はじめに
中国経済は現在一進一退の傾向を示しているが、そのなかで習近平総書記と李克強総理の不協和音がメディアで盛んに議論されている。しかし報道はやや行き過ぎのところがあるように思われ、本稿ではこの点につき、私見を述べたい。
1.足元の主要経済指標
まず、中国政府が発表した主要経済指標を手がかりに、今年1月から8月までの経済の動向を概観しておこう。
(1)GDP
2016年1-6月期のGDPは、前年同期比では実質6.7%の成長となった。四半期別にみると、1-3月期は6.7%、4-6月期も6.7%である。これを先進国の計算方法である前期比でみると、1-3月期1.6%、4-6月期は1.8%の成長と、第2四半期の方が成長率が高くなっている。これは、3月の全人代の審議を経て、4月以降、今年度予算や第13次5ヵ年計画のプロジェクトが本格的に着工されたからであろう。
(2)所得
全国住民1人当りの可処分所得は、実質6.5%増と成長率を下回った。昨年までは、政府は所得の伸びを成長率より高く維持することにより、労働分配率を引き上げ、消費を牽引しようとしていた。しかし、今年に入り企業のコスト引下げが重視されるようになってきており、最低賃金の上昇が抑制されている。この傾向が続けば、いずれ個人消費にマイナスの影響が現れる可能性がある。
(3)雇用
李克強総理が最も重視する雇用指標については、1-8月期の新規就業者増は948万人で、年間目標1000万人以上を上回るペースが続いている。また、6月末の都市登録失業率は4.05%と、目標4.5%以内をクリアしている。
(4)工業生産
8月の工業生産は前年同期比実質6.3%増となり、3月から6%台で上下している。その中で、自動車生産は、昨年10月から排出量の低い車に税制優遇策が発動されたこともあり、24.7%増と比較的高い伸びを示している。
(5)消費
8月の社会消費品小売総額は前年同期比10.6%増であり、今年は10%強の伸びを維持している。とくに、自動車は13.1%増、eコマースは26.7%増と、高い伸びを示している。
(6)投資
1-8月期の都市固定資産投資は前年同期比8.1%増であり、1-5月期から1ケタの伸びに鈍化している。これは、インフラ投資が19.7%増であるものの、不動産開発投資が5.4%増と、1-4月期の7.2%増をピークに回復が頭打ち傾向であること、民間固定資産投資が2.1%増と、昨年の10.1%増から大きく後退していることが主要な原因である。
(7)輸出入
8月の輸出は前年同期比-2.8%とマイナス傾向が続いているが、輸入は1.5%増と、今年初めてプラスに転じた。これは、内需がやや持ち直し、原油輸入が数量ベースで増加していることなどが原因だと考えられるが、この傾向が続くと貿易黒字が縮小し、成長率に与える外需のマイナス効果が拡大する可能性がある。
このように、雇用、工業生産、消費、インフラ投資が比較的手堅いなか、個人所得、民間投資、外需に不安材料がみられるなど、各経済指標は一進一退であり、経済は横ばい傾向(アルファベットでいえば、L字型)が続いている。
2.指導部の不協和音
3月の全人代において、李克強総理の報告のあと習近平総書記が握手をしなかった等、両指導者の不協和音がしきりに報道されている。しかし、そのような表面的なことより、2人の政策に対する考えのずれは、むしろ「サプライサイド構造改革」の中身につき、全人代で2つの異なる説明がなされたことに、端的に現れていた。
(1)国家発展改革委員会の「経済報告」
そもそも「サプライサイド構造改革」は、習近平総書記が2015年11月の党中央財経領導小組で提起し、同年12月の中央経済工作会議で精緻化された政策である。3月5日、国家発展改革委員会から全人代に対し行われた「経済報告」の中で示された、サプライサイド構造改革の概要は以下のとおりであり、基本的に中央経済工作会議の内容が忠実に反映されている。
①過剰生産能力を解消する
鉄鋼及び石炭等の業種の困難脱却と転換及びグレードアップを促進し、従業員の再就職を生産能力過剰対策の最重点とする。
②企業のコストを引き下げる
制度的な取引コスト、人件費、税及び費用負担、資金調達コスト、エネルギー、土地使用コスト及び物流コストの引下げに力を入れ、「年金、医療、失業、労災、生育保険と住宅積立金」の簡素化と統合を検討する。
③分譲住宅の在庫を解消する
中小都市での出稼ぎ農民の住宅購入を奨励し、住宅賃貸市場を育成し、発展させる。
④脆弱部分を補強する
脱貧困を進め、企業の技術改造と設備更新を支援し、ソフト及びハードのインフラ不足を補強する。教育事業と環境対策を強化する。
⑤金融リスクを防止、解消する
金融リスクの健全なモニタリング、評価及び対応のメカニズムを整備し、株式市場、外為市場及び債券市場のリスク処理案と金融機関の退出メカニズムを整備する。銀行の不良債権償却処理を支援し、金融詐欺や違法な資金調達への取締りを強化する。
(2)李克強総理の「政府活動報告」
これに対し、李克強総理は「政府活動報告」において、中央経済工作会議の内容とは異なるサプライサイド構造改革の6項目の任務を示した。
①規制緩和を深く進展させる
引き続き、行政審査及び許認可事項を削減する。
②全社会で起業、イノベーションを進める
企業の研究開発費用を税制優遇し、大衆によるイノベーションと起業を推進する。
③過剰生産能力を解消し、コストを引き下げ、効率を高める
鉄鋼及び石炭等困難な業種の生産能力削減に重点的に取り組み、合併再編及び債務再編あるいは破産及び清算等の措置を採用して、「ゾンビ企業」を処理する。従業員の再配置及び再就職に対する財政、金融等の支援政策を整備する。企業の取引、物流、財務及びエネルギー使用等のコストを引き下げる。
④財及びサービス供給を改善する
消費財の品質を高め、製造業のレベルを高め、現代サービス業を発展させる。
⑤国有企業改革を推進する
中央国有企業について、革新と発展、再編と統合、整理と退出に分けて構造調整を推進し、株主を多元化し、企業の人事制度を改革し、国有企業から社会機能を分離する。
⑥非公有制経済を活性化する
電力、電信、交通、石油、天然ガス及び都市公共事業等の分野への市場参入を大幅に緩和し、許認可、融資サービス、財政租税政策及び土地使用の方面で平等に扱い、各種所有制の財産権を法に基づき平等に保護する。
習近平総書記の経済政策面での懐刀とされる党中央財経領導小組弁公室の劉鶴主任は、国家発展改革委員会の副主任を兼務している。このため、国家発展改革委員会の「経済報告」は習近平総書記の唱えた5大任務を忠実に再掲していたのであろう。これに対し、国務院の「政府活動報告」の内容が異なっていたことは、やはり尋常なことではない。
昨年の全人代においては、「政府活動報告」で習近平総書記が唱える「4つの全面」のうち1つの項目(党を全面的に厳しく統治)が欠けていただけで、報告直前に李克強総理が慌てて文章を追加する場面があった。昨年はそこまで習近平総書記に配慮していたにも関わらず、今回敢えて異なる内容を記述したことからすると、確かにこの時点で、習近平総書記と李克強総理の経済政策の考え方にずれがあったように思われる。
3.人民日報5月9日付「権威人士」インタビュー
「経済報告」の5大任務のうち、過剰生産能力解消、住宅在庫解消、金融リスクの防止と解消は、2009-10年に発動された大型景気刺激策の副作用の後始末であり、目新しいものではない。サプライサイド構造改革の目的は、そもそも全要素生産性を高め、潜在成長率を引き上げることにあるので、本来であれば、そのための政策(たとえば規制緩和、イノベーション、民間活力の導入)が中心となるはずである。つまり、経済論理的に考えると、習近平総書記の5大任務よりも、李克強総理の6大任務の方が本来の目的にかなっている。
しかも「経済報告」は、サプライサイド構造改革と、2013年の党3中全会で決定された「改革の全面深化」との関係がはっきりしない面があった。本来であれば、過剰生産能力の大半は国有企業が抱えているので、その解消は国有企業改革、民間活力の導入と一体で行うべきであるが、「経済報告」の表現では、まずは過剰生産能力削減を優先し、国有企業改革を先送りするようにも読めたのである。だとすれば、これは改革にとって大きな後退となる。このため、実施過程で混乱が生じないよう、両者の関係を急いで調整する必要があった。そのプロセスで出てきたのが、5月9日に突然「人民日報」に発表された「権威人士」のロングインタビューであろう。
その後、最終調整が中央財経領導小組の場で図られたことからすれば、このロングインタビューは同弁公室の劉鶴主任、楊偉民副主任(国家発展改革委員会出身)、易綱副主任(人民銀行副行長兼務)の共同執筆であった可能性がある。このインタビューには、レバレッジなど金融に関する専門部分も多く含まれており、相対的に金融問題に弱い国家発展改革委員会関係者だけでは執筆が難しかったと思われるからである。また8月末には、国家発展改革委員会が一層の金融緩和を要求する論文を執筆し、人民銀行の反発でこれを撤回したという報道もあった。ロングインタビューは金融緩和に否定的であり、もしこれが劉鶴の単独執筆であったとすれば、つじつまが合わない。
さらに一部の報道では、これは習近平総書記サイドが李克強総理を批判したものだとしているが、筆者はこの見方に否定的である。このロングインタビューは、李克強総理の考え方にも十分配慮した内容となっているからである。それは、以下の点である。
(1)経済の見方
権威人士は、今後の経済動向について、L字型であり、U字型やV字型の急回復はないとしている。これをもって、李克強総理が「経済が好転している」と日頃述べていることを批判したものとの見方がある。しかし、習近平総書記が主催した4月29日の党中央政治局会議でも、経済は「比較的良好なスタートを実現した」とされていたのである。
そもそも経済の先行きをL字型と最初に述べたのは、国家統計局である。4月15日に開催された1-3月期のGDP成長率発表の記者会見において、同スポークスマンが初めて公的に指摘したのであり、この点、党と政府に認識の違いはない。
もともと、李克強総理の政策方針は、雇用がひどく悪化しない限り短期的な景気刺激策を発動せず、構造改革と構造調整を推進するという立場であり、これで経済がV字、U字型に急回復することは難しい。
(2)政策のトーン
①マクロ政策について、「わが国の雇用情勢は全体として落ち着き、大きな変動は起きていない」し、「『バラマキ』という拡張方式で、経済にカンフル注射をし、短期的に盛り上がった後、経済がますます悪くなるのを避けるべき」だとして、当面雇用が安定していれば短期的な景気刺激策を打たない方針を示している。
②金融政策において、「マネーサプライの拡大による経済成長刺激の限界効果が逓減している状況下では、金融緩和の上乗せによって経済成長を速め、分母を大きくしてレバレッジを下げられるという幻想を完全に捨て去るべきだ」と、安易な金融緩和を否定している。
③ゾンビ企業について、「破産、清算を少なくするが、確かに救いようのない企業については、閉鎖すべきものは断固として閉鎖し、破産すべきものは法によって破産させるべきで、安易に『債務の株式転換』をやってはならず、『無理にくっつける』式の再編をやってはならない。そうするのはコストが大きすぎるし、自分をごまかし他人もごまかして、早晩大きなお荷物になる」という厳しい言い方をしている。
④生産性向上において、企業家、イノベーション人材、各レベル幹部の役割を重視している。
以上の点など、政策のトーンは、いずれも李克強総理や改革派の見解とおおむね一致している。
4.2つの小組会議―事態の収束
5月16日、中央財経領導小組において、サプライサイド構造改革の一環として国有企業等の改革の推進が確認されたことを受け、18日、李克強総理は国務院常務会議を開催し、中央国有企業改革をスタートさせた。また、20日、中央改革全面深化領導小組が開催され、この場でもサプライサイド構造改革の一環として、国有企業等の改革を加速することが決定されている。
(1)中央財経領導小組会議(5月16日)
習近平総書記が開催し、サプライサイド構造改革の実施と中等所得層の拡大を検討した。
ここでは、サプライサイド構造改革の「当面の重点は、過剰生産能力削減、不動産在庫削減、脱レバレッジ、企業のコスト引下げ、脆弱部分の補強、という5大任務の推進である」としつつ、「本質的な属性は、改革の深化であり、国有企業改革を推進し、政府の機能転換を加速し、価格、財政、税制、金融及び社会保障等の分野の基礎的改革を深化させることである」とし、習近平総書記と李克強総理の見解が両論併記となっている。
(2)中央改革全面深化領導小組会議(5月20日)
会議では、習近平総書記が「サプライサイド構造改革の本質は改革であり、改革の方法を用いて構造調整を推進しなければならない」と発言し、「国有企業、財政、税制、金融、価格制度、農業と農村、対外開放、社会保障及び生態文明等の分野の基礎的改革を加速し、カギとなる改革措置を早急に打ち出さなければならない」とされた。同時に、「『過剰生産能力削減、住宅在庫削減、脱レバレッジ、企業コスト引下げ、脆弱部分の補強』の個別案を制定し、項目ごとに実施にしっかり取り組まなければならない」ともしており、こちらでも両指導者の意見の調整が図られている。
5.党中央政治局会議(7月26日)
習近平総書記は7月26日、党中央政治局会議を開催し、当面の経済情勢を分析、検討するとともに、下半期の経済政策を手配した。会議では、規制緩和、財政、税制、金融、イノベーション及び国有企業等の重点分野の改革を引き続き深化させなければならない、とするとともに、習近平総書記の5大任務について次のように述べた。「過剰生産能力削減と脱レバレッジのカギは、国有企業と金融部門の基礎的改革の深化であり、住宅在庫削減と脆弱部分補強の目指す方向は、都市化プロセスの秩序立った誘導と出稼ぎ農民の市民化を有機的に結びつけることであり、企業コスト引下げの重点は、労働市場の柔軟性を高め、資産バブルを抑制し、マクロの税負担を引き下げることである」。すなわち、5大任務と改革の全面深化をさらに強く結びつけたのである。
このように、習近平総書記と李克強総理の間には、特にサプライサイド構造改革の主要内容と改革全面深化との関係において、一時的に見解の齟齬があったとみられるが、中央財経領導小組メンバー等の調整により、現在は統一が図られている。人民元の相場が不安定ななか、G20杭州サミットを控え、指導部の不協和音が対外的に表面化することは何としても回避したかったのであろう。
むろん、来年党大会を控え、人事抗争はこれから激化するものとみられるが、これを安易に経済政策と結びつけて無理に対立を強調することは、経済政策に対する客観的分析を困難にすることになる。主要会議の内容や指導者の講話の表現に、より注意する必要があろう。