評者:宮城大蔵(上智大学外国語学部准教授)
はじめに ―― 引き裂かれる「沖縄論」
昨今、「沖縄問題」なる言葉が聞かれる。主として沖縄に在日米軍基地が集中していることに起因するさまざまな問題を指しているわけだが、あたかも沖縄が問題を作り出しているように聞こえることに、いささか違和感を覚えないでもない。
評者には近年、沖縄をめぐる議論が二分化する傾向を強めているように思われる。すなわち、一つは沖縄に基地を押しつけている不当さを告発するもので、従来からの沖縄論の中心をなすものだと言ってよかろう。
これに対して近年盛んになっているのが、基地を代償として東京の政府からさまざまな振興策を引き出す沖縄の「したたかさ」、あるいは「甘え」を告発するものである。日本経済新聞の元那覇支局長・大久保潤氏の『幻想の島・沖縄』(日本経済新聞出版社、2009年)、普天間基地移設問題の当事者であった守屋武昌『「普天間」交渉秘録』(新潮社、2010年)などが、その代表的なものと言ってよかろう。
そのような二極化に強い危機感を表しているのが、ここで紹介する渡辺氏の著作である。過剰な基地負担の代償として特例扱いの振興策を注ぐという、「基地と振興策」のバーターが、本土と沖縄を分断するというのである。ただし渡辺氏の著作は、「沖縄論」それ自体を論じるのはない。沖縄随一の基地負担を抱える嘉手納町が、それを逆手にとった「まちおこし」を試みる過程を丹念に掘り下げる。その結果として上記の結論にたどり着くのである。
本書の概要
以下、本書の概要を紹介しよう。構成は以下の通りである。
第1章 町の悲願と島田懇談会
第2章 防衛施設局移転の真相
第3章 「国策」のゆくえ
エピローグ 新政権と沖縄
第1章
本書の主人公は二人である。一人は外務省北米一課長を退任後、外交問題評論家として活動していた岡本行夫氏(後に沖縄担当首相秘書官)、そしてもう一人は、町の面積の83%を極東最大と言われる米軍嘉手納基地が占める嘉手納町の宮城篤実町長である。
本書のストーリーは、1996年6月、初対面の会食で、基地に圧迫されて嘉手納町が「呼吸困難な状態」に陥っているとして、再開発事業による「閉塞感の打破」を訴える宮城町長に対し、岡本氏が「梶山静六官房長官に会いませんか」と持ちかけた場面から始まる。当時沖縄は、前年9月に起きた米海兵隊員による少女暴行事件、この年4月に発表された普天間基地の返還と、激動の最中にあった。
その中で政府は、「従来にない大胆な沖縄振興策」を打ち出す。その要点は、沖縄県(当時は革新系の大田昌秀知事)を飛び越して直接市町村と折衝し、かつ対象を基地所在市町村に絞ることであった。このアイデアは、島田晴雄・慶大教授を座長とした島田懇談会として具体化した。懇談会は、「県全体とは別の具体的まちおこし」を掲げて7年間で1000億円を投じる事業を打ち出すことになる。著者の渡辺氏は、これが普天間の県内移設方針により不満の高まった地元の「ガス抜き」であり、後に振興策が、基地受け入れと明確にリンクする「アメとムチ」政策に変容する分岐点であったと指摘する。
この島田懇談会の動きを、「千載一遇のチャンス」と受け取ったのが宮城町長で、かねてからの悲願であった町中心部の再開発を目指して活発に動き始めるのであった。
第2章
宮城町長の積極的な働きかけもあって、嘉手納町には島田懇談会事業(通称、島懇事業)の4分の1あまりとなる200億円が投じられることになった。実に町の予算の5年分である。そこで関門となったのが国土交通省であった。再開発事業への国庫補助は3分の1までという原則がある中、「島懇事業」では9割が国庫補助という異例の扱いとなっていた。結局、嘉手納町での事業について国交省負担は3分の1にとどめ、残りは防衛施設局が負担することで決着した。
次なる問題は、完成する巨大ビルの入居者探しである。結局ここには那覇から防衛施設局が移転・入居することになった。防衛省は開発事業の過半を負担した上に、今度はテナントとして年間2億円の賃貸料を支払うことになったのである。まさに嘉手納を対象とした特例中の特例であった。
ここまで国が嘉手納町を優遇した背景には、当時の沖縄県内の政治情勢があった。基地受け入れに消極姿勢を崩さない大田知事の三選をかけた知事選が迫っていた。沖縄保守政界の有力者である宮城町長は、自民党が擁立した稲嶺恵一陣営の核となる存在だったのである。宮城町長が強く求めていた那覇防衛施設局の嘉手納町への移転は、県知事選挙の投票日直前に発表され、結果として稲嶺候補当選に向けた追い風となった。
第3章
「島懇事業」の交付を受けた多くの市町村で予算を「使い切る」ことが至上命題となり、多くの「ハコモノ」が出現、後に運営コストに苦しむことになる。政府側関係者は沖縄側の構想力の乏しさを指摘したが、各市町村には「何のプランもないのに、ある日突然予算を振られ、何か事業を」と言われたと戸惑う声も少なくなかった。
嘉手納町は、基地関連収入が税収の二倍に達する。宮城町長は「嘉手納にあるのは被害だけ。知恵を絞って普通の自治体とは違う手を使う。(国の補助金を)いただいているという意識はまったくない。国は支払うべきものを支払わなかっただけ」と断言する。それは嘉手納基地が最後まで返還されないことを見越して、「より多くを取る」と割り切る政治である。
嘉手納町の再開発事業は完成した。中心となるビルの玄関ロビーに、嘉手納町の「恩人」を顕彰するレリーフが完成した。レリーフに刻まれたのは、梶山静六、岡本行夫、島田晴雄の三人であった。
エピローグ
嘉手納町は、沖縄の抱える矛盾の象徴である。基地と引き替えの振興策で潤うのは一部住民であり、巨額の国庫支出を引き出しても、住民は行政任せでマンパワーは育たない。
本土復帰後、沖縄には9兆円あまりの振興事業費が投入された。しかし「ザル経済」と言われたように多くは本土企業に環流し、当の沖縄は「公務員天国」と言われるように自立や起業の精神に乏しいことは否めない。歴史的文化的背景から、沖縄には「一国二制度」的な位置を志向する空気が強いが、基地被害の代償として補助金獲得に手を尽くす現状は、そのような「究極の地方分権」とは対極にある。
一方で東京の政府について言えば、沖縄の過重な基地負担にはメスを入れず、振興策にすり替えてきた。本土の過疎地等に基地を移設するより、振興策と引き替えに基地に「免疫」のある沖縄においておいた方が安上がりという発想である。
しかし、財政難や全国的に地方が衰退する中、政府が沖縄を特別扱いするのは徐々に困難になるだろう。一方で沖縄にとっては基地の移転縮小が進んで「普通の県」になることに抵抗があるかもしれないが、これまで大半のエネルギーが基地対応に費やされてきたことを考えれば、それは主体性回復の契機である、と著者の渡辺氏は論じるのである。
本書の評価
いわゆる「沖縄問題」を理解するための必読文献だというのが評者の率直な感想である。とかく、それぞれの立場からの議論が中空で交差し、相交わることすら多いとは言えない沖縄をめぐる議論だが、本書は嘉手納町における「国策のまちおこし」というきわめて具体的かつ局所的な問題を掘り下げることで、「沖縄問題」の本質を抉ることに達した。
本書の書き出しから中盤に至るまで、本書は宮城町長の「まちおこし」の手腕を肯定しているのかと思いきや、徐々にその限界を指摘する方向に向かう。おそらく筆者の眼差し自体が、揺れ動いた結果なのであろう。それをトーンの一貫性がないと見ることもできようが、ある立場に固執しない柔軟さこそが、本書の魅力と重要性の根源にある。
冒頭で述べたような二極化した「沖縄論」が、それぞれの需要に応える形で広く流通しているのに対し、本書の流通範囲が限られているように見えるのが残念でならない。
政策実務に携わるような方々が、一人でも多く本書を手にとっていただくことを願ってやまない。