型の発展戦略の実施などを謳っている。
しかし中国は、2030年頃までは、イノベーション力の向上などという難しい政策課題に取り組むまでもなく、全要素生産性の上昇をある程度維持できる。
(2) 持続的経済成長の鍵を握る農業改革、農村改革及び戸籍制度改革
中国では、古い設備を更新するだけでも生産性の向上を達成できるし、教育によって就業者の技能と知識を高める余地も大きい。
しかし、今後の中国にとって、もっと容易に、かつ、より大規模に全要素生産性の上昇を実現できる方法がある。それは農業分野の余剰労働力を非農業分野へ移動させることである。
農業改革と農村改革の重要性
中国では、農村部にまだかなりの数の余剰労働力が存在している。逆に言えば、中国は過剰な労働力をかけて農業生産を行っている。農業従事者1人当たりの穀物生産量で比較すると、中国の農業労働生産性は、日本の約8分の1、韓国の約5分の1、アメリカの約160分の1にとどまっている。
これらの労働力を農業からより生産性の高い仕事へ移すだけで、経済全体の生産性は上昇する。より少ない農業従事者で農業生産を行うことで、農業自体の生産性を高めることができるだけでなく、それにより離農した労働者を農業よりも生産性の高い第2次産業や第3次産業で活かすことができるからだ。
では、余剰の農業従事者を非農業分野へと移動させるうえで必要な施策は何か。一つは、農業の機械化や大規模化といった農業生産性の向上策である。農業の生産性向上なくして、農業部門の過剰労働力を非農業分野へと解放することはできない。
特に今後の中国では、トラクターや収穫脱穀機などの導入による農業の機械化が必要である。表2のとおり、中国では、トラクターの保有台数が農業就業者1000人あたり4.1台、収穫脱穀機が同1.6台にとどまっている。農業の機械化がほとんど進んでいないのである。北京や上海など沿海部大都市の周辺でも、牛などの家畜だけで農業を行っている風景を最近でも目にする。そうした農家が機械化を進めれば、今より少ない農業従事者で穀物生産量を維持ないし拡大することは十分可能である。
FAOのデータによれば、中国の農業就業者は現在約5億人であるから、その労働生産性が2025年までに日本の8分の1程度の現状から同4分の1程度へと上昇するならば、約2億5000万人の農業従事者で現状の穀物生産量を維持できる。一方、FAOの統計によれば中国の農村人口は約7億人であるから、農業就業者と農村人口の比率1.44が今後も不変と仮定すれば、2025年の農村人口は約3億6000万人と試算される。したがって、仮に中国の農業労働生産性が2025年の時点で今の日本の水準の4分の1程度まで向上するならば、穀物生産量を維持したまま2010年比で最大3億4000万人ほどの人口が農村から都市へ移動できるだろう。
表 2 農業生産性の国際比較
|
農業労働生産性 |
農業土地生産性 |
トラクター普及率 |
コンバイン普及率 |
|
トン/人 |
トン//ha |
台/1000人 |
台 / 1000人 |
中国 |
0.99 |
4.52 |
4.12 |
1.26 |
インド |
0.96 |
1.65 |
11.67 |
1.77 |
ロシア |
9.54 |
0.49 |
64.95 |
17.28 |
ブラジル |
6.81 |
1.23 |
70.32 |
4.85 |
日本 |
8.01 |
2.65 |
1323.70 |
674.89 |
韓国 |
4.98 |
3.98 |
191.52 |
66.42 |
米国 |
160.09 |
2.47 |
1749.70 |
138.28 |
オーストラリア |
73.32 |
0.71 |
689.28 |
123.63 |
フランス |
119.17 |
3.72 |
1980.80 |
133.51 |
出所) 関山(2013)
戸籍制度改革の重要性
また、農村戸籍者が都市部の非農業分野に従事する上で制度上の大きな制約となっているのが、戸籍制度である。農村部の膨大な余剰労働力が自然と都市へ溢れ出てきた改革開放以来の時代は終わりつつある。農村戸籍者の都市戸籍化、つまり戸籍制度改革により、農業から非農業分野への労働移動、農村から都市への人口移動を政策的に促進していくことが重要である。
このように中国は、農業、農村改革や戸籍制度改革を通じて、農業の機械化を進め、過剰な農業従事者を非農業分野へと移動させることによって、向こう10年程度は比較的容易に経済全体の全要素生産性を上昇させていくことが可能だと考える。
(3) 所得再分配による消費拡大
なお、先に一国経済の成長力(潜在成長率)は、供給力(労働力増加、資本蓄積、生産性上昇)で決まると述べたが、総需要(消費、投資、純輸出)が供給力を下回れば、成長率が潜在成長率を下回り、失業が発生する。
需要面から見た場合、従来の中国経済は過度の投資依存であり、2000年代には輸出依存の側面もあった。しかし今後は、工業化や都市化のための投資需要も徐々に減少していくと見込まれるなか、消費拡大が課題となる。実際、今次5か年計画においても、個人消費の拡大は経済の中高速成長の維持に向けた目標の一つに挙がっている。
では、個人消費の拡大を実現するために必要となる改革項目は何か。この点、最も重要かつ効果的な施策は、税制および社会保障制度の改革による所得再分配の強化であると考える。
中国では、都市部でも農村でも、所得の高い世帯ほど消費性向が低い。つまり、所得の高い世代ほど、所得のうち貯蓄に回す割合が高いのである(表3参照)。こうした状況の下では、税や社会保障により、消費性向の低い都市部の最高所得層から都市部の低所得層や農村世帯に所得を再分配すれば、そのぶん経済全体では個人消費が増加することを意味している。
たとえば、都市部上位10%の高所得世帯に100元の課税をして、その分を都市部下位10%の低所得世帯に生活補助として支給すれば、単純計算で34元(=100元×(94%-60%))の消費支出が経済全体では増加する。さらに、その100元を農村部の下位20%低所得世帯に渡せば、106元(=100元×(166%-60%))の消費支出が増加することになる。
問題は、低所得世帯や農村住民へ所得再分配を行っても、本当にそれが消費に回されるかどうかである。この点、中国では、低所得世帯や農村部においては、洗濯機、冷蔵庫、パソコン、エアコンなどといった生活必需品の耐久消費財がまだまだ普及していないため、彼らの所得が増えれば、こうした耐久消費財への需要が拡大することが見込まれる。
したがって、税や社会保障などによる所得再分配の強化によって、消費性向の極めて高い低所得世帯の所得を引き上げることこそ、過度の投資依存から個人消費中心の経済成長へと転換していくうえで鍵となる改革項目であると言えよう。
表3 中国における世帯所得別の消費性向(2011 )
データ出所)中国国家統計局『中国統計年鑑』(2012年版)
注)都市部の消費性向は現金消費支出/可処分所得、農村部の消費性向は消費支出/純収入により計算。
表4 中国における世帯所得別の耐久消費財保有率(2012 )
データ出所)中国国家統計局『中国統計年鑑』(2013年版)
注)100世帯あたり保有台数
(4 )都市内、農村内格差是正を左右する改革項目
以上のとおり、都市部および農村部にいる広範な大衆の実質生活水準を継続的に向上させるための改革項目としては、特に農業改革、農村改革、戸籍制度改革、所得再分配が重要である。
これら改革項目は、同時に、今後の中国社会の安定・不安定を左右する最大の経済的ドライビング・ファクターたる都市内、農村内格差の格差是正にも寄与するものである。
前節で述べたとおり、隣人の暮らしぶりという視点で言えば、近年は都市内あるいは農村内において、生活水準の格差が拡大していることが、社会不安定要因となる。
農業改革と農村改革の必要性
このうち、まず農村における生活水準底上げの足枷となっているが、農業従事者の低い生産性である。前述のとおり、農業従事者1人当たりの穀物生産量で比較すると、中国の農業労働生産性は、日本の約8分の1、韓国の約5分の1、アメリカの約160分の1にとどまっている。つまり中国では、諸外国に比べると今なお農村に多くの過剰労働力が滞留して農業に従事している結果、その分農業従事者1人当たりの稼ぎが小さくなっているのである。
したがって、農業と農村の改革によって農業生産性が向上すれば、農村の生活水準を底上げし、農村内格差の是正に寄与しうるのである。さきに述べたとおり、農業の機械化や大規模化によって農業分野の労働生産性を高め、農業従事者1人当たりの所得を増やすことが、農村における生活水準底上げにとって極めて重要である。農村部の所得が増えれば、その分消費も増えることになり、農村部でも小売りや飲食など非農業分野の産業と雇用が増加することが期待される。
戸籍制度改革の必要性
もう一つ、都市内、農村内格差の格差是正にとって必要なのが、戸籍制度改革である。農業生産性の向上により離農した農村の余剰労働力は、農村部の非農業分野に新たな職を求めるほか、都市部へ移動することになる。しかし都市部では、農村戸籍の出稼ぎ者、いわゆる農民工では、まともな社会保障や子女の教育機会を得られない。これが、都市内格差の大きな要因となっている。したがって、戸籍制度改革によって、都市住民と農民工との間の権利待遇の格差を是正していく必要があるのである。
所得再分配の必要性
しかしながら、農業改革、農村改革や戸籍制度改革によっても、すでに大きな都市内格差及び農村内格差が即座に解消するわけではない。政府による、より直接的な介入によって都市内、農村内格差の是正を図るものが、所得再分配の強化である。
なお、ここで行うべき所得再分配は、単なる社会福祉政策ではなく、前述のとおり、個人消費の拡大を通じた経済成長政策であることに留意したい。したがって、やみくもに所得再分配を進めれば良いのではない。高所得者への過度の税負担は、彼らの貯蓄を減らし、それを原資とする国内投資を減少させる結果、経済成長を鈍化させかねない。所得再分配は、低所得者中心に消費を増加させるという経済成長促進効果と、高所得者の貯蓄を原資とする投資を減少させるという経済成長阻害効果の双方を持つ。したがって、所得再分配は、個人消費の拡大、都市内、農村内格差の是正、貯蓄の維持という三つのバランスを考えて実施されねばならない。
官民格差是正の必要性
そのほか、都市内、農村内格差を是正する上で、もう一つ重要な改革項目として、党と政府の官僚などに対する汚職取り締まりによる官民格差の是正についても触れておきたい。
中国社会科学院社会学研究所のアンケート調査によれば、社会に対する信頼度として、見知らぬ他人や人を騙す商売人に次いで、党、政府の幹部、警察官、裁判官に対する不信感が強い。官の不正や汚職に対して、庶民の厳しい目が注がれているのである。権力に近い者が富を手に入れ、権力に縁のない者は富にも縁がない。都市内、農村内格差を生んでいる一つの背景である。
かつて1980年代にも中国では、権力乱用によって不正な利益を得る官倒(役人ブローカー)が暗躍して、庶民の不平を買った。特に80年代後半には、鄧小平、趙紫陽などの中央指導者の子女や一族が絡んだ会社が相次いで設立され、大規模な経済不正が問題視された。そうした権力乱用が生み出す格差に対して、人々の不満が鬱積していたなか、官への不信が、急激な物価上昇と相まって、不満を募らせた学生や若者を大規模な抗議行動へと動かした結果が天安門事件である。
こうして1980年代の歴史を鑑みるに、官の不正や汚職の撲滅は、都市内、農村内格差の是正という観点から、中国社会の安定に極めて重要な改革項目である。権力の乱用による機会と結果の不平等について、庶民の不信不満を放置することは、社会の不安定を招く。習近平総書記が、現在、官僚の汚職取締りに躍起になる理由の一つは、ここにあろう。
図11 中国社会の信頼構造
データ出所)李培林等編(2016)p.123