評者:宮城大蔵(政策研究大学院大学政策研究科助教授)
「対米協調」か「対米自主」かと、戦後日本外交の営為をアメリカとの距離感を基準に意味づけることがこれまで日本外交(史)研究において広く行われてきた。保城氏の論考は、精緻な分析によって対米「協調」/「自主」という枠組みが、いかに妥当性を欠いたものであるかを論じている。研究者によって「協調」「自主」の意味内容も、扱う事例も恣意的であり、戦後外交を分析する枠組みとして有用ではないとの結論は説得的である。
「対米協調」路線が吉田、池田、これに対する「対米自主」路線が鳩山、岸の各政権であったというのが「協調」/「自主」枠組みの「通説」であるが、筆者が思うに、おそらくこの二つの系譜を分けるものは実のところ対米関係ではなく、その中核は自衛隊や憲法問題を正面から扱うことを回避した吉田の「なし崩し再軍備」(植村秀樹)国家に対する後者からの反発であったように思われる。そうでなければ「対米自主」の若き旗手であった中曽根康弘が、首相就任後は冷戦への積極的参画によって戦後きっての(本来の意味での)「対米協調」政権となったこと、逆にアメリカからの再軍備圧力に抵抗した吉田が「対米協調」路線の始祖とされる逆説を理解することはできまい。
しかしながら対米「協調」/「自主」議論を否定したとしても、戦後外交の様々な営みを大きく意味づける枠組みの必要性までが失われるわけではない。保城氏は「米国の影響力と国内の財政制約」が戦後外交を規定した最大の要因であったと指摘しているが、その枠組みによる戦後外交の新たな全体像を説得的に示すことができれば、ことさら言い立てずとも対米「協調」/「自主」枠組みの意味は自ずと失われるに違いない。近年の自衛隊のイラク派遣なども専ら対米関係の文脈で議論されたきらいがあるが、世界大で活動するに至った日本がその意味を対米関係を超えて認識し、意味づける試みは、研究の世界のみならず、日本外交の根幹にある課題なのであろう。
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