[特別投稿]竹内幸史氏/東京財団アソシエイト
5月下旬に来日したマンモハン・シン首相と安倍晋三首相による日印首脳会談で、インドの新幹線建設に日本が全面的に協力する方針が確認された。新幹線は、大都市で建設が進む地下鉄(メトロ)、デリー~ムンバイ間の貨物専用鉄道(DFC)に次ぐ第3弾のプロジェクトで、鉄道協力の大本命と言える。まず共同で事業化調査に着手する。
しかし、途上国のインドで数百kmの新幹線を敷設し、時速200~300kmの超特急列車を走らせるのは容易でない。1兆円ともいわれる資金対策など課題は多い。
成長戦略としてのインフラ輸出
5月29日の首脳会談後に発表された共同声明の中で、シン首相は、日本が高速鉄道の設計や運営にわたる優れたノウハウを持ち、インドの建設支援に強い関心を抱いていることを高く評価した。そのうえで、インド西部のムンバイ~アーメダバード間(約680km)の共同調査を日印両国が進めることを決めた、と明記した。
高速鉄道の建設機運は、地球環境問題の中で世界的に高まり、米国、ベトナム、タイ、ブラジル、オーストラリアなどでも計画や構想がある。安倍政権は、日本の成長戦略の中で鉄道インフラのシステム輸出を強く後押ししていく構えだ。新幹線の技術はその目玉であり、海外では2007年に開通した台湾新幹線(台北~高雄間の345km)に初めて本格導入された。日本政府は、インドの新幹線プロジェクトを獲得し、台湾に次ぐ「新幹線サクセス・ストーリー」を実現し、世界にアピールしていきたいところだ。
インドは鉄道の総延長が約65000kmあり、米国、ロシア、中国に次ぐ世界第4の鉄道大国。ところが、設備の近代化は不十分で、高速化は遅れている。インド鉄道省は経済発展の牽引車として、デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイの4大都市を結ぶ計7路線(北部3路線、南部2路線、西部・東部各1路線)、計4600kmにわたる新幹線構想を抱いている。インド一国でいくつもの路線建設が期待できることが、大きな魅力だ。このため、フランスなどが強力に売り込み攻勢をかけ、日本との熾烈な競争を繰り広げている。
インドに対し、日本が初めて公式に協力を提案したのは、2004年8月のことだ。中川昭一経産相(当時)がインドを訪問した際、シン首相との会談で「インドの高速鉄道計画に、日本は新幹線の技術で協力したい。日本の新幹線は40年の実績がある。高速化には電力の安定供給も必要だ」と述べ、電力も含めたインフラ協力の意向を示した。翌9月には日本貿易振興機構(JETRO)の予備調査団をインドに送り込んだ。(*1)
日本は高度成長期に世界銀行の資金を借りて東海道新幹線の建設を進め、1964年10月、東京オリンピック開催と合わせて開通させた。その40周年を記念して2004年10月、JRグループが東京で開いた「世界高速鉄道会議」にインド国鉄のR.K.シン総裁(当時)らを招待し、新幹線に体験乗車させるなど関係強化を進めた。シン総裁はこの時、「5、6年以内に着工できるだろう」と述べ、強い意欲を示していた。 (*2)
高速鉄道より貨物鉄道を優先
ところが、その年の総選挙で政権に復帰したシン首相ら国民会議派主導の政府は、高速鉄道の推進に慎重だった。建設費が大きすぎるし、貧困層が人口の3割もいる状況でどれだけ高速鉄道の需要があるのか、といった観点から「時期尚早」との考えが強かった。
代わりに浮上したのが、貨物専用鉄道(DFC)の建設だった。2005年4月の小泉純一郎首相(当時)の訪印による日印首脳会談で、「西回廊」(デリー~ムンバイ間の約1500km)の貨物新線建設に向けた調査を進めることに合意した。インド政府は経済発展を支える物流網の増強をまず優先したのだ。
インドでは貨物鉄道はディーゼル機関車が多く、平均時速20~30km程度の低速運転だ。とりわけ河川を渡る橋に差し掛かると、一段とノロノロ運転になる。橋も線路も老朽化しているからだ。これに対し、日本は円借款を費やし、貨物専用の新線を敷設し、機関車の電化、信号の整備などを進めて運行の効率化を図る支援をする。この円借款には「STEP= Special Terms for Economic Partnership (本邦技術活用条件)」という制度が使われる。事業契約額の3割まで日本独自の技術や設備を「タイド(ひもつき)」で納入できる。経済協力開発機構 (OECD)の国際ルールで認められた制度だ。
この貨物専用鉄道は今年5月、第1期工事(640km)の競争入札があり、双日とインド企業、ラーセン&トゥブロの連合体が約1100億円で落札した。これを含め、西回廊全体の事業費は約9000億円。このうち7000億円程度が円借款でまかなわれる。この円借款の規模は単一のプロジェクトに充てられるODAとして、史上最大だ。日本にとってのインドの重要性が表れている。
これと同時に日本の支援で進んでいるのが、「デリー~ムンバイ間産業大動脈構想(DMIC)」である。貨物鉄道のDFCを「背骨」とし、7州にわたって港湾や空港、電力インフラ、工業団地を結びつけ、「産業回廊」を築いていく地域開発の構想だ。日本企業のインド進出の受け皿にし、数百億ドルの民間資金を呼び込んでいく方針だ。
地下鉄が「ベスト・アンバサダー」に
都市交通としては、地下鉄(メトロ)建設の協力も着々と進行中だ。デリー、コルカタで延伸が進み、バンガロール、チェンナイ、ムンバイで新設計画が進んでいる。いずれも円借款が使われている。
とりわけ2002年から順次開通し、延伸を進めているデリーメトロは、首都の通勤電車としてすっかり定着した。チケットが買いやすく、駅や車内は涼しく、清潔感があり、乗客には大好評だ。国際協力機構(JICA)は東京メトロ出身の専門家を安全運行と車両管理の指導に送り込んだ。 麻生太郎副総理は外相時代の2005年、インドを訪問してメトロを視察したとき、インド側の話を聞いてこう記している。
「我々(インド)がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。(中略)今インドではこの地下鉄を『ベスト・アンバサダー(最高の大使)』と呼んでいる」(*3)
ところが、この地下鉄事業、日本のODAとしては見事なサクセス・ストーリーとなったものの、日本企業が十分に事業を獲得しているわけではない。コンサルタント事業や地下土木工事では日本企業が受注しても、車両の納入はフランス・アルストム、カナダ・ボンバルディア、韓国・現代ロテムなどの攻勢が目立つ。アルストム、ボンバルディアは車両の現地生産に取り組んでいて価格競争力がある。ロテムは、現代自動車グループ総帥の鄭夢九会長のトップダウンで力を入れ、インドの鉄道車両市場で約6割のシェアを持つ。今年4月のデリーメトロ第3期の競争入札でも過去最多(636両)の車両納入を獲得した。(*4)
一般に、日本の製品は「高価格、高スペック」と言われ、品質や性能は良くても、価格志向の強いインドでは競争力が弱い。車両など鉄道関連の設備機器でも現地生産の展開など対策を進める必要がある。インドは深刻な財政赤字を抱え、最近は汚職問題に厳しい批判が集まるなか、主な公共事業に競争入札が必須条件になっている。
新幹線の場合、日本が事業化に向けた調査事業を獲得したが、インド政府はその事前調査(プレFS)についてフランス国鉄系のシストラ社に発注した。各国を競わせ、事業コストを引き下げ、より良い技術を得るインド流のバランス感覚が働いている。
資金繰りでは「同舟異夢」
総額6000億ルピー(1兆円強)にのぼる巨額の建設費の調達も、新幹線プロジェクトの大きな課題だ。日本は政府による円借款を中心に低利の公的資金で進めたい考えだが、インド側は可能な限り、官民連携(PPP)の事業にして民間資金を活用したい思いがある。日印の間で「同舟異夢」の構図になっている。
メトロでは、ムンバイとハイデラバードの一部路線を官民連携方式を採用するため、インド側は「新幹線でも可能だ」と考えているようだ。日本の他国でのODA事業でも、タイ・バンコクの地下鉄のように地下土木の工事に円借款を使い、官民連携をした「上下分離方式」の事例がある。(*5)
とはいえ、都市鉄道の地下鉄に比べ、新幹線は事業規模がはるかに大きく、より精緻な運営能力が必要になる。日本としても、インドという国の未来と国土の大動脈を形づくる一大事業に腰をすえた協力が不可欠だ。それがまさに、日印パートナーシップの試金石になっていくことだろう。
- (*1)朝日新聞 2004年8月28日付
- (*2)日本経済新聞 2004年11月8日付
- (*3)麻生太郎『とてつもない日本』(新潮新書 、2007年)
- (*4)中央日報日本語版 2013年4月3日付http://japanese.joins.com/article/054/170054.html
- (*5)吉野宏『インド最新事情~鉄道は国家なり~(第3回)』(鉄道車両輸出組合報、2008年4月4日-No.237)