評者:西野純也(慶應義塾大学法学部専任講師)
「帰国事業」によって、1959~84年にかけて93,340名の在日朝鮮人(日本国籍保持者6,839名含む)が北朝鮮へと渡った。事業は25年に及んだが、61年までの2年間で全体の80%が帰国船に乗って新潟港をあとにした。そこには様々なアクターが関わったが、これまでは北朝鮮政府や朝鮮総連、日本の「左派」勢力やマスコミが主な非難の対象となってきた。
本書では、日本政府および日本赤十字こそが帰国事業の「発起人としてもっとも大きな力をふるった」(100頁)という事実が、2004年に機密解除されたジュネーブの赤十字国際委員会所蔵文書などから明らかにされている。日本政府にとって左翼的で生活保護申請の多い在日朝鮮人の「帰国」は、治安・財政面からみて好都合であった。在日朝鮮人への生活保護削減キャンペーンと帰国事業が同時期に進められたのはやはり偶然とはいえまい。
一方、本書がより重きを置くのが、冷戦という国際政治の文脈のなかで帰国事業を読み解く作業である。当時の岸政権にとって帰国事業とは、李承晩政権の対日強硬姿勢への有効な外交カードであり、同時に、安保改定で対立する国内の保革勢力が共に賛成する問題として政治的に利用価値の高いものであった。事実、岸政権は「左派」やマスコミの支持する帰国事業を総選挙対策として考えていたのである。日韓関係を重視する米国政府が帰国事業の推進に反対しなかったのも、それが「改定安保条約とセットになっていた」(268頁)からに他ならない。ソ連もまた、ライバル中国に対抗して地域への影響力を維持・強化するという冷戦的発想から、日本と北朝鮮の間のこの「用心深い協同作業」を支援した(257-258頁)。
北朝鮮への「エクソダス」(帰国)という冷戦史の影を浮き彫りにした本書であるが、その行間からは、困難な状況にある日朝の「対話と理解のプロセスにいささかなりとも貢献できれば」(338頁)という著者の思いも十分伝わってくる。
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