アメリカの事情と日本の政策動向
東京財団研究員兼政策プロデューサー
三原 岳
1 はじめに
これまで手つかずだった障害者の高等教育政策が動き始めている。文部科学省が二〇一二年六月に有識者検討会を設置したほか、二〇一三年度概算要求には拠点的な大学を支援するための経費として四億円強を盛り込んだ。非営利・独立の政策シンクタンクに在籍する筆者は、二〇一一年秋から「障害者の高等教育政策」研究プロジェクトを進めており、二〇一二年六月にはアメリカの国立ろう工科大学(NTID)などを訪問し、障害者の社会参加機会を確保する「合理的配慮」の実態を視察した。さらに八月には 『障害者の高等教育に関する提言』 を公表し、障害者が進学を選択できる社会を目指して拠点大学の形成や情報開示の充実、障害者の相談をワンストップで受け付ける組織(例えば支援室)の設置義務化、大学評価制度の見直しなどいくつかの政策を提言し、その後も文科省関係者などと意見交換している。
本稿では障害者の高等教育政策に関するアメリカの事例を見つつ、動き始めたわが国の政策動向を紹介したい。
2 障害者の高等教育政策の意義
アメリカの視察で最初に訪ねたのはNTIDだった。NTIDは、私立ロチェスター工科大学(RIT)に一九六八年に設置された大学であり、約千三百人の聴覚障害者が在籍。百二十人の専属手話通訳者など各種支援のもと、専門教育を受けている。運営には年六千三百万ドル前後(日本円換算で約五十五億円)に及ぶ連邦政府の予算が投入されている。
カリキュラムは学部教育の専門教育課程である「学士コース」(Baccalaureate Degrees)と、就労や学部教育への準備としての「準学士コース」(Occupational Science; AOS, Applied Science; AAS)、「編入コース」(Transfer Degree)に分かれており、英語の読み書き能力など入学時の学力でコースが決まり、その後は学力や自分の意欲しだいでコースを決定または変更できる。
このうち、学士コースは手話通訳者による支援を受けつつ他の学部生と一緒に、RITで専門的な授業を受ける。一方、準学士コースのAOSは就労支援、AASは就労と学業の両にらみの課程、編入コースは統合教育を受けるまでの準備期間と位置づけられており、編入コースはほとんど全員が学士コースに進学する。しかし、どのルートを経たとしても、学士コースを卒業する段階では聞こえる学生と同じレベルに達することを求めている。
では、なぜこうした大学を設置したのか。ヒアリングに対して、NTIDは「障害の有無にかかわらず、その人らしい自立した生き方を送るうえで、個々人のもつ個性や能力を最大限発揮できる環境整備が必要であり、高等教育を卒業した障害者を少しでも多く社会に輩出することで、自立した社会の担い手を増やし、結果的に障害者の収入を増やし、社会全体の税収の増加や社会保障支出の削減にもつながる」という考え方を何度も強調していた。障害者の高等教育政策を「社会的な投資」として位置付ける思想である。
同様の考え方はマサチューセッツ大学ボストン校でも話題となった。同校では、高等学校に在籍する知的障害者を期間限定で受け入れる「Inclusive Concurrent Enrollment; ICE」を展開している。ICEは大学での学習・生活体験を通じて、同年代の学生たちと同じ空間・時間を共有することに力点を置いている。入学試験や卒業試験は実施されず、希望した授業を受講する形になるが、リポートや宿題は他のコースと同じ中身を課している。同大学によると、知的障害者が高等教育の経験を得ることで社会性が身につくとともに、障害者の自信につながり、その結果として図書館やアスレチッククラブなど就労の選択肢を広げることに結び付いているという。
今後、各大学で障害学生支援を展開するうえで、「障害者の自立に向けて、能力を最大限発揮できる基盤を高等教育段階で作る」という基本的な考え方は大いに参考になるだろう。意欲と能力を持つ障害者の自立を社会全体で支えるうえで、教育と雇用を接続する高等教育機関の存在は重要であり、障害者の進学・修学支援を考える際には、こうした視点に立脚することが求められる。
3 合理的配慮という概念
もう一つ、視察で頻繁に話題に上ったのが「合理的配慮」(reasonable accommodation)という概念である。合理的配慮とは、障害を理由に不利な状況にある障害者と、その他の人との条件を平準化するのが目的であり、例えば聴覚障害による困難で能力を発揮できない場合、手話通訳やパソコンノートテイク(授業の内容をパソコンの画面上でリアルタイムに伝える)などを通じて、能力を百%発揮できるように支援する考え方である。その根拠は、一九七三年制定のリハビリテーション法五〇四条、一九九〇年制定のADA法(障害を持つアメリカ人法)で定められており、障害の有無にかかわらず、すべての人が平等な機会を持つという基本原則がうたわれている。さらに、意欲と能力を持つ障害者のニーズに対して、合理的配慮を実施しない場合、障害者差別になる。高等教育分野の事例としては、別室受験や時間延長、リスニング免除といった試験上の配慮やノートテイク(授業の内容をノートに記録)、手話通訳、パソコンノートテイク、点字・音声・字幕による教材提供などが挙げられる。
しかし、何をやるかについて基準が存在するわけではなく、運用は各機関に委任されている。つまり、障害を理由にした条件不利の解消に向けて、障害者のニーズに対して、各機関が「配慮の必要はあるのか」「どのような配慮が適切か」といった点を考慮しつつ、本人に説明しながら当事者間で調整・合意するのが合理的配慮の考え方である。その際には、障害種別で区分するのではなく、個々人が抱えている困難をベースに対応策を考える。この考え方は、精緻な基準をつくって支援の可否や内容・対象・水準を細かく線引きする日本の行政手法とは大きく異なる。
RITでヒアリングした事例を挙げると、障害をもつ大学生が障害を理由に授業時間の延長を申請した場合、支援室では「どういった困難を抱えているのか」「何故、試験時間の延長が必要なのか」を質問する。例えば試験時間の延長を認めたケースとして、百五十分で三百問の質問が課されるオンラインの試験が話題に上った。この試験について、聴覚障害学生が「自分の第一言語はアメリカ手話であり、英語の文章をアメリカ手話に置き換えないと理解できないので、試験時間の延長を認めてほしい」と説明したのに対し、支援室は学生の障害や学力などを総合的に勘案したうえで、「要求は合理的」と判断して要求を認めたという。
さらに、合理的配慮に基づく支援の内容や水準は、支援機関の持つ資源や社会的な合意で変遷する。現在は百二十人の専門手話通訳者を擁するNTIDも発足当時、ボランティアによる手話通訳に頼っており、専門的な情報を伝達する必要がある高等教育機関としては心もとない状況だった。しかし、約四十年の取り組みを通じて、手話による情報保障は合理的配慮として不可欠な支援と見なされている。その証拠として、ボストン大学でのヒアリングでは、大学に在籍している聴覚障害者が大学院への進学を希望した場合、高度な大学院の授業に対応する手話通訳者の確保は合理的配慮にあたり、大学側が確保する義務を負うとの考え方が示されていた。当事者による社会的な合意の積み重ねが合理的配慮のレベルを決定していると言える。
4 合理的配慮を拒否できるケース
一方、障害者のニーズが「過剰なサービスであり、合理的ではない」と判断できるケースについては、支援機関が拒否できる。例えば、ボストン大学のヒアリングでは車椅子の学生が移動する際の支援が話題となった。ボストンの冬は雪深くなるため、大学側は一般学生と同様に通路を雪かきするなど雪道でのアクセスを保障するが、車椅子の学生が遅刻することがあっても大学は校舎間の移動を介助しない。大学は「冬のボストンが雪深いことを知った上で当該学生は入学しており、雪かきによるアクセスは保障するが、移動介助は合理的配慮にあたらない」と考えているのである。
支援サービスが莫大な費用負担を伴ったり、本質的な部分の変更につながったりすると判断される場合もニーズを拒否できる。例えば、障害者のニーズに応えることが「過度な財政負担を伴う」と判断されれば拒否できる。しかし、ここで言う「過度な財政負担」の判断は状況しだいで変わりうる。さらに、工学部に在籍する学生が、数学、理科といった根幹に関わる授業について試験の免除を求める場合は、合理的配慮にあたらないと判断されて拒否されることがある。工学部に在籍する学生にとって数学や理科は必要不可欠な科目であり、試験免除は過剰な支援と判断しているためである。つまり、教育目標が達成されないような試験・授業内容の変更は合理的配慮に当たらないと判断されることがある。
合理的配慮の概念を理解するうえでは、アファーマティブ・アクション(Affirmative action)と対比するとわかりやすいであろう。アファーマティブ・アクションは障害者を別枠扱いとし、特例措置を通じて社会参加を拡大する考え方である。例えば、企業の採用や大学入試に際して、一般とは別の「障害者枠」として試験を実施することはアファーマティブ・アクションとなる。一方、合理的配慮の考え方を採る場合、障害を理由にした困難をカバーして対等な条件で受験できるよう、試験時間の延長や点字への翻訳といった特例を実施しつつ、一般枠で受験してもらうことになる。つまり、合理的配慮は、障害を理由にした困難を解消できるよう、競争条件を平準化することに主眼を置いているのに対し、アファーマティブ・アクションは、障害者を特別扱いにすることで社会参加機会を拡大する考え方である。必ずしも両者は対立する概念ではないが、「特例措置による参加機会の確保」「競争条件の均一化による参加機会の確保」という考え方の相違が存在することには留意する必要がある。
一方、支援の可否や内容に不満がある場合、不服申し立てができる。RITの場合、不服を受け付けるための組織が副学長をトップに設置されているという。しかし、支援室の責任者に不服申し立ての件数を確認したところ、八年間で二件しかないとのことだった。それだけ支援室と障害学生の間で十分な対話と調整がなされ、配慮の合理性についての合意が交わされていることの証であろう。