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シリア情勢と米露関係(1)

September 5, 2013

筆者は今年3月、エネルギー総合推進委員会が2013年3月に発行した『中東情勢報告』(2013年版)寄稿の拙論「シリア情勢と米露関係」の中で、シリア情勢を巡る米露関係を時系列で分析した。シリア情勢を巡るプーチン・ロシアの基本スタンスと米露関係のダイナミズムを理解する上で、本稿の内容は参考になると考え、同委員会のご了解の下、一部修正の上、以下、3回に分けて掲載する。

畔蒜 泰助 研究員

「一年前、世界は多くのアラブ諸国の独裁体制に対するデモが、ほぼ同時に発生するという新しい現象を目撃した。”アラブの春”は当初、積極的な変化として希望を持って受け止められた。ロシア国民も民主的な改革を求める人々に共感した。
しかし、多くの国々で起こった出来事は文明的なシナリオを経ていないことが直ぐに明らかになった。民主主義を確立し、マイノリティーの権利を保護する代わりに、敵を退陣させ、クーデターを仕組んだ。その結果は、ある支配的な勢力が、もう一つのより攻撃的な支配的勢力にとって代わられただけだった。
外国が国内紛争における一方の側を支持する形で介入し、しかもその際に軍事力を行使することは、事態の発展にネガティブなオーラを与えた。多くの国々が人道支援の名の下、空軍力を行使して、リビア政府を排除した。単に中世的であるだけでなく、原始的でさえある極めて不快なムアンマー・カダフィの虐殺は、これらの行為の化身である。
なんびとといえども、シリアにおいてリビア・シナリオの行使は容認されない」


これは2012年3月のロシア大統領選挙に向け、当時のウラジーミル・プーチン首相が発表した外交政策文書(同年2月27日付け露モスコーフスキー・ノーボスチ紙掲載)の中で「アラブの春:教訓と結論」との小見出しが添えられた部分である。 ロシアは中国と共に、2011年10月4日、2012年2月4日、同年7月19日と過去3度、国連安全保障理事会に提出されたシリアに対する制裁決議に対して全て拒否権を発動している。  筆者は『中東情勢報告』(2012年版:平成24年3月発行)掲載の拙論「プーチン大統領の大統領再登板とロシアによる対シリア国連安保理決議への拒否権発動」(以下、「プーチン再登板とシリア」)の中で、以下の点について論じた。 ・プーチン大統領の対シリア政策の根底には、2011年3月、米国を始めとした西側諸国(NATO軍)がリビア内戦に武力行使する形で介入し、カダフィ政権を打倒してしまった事への強い異議があること。 ・また、そのような武力行使への道を開いた飛行禁止区域の設定に関する国連安保理決議に対して、当時のメドベージェフ大統領が拒否権を発動せず、棄権してしまったことへの プーチン大統領の深い憤りがあること。 ・この国連安保理決議を巡るメドベージェフの判断は、「本当の米露リセットはプーチンが政権にいる限りは不可能だ」とメドベージェフに囁き続けることで、プーチンとメドベージェフの分断を狙った当時のマイケル・マクフォール米大統領補佐官(ロシア・ユーラシア担当:現駐ロシア大使)による工作が功を奏した結果の可能性があること。 ・プーチン大統領の再登板の背景には、リビア問題を巡るメドベージェフとの間の対立があった可能性が高いこと。 ・リビアへの軍事介入については、米オバマ政権内でもリアリスト派に属する軍や情報機関を中心に反対意見もあったが、所謂“人道的介入主義者”がこれを押し切った。シリアを巡っても、やはり米軍や情報機関がイラクを拠点とするアル・カイダがシリア反政府勢力の内部に浸透していることを理由に、シリアへの軍事介入は勿論、反政府勢力への武器供与にも反対していること。 ・このシリアにおけるアル・カイダの活動の活発化への懸念という点においては、ロシアと米国の利害は一致していること。  以上の点を踏まえ、まず本稿では次のような仮説を立てる。 「もし、オバマ政権内でシリアにおけるアル・カイダの勢力拡大への懸念が強まり、一方、リビアへの軍事介入を主導した“人道的介入主義者”の影響力が弱まれば、シリア問題を巡り、米露がお互い歩み寄る形で協力する局面が出てくる」  本稿の主目的は、この仮説をその後の事態の時系列的な分析を通じて検証することにある。だが、ここではまず、シリア問題の前哨戦ともいうべき、リビアに対する国連安保理決議を巡るプーチンとメドベージェフの対立について、新たな重要証言も交えて、再度振り返ってみたい。

●新証言:プーチンとメドベージェフの対立の表面化の背景

2011年2月17日にカダフィ大使の退陣を求める民衆デモの発生に端を発したリビア内戦は、同年3月17日、国連安保理でリビア上空に飛行禁止区域の設定と共に、民間人保護の為に「必要なあらゆる措置」を取ることを承認する安保理決議1973が通過したことで大きな転機を迎えた。これを受けて、3月19日、米・英・仏3ヵ国の空軍がリビアへの空爆を開始。このオペレーションはその後、NATO軍に引き継がれたが、この軍事介入こそが同年8月のカダフィ政権の崩壊の直接の引き金になったことは周知の通りである。 同決議の採択に賛成票を投じたのは米英仏をはじめとする10ヵ国で、これに棄権票を投じたのは、ブラジル、中国、ドイツ、インド、そしてロシアの五カ国だった。この内、中国とロシアは国連安保理の常任理事国として拒否権を行使する権利を有していただけに、棄権とは事実上、同決議の採択を容認することを意味した。 リビアへの空爆が開始された3月19日、プーチン首相(当時)はこの軍事介入を「中世時代の十字軍の要請を想起させる」と述べ、公然と批判した。すると、メドベージェフ大統領(当時)は「如何なる状況下でも十字軍といった表現は容認できない」と暗にプーチンを批判した。また、メドベージェフは「我々が拒否権を行使しなかったのは、リビアで起こっている出来事に対する我々の理解を反映したものである」とも述べ、リビア問題を巡るプーチンとの立場の違いを鮮明にしたのである。これはプーチンとメドベージェフの意見対立が公然となる最初の出来事となった。 では、この当時のプーチンとメドベージェフはどのような関係にあったのか?まずは、2011年4月までロシア大統領府アドバイザーの任にあったグレフ・パブロフスキーの証言である。

「2010年末には(プーチンとメドベージェフの間に)大きな緊張があった。そして、その緊張はお互いにそれについて会話をしないことで増幅していった。彼らはそれ以外の全てについて会話をしていた。そしてプーチンは“ああ、メドベージェフが私に話さないのは、彼に何らかの計画があるからだな”と考えた。そしてメドベージェフもプーチンについて同様に考えた。そして何より、彼(メドベージェフ)は大統領だ。何故、大統領が首相とこのようなことについて議論する必要があるのか?と考えたのだ。

また、米シンクタンクCenter for National Interest(旧Nixon Center)代表のドミトリー・サイムスは、2012年7月17日付け米シンクタンクCouncil on Foreign Relationsのホームページ上に掲載された“Why Russia Won’t Yield on Syria”と題したインタビュー記事の中で、以下のような証言をしている。

(インタビュアー)一年前、国連安全保障理事会がMuammar al-Qaddafiの軍隊に対するNATO軍の行使を許可した飛行禁止区域の設定に関する決議を通過させた時、ロシアと中国はこの採決を棄権した。当時の首相で現大統領のプーチンはこの決議を否決しなかったことを後悔しているのか? (サイムス)  この決議が通過した時、私はモスクワに居て、ロシア外務省高官と話した。彼は私にロシアはこの決議案にこのままでは賛成しないと述べていた。彼によれば決議の意図は支持するが、この決議には更に多くの作業が不可欠である。というのも、ロシアが安心できる一線を越えて、米国とNATOがこの決議を解釈しかねない曖昧な部分が多くあるからだという。  翌日、私は外務省を再度訪問した。その時には、ロシアはこの決議の採決を棄権していた。私は前日の高官にばったり出くわした。すると、彼は私を見てほほ笑んだ。彼曰く「我らの大統領が独自の決定を下した」と。そこで、私はプーチンの考え方をより代表している人々と話すと、彼らは全く唖然としていた。彼ら曰く「これはメドベージェフの決定だ。オバマがメドベージェフと話して、それがメドベージェフにとって非常に説得力のなるものであることが証明された」とのことだった。彼らは「メドベージェフは相手に気配りをし過ぎる」と感じていた。そして、米国は飛行禁止区域に関するこのような保守的な解釈に満足せず、NATOの空爆に繋がるのは必至だ」と予言した。そして、彼らが正しいことが証明された。このリビア・エピソードがプーチン陣営に活力を吹き込み、メドベージェフが大統領として残り、ロシアの国家安全保障を担わせるほど信頼出来ないとの証拠を彼らに与えてしまったのである。


もう一度、グレフ・パブロフスキーの証言に戻る。

リビアへの西側の介入をメドベージェフが強く支持を表明すればするほど、プーチンはメドベージェフを信頼しなくなっていった。ホワイトハウス(首相府)では、メドベージェフが突如、政府を更迭するのではとの恒常的な恐れがあった。(中略)その恐怖が絶頂に達したのは2011年春のことだった」


この直後の2011年4月、グレフ・パブロフスキーは大統領アドバイザーを解任された。それはプーチン自身の指示で、その理由はパブロフスキーがメドベージェフの大統領再任を働きかけていたからだという。 このドミトリー・サイムスとグレフ・パブロフスキーの証言は、拙論「プーチン再登板とシリア」の後に公表されたものだが、何れもプーチン再登板を巡る筆者の仮説を裏付けるものといえる。  なお、拙論「プーチン再登板とシリア」の中で、リビアへの国連安保理決議を巡るメドベージェフの判断は、マイケル・マクフォール米大統領補佐官が仕掛けたプーチンとメドベージェフの分断工作が功を奏した結果の可能性があるとも指摘した。これに関して興味深いのは、上記の貴重な証言を行ったドミトリー・サイムスが、ワシントンではマイケル・マクフォール批判の急先鋒として知られる人物であるという点である。 2010年3月、筆者はワシントンDCで行われた米Nixon Center(現Center for National Interest)主催のパネル・ディスカッションに参加したが、その際も同代表のドミトリー・サイムスや同所長のポール・サンダースが「マクフォールによるプーチン排除のアプローチは、非常に危険である」と述べていたのを鮮明に記憶している。

  •  Security Council Approves “No-Fly Zone” Over Libya, Authorizing “All Necessary Measures” To Protect Civilians, By Vote OF 10 In Favor With 5 Abstentions. UN Press Release. 2011/03/17.
  •  Medvedev and Putin clash over Libya. Financial Times 2011/03/21
  •  How Dmitry Medvedev's mentor turned him into a lame duck. The Guardian. 2012/03/03.
  •  同上
  •  同上
  •  The Rise and McFaul of Obama’s Russia Policy. The Nation. 2008/07/02.
  •  http://cftni.org/index02d0.html?action=showpage&page=Russia-in-Asia
    • 畔蒜泰助
    • 元東京財団政策研究所研究員
    • 畔蒜 泰助
    • 畔蒜 泰助
    研究分野・主な関心領域
    • ロシア外交
    • ロシア国内政治
    • 日露関係
    • ユーラシア地政学

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