東京財団研究員兼政策プロデューサー
三原 岳
障害者 [1] の特性や個別事情に応じて「合理的配慮」の提供を行政機関に義務付ける障害者差別解消法が今年4月に施行された。この法律は障害者の権利を確保するため、対話→調整→合意プロセスを通じて、障害者に合理的配慮を提供することに主眼を置いており、今後の障害者政策を考える上で重要な制度改正である。同時に、その意義は障害者だけでなく、社会を構成する全ての人に及ぶ。
筆者は「障害者の高等教育政策プロジェクト」 [2] の一環で、合理的配慮に関心を持ち、その動向をウオッチしてきた。本稿は「合理的配慮」「社会的障壁」「過重な負担」をキーワードにしつつ、障害者差別解消法の枠組みを総括するとともに、その意義を考察したい。
法律の枠組み
障害者差別解消法を理解する上でのキーワードは「合理的配慮」「社会的障壁」「過重な負担」の3つと考えている。まず、2013年6月に成立した法律の条文を見ると、第1条の「目的」で「全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」とした上で、第7条2で下記の通り、「社会的障壁」を除去するための「合理的配慮」の提供を行政機関に義務付けている(下線は筆者)。
行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に 社会的障壁の除去 を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その 実施に伴う負担が過重 でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、 社会的障壁の除去の実施 について必要かつ 合理的な配慮 をしなければならない。
民間事業者の義務を定めた第8条2では条文の末尾が「努めなければならない」として努力義務となっているが、同様の規定を設けている。
ここで冒頭に触れた3つのキーワードが全て登場したことに気付く。最初に合理的配慮から考察すると、合理的配慮 [3] は英語でreasonable accommodationと言い、2006年12月に国連総会で採択された国連障害者権利条約 [4] の第2条に定義がある(外務省の訳文、下線は筆者)。
障害者が他の者との平等を基礎 として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための 必要かつ適当な変更及び調整 であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、 均衡を失した又は過度の負担 を課さないもの。
ここでは障害者と障害のない人との平等を確保するため、過重な負担(条約の文言は過度な負担)にならない範囲で、必要かつ適切な変更、調整を行うとしている。以下、合理的配慮の考え方について、日常生活で起こり得る事例を基に考察を深めることとする。
合理的配慮と社会モデル
合理的配慮を考える上では、「社会モデル」に立脚する必要がある。これは障害者が受けている制限を病気や症状に着目する「医学モデル」ではなく、障害とは社会における様々な障壁と相対することで生じるとする考え方である [5] 。
社会モデルを理解するには「なぜ自動改札は右なのか」という問いから発すると分かりやすいだろう。社会とは往々にして多数が便利な形で形成される。自動改札の場合、左利きの人は1割程度にとどまるため、右利きの人にとって使いやすいように自動改札が設置され、自動改札を通過する時は利き腕に関係なく、必ず右側で定期券を持つことになる。
では、障害者で考えるとどうだろうか。車椅子の人が街に出掛けた際、移動の不自由を感じる主な理由は段差であろう。一方、日常は自由に歩ける人も、重い荷物を持った時、子育て中にベビーカーを押した時、骨折で松葉杖を突いた時などでは移動が難しくなる。これは二足歩行という多数に便利な形で、段差の大きい都市や施設が建設されているためである。この結果、段差の存在が車椅子の人など移動しにくい人を排除していることになる。
情報保障について考えると、多くの人は普段、「日本語の音」を使ってコミュニケーションを取っており、聴覚障害者は音声情報にアクセスできない。また「日本語の文字」を使う多数で社会が形成されているため、視覚障害者は文字情報に触れられない。その一方で、普段は不自由なくコミュニケーションが取れている人でも、言語が通じない国に行くと同じような環境になる。これは言語が通じない国では「日本語の音声」「日本語の文字」を使う人達が少数だからである。
つまり、社会モデルの考え方に沿うと、障害が生み出される理由は障害者自身の病気や症状にあるのではなく、社会の多数を占める人が作り上げる環境になる。先に挙げた例で言うと、「段差」「日本語の音」「日本語の文字」であり、これらの環境が2番目のキーワードである「社会的障壁」になる。障害者基本法第2条2、障害者差別解消法第2条2では社会的障壁を以下のように定義している。
障害がある者にとって 日常生活又は社会生活を営む上で障壁 となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの。
そして合理的配慮とは社会的障壁、つまり日常生活や社会生活の障壁を取り除くプロセスになる。
合理的配慮と「過重な負担」のバランス
では、社会的障壁を取り除くため、合理的配慮ではどうするべきか。まず、合理的配慮は個別ケースで判断することに主眼を置いており、「何をやるか」について具体的な基準がない。先に触れた障害者差別解消法第7条2では「障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて」合理的配慮を提供すると記しており、国が定めた障害者差別解消法の基本方針にも以下のように書かれている(下線は筆者)。
合理的配慮は、障害の特性や社会的障壁の除去が求められる具体的場面や状況に応じて異なり、多様かつ個別性の高い ものであり、当該障害者が現に置かれている状況を踏まえ、 社会的障壁の除去のための手段及び方法 について、「 過重な負担 の基本的な考え方」に掲げた要素を考慮し、代替措置の選択も含め、 双方の建設的対話による相互理解 を通じて、 必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされる ものである。さらに、 合理的配慮の内容は、技術の進展、社会情勢の変化等に応じて変わり得る。
国が一律に支援の可否や水準、内容を定めるのではなく、合理的配慮を提供する機関が個別ケースで考慮しつつ、支援を求めた障害者と十分に対話し、「過重な負担」にならない範囲で調整しつつ、支援の可否や水準、内容を決めることになる。
では、障害者のニーズにどこまで対応すれば良いのだろうか。ここで最後のキーワードである「過重な負担」が関係する。
過重な負担について、国の基本方針は「具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要」「過重な負担に当たると判断した場合、障害者に理由を説明し、理解を得るよう努めることが望ましい」としつつ、考慮すべき要素として以下の点を示している。
- 事務・事業への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)
- 実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)
- 費用・負担の程度
- 事務・事業規模
- 財政・財務状況
具体的な事例を基に考察しよう。自治体がイベントを企画し、そのイベントに参加を希望する車椅子の人がエレベーターの設置を求めた場合、すぐにエレベーターを建設することは「実現可能性」の観点で不可能であり、「過重な負担」になる。この場合、自治体は車椅子の人のニーズを聞きつつ、段差を解消する小さなスロープを設けたり、車椅子を運ぶ要員を準備したりできることなどを説明した上で、車椅子の人との合意を模索することになる。
また、聴覚障害者が「イベントで他の参加者と双方向で対話したい」と要望したにもかかわらず、担当者が全く対話しないまま、「後で議事録を渡す」と答えた場合、「双方向での対話」というニーズに応えておらず、聞こえる人との平等性を確保していない点で、障害者差別になる可能性がある。
さらに、手話通訳の確保など情報保障に必要な経費を上乗せしても、イベントの経費が全体で数%程度しか増えない場合、「過重な負担」とは言いにくいため、情報保障の提供は合理的配慮の範囲になる。このケースでは聴覚障害者のニーズを聞きつつ、イベントを主催する自治体は情報保障が義務付けられるであろう。
逆に自治会の会合や市民主体の勉強会などボランタリーなイベントの場合、情報保障に要する経費が「過重な負担」と判断される可能性も否定できない。
しかし、こうした事例は筆者の「思考実験」に過ぎず、全てに当てはまるとは限らない。既述した通り、合理的配慮は個別性を重視しているため、具体的な基準がなく、支援の可否や水準、内容については、合理的配慮を提供する機関が障害者と十分に対話・調整しつつ、合意を模索することになる。
障害者差別解消法の意義
こうした合理的配慮のプロセスを筆者は「対話→調整→合意のプロセス」と呼んでいる。障害者差別解消法とは、往々にして「少数」である障害者の権利が侵害されるため、障害のない人という「多数」が配慮するプロセスを義務付けた法律である。
冒頭に挙げた3つのキーワードで紐解くと、少数である障害者が日常生活や社会生活を営む際の「社会的障壁」を除去するため、多数を占める障害のない人が「過重な負担」にならない範囲で、対話→調整→合意のプロセスである「合理的配慮」を取ることを義務付けた法律である(法律で民間は努力義務)。
さらに、障害者差別解消法の基本方針に「技術の進展、社会情勢の変化等に応じて変わり得る」と書かれている通り、合理的配慮の内容、水準は社会経済情勢や市民の認識の変化に応じて変動する。
言い換えると、個別の事情に応じて当事者同士の対話→調整→合意を重ねることで、社会全体で「相場観」を形成していくアプローチである。これまでの障害者政策のように国の基準で一律に判断するのではなく、対話→調整→合意のプロセスを通じて、障害者だけでなく、障害のない人も満足できる「解」を見出すのが合理的配慮の本質である。
最後に、法律の意義は障害者だけにとどまるのだろうか。筆者は障害のない人にとっても大きな意味があると考えている。
既述した社会モデルの考え方に沿うと、障害とは社会的障壁で形成される。このため、普段は不自由なく過ごしている人も環境次第で、障害者と同じ不便を感じる可能性がある。先に触れた重い荷物を持った場合、ベビーカーを押した場合は一例になる。
つまり、少数か、多数かに属するかは相対的であり、その時々の環境で変わる。このため、対話→調整→合意プロセスを丁寧に積み上げることを通じて、少数の障害者が住みやすい社会を形成できれば、結果的に誰にとっても住みやすい社会につながると考えられる。
障害者差別解消法は障害者という少数を対象とした「施し」ではないし、障害者だけを対象とした「他人事」ではない。むしろ、他人を助けることで自分も助かる点で、利他的であり利己的な側面を持っており、社会保障制度の基本原則である「連帯」に通じる。フランスの哲学者、アンドレ・コント=スポンヴィルは以下のように述べている [6] 。
(寛大は)他者のためによいことをしたとしても、自分たちにはなんの得もない。(連帯は)他者のためによいことをするとき、同時に自分にとってもよいことをしている。
障害者差別解消法の施行を「施し」「他人事」と考えず、社会の構成員が「過重な負担」にならない範囲で少しずつ配慮し、これを積み上げていくことが求められる。
[1] 「障害」は元々、「障碍」と表記されていたが、戦後に「碍」の字が当用漢字、常用漢字にならなかったため、代わりに「害」の字を用いた経緯がある。本稿は法令上の表記に沿って「障害」と記述する。
[2] 東京財団「障害者の高等教育プロジェクト」
[3] その淵源は1973年のリハビリテーション法504条にあり、行政機関や連邦政府との契約者などが障害を理由に差別を行うことを違法と定めた。この法律は1990年、ADA法(障害をもつアメリカ人法)に繋がり、レストランやホテルなど民間事業者、工場など商業施設などが対象となった。
[4] 障害者差別解消法の施行を受けて、政府は2014年1月に国連障害者権利条約を批准した。
[5] 2011年8月に改正された障害者基本法第2条1では障害者の定義として、「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害がある者」という医学モデルの考え方に加えて、「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」という社会モデルを併記している。
[6] André Comte-Sponville(2004)“Le Capitalisme est-il Moral?” [小須田健訳、コリーヌ・カンタン訳(2006)『資本主義に徳はあるか』紀伊國屋書店pp158-159]。