なぜ11道県は水源地域保全条例を制定したか?
東京財団研究員兼政策プロデューサー
吉原 祥子
安倍晋三首相は2013年4月9日、衆議院予算委員会にて、所有者不明化をはじめとする土地制度の問題について、固定資産税や安全保障上の課題も踏まえ今後検討する考えを示した *1 。
2010年6月に北海道が全国で初めて「外国資本による森林買収」に関する調査結果を公表して以来、国に土地制度の見直しを求める自治体等からの意見書・要望書は100件を超える。世論の高まりを受け、国は2011年4月、すべての森林の土地所有権の移転について事後届出を義務付ける改正森林法を制定した。だが、取引が事後に判明するのでは問題を未然に防ぐ効力は弱い。
外資による森林買収の9割が集中する北海道は、2012年3月、国に先駆けて水源地域の土地売買の事前届出を義務付ける「北海道水資源の保全に関する条例」を創設。それを皮切りにこの約1年で11道県が相次いで条例を制定した。(さらに複数の県が検討中である。)
本稿では、これまで成立してきた保全条例の分析を通じて、土地制度の根本課題と国による早急な法整備の必要性について考えたい。
危機感の背景にあるのは法制度の不備
今回の条例制定に通底する問題意識とは、法令等の規制のない民有地においては、行政の関与のないまま土地取引が行われるケースが少なくなく、森林・水資源の保全のためには適正な土地利用の確保を図るための法令整備が必要、というものだ。
日本には土地の売買規制は農地以外はない。たとえ地域にとって大切な水源地や、安全保障上重要な国境離島や防衛施設近接地であっても、売り手と買い手さえ合意すれば土地取引は成立する。土地所有権は世界一と言えるほど強く、利用規制も実態上緩い。諸外国と比較しても特異な状況だ。
土地売買にあたっては国土利用計画法(国土法)に基づく事後届出義務がある。だが、取引現場での認識は低く、実際にどれだけ届出が行われているのか国も把握していない。不動産登記は任意(権利部)で、森林所有者の20人に1人は相続時に何も手続きをしていないとされる *2 。そもそも国土管理の土台となる地籍調査は、開始からすでに60年経過したにも関わらず、進捗率は未だ50%だ。
外資による森林買収という現象は、こうした我が国の土地制度の根本問題を露呈させるものであった。
目的不明の大規模な森林買収が増える中、自治体が危機感を持ち、国に先駆けて土地売買の事前届出義務化に踏み切ったのが、今回の11道県の条例である。
11道県の条例比較――長野県は情報公開を規定、福井県は企業買収を想定
全国初の事前届出条例を創設したのは北海道であった。8カ月にわたる条例検討懇話会での議論、道内全14カ所での地域意見交換会、さらにパブリックコメント等を経て、水源地域の土地売買の事前届出制を柱とする条例案を策定した。検討懇話会の全議事録や意見交換会での主な意見、さらに現在も継続中の審議会の資料等、主要情報は道HPで公表されており、政策形成の過程を示す貴重な資料となっている。
11道県の条例を比較すると、保全地域の指定、事前届出制度、報告の徴収、助言、無届等に対する勧告・公表など、主要な規定はほぼ共通している。北海道の条例が今回の一連の条例の雛形的な存在となり、それを土台に各県がそれぞれに工夫を施していったと言えよう。
とくに特徴的なのは、長野県が届出情報の一部を(個人が特定されない範囲で)県HPや出先機関で事前公表する規定を盛り込んだことだ。所有権が移転する前に地域住民と情報共有することが目的で、全国初の取り組みだ。同県はさらに、将来の公有化も視野に、所有者が土地の売却を希望する場合には、買い手が未定でも届出できることとした。いずれも情報公開や売買市場の透視化という点で、今後の土地制度のあり方を考えるための重要な先例になると言える。
石川、富山、岐阜、福井の各県は、無届等に対して、勧告、公表に加えて罰則規定(過料)を盛り込んだ。また、山梨県、福井県は地下水利用規制についても同条例内であわせて規定しているほか、山形県、福井県は対象地域における開発行為についても新たな規定を設けている。
さらに、福井県は企業買収を想定した規程を創設した。法人支配(株式等の過半の取得)による実質的な土地所有者の変更については、国土法の売買届出も不動産登記簿の名義変更も対象にならないため、行政が把握することがとくに難しい。そこで福井県は、指定地域内で土地を所有する法人が株式取得や出資により別団体に実質支配された場合について、30日以内の事後届出を義務付けた。県内企業の動向を網羅的に把握することは容易ではないが、万が一、その土地が不適切に利用されるような事態が発生した場合には、本条例に基づき処分を課することができる。抑止力としての効果も期待でき、企業活動を注視していく姿勢を具体的に示した点で時代変化に則した規定と言えよう。
現在、高知県、徳島県、宮崎県をはじめとする複数の県でも保全条例の検討が進んでいるが、こうした11道県それぞれの内容を参考に、地域にとっての「守るべきところ」「守るべきこと」について議論を深めることが望まれる。
所有者に改正内容が伝わらない――北海道で4割超が「宛先不明」
すでに事前届出制が施行されている5道県(北海道、埼玉県、群馬県、茨城県、山梨県)について見ると、北海道と他4県の間の最も大きな違いの一つに、条例の適用対象地域の指定方法がある。
北海道は、事前届出の対象となる区域設定について、地表水の取水地点に対する集水区域全部、地下水の取水地点1キロメートル内を基本とし、市町村からの提案に基づき地番(または林班)単位で細かく指定して公表している。地目は問わない。2013年3月までに合計115地域、約7万ヘクタールを指定し、今後2~3年かけてさらに指定地域を増やす予定だ。
一方、北海道以外の4県は、県が水源地域を大字(おおあざ)単位で指定し、その中の「現況森林であって、かつ、地目が山林・原野・保安林」を届出対象とする(埼玉県)といった方法をとり、地番までの細かい設定はしていない。
地域指定のあり方は、資源保全を的確に行う上で今回の条例の要と言える。指定方法の違いが条例の実効性とどのような関連があるか、今後、注目していく必要がある。
もう一つの大きな違いが、土地所有者への伝達のあり方だ。事前届出条例の実効性を担保する上でまず重要なことは、届出義務者に条例の内容を伝達することである。
北海道は、指定対象地域の全所有者を洗い出し、条例の内容を通知する文書を個別に郵送している。第1回指定分(2012年10月)は4,166人、第2回指定分(2013年3月)は7,000人を超える。
一方、他の4県は指定地域となった大字について県HPや広報に一覧を掲載するほか、主にチラシの配布(市町村窓口、法務局、森林組合、司法書士会、不動産関連団体等)を通じて関係者への周知を行っている。対象となる所有者の洗い出しや個別の通知はしていない。人数が膨大であることや、所有境界の多くが未確定で所有者の特定が難しいことなどが理由だ。
そして、北海道では、こうしたプロセスの中、一つひとつの作業を徹底して行ったことで、次なる大きな課題も判明した。「土地所有者不明」という問題だ。第1回の水資源保全地域の指定区域の全所有者(4,166名)に個別に通知を郵送したところ、そのうち4割以上が「宛先不明」で返送されてきたのだ。道は固定資産課税台帳、不動産登記簿、住民基本台帳などを手掛かりに移転先の追跡調査をしたが、判明したのはわずか27人だった。
冒頭で述べたとおり、現在の国の制度では、国土法に基づく売買届出は捕捉率不明、不動産登記(権利部)は任意である。住民基本台帳も転居後5年が経過すれば除籍となる。
「縦割り」の中で個々の制度の見直しや整合性が図られないまま時代が経過した結果、行政で把握できる土地所有者の情報精度はここまで低くなってしまっている。
条例施行を通じて、期せずして、「所有者不明」の実態が表面化したと言えよう。
所有者不明問題の核心
北海道で4割を超える所有者が不明だったことについて、「そもそも所有者が不明なら売買も開発もできないのは?」という声もある。
だが、行政の台帳上不明(行政的不明)なだけであれば、所有者自身は条例の存在を知らないまま転売、開発してしまう。この場合、売買届出も登記書き換えも放置すれば行政は把握のしようがない。徴税や公共事業の遂行に支障をきたすことになる。
他方、相続時に権利関係がうやむやになり当事者の間でも所有自覚が失われつつあるような土地の場合(絶対的不明)は、確かに不適切な転売や開発の可能性は低いだろう。裁判で時効取得(民法第162条)するなどの手段を用いる以外は、誰も手をつけられず放置し続けるしかない土地になる。だが逆に言えば、悪意の第三者が不明地を占有し、時効取得を主張する可能性も否定できない。
現に、震災復興に取り組む被災地では、所有者不明地の権利関係の調整が復興の隘路(あいろ)になっている。平時においても、土地所有者の不明化は、農林地の集約化、公共事業のための用地買収や固定資産税の徴税など、様々な場面に問題が波及している。所有者が海外在住の場合や、タックスヘイブンに拠点を置くペーパーカンパニーであれば、調整はさらに困難だ。
北海道は今回判明した所有者不明地について、現在対応を検討中だ。
道以外の4県は所有者への個別通知を行っていないため、今回の条例の対象となる所有者に実際どこまで伝達できているのか、そもそも所有者情報をどこまで把握できているかは定かでない。「不明化」が表面化していないだけの恐れがある。
5道県によると、これまでの事前届出実績は数件から50件程度だ。自治体担当者や不動産関係機関からは「思ったよりも件数が伸び悩んでいる」「実際の取引件数はもっと多いのでは」という声も聞かれる。
所有者不明問題を勘案すると、今後、届出件数の多寡だけで今回の条例の意味や実効性を判断することには慎重であるべきだ。むしろ、今回の条例を契機として顕在化した土地に関する根本課題について、解決に向けた関係者の連携を深めていくことが重要であろう。
本当の「国土強靭化」のために土地法制の見直しを
今回、北海道で顕在化した土地所有者不明の問題は、不動産登記や国土法に基づく売買届出など、国の制度に起因するものである。とくに行政による所有者不明地の扱いは、憲法の財産権や民法の所有権にも関わる問題であり、国の法整備なしに条例のみで解決するには限界がある。自治体の取り組みを後押しする国の法整備が求められる。
また、今回、道県が国に先んじて土地売買の事前届出制を導入したことは、国全体で見ると、国土や資源の保全において国内で地域差が生じ始めたことを意味する。今後は事前届出義務がないなど監視の緩い都府県の土地が売買対象になりやすくなる可能性がある。その意味でも国による早急な法整備が必要だ。
だが一方で、国にとっては、土地の問題は憲法や民法にも及ぶ大きな問題であるからこそ、問題の所在や立法根拠となるだけの不利益が明確にならなければ、対応には踏み出しづらく、担当省庁すら決められないことも事実である。
こうした地域の懸念と国の及び腰という膠着した事態を打開し、土地や資源を適切に保全・利用していくためには、自治体、国それぞれの取り組みと両者の連携が必要である。
自治体においては、条例制定を急ぐとともに、土地制度の不備によって、地域においてどのような問題が生じているか、あるいは今後生じる恐れがあるか等について、国に対して具体的に示していくことが望まれる。
今回の一連の水源地域保全条例は、農林水産部や環境部が中心となって取り組んでいる例がほとんどだ。だが、土地問題は資源保全のほか、徴税、用地買収など広範な政策課題に関連することを勘案すると、課題の抽出にあたっては、庁内において総合政策担当部局や税務担当部局をはじめとする部門間の連携が不可欠だろう。
そして、国はこうした地域の声を受け止め、地域における土地所有者不明化問題の解決の土台となる法整備を進めるとともに、国が担うべき安全保障上の法制度についても、早急に検討を始めるべきである。グローバル時代における自由な経済活動の前提として、水源地や防衛施設近接地など「重要国土」の売買規制等、必要最低限の法制度を早急に備えることが不可欠だ *3 。
「規制強化は時代の流れに逆行する」という声もある。だが、冒頭に述べたとおり、日本の土地制度はルールの緩さと権利の強さにおいて、諸外国と比較しても際立っている。土地の売買・利用が極めて自由である一方、行政のどの台帳を見ても土地所有実態を正確に把握しきれない――日本の土地制度は旧態依然で、国土や資源管理面では実態として極めて効力が疑わしく、かつ脆弱な状態にあるのだ。
「今のところ大きな問題になっていないから」と課題を過小評価し、解決を先送りし続けていれば、解決の糸口となるべき地籍も登記も法制度もないまま、やがて土地所有者の不明化が深刻化し、自国でありながら手の付けられない土地がますます増えていくだろう。
安倍政権は、各自治体で相次ぐ条例成立の事実をこうした現場の危機感の表れだと認識し、土地制度の見直しに早急に乗り出すべきである。
*1 民主党泉健太議員への答弁。
*2 「農地・森林の不在村所有者に対するインターネットアンケート調査結果」(国土交通省、2012年4月)
*3 詳しくは 国土資源保全プロジェクト の提言書をご参照ください。